トップに戻る

<< 前 次 >>

第三十八話 激突

単ページ   最大化   

【8日目:夕方 屋外西ブロック テニスコート周辺】

 月瀬愛巫子は地面に仰向けになったまま、楪萌の足音と気配に全神経を集中させていた。
 生きていることを悟らせるわけにはいかないので、そちらに目線を向けられないのがもどかしい。
 コンクリートの地面をカツカツと叩くローファーの音が、少しずつ近付いてくる。
 それに対し恐怖を覚えている自分がいて、そんな自分に怒りを抱いている自分がいて――しかしそのさらに奥には、それらの感情さえも冷静に見つめ、楪萌を殺して生き抜くべく思考を続ける自分がいる。
 萌の首を最短最速で切り裂くためには、どのタイミングで動くべきか。
 視覚に頼れない以上、角度や高さの最終調整は、奇襲を仕掛けるその時に行うしかない。
 しかしそんな余裕があるだろうか? 答えはノーだ。
 ならば不意打ちは失敗確実、玉砕覚悟でやるしかないのか。
 ――違う。
 余裕が無いのなら、作ればいい。
 萌が近付いてきたところで、この左手首を振って彼女の顔に血を浴びせるのだ。
 そうして萌の視界を塞いだ上で、カッターナイフを振ればいい。
 もちろんそれでも失敗する可能性はある。
 先ほども、萌は思いのほか冷静に愛巫子の奇策から立ち直った。
 しかし、今度はこちらが死んだと思っている状態だ。
 こうなると肝心なのはタイミング、早すぎても遅すぎてもいけない。
 早すぎるとかわされる可能性が高くなり、遅すぎると死んだ振りに気付かれる可能性が高くなる。
 萌の気配を探り、絶好の一瞬を見極め、逃さない――
 ……しかし。
 萌は、愛巫子から五メートルほどの位置で、ピタリと立ち止まっていた。
 当然、カッターナイフが届く距離ではない。最低でもあと三メートルは引き付けなければ話にならない。
 だが、萌はそれ以上足を進めず。
 その代わりに、音も無く地面を這ってきた『それ』が、蛇のように愛巫子の右腕を伝い上がってきた。
(……!?)
 眼球を斜め右下に傾け、『それ』を目視する。
 『それ』は、予想した通りのモノだった。
(ロープ……!)
 ロープ自身が意思を持っているかのごとく、愛巫子の右手首から右肘、右肘から右胸、右胸から左胸と、僅かに不快に揺れながら這ってくる。
 萌の狙いは分かった――ロープの先端は、ブレザーの左胸にあるポケットに進入している。
 萌はロープを使って、手帳を回収しようとしているのだ。
 死体に触るという行為には、誰であろうと多かれ少なかれ心理的抵抗が働くものだ。そのためにロープを使っているのかもしれない。
 愛巫子は、さながら本当に蛇が胸を這っているような緊張感の中、身じろぎさえも堪え続けた。
 ロープの先端が胸ポケットから引き抜かれる――手帳にはロープが二巻きほど絡みついて、ロープと共に引き出された。
 愛巫子の手帳は立花百花に奪われているので、それは上川から奪った手帳だが(手帳を所持していないと不自然に思われる場面もあると考え、表紙と能力説明ページを奪う際に手帳ごと奪っておいたのだ)。
 ――萌が間合いに踏み込んで来ない以上、不意打ちは断念せざるを得ないが、これはこれで悪くない。
 それならそれで、別の策を実行するだけだ。
「月瀬せんぱいの能力は、と――」
 萌は能力を解除してロープを消すことで手帳を解放し、重力によって落ちてきたそれを器用にキャッチし、早速開く。
 その目が訝しむように開いたのは、当然のことだ。
 なんせその手帳は上川名義のものであり――そして。
 そこには、西第三校舎を探索していた際に発見していた、手帳より一回り小さいサイズの冊子が挟まれていたのだから。
「なに、これ――」
 萌が冊子に触れた、その瞬間。
 愛巫子は、『身代本(スケープブック)』を発動させた。
 愛巫子がまだ、転嫁させていなかったダメージ――自傷した左手首、そのダメージを――萌が触れた冊子へと転嫁させる。
「ヒャッ!?」
 突然切り裂かれた冊子を見て、萌が思わず手帳を取り落としそうになる。
 ――今は百花の手中にあるであろう愛巫子の手帳、その能力説明ページに書かれていた『身代本』の仕様の中で、本来なら特に重要ではないが、今この場においては無くてはならなかった仕様を、愛巫子は思い返す。
 読破した本にダメージを転嫁させることができるのが『身代本』の効果だが、頭の中で本のタイトルを思い浮かべることで、転嫁する本を指定することができるのだ。
 『身代本』の発動にその行為は必須ではなく、何も思い浮かべなければランダムで選ばれる。そして、普段はわざわざ本を指定するメリットがない。
 しかし――その特性のおかげで、愛巫子は事前に手帳に仕込んでいた本――冊子に、ピンポイントでダメージを転嫁し、萌の動揺を誘うことができた。
 そしてその隙に、愛巫子は跳ね起きる。
 手帳を開いてくれたおかげで、期待以上の隙を作ってくれた。
 愛巫子は、カッターナイフを手に萌へと飛び掛かる。
「つ、月瀬せんぱ――!?」
萌は愕然としながらも慌ててロープを出現させたが、手帳を手に取るために一度ロープを消失させてしまったことで、反撃に転じるまでに時間を要してしまっている。
 その間に、愛巫子は萌の眼前に迫っていた。
 ロープをこちらの首に伸ばしてへし折る?
 それとも手首に巻き付けて攻撃を止める?
 いずれにしても、もう間に合いはしない!
「死になさい!」
 繰り出したカッターナイフの刃先が、萌の首筋に触れ――る、はずだった。
「!?」
「……ふう。ビビらせてくれるじゃないですかぁ……ちょっとチビッちゃうかと思いましたよ、ウヒヒ」
 ――萌がしたのは、とてもシンプルな動作だった。
 ロープを愛巫子の首や手首に伸ばし、巻き付け、へし折る――そんな、時間のかかるアクションを選んでいたら、彼女は致命傷を受け敗れていただろう。
 しかし、萌はただ、右手で自分の首に触れただけだった。
 そして、その右手から出現したロープを、自らの首に巻き付けただけだ。
 愛巫子に対してロープを使うより、そのほうが格段と早いのは言うまでもない。
 結果、愛巫子が繰り出したカッターナイフの刃は、萌の首を守るように巻かれたロープに突き刺さりはしたもののそこで止められてしまっていた。
「月瀬せんぱい、もしかして回復系の能力とか持ってたりするんですかぁ? 月瀬せんぱいがヒーラーって似合わないですねぇ!」
「なんとでも……言いなさい」
「あ、でもでもぉ、それだとさっきの冊子が突然切れたのナゾですよねぇ? ……そういえば、切れ方が月瀬せんぱいがリスカした傷とソックリだったような……。――もしかしてぇ、ダメージを別のモノに移したりできちゃうんですかぁ?」
「……!」
「その顔は図星ですねぇ、キャハハ」
 愛巫子は右手首に力を込め、ロープに突き刺さったカッターナイフを引き抜いた。
 しかしその直後、萌の首に巻きついていたロープが愛巫子の右手首に絡み、そのままあらぬ方向に捻じ曲げていた。
「~~~~ッッ!」
 脳天まで突き抜けるような激痛が走り、愛巫子はカッターナイフを取り落とす。
 右手首のロープが巻き付いたより先の部分が、まるで皮だけで繋がっているかのようにプラプラと気味悪く揺れていた。
「いいですねぇその苦しそうな顔。でもでもぉ、それも別のモノに移せちゃうんですよね? でも多分、わたしにお返しとかそういうのはできないですよね? できたらとうにやってますもんね?」
「ベラベラうるさいのよ――あなたは!」
 愛巫子は左手でロープを掴み、思い切り引っ張った。
 それにより萌はバランスを崩して転倒しそうになる。
「うわっ! 危ないですねぇ、せーんーぱーいっ!」
 しかし、左手だけ、それも元が非力な愛巫子では、萌を力ずくで引き倒すことはできず、両足で思い切り踏ん張られることでしのがれてしまう。
 さらに、右手首から離れたロープの先端が、今度は左手首に襲い掛かってきた。
「くっ……!」
 咄嗟にロープを手放し、後ろに跳んでかわす。
 今この場での勝ち筋は、悔しいことにすべて潰された。
 手帳を取り戻すのも、ひとまずは諦めるしかないだろう。
 今はとにかく、先のことより何より、『自縄自縛(ロープアクション)』の射程距離から逃れることを優先するしかない――!
「月瀬せんぱい、最後だから言ってあげます。せんぱいが美少女コンテストでグランプリ獲ったの、悔しいけど分かるんですよぉ。校内ではせんぱいだけですもん、わたしが顔で負けてるって思ったの。でもでも、今のせんぱいの顔、今まで見たどんな顔よりずっとずーっと、ステキですよ? その悔しそうな顔――ウヒヒ」
「おあいにくさま、私はあなたになんて最初から何の興味も無いの。あんなくだらないコンテストの結果もどうでもいい。ただ、あなたみたいな生意気な人間は嫌いってだけよ」
「もう打つ手なしの癖に、諦めが悪いですねぇ。でも、そんなせんぱいが大好きですよぉ……大好きで、大嫌い――だから死んでください、月瀬せんぱい!」
 萌がロープをけしかけ、愛巫子は踵を返して駆け出そうとし――そのとき。
「やめろぉぉぉぉぉォォォォ!!」
 校舎の陰から一人の男子生徒が飛び出し、咆哮と共に駆けてくるのに、愛巫子と萌はほぼ同時に気付いていた。
 日焼けした肌に短髪の、見覚えの無い男子生徒。
 彼が向かっているのは、自分ではなく萌のほうだということに、愛巫子は気付いた。
 ――どうやら、自分が萌に襲われていると思い、助けに来たつもりらしい。
 この殺し合いの場で飽きれた正義感だったが、今の自分にとっては不幸中の幸いだ。
 すぐさま愛巫子は、百花や萌のような自分の本性を知る『敵』の前でしか見せない素顔を、大多数の生徒のイメージである『深窓の令嬢』の仮面によって覆い隠し、叫んでいた。
「助けて! 殺される!」
「白々しいですねぇ月瀬せんぱい」
 萌が呆れたようにそう言いながら、突っ込んでくる男子生徒のほうに体を向ける。愛巫子に対する警戒は怠っていないし、ロープがすでに展開されているこの状況では、迂闊に仕掛けることはできないだろう。
 なら、あの名前も知らない男子生徒にせいぜい頑張ってもらうとしよう。
 愛巫子はそう判断し、さりげなく後ずさりして萌との間合いを開き、二人の戦いを眺めてみることにした。
 いくらなんでも、まったくの無謀で突っ込んできたわけではないだろう。
 萌がロープを操る能力の持ち主であることは見ていれば分かっただろうし、その上で少なくとも勝ち筋があると判断しなければ、わざわざ姿を晒して介入してくることはないはずだ。
 あの男子が萌を殺せたならそれでよし、そうでなくとも苦戦させるなり隙を作ってくれるなりしたら、その間に自分が萌に不意打ちするなり、それが難しいなら最悪逃げてしまうなりできる。
「なんなんですかぁ? 今いいところなんだから邪魔しないでくださいよぉ! 殺しちゃいますよぉ? キャハハ!」
 萌がロープを振り回し、男子生徒が射程距離に入った瞬間に迎撃を開始する。
 彼は見るからに運動部といった風貌だったが、それに見合うだけの身体能力はあるらしく、襲い掛かってきたロープを小刻みにステップを踏んでかわしていた。
 そうして、少しずつ萌に接近していく。
 だが、それも限界がある――相手は縦横無尽に伸びるロープだ、可動域が有限の人間の動きでは、どうしてもかわし切れない。
 男子生徒の着地したばかりの左足に、ロープが巻き付いてしまった。
「これで終わ――うわっ!」
 勝ち誇りかけた萌が、短い悲鳴を上げる。
 その男子生徒が、両手でロープを掴んで引っ張ったのだ。
 先ほど、愛巫子も同じ手段を用いたが、片手か両手かの違い、そして圧倒的なパワーの違いにより、結果はまったく異なるものとなる。
 萌は、顔面から地面に引き倒されていた。
 ――『自縄自縛』は厄介な能力だ。
 しかし、ロープを操る際、必ず自らの手はロープを掴んでいる状態である以上、萌より膂力で勝る人間には、このような力任せの攻略が可能なのだ。
「大丈夫ですか?」
「ええ……ありがとう。でも――まだ終わってないわ」
 萌は、地面に打ち付けた顔をしきりに気にしながら起き上がっていた。
 その目には、メラメラとした憤怒の炎がたぎっている。
「よくもわたしの顔をォォォォ……! 死ね、死ね、死ね、死ね、死んじまえッ!」
 萌は、右腕を大きく振りかぶり――ロープを、自らの斜め後ろに飛ばしていた。
 ロープを目で追った愛巫子はハッとする。
 ロープの先には、校舎に送電するための電柱があった。
 ということは――アレをやる気だ。
 首をへし折られた際の痛みと恐怖を思い出しながら、愛巫子は叫んだ。
 この男子生徒にあっさり死なれては困るため、本心からのアドバイスを送る。
「まずいわ、回転の勢いを付けて突っ込んでくる! かわしてもそこにロープを引っかけられて骨を折られる!」
「……何をしようとしてるかは、まあ分かります。まるでハンマー投げですね」
 ロープの力で電柱のほうまで弾かれるように飛び、そこでグルグルと回転を始めた萌を見やり、その男子生徒は、何を思ったかその場に腰を落としていた。
 いや――彼は、構えたのだ。
 両手を肩幅より少し広く開き、左足は膝を立てた状態、右足は膝をついた状態。
 そこからまっすぐ腰を浮かせて、微調整のように少しだけ落とす。
 その一連の動作は――陸上競技の、クラウチングスタートだ。
 そういえば、と愛巫子は思い出す。
 図書委員の仕事の傍ら、図書室の窓際からグラウンドを見下ろしたとき、野球部やらサッカー部やらとスペースを分け合いながら練習している陸上部の連中がよく視界に入っていたことを。
 その中に、彼の姿があったような気がする。
 今年から見かけるようになったので、一年生のはず。
 名前までは知らないが――と、そこまで思い返したところで。
 萌が勢い良く飛んできたのと、男子生徒が地面を蹴ったのとがほぼ同時。
 ――萌は、男子生徒がクラウチングスタートから迎撃するつもりなのを見て、最初からロープを伸ばしてきていた。
 まず彼を捕まえてしまおうという魂胆だったのだろう、そしてその判断は正しい。
 ただ、萌に誤りがあるとしたら、それは――彼の瞬発力を、甘く見たこと。
「!!」
 彼は、スタートを決めると共に左手を伸ばし、襲ってきたロープを掴んでいたのだ。
 並外れた反射神経と動体視力がなければできないことだ。
 そして、掴んだロープを引きながらの、渾身の力を込めた跳び膝蹴り。
 ロープを引く力、彼のスタートの力、そして萌の推進力。
 それらすべてが合わさったその一撃の破壊力は――想像したくもない。
 ただ一つ言えるのは、それをマトモに食らった萌の顔面が、二目と見れない惨状になったであろうことだけだ。
「~~~~」
 悲鳴から上げる余裕も無く、血と何本もの前歯をまき散らしながら、宙に高々と打ち上げられた萌は、その後で重力に引かれて無抵抗に落下した。
 いや、それはもはや墜落というべきだろう――萌は手足をピクピクと痙攣させながら、白目を剥いてしまっていた。
「うっ、あっ!」
 とはいえ、それほどの勢いが乗っていた以上、男子生徒のほうも無事ではない。
 弾かれるようにして地面を何回転かした後で、ようやくブレーキをかけて踏み留まっていた。
「うわっ……やりすぎたか……?」
 倒れている萌に駆け寄り、小声でそう呟く。
 愛巫子からすれば、萌は死んではいないようなのでむしろ手緩いくらいだったが、彼の深刻そうな顔を見るに、この生徒葬会においてまだ誰も殺してないか、あるいは殺していてもごく少人数なのだろう。
 愛巫子からすれば、それはとても愚かなことだったが。
 しかし――ありがたい話でもあった。
 そういう人間ならば――利用することができる。
「あの……大丈夫? 思い切り転がってたけど……」
「え、ええ……大丈夫です。こう見えて、鍛えてますので、はい」
 彼は、愛巫子から目線を外しながら、しどろもどろにそう答えた。
 先ほどまでは緊迫した状況なのでそれどころじゃなかっただけで、どうやら愛巫子を見てあがってしまっているようだった。
 逸らした目が時折チラチラと、愛巫子の胸にも向けられている。
 陸上一筋の純朴な少年、といったところだろうか。
 馬鹿みたい、と思いながらも、これくらい単純なほうが扱いやすいとも思う。
 何より、彼の身体能力は魅力的だ。
 自分が生徒葬会を生き抜いていく上で、やはりフィジカル面での不利は否めない。
 第二の能力を手に入れるにはまだページが足りず、今後百花とも再び相対することを考えると、単独では限界があることを認めざるを得なかった。
 とはいえ、寝首を掻かれる恐れのある相手とは組めない。
 もちろん、上川のような利用価値の無い弱者と組むのは論外だが。
「助かったわ――私、いきなり襲われて。あの……もし迷惑じゃなかったら、一緒に行動してくれない?」
「えっ――いや、もちろん、大丈夫です。また誰かに襲われるかもしれないですしね――俺も、ずっと一人だったんで、むしろ歓迎です」
「そう――よかった。あなたの名前、聞いてもいい?」
「早宮瞬太郎です。一年の」
 やはり聞き覚えの無い名前だ。
 しかし、この男を味方に付けたことで、今後の生徒葬会はかなり有利になるだろう。彼は自分をか弱く、人殺しなんてできない女の子だと思っているはずだ。その誤解は、最大限に利用させてもらう。
 ――もちろん、不要になればすぐに切り捨てるつもりだが。
 ただ、演技をし続けなければならないのは面倒だなと、愛巫子は内心そう思った。
46

紗灯れずく 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る