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第三十一話 東城

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【8日目:昼 北第一校舎二階 廊下】

 暁陽日輝は、中学時代は決して褒められた人間ではなかった。
 今だって、人格者でもなければ品行方正なわけがない、学校の裏山やボイラー室でサボったり、授業を抜け出してラーメンを食べに行ったりすることがある程度には不出来な学生だ。
 そしてそんな陽日輝は、喧嘩の経験だって並の同世代よりは積んでいる。
 だからこそ分かるのだ――自分よりも『強い』人間は。
 立花百花がそうであるように、東城要も間違いなくその一人。
 ゆえに陽日輝は、この局面でも真っ向からぶつかるような真似はしない。
 まっすぐ東城めがけて突っ込むと見せかけて、途中で壁にかかっていた掲示板を『夜明光(サンライズ)』を宿した右の拳で殴り付けた。
「はっ! いい小細工だ!」
 嘲笑う東城めがけて、焼き砕かれた掲示板の木片が飛んでいく。
 しかし東城は、顔付近に飛んできたものだけを腕で薙ぎ払い、それ以外は動じずに受け止めた。
 人力で飛ばした破片には、見た目の派手さほどの威力は無い――しかしだからといって、こうも平然とその判断を下して対処できるのは、東城という男がそれだけ死線を潜り抜け続けてきた強者だからだろう。
 分かっていても反射的に顔を背けたり、うろたえたりしてしまうのがむしろ当然だというのに――しかし、それは分かっていたこと。
「まだだ!」
 陽日輝は続いて、駆ける勢いはそのままに膝を落とし、まるでソフトボールのウインドミル投法のように、右手で掬い上げるように床を殴った。
 轟音と共にリノリウムが砕け、今度は斜め上の軌道を描いて大小様々な破片が東城めがけて飛んでいく。
「無駄だぜ暁! 俺の隙を作りたいんだろうが、俺はこの生徒葬会が始まる以前からナイフだの鉄パイプだの金属バットだのが当たり前に飛び交うシチュエーションで勝ち続けてきてんだ!」
「くっ……!」
 東城は、まるでボクサーのような俊敏なステップで前後左右に移動し、大きすぎる破片はかわし、小さな破片は先ほどと同じように薙ぎ払った。
「俺を殺りたきゃその光る拳を当てるしかねえぞ? それができるならなァ!」
 東城の言う通り、『夜明光』で直接殴るしか勝ちの目は無い。
 体格も格闘能力も実戦経験も、東城のほうが上なのだから。
 しかしそれは、一対一で戦った場合のこと。
「やってやるよ――東城!」
 陽日輝は叫び、なおも駆ける。
 もう間もなく東城の間合いだ。
 東城の手足が届く距離、すなわち『氷牙(アイスファング)』を食らう距離。
 廊下を包み込んでいる冷気が、その威力をこの上なく物語っている。
 当然、恐怖が無いわけではない。
 しかし自分はギリギリまで、その間合いに踏み込まなければならない――!
「うおおおおおおォォォォ!!」
 陽日輝は咆哮を上げた。
 それはもはや絶叫と言ってよかった。
 両の掌が放つ橙色の光が、廊下を明るく照らし上げる。
 東城は不敵に笑いながら、こちらに対し拳を突き出すべく構えを取った。
 ――――今だ!
「!?」
 陽日輝は、まるでいきなり重力が何倍にも増したかのように床に伏せた。
 直後、東城が息を?んだのが気配で分かる。
 当たり前だ――ギリギリまで、『それ』は見えなかったのだから。
「がっ……!?」
 陽日輝は顔を上げ、東城が驚愕に目を見開いている姿を確認する。
 ――その首元は深く切り裂かれ、そこから鮮血が噴き出していた。
「俺の体と光で見えなかっただろ――? クロエちゃんの投げた、血の刃は」
「あ……か、つ、きぃ……!」
 そう――陽日輝とクロエは、ぶっつけ本番のコンビネーションを成功させたのだ。
 元々は、三階の教室に踏み込む前にクロエと話し合った、いくつかの戦法の内の一つ。
 陽日輝が『夜明光』によるインファイトを挑むと見せかけて、本命はその背中に隠れてクロエが投げる水滴による斬撃、という戦法だ。
 陽日輝は東城ほどではないがそれなりに体格は良いほうだし、『夜明光』を両手に宿せばかなりの光量になるため、それらで背後にいるクロエを見えにくくすることはできる――しかし、問題なのは陽日輝が伏せるタイミングだ。
 早すぎたら東城に投擲をかわされるし、遅すぎたら陽日輝が食らってしまう。
 決してリスクは小さくなかったが――成功した。
「俺たちの勝ちだ、東城」
 陽日輝は起き上がりながらそう宣言し――そこで、目を見開いた。
 ――すでに倒れていてもおかしくないはずの東城が、立っている。
 そしてその首から噴き出し続けるはずの血は、止まっていた。
 ――傷口が、凍り付いていることによって!
「舐めた真似を――してくれたな――お前ら」
 東城は。
 憎悪と殺意が凝縮された低い声で、静かにそう呟いた。
 ――ぞわっ、と、全身の毛が逆立つ。
 捕食者を前にした被食者の心境を、陽日輝は本能的に感じていた。
「陽日輝、逃げて!」
 クロエが叫んだのと、東城が蹴りを繰り出したのとはほぼ同時。
 陽日輝は咄嗟に後ろに跳びながらも、この蹴りは間合いの外のはずだと瞬時に判断する。当たるはずがない――掠りさえもしない距離。
 しかし――直後、陽日輝は前に出していた左腕に凄まじい衝撃を感じたかと思うと、次の瞬間には、廊下を転がりながら吹っ飛ばされていた。
「陽日輝!?」
 クロエの声が一瞬聞こえたが、その姿を見る余裕はなかった。
 陽日輝は廊下の突き当たりの壁に背中から激突し、ようやく止まることができたが、それはつまり、東城の蹴りによって廊下を三分の二以上吹っ飛ばされたことを意味する。
 蹴られた左腕を始めとする全身の激痛も気にならないほどの戦慄に、陽日輝は打ちのめされていた。
「こんなデタラメな蹴り――まさか――!」
「俺が女どもから手帳を奪ってないとでも思ってたのか? 言ったはずだぞ、ここからは俺も本気だと。『氷牙』だけじゃなく、もう一つの能力――『超躍力(ホッピングキック)』のほうも使わせてもらう」
「ホッピング……キック……!?」
 名前の響きからしても間違いない。
 蹴りを出した瞬間、間違いなく東城の足は、異様に伸びていた。
 ゴムのように伸び、バネのように威力を増す蹴り――それが、東城が能力解説ページ五枚と引き換えに得た、第二の能力なのだろう。
 支配者として君臨する東城らしい、シンプルで強力な能力だ。
「――ちくしょう、『合わせ技』もできるのかよ」
 陽日輝は、左腕の違和感に気付き、苦々しくそう呟いた。
 ただ蹴られただけにしては、左腕の感覚が、無さすぎるのだ。
 それは、東城の蹴りによって左腕が極端に冷やされ、凍傷を負ったことを意味している。
 つまり――東城は、『氷牙』と『超躍力』、その二つの能力を併用したのだ。
「お前は後だ、暁。死にかけだろうとその光る拳を食らえばタダじゃ済まないからな。先に、俺に一杯食わせてくれたお前のほうを潰してやるよ――クロエ」
「――やってみなさいな。私、タダで殺されるつもりはありませんのよ」
「当然だ。氷漬けにした女どもはどうせ死ぬ。そうなったらお前にそいつの代わりをしてもらう必要があるからなァ」
 東城が膝を曲げて構えを取る。
 クロエの背中が強張るのが分かった。
 『氷牙』だけなら、クロエには間合いを取って戦うという手もあったが、『超躍力』のあのスピードを前にしては、そうもいかないだろう。
 早くクロエの加勢に行かなければ――陽日輝は狼狽した頭で、第二の能力をいかにして攻略するかに思考を巡らせていた。
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