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第三十二話 解氷

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【8日目:昼 北第一校舎二階 廊下】

 四葉クロエと東城要の対峙、その近衛は一瞬にして破られた。
 東城が床を蹴った瞬間、クロエもまた、指に浸した血の滴を振るったが、その先に東城の姿はすでに無い。
 東城は、そのときには、斜め前の壁に両足を着けていた。
 そして次の瞬間には、クロエが短い悲鳴を上げて吹っ飛んだかと思うと、近くにあった教室の扉に激突し、外れた扉ごと教室の中に消えてしまう。
 ――東城が三角跳びをしてクロエを蹴り飛ばしたのだということは、なんとか分かった。
 しかし――目で追うのがやっとなほどのスピードだ。
「この程度か」
 クロエを蹴り飛ばした勢いを、空中で回転しながら殺し、スタッと廊下に着地した東城が、外れた扉のほうを一瞥しながら呟く。
 そのときには、暁陽日輝はなんとか立ち上がっていたが、左腕は上がらない。
 ダランと垂れ下がっているそれは、自分の腕ではないかのようだ。
 『超躍力(ホッピングキック)』によって強化された脚力で蹴られたダメージに加え、『氷牙(アイスファング)』による凍傷。
 最上環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』ならば治せるだろうが、一階に逃げるという手はもう使えないだろう。今の東城からその隙を作ることは容易ではない。
 つまり――片腕だけで、東城と戦わなければならないということだ。
「やっぱりお前じゃないとダメだな、暁。さっきの一撃、食らわせてくれやがったのはクロエだが、あの連携でスゲェのはお前だ。よほどの度胸が無いとできない――でもな、アレで俺を即死させることができなかった時点で、お前の負けは決まってたんだよ」
「……勝手に決めつけるなよ。俺は立ち上がれた。だから、まだ終わりじゃない」
 そう啖呵を切りながらも、内心では東城の台詞に一理あることを認めざるを得ないと感じていた。
 傷口すら瞬時に凍らせてしまうほどの冷気といえど、即死させてしまえば関係は無い。しかし、そこまでの深手は与えられなかった。正直かなり痛い。
 だが、悔やんだところでどうにもならない――今この状況を切り抜ける術を見出すしかない。それができなければ、死ぬだけだ。
「いいや終わりだよ、暁。なんとか一撃当てれれば、とか考えてるのかもしれねえが――そんな余裕は与えねえ」
 東城はそう言って、少し膝を曲げて腰を落とした――かと思うと、その姿が消えた。ように、見えた。
「……!」
 全神経を集中させ、動体視力をフル稼働させる。
 東城は左の壁を蹴り、次は天井を蹴り、今度は右の壁の下のほうを蹴り――ジグザグに、縦横無尽に、そのたび速度とキレを増しながら、こちらに向かってきているようだった。
 東城が蹴った天井や壁には大きなヒビが入り、直接蹴られたわけではない窓ガラスが割れ、掲示板にかかっていたポスターや紙が落ちた。
 靴裏から全身に伝わる震動が、次第に大きくなっていく。
 ――東城の言うように、『なんとか一撃当てれれば』逆転は可能だ。
 『夜明光(サンライズ)』には文字通りの一撃必殺の威力がある。
 ――せめて五体満足であるならば、まだ可能性はあったかもしれない。
 しかし先ほどの東城の蹴りによって受けたダメージは決して小さくない、なんとか立ち上がることはできたものの、そこまで機敏な動作はできそうにない。
 かわせないなら――受ける覚悟をするしかない。
「――やってやるさ」
 陽日輝の脳裏には、ある作戦が浮かんでいた。
 上手く行くかどうかは分からない。
 先ほどのクロエとの連携技以上に困難で、リスキーだ。
 それでも、それに賭けるしかなかった。
「そらぁっ!」
「がっ……!」
 東城の蹴りをギリギリのところで視界に捉えたが、ガードは間に合わなかった。
 なんとか姿勢を動かし、芯をずらすのが精一杯だ。
 右脇腹にそこだけ車に轢かれたかのような衝撃が走り、そのまま陽日輝は、斜め上に蹴り飛ばされる。
 意識が飛びそうになるほどの激痛――だが、ここが踏ん張りどころだ。
 陽日輝は歯を食い縛り、今一度拳を強く握り締めた。
 目の前に迫った天井めがけ、無我夢中に拳を突き出す。
 『夜明光』によって天井を焼け溶かし、陽日輝はそのまま上階――三階へと辿り着いていた。
 ――東城の蹴りに逆らうことをやめ、その威力を利用して跳ぶことで、陽日輝は三階に移動したのだ。
 もちろん、そこで一休みというわけにはいかない。
 陽日輝は、転がりながら立ち上がり、その無理な動作の反動で全身が悲鳴を上げるように痛むのも厭わず、片っ端から床を殴り続けた。
「うおおおああああああ!!」
 『夜明光』によって床を焼き溶かし――その下にいる東城の頭上に、降り注がせるためだ。
 自分も落ちてしまわないよう気を付けながら、あちこちの床を殴って回る。
 ほとんど床を這い回るようにして、陽日輝は三階の廊下を穴ぼこにしていく。
 やがて東城の蹴りを食らった地点の真上、その前後二、三メートルほどを穴だらけにしたところで、陽日輝は体力の限界を迎えて床に突っ伏していた。
 息も絶え絶えに、開いた穴から二階を見下ろす。
 降り注いだ瓦礫によって、山ができている。
 しかし、砂煙が上がっているせいで、よくは見えなかった。
 これで東城を生き埋めにすることができていれば、それでいい。
 だが、相手はあの東城だ。
 持ち前の反射神経と『超躍力』によって瓦礫をかわしていてもおかしくない。
 だから、自分はまだ休めない。
 感覚の消失した左腕、肋骨の何本かは確実に折れていそうな右脇腹はもちろん、それ以外の部位も打撲や擦過によりボロボロだ。
 それでも、陽日輝は立ち上がった。
 よろめきながら、倒れそうな身体をなんとか進ませる。
 ここで倒れたら、もう立ち上がれない。
 陽日輝は、何度も倒れそうになりながら――『その場所』を見つけ出した。
「……あかつき……くん」
 ――そこにあったのは、東城にスマートフォンの画面越しに見せられた光景。
 悪趣味なオブジェのように、全裸のまま首から下を氷塊で固められた、星川芽衣たち四人の女子生徒だ。
 全身を氷漬けにされていることでひどく衰弱している様子の四人の内、芽衣の生気を感じさせない目が、陽日輝のほうに向いた。
 弱々しく名前を呼んだ唇は青紫色で、目だってただこちらに『向いた』だけだ。『見て』はいない。
 クラスメイトの変わり果てた姿に、陽日輝は唇を噛む。
 こうして直に目の当たりにすると、ますますおぞましく感じる光景だ。
 東城にとって、暴力や支配を誰にもはばからず思うがままに行使できる生徒葬会という状況は、ある意味では望ましいものなのかもしれない。
 生き残りたい一心で殺し合う気持ちは、陽日輝にも分かる。
 しかし、東城のこの『王国』は、生存欲求だけでは説明が付かない。
 ――陽日輝は、氷塊にもたれかかるようにその場に座り込んだ。
 芽衣の声は降ってこない。
 もう言葉を発する余裕もないのかもしれない。
 しかし陽日輝にも、顔を上げてそれを確かめる余裕はなかった。
 ただ――自分が開けたままの廊下への扉を、見つめていた。
「やっぱりそこにいたか」
 東城が、悠然と教室に入ってくる。
 冷凍することで塞いだ首元の傷を撫でながら。
 陽日輝は、そんな東城を、目を細めて見据える。
「東城……お前はどうして、こんなことが平然とできるんだ?」
「はっ、『こんなこと』ときたか。それじゃあ持論を聞かせてやるよ。人間は生まれつき、他人を踏み躙りたいって衝動を抱えてんだ。しかし大抵の奴は諦める。なんでか? それは弱いからだ。その衝動に従ってりゃ強い奴に潰されるって知っちまうからだ。俺はその結論に行き着いた。でもなァ――ムカつくだろ、それ」
 東城は、近くにあった机を黒板のほうに蹴り飛ばした。
 『超躍力』によって強化された蹴りを受けた机は、他の机を巻き込みながら転がっていき、轟音と共に黒板に激突して止まる。
 それを見届けて、東城は満足そうに頷いた。
「だから俺は潰す側になった。強い奴に潰されるのが嫌なら、もっと強い奴になりゃあいい。簡単な話だろ? ――暁、お前は強え。でも俺のほうが強え。それが今のこの結果だ。女どもの氷を溶かして加勢させるつもりだったのかもしれねえが、残念だったな。お前は間に合わなかった。だから死ぬんだよ」
 ――東城の言う通り、陽日輝は『夜明光』を帯びた掌で氷塊に触れ、その氷を溶かし始めていた。しかし、芽衣たちの足首程度の高さまでしかまだ溶かせていない。
「まあ、それだけ弱ってりゃ戦力にもならなかっただろうけどな――それとも盾にするつもりだったか? いや、お前のことだ、とにかく女どもだけでも逃がしてやりたいと考えたか? いずれにせよお前の負けだ」
 東城はそう言いながらも、陽日輝の間合いには踏み込んでこない。
 最後まで気を抜かず、『超躍力』を使用して全力でトドメを刺しにくるだろう。
 陽日輝は、思い切り床を殴り付けた。
 何度も、何度も。
 もう、そうすることしかできないから。
「畜生! 畜生! 畜生……ッ!」
「ははは! ついに諦めたか! いいぜ、その心底悔しげな顔! お前の頑張りに免じて全力で潰してやるよ!」
 東城が勝ち誇った、次の瞬間。
 ――東城の右手から、ブシュッ、と血が噴き出していた。
「はっ――?」
 血の糸を引きながら宙に舞うのは、東城の右手の中指と薬指。
 小指も半分以上切れていて、僅かな皮と肉で辛うじて繋がっているだけの状態だった。
 東城が、予想外の事態に硬直したその数瞬。
 その間に、東城にとって致命的となる攻撃は実行された。
「――俺が氷を溶かしたのは、星川たちを助け出すためじゃない。そんな余裕は無いことくらい分かってた。俺はただ、水が欲しかったんだよ。厳密には俺じゃなく――クロエちゃんが」
 陽日輝が開けた穴。
 そこを通って、二階から三階めがけて飛ばされた水の刃。
 それらは、初弾が東城の指を切り飛ばし、二弾目以降が東城の全身を切り裂いていた。
 左目と左耳がまとめて切り裂かれ、右頬もパックリと開き。
 肩も、胸も、腹も、足も、制服ごと破られたかのようになる。
 全身から血が噴き出し、急速に東城の生命力を失わせていく。
 見開かれた無事な右目が、陽日輝を凝視していた。
「お前――最初からそのつもりで――……!」
「八つ当たりで床を殴ったとでも思ったか? 俺はあいにく諦めが悪くてね。クロエちゃんが使う水を落とすのと、視界と射線の確保のために穴を開けたんだよ」
 東城の蹴りを食らったクロエが、再び立ち上がれることを陽日輝は信じた。
 そして、自分の思惑を察してくれることに賭けた。
 床に穴を開けて水を降らせたところで、クロエがいなければまったくの無意味だったが――クロエは駆けつけてくれた。間に合った。それがすべてだ。
「クロエを――他人を――そこまで――信じられるのかよ――――」
「信じるしかないだろ。俺一人じゃお前には勝てない。だから、クロエちゃんを信じた。クロエちゃんも、まあ、俺を信じてくれたんじゃないかな。だから間に合った――そう前向きに、捉えとくよ」
「――はっ――」
 東城は。
 どういう感情なのかは分からないが、最後に笑ってみせた。
 直後、その顔から一切の表情が失われ、顔面から床に倒れ伏す。
 そこから血溜まりが広がっていくのを眺めながら、陽日輝は大きく息を吐いた。
「……勝った……」
 しかし、まだ休むわけにはいかない。
 芽衣たちを氷から解放しなければならない。
 陽日輝はその一心から、芽衣たちの氷を溶かす作業を再開した。
「……ありがとう……」
 芽衣がか細い声で呟いた。
 その目からは、一筋の涙が流れている。
 ――それを見て、陽日輝は心底安堵するとともに、早くも考えてしまう。
 自分は、凜々花と共に生還することを現状の目標としている。
 つまり、その目標が果たされるとき、他に生きて帰れる生徒は一人だけ。
 それが芽衣になるとしても、ここにいる他の三人は死ぬ。
 自分を助けてくれたクロエも、一階にいる藍実や環奈も。
 この生徒葬会から生きて帰ることができるのは、たったの三人なのだから。
 ――東城なら、にも関わらず助けるような真似自体無意味だと笑うのだろう。
 しかし――これから先、どんな未来が待っているのだとしても、自分は芽衣たちを助けたかった。だから助けた。それがすべてだ。
 問題の先送りと言われたら返す言葉もない。
 だけど、ここで芽衣たちを見捨てるという選択肢なんてなかった。
「なんとかなりましたわね」
 氷をあらかた溶かせたところで、クロエがやって来た。
 天井の穴から降り注ぐ水を利用して、東城めがけて水の刃を放ち続けたことにより、制服の両袖がびっしょりと濡れている。
 クロエは、うつ伏せになっている東城を爪先で蹴り転がして仰向けにさせ、胸ポケットから手帳を抜き取った。
 パラパラとページをめくって中身を確認しながら、「表紙と能力説明ページは陽日輝にあげますわ」と言う。
「え――?」
「なんですの、その顔。若駒ツボミが表紙は要らないって言ってたにしても、確認くらいはされるはずですわ。枚数が少ないと不自然に思われますわよ」
「いや、まあ、そうだけど――でも、いいのか?」
 クロエも命がけで戦ってくれたのだ。
 にも関わらず対価が要らないと言われると、かえって不安になる。
 そんな陽日輝の心境を察したのか、クロエは「ああ」と思い出したように言った。
「伊東の分だけもらっておきますわ。『大波強波(ビッグウェーブ)』は私の能力との相性がとても良いので」
「ああ……そうだな。でも、それだけでいいのか?」
「ええ、十分ですわ」
 クロエはその灰色の瞳を細めて薄く微笑んだ。
 こうして見ると、外国人だからそう見えるというだけでなく、やはり美人だ。
「それよりも」
 クロエは、その瞳を床に――厳密には、『その先』に向けながら言う。
「陽日輝も分かっていると思いますけれど、この後の立ち振る舞い、かなり重要ですわ。若駒ツボミが陽日輝と凜々花をこのまま自由にしてくれるかどうか、分かりませんもの」
「……ああ、分かってる」
「その顔は、何か策はあるってところですわね」
「まあな――なんとか、やってみるよ」
 クロエの言う通り、自分の戦いはまだ終わっていない。
 そもそも自分は凜々花と共に裏山に向かう予定だったし、このままこの場所に留まっていては、ツボミに利用され続けるだけだろう。
 だけど――今、この時間くらいは。
 少しだけ、一段落した安心感を享受していてもいいだろう。
 陽日輝は、東城一派との戦いを思い返しながら、そう考えていた。
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