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第四十四話 相席

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【8日目:夕方 北第一校舎一階 小会議室】

 暁陽日輝は、調理室でのひと騒動により、小会議室での待機を命じられていたが、結局夕食もそこで食べることになった。
 ハナと呼ばれた彼女――フルネームは三嶋(みしま)ハナというらしい――は、あの後落ち着きを取り戻したものの、だからといってあれだけ取り乱していたのだ、自分が同席するのは酷な話だろう。だから若駒ツボミの判断がなくても、陽日輝のほうから申し出るつもりではあった。
 しかしとはいえ、殺風景な狭い部屋での食事は侘しいのも事実だ。
 半分は謹慎処分の意味合いもあるので、安藤凜々花や四葉クロエもいない、完全に一人きりでの夕食。
 しかし悲しきかな、久しぶりのマトモな食事は、そんな状況下でも感動してしまうほど美味く感じるのだった。
「うめえ……!」
 思わず声に出してしまう。
 スプーンを持つ手が止まらず、自分でも驚くほどのペースで上下した。
 献立としてはカレーライスにゆで卵、それとミルクというシンプルなものだが、教室の机やロッカーから取った少量のお菓子やその辺りに生えている大丈夫そうな雑草なんかで飢えを凌ぎ、それでも足りない分は水道水をガブ飲みすることで誤魔化していたわけなので、感激せずにはいられない。
 東城一派が溜め込んでいた食料はかなりの量だった――唾棄すべき最低最悪の暴君ではあったが、この生徒葬会における生存戦略をかなり高い完成度で確立していたことは認めざるを得ないだろう。
 そしてそれは今、若駒ツボミの手に渡っている。
 二階と三階にある食料や目ぼしい物資は、すでにあらかた一階および二階へと続く階段の踊り場、要するに根岸藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』の有効範囲内に移動されており、カレーを運んできてくれた藍実が密かに教えてくれた話によると、夕食後には二階と三階の窓に板を打ち付ける作業を行う予定とのことだった。
 ……クロエがツボミの排除を提案しただけの根拠は確かにある。
 東城一派の遺産を引き継いだツボミはこの生徒葬会において、かなりのアドバンテージを得ているのだから。
 しかし、今の時点でのツボミ抹殺には反対だという陽日輝の考えは変わらない。
 それに、泣き崩れたハナを抱き締めるツボミのあの慈愛に満ちた姿――あんなものを見せられて、彼女を今ここで殺すなんて思えるはずもなかった。
「ずっとこのままでいれたらいいけどな……」
 ここは食料が豊富とはいえ、いつかは枯渇する。
 今この校舎にある平穏は、いつまでも保たれ続けるものではないのだ。
 陽日輝は、明日の朝、凜々花と共に出発するつもりで、そのことはツボミにも伝えてある。クロエも一人で出て行くそうだ。
 残るは星川芽衣たち四人だが、それは今頃夕食がてら、調理室で話題に上っているかもしれない。
 心に深い傷を負った彼女たちは、もしかしたらここを出たがらないかもしれないが、そうなった場合、ツボミはどうするつもりなのだろうか。
 ――ツボミと対峙したときの、あの冷徹な眼差しを思い出し、陽日輝は嫌な想像をせずにはいられなかった。
 ツボミは、東城要や、『死杭(デッドパイル)』の焔とは違う。
 彼らとは違い良心を持ち、良識を持ち、慈愛の心だって備わっている。
 その上で、必要とあらば一切の容赦をせず、不都合なものを文字通り切り捨てることができるのが、若駒ツボミという人間の恐ろしさだ。
 芽衣たちがここに留まろうとすれば、場合によっては『口減らし』をするかもしれない――そんな危惧をしてしまう。
 それが杞憂であれば、それに越したことはないのだが――
「暁君、いる?」
 ――と、そのとき不意に扉越しに呼びかけられ、陽日輝は顔を上げた。
 小会議室のドアはすりガラスが付いているので、誰かがドアの向こうにいればすぐに分かる。
 おぼろげに浮かぶシルエットと、先ほど聞こえた声音から、それが星川芽衣であることは明らかだった。
「ごめん、ドア開けてくれる? 両手塞がってて……」
「? ああ……わかった」
 何か持ってきているのだろうか。
 陽日輝はスプーンをカレー皿に置き、ドアのほうに向かった。
 横開きのドアを開けると、目の前にトレイを持った芽衣が現れる。
 トレイの上には、二人分のカレーがあった。
「星川……これは?」
「暁君、男子だしおかわり欲しいかなって思って。あんなことがあったから、取りに来づらいだろうし……いらなかったかな?」
「いや――正直助かるよ。ありがとう」
 それは方便ではなく、陽日輝はカレーをほとんど食べ終えてしまっていた。ちょっと物足りないなという気持ちはあったので、実際ありがたい。
「そう? ならよかった」
小会議室に入ってきた芽衣は、長机の上にトレイを置き、「私もいい?」と、陽日輝が座っていた正面のパイプ椅子を示して訊いてきた。
「えっ――ああ。星川がいいんだったら」
「じゃあ、相席お願い。正直調理室も気まずいしさ。逃げてきちゃった」
 テヘペロ、とでも表現できそうな、いたずらっぽい笑みと共に舌を出し、芽衣はパイプ椅子に座った。
 陽日輝はその正面に腰を下ろし、とりあえず食べかけの皿の残りを先に片付けてしまうことにした。
 スプーンを手に取り、そこで、聞こうかどうか迷っていたが、聞いてみる。
「……星川は、大丈夫なのか? その……」
「アイツらに好き勝手されて、ってこと? そりゃ大丈夫じゃないけどさ」
 芽衣が苦笑するのを見て、しまった、と後悔する。
 そりゃそうだ――芽衣の弱り切った姿だって、自分はこの目で見ている。
 いくらなんでも「大丈夫なのか」は聞き方が悪すぎた――
 そんな陽日輝の心情を察してか、芽衣は、
「あ、気にしないで。暁君の言いたいことは分かるから」
 と、付け足した。
「こんな状況じゃなくても、人によって凹み方って違うでしょ? ただそれだけ。それに、生きてくしかないしね」
「……そう、かもな」
 生きていくしかない。
 シンプルで、しかしとても切実な、生徒葬会参加者の総意と言ってもいいような、哀しい原動力。
 生きて帰ることができる可能性より、道半ばで死ぬ可能性のほうが高い――そのことには薄々気付きながらも、死にたくないから、生きるためにできることをする。
 陽日輝だって、そうして今このときまで生き抜いてきた。
「でも、やっぱりちょっと辛いかも。暁君には裸も見られちゃってるし。あまり人に見せられるようなカラダじゃないんだけど」
 芽衣はそう言って冗談めかしく笑ってみせたが、さすがに笑えない。
 しかしまったくの無反応というのもそれはそれで気まずいので、とても曖昧な表情で返した。
 その表情をどう捉えたのか、芽衣はスプーン片手に肩をすくめる。
「私たち、今までそんなに話したことなかったよね」
「……まあ、そうだな。クラスメイトではあったけど」
「ここにいる人たちもそう。アイミンはテニス部の後輩だけど、あとは知らない人ばかりだったし。……こんなことがなければ、きっと話すこともないままだったんだろうな。そう考えると不思議な感じ」
 アイミンというのは藍実のことだろう。
 藍実がテニス部所属というのは初耳だが、意外なところに縁があるものだ。
 それこそ自分と凜々花も、生徒葬会がなければ一度も話すことすらないまま卒業していてもおかしくなかったくらい接点がなかった。
 とはいえ、生徒葬会自体を肯定する気も、あの『議長』に感謝する気も毛頭無いが。
 ――ここで、陽日輝は芽衣が小会議室を訪ねてくる直前に懸念していたことを思い返し、訊いてみた。
「……星川は、これからどうするつもりなんだ?」
 芽衣たち四人が、これから先この場所に留まりたいと願うかどうか、そしてその場合、ツボミがどう動くか。
 そのことが気がかりだったが、芽衣の答えはあっさりとしたものだった。
「明日には出て行く。アイミンたちが話してるの聞いたけど、暁君もでしょ? あの安藤って子と一緒に」
「ああ、そのつもりだよ。いつまでもここに――留まっても、いられないしな」
 そんなことを、ツボミは許してくれないはずだ。
 それならやはり軍門に下れという話にもなりかねない。
 今夜はしっかりと休ませてもらい、予定通り明日には出発しなければ。
 芽衣もそのつもりというのなら、ひとまずは安心だ。
 しかし――
「……でも、他のみんなはどうするつもりなんだろうな」
「どうだろ。でも、みんなも分かってるとは思うよ。いつまでもここにいるわけにはいかないってことくらい。それに、この校舎には嫌な思い出が多すぎるから」
「……そうか」
 芽衣たちが、東城たちに具体的にどのような目に遭わされたのかは知らないし、口が裂けてもそんなことは聞けない。
 だが、自分なんかが想像もつかないような目に遭っていてもおかしくはなかった。というより、間違いなくそうだろう。ハナのあの取り乱しようからもそれは窺える。
 だから、芽衣に対して何を言っても気休めにしかならない。
 その事実が、歯がゆかった。
 ――そこからは言葉数も少なくなり、陽日輝と芽衣二人分の、スプーンと皿とがカチッと当たる無機質な音だけが響き続けた。
 それでも、一人で食べるよりはいい。
 何より、芽衣自身も言っていたように、自分と芽衣とはクラスメイトというだけでそこまで親交があったわけではなかったので、こうして話し合うことができたというそのこと自体は、悪くなかった。
 やがて陽日輝が食事を終え、それから程なくして芽衣も食べ終わった。
 芽衣は合計三人前の皿を、持ってきたトレイの上に重ねていき、その下に陽日輝が元々持っていたトレイを重ねる。
「ごちそうさま。暁君が戻れそうな雰囲気かどうか、さり気なく見てきてあげる。食器もついでに持ってくよ」
「何から何まで悪いな……甘えるよ」
「そうして。私が暁君にできる恩返しなんてこれくらいだから。……暁君、私たちのために戦ってくれたでしょ。これから先、私も、暁君も、他のみんなも、どうなるかは分からないけど――こうしていられるのは暁君のおかげ。そのことは、間違いないから」
 芽衣は、トレイを持ったままそう言って微笑んだ。
 そのままドアに向かって歩いていったので、陽日輝は小走りで追い抜いて扉を開ける。
「ありがとう」
 芽衣がはにかんで、そして廊下へと出て行ったのを見送りながら、陽日輝は一抹の寂しさを覚えた。
 ……芽衣と会えるのも、この北第一校舎で過ごす時間が最後かもしれない。
 もしかしたら芽衣も、そのことが頭の中にあったから、わざわざ話をしに来てくれたのかもしれなかった。
 芽衣が去り、小会議室は再び静寂に包まれる。
 本どころか絵画や観葉植物すらないので、こうなると本格的に暇だ。
 凜々花たちが食事を終えるまで何をして過ごそう――なんてことを考えていたとき。
 また誰かの足音が廊下を進んでくるのが聞こえた。
 芽衣が戻ってきたのだろうか。
 それとも誰かがトイレにでも向かうところだろうか。
 陽日輝はそう考え、大して気に留めていなかったが、すぐに気付く。
 その足音が、明らかに普通ではないことに。
 かなりの早歩きで、かつ何度も歩調が乱れている。
 落ち着きがない、というか、焦燥している――そんな足取りだ。
 そんなにトイレをギリギリまで我慢したのか――なんてデリカシーの無いことを一瞬考えもしたが、そんな呑気なものではなさそうだった。
「…………」
 陽日輝は、座ったばかりのパイプ椅子から無言で立ち上がり、ドアを見据えた。
 やがて足音はドアの前まで来――そして、そこで立ち止まる。
 すりガラス越しに写るそのシルエットは、芽衣のものではなかった。
 では誰なのか――その答えは、横開きのドアが勢い良く開け放たれたことですぐに分かった。
「――――っ」
 そこにいたのは。
 芽衣ではなければ、凜々花やクロエでもなく、ツボミたちでもない。
 ハナが自分を襲いに来たのかとも予期していたのだが、そうでもなかった。
 まあ考えてみればあんなことがあった後だ、ツボミたちがハナを単独で行動させるわけがない。
 そこにいたのは、芽衣とハナを除く残り二人の被害者の内の一人。
 確か名前は、井坂帆奈美(いさか・ほなみ)だったはず。
 しかし、何より目を引いたのは、彼女のその顔だ。
 完全に白目を剥いており、口は半開きで涎を垂らしている。
 直立することもできずフラフラと揺れているその姿は、ゾンビや幽霊のようだ。
 ――明らかに正気ではない。
 しかし、ただ狂気に駆られているというわけでもなさそうだ。
 だとすると――誰かに、『能力』で、操られている!
 陽日輝がそのことに思い至ったのと、帆奈美が襲い掛かってきたのとは、ほぼ同時だった。
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