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第四十五話 無力

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【8日目:夕方 北第一校舎一階 小会議室】

 暁陽日輝は、襲い掛かってきた井坂帆奈美を難なくかわしていた。
 三嶋ハナの一件で、緩みかけていた気持ちが引き締まっていたことも功を奏し、掴みかかってきた帆奈美の手を避けながら彼女の左横、そして背後に回り込むのは造作もなかった。
 ――このまま、『夜明光(サンライズ)』による一撃を加えればそれで終わりだ。しかしもちろん、そんなわけにはいかない。
「ごめん!」
 陽日輝は帆奈美に、ある程度の手加減をしつつ、肩からぶつかるようにしてタックルを決めていた。
 帆奈美が長机ごとひっくり返るのを見てすぐ、小会議室から飛び出す。
 ――帆奈美の尋常じゃない様子から、これが彼女の意志でないことは明白だ。
 すでに陽日輝の頭の中には、ある可能性が浮かんでいた。
 帆奈美が誰かの『能力』によって操られているという可能性。
 そしてその『誰か』は――自分たちの中にいる。
「凜々――」
 調理室にいる凜々花を呼ぼうとしたとき、背後から足音が轟いた。
 振り向くと、あれほど派手に吹っ飛んだはずの帆奈美が、早くも追いかけてきているのが見えた。
 それにより、やはり帆奈美は操られているのだと確信する。
 あれは、肉体を無理やり駆動させられているがゆえの動作の速さだ。
 彼女を操っているのが誰かを突き止めなければ、そいつは延々と彼女を操り、けしかけ続けるだろう。
 しかしそれよりもまず、凜々花たちと合流しなければ。
 ――学校の廊下の長さなんて、たかが知れている。
 陽日輝は全力疾走で廊下を駆け、ドアの前を通りすぎそうになりつつ、調理室に飛び込んでいた。
「陽日輝さん!」
「陽日輝!」
 凜々花とクロエがほぼ同時に振り返り、緊迫感の中に僅かな安堵の混じった声で名前を呼んできた。
 凜々花とクロエは調理室の中ほどにいたが、二人の様子から、調理室もまた抜き差しならない状況下にあることは一目で理解できた。
 凜々花は陽日輝から見て左側にいて、調理室特有のコンロと洗い場の付いたテーブルを挟み、三嶋ハナと対峙している。
 ハナも帆奈美同様、白目を剥き、涎を垂らしながら、包丁を構えていた。
 クロエは陽日輝から見て右側にいて、三階から解放した四人の女子生徒の内のもう一人、名前は辻見一花(つじみ・いちか)といったはずだ――と同様に対峙している。
 一花もハナと同じような形相になり、やはり包丁を構えていた。
「あ、あ、暁さん……!」
 すぐ近くから声をしたので視線を向けると、陽日輝から二メートルほど離れた大型の教卓の真下にある空きスペースで、最上環奈が縮こまって震えていた。
 腰が抜けているようなので、恐らく這うようにして逃げ込んだのだろう。
 そのとき、陽日輝が先ほど開け放ったばかりの出入り口から、帆奈美がなだれ込むように侵入してきた。
「ヒッ!?」
 環奈が短い悲鳴を上げ、教卓の中でさらに体を丸めた。
 陽日輝はそんな環奈を庇うように、彼女の姿を隠すような位置に数歩移動していた。
 帆奈美は、調理室に入ってすぐの場所で、ユラユラと揺らめきながら佇んでいる。
 帆奈美、ハナ、一花、この三人は同じ『能力』によって操られていると考えていいだろう。
 凜々花とクロエは、侵入してきた帆奈美を気にしつつも、それぞれハナ、一かと対峙している状況のため、身動きが取れずにいた。
 ただ倒せばいいだけなら話は早いが、そういうわけにはいかない――死なない程度に傷つけて、後で環奈の『超自然治癒(ネオヒーリング)』によって治療するという手も、倫理的にはどうかと思うが有用な手段ではあるものの、何者かに操られている以上、普通なら動けないような傷を負っても動ける――否、動かされる可能性は高い。
 凜々花とクロエもそれが分かっているから、迂闊に攻撃できずにいるのだろう。
 ――そして、この場所にはいるはずの人間が三人も不足していることにも、陽日輝はすぐに気付いた。
「星川はどこだ!? それに、若駒さんと藍実ちゃんは!?」
「あ、藍実はこうなる前に、若駒さんと一緒に、出てて――星川さんも、トイレに――」
「……っ。そう、か――」
 環奈から答えを得た陽日輝は、二つの理由から歯噛みした。
 一つは、ツボミが不在ということに対する戦力面での痛手に対し。
 そしてもう一つ、こちらのほうがより大きな理由だが――芽衣がいないというその事実に対して、だ。
 帆奈美、ハナ、一花が操られていて、芽衣がいない。
 すでに陽日輝は、一つの可能性に思い至っていた。
「凜々花ちゃん、クロエちゃん、俺は星川を探しに行く! 二人で環奈ちゃんを守りながら、三人相手にできるか!?」
「随分無茶を言いますわね! ――できますわよ!」
 クロエはすでに、近くにあるテーブル付属の蛇口を捻り、絶えず水が確保できる状態を整えている。
 凜々花も、百人一首の札を構えた状態で頷いた。
「あまり枚数はないですけど、『複製置換(コピーアンドペースト)』も使ってなんとかします!」
「ゴメン凜々花ちゃん、頼む! 俺の『夜明光』じゃ手加減ができない! 気が進まないだろうけど、環奈ちゃんに治せる範囲ギリギリで攻撃するなりしないと、多分この子たちは止められない!」
 当然、そんなことを凜々花たちに任せたくはない。
 自分でだってやりたくないが、それでも引き受けてやりたいくらいだ。
 しかし、環奈の『超自然治癒』はあくまでも自然治癒力を爆発的に強化する能力にすぎず、自然治癒しない傷は治らない。
 そのため、肉体を焼き溶かすほどの威力がある『夜明光』では、不可逆の負傷を与えてしまう可能性が高いのだ。
 だから、自分がすべきことは、一刻も早く操られている三人を解放すること。
 そして――彼女たちを操っているのが、芽衣であることを、陽日輝は半ば確信していた。
「分かりました! 帆奈美の隙は作ります――どうか、今回も無事に帰ってきてください!」
 凜々花がそう言って、一瞬その顔に不安を滲ませ――それを振り切るかのように、後ろ手に百人一首の札を投擲した。
 それとほぼ同時に、凜々花は二つ目の能力である『複製置換』を指パッチンにより発動させ、すぐ横に分身を作成した。
 分身は衣服や所持品も一時的にコピーされるため、二枚に増えた札が帆奈美に向かって飛ぶ。
 それらは帆奈美の腕を掠り、出血させていた。
 その隙に、ハナが凜々花に襲い掛かろうとしたが、凜々花はすでにそちらに向き直り、同様の手段でハナの包丁を弾き飛ばしていた。
「ありがとう、ここは頼む!」
 陽日輝は、帆奈美の脇を駆け抜けて、調理室を飛び出した。
 一応扉も閉めておく。
 中では凜々花とクロエが、なんとか持ち堪えてくれるはずだ。
 しかし、相手を殺すわけにはいかないという条件で、相手は殺す気で来るというのは楽ではない。いくら二人の能力が距離を取って戦える類のものであるとはいっても、だ。
 相手のほうが一人多く、凜々花とクロエは環奈を守りながら戦わなければならない――それに、たとえ持ち堪えることができても、自分が早くハナたちの洗脳を解かなければ、ハナたちが出血多量で死んでしまう。
 この場所では、ずっと悲劇が続いてきた。
 だから、もうこれ以上、彼女たちを辛い目に遭わせるわけにはいかない。
 その一心で、陽日輝は廊下を駆けて行った。
 ツボミと藍実が見つかればいいが、期待しすぎてはいけないだろう。
 これだけの騒ぎになっているのだから、気付いてもおかしくないはずだが――そんなことを考えながら、陽日輝はひとまずトイレに向かった。
 女子トイレだが躊躇してはいられない。
 中に飛び込み、個室のドアを一つ一つ開け放っていく。
 鍵がかかっている個室はなく、いずれにも誰もいなかった。
 ――やはり『トイレに行く』と言って素直にトイレにはいなかったか。
 念のため、隣にある男子トイレも同じように探したが、やはりいない。
 一階には他にもまだまだ部屋がある――どこに芽衣は潜んでいるのか。
 ……片っ端から探していくしかないかもしれない。
 しかし、凜々花たちがそれまで持ち堪えられるかは分からない。
 だとしたら――芽衣のほうに、出てきてもらうしかない。
「星川! どこにいるんだ!?」
 返事はない。
 張り上げた自分の声が、廊下に反響するだけだ。
 ……芽衣は、クラスメイトで、誰とでも明るく会話を交わす、人気のある子だった。
 そして、ハナたちと同じく、東城要の被害者でもある。
 その芽衣が、どうして、同じ境遇に遭った三人を操り、自分たちを襲わせているのか。
 ――生徒葬会だから、と言ってしまえばそれまでの話ではある。
 しかしそれでも、陽日輝はそう簡単に割り切れずにいた。
「星川! お前にこんなことをしてほしくない! どうしてなんだ!?」
 応える声はきっとない――そう思っていたが。
「――言ったじゃない。『生きていくしかないし』って。それが答えよ」
「!」
 芽衣の声は、近くにある空き部屋から聞こえてきた。
 陽日輝は躊躇いなくそこに飛び込む。
 そこは、小会議室以上に殺風景な、文字通りの空き部屋だった。
 蜘蛛の巣が張っていて、床も埃っぽい。
 窓も薄汚れているので、まだ夕方だというのに薄暗い部屋だ。
 その部屋の中央に、芽衣は立っていた。
「星川……」
「私がみんなを操ってるって、やっぱり一瞬でバレちゃったね」
「……そりゃな。星川以外の三人ともがああなってたら、疑うさ」
「だって、暁君や四葉さんを止めるには一人二人じゃ心もとなかったし。本当なら最上さんも操れたらよかったんだけど、『間隔』が開いちゃってたからダメだった」
 芽衣は、どこか寂しそうな微笑みを湛え、こちらを見つめている。
 陽日輝は、そんな彼女と一定の距離を取った状態で対峙した。
「やっぱり、誰でも彼でも操れるってわけじゃないんだな」
「まあね。それができたら強すぎるよ――いや、私の『能力』なんだから、強すぎて構わなかったけど。私の能力説明ページは東城に取られちゃってたから今手元にはないけど、覚えてるから説明してあげる。能力名は『操躁術(レッツダンス)』、他人をゾンビみたいにして操れる能力だけど、条件が曲者なんだ」
 芽衣は、そう言って自分の下腹部の辺りに指を添えた。
「私の体内にある私もしくは他人の体液と、操りたい相手の体内にある同じ体液とが共通していないと操れない。コレが結構シビアで、食事に唾を入れてみたんだけど不発だったから、ある程度の濃度がいるんだろうね。成功してたら全員操れたのに。特に暁君には、結構な量の唾を飲ませてあげたんだけどな。それでもダメだったから、結構判定が厳しいね。口にしちゃうとすぐ消化されちゃうからかな」
「……そいつはどうも。あいにくそういう趣味はなくてさ――あのときの、おかわりのカレーか?」
「そういうこと。――で、ここまで説明したら、私が何を媒介にしたかは分かるよね?」
「……東城の」
「ピンポーン」
 芽衣は、自虐的に唇を歪めてみせた。
 ……気分が悪くなるような話だった。
 そして芽衣は、自分が受けた地獄すら、攻撃の手段として利用している。
 何が彼女をそうまでさせるのか――いや、答えなら分かっていた。
 芽衣も言った通り、『生きていくしかない』からだ。
 芽衣は自分が生き残るため、多くの生徒が集まっており、自身の『能力』を発動させる条件も整っている今、勝負に出た。
 それだけの話に過ぎないのだ。
 むしろ納得できてしまう。
 ただ、自分がそれを認めたくないというだけで。
「……なあ、星川。どうして俺を呼んだんだ? 黙って隠れてたらよかったのに」
「さあ、どうしてだろう。まあでも、暁君がフリーになってた時点でもう私は負けてたようなものだし。やっぱり三人だけじゃ全員は抑えられなかったね。考えが甘かった。若駒先輩とアイミンが外に出たから、チャンスだと思ったんだけど」
「――――」
 ツボミと藍実が、この校舎の外に?
 一体どうしてだ?
 そんな疑問が脳裏に浮かんだが、恐らくそれは芽衣のこととは別件。
 後で考えなければならないことだが、今はとりあえず置いておくべきだろう。
 自分が考えるべきは――目の前にいる芽衣のこと。
「……その『操躁術』を解いてくれ」
「嫌だと言ったら?」
「星川を傷つけることになる」
「それでもやめなかったら?」
「……っ。――殺すしか、なくなるぞ」
 陽日輝がそう絞り出したのを聞いて、芽衣は目を大きく見開いた。
 しかしそこにあったのは、驚愕の色でも恐怖の色でもない。
それは――歓喜の色だった。
「いいよ。殺してくれて。苦しまないよう、一瞬で」
「なっ――!? 星川――なんでだよ。なんでそんな――『生きていくしかない』んじゃ、なかったのかよ……!」
「生きていくしかないよ? 生きている限り。でも――それって、しんどいよね。最上さんたちはわざわざ話さないだろうし、暁君もわざわざ聞くようなことしなかっただろうから、知らないかもしれないけど――多分、暁君の想像の五倍くらいは酷い目に遭わされてるの。××の×に入れられるなんて当たり前だし、××を飲まされたり、××を――」
「――やめてくれ。聞いてられないし――見てられないよ」
「……はは。暁君の、いくじなし」
 そう言って笑う芽衣の声は、上擦っていた。
 その目から、一筋の涙が伝い落ちる。
 ……芽衣が言葉を吐くたびに、その心の裂け目が広がっているかのようだ。
「……俺には星川たちの気持ちを完全に理解することなんてできないけど――それでも、こんなことをさせるために、助けたわけじゃない」
「恩着せがましいなあ……どのみち最終的には、私たちは死ぬって思ってるんじゃないの? 暁君には安藤さんと四葉さんがいるもんね。それともその二人も、もっと仲良い誰かと会ったら切り捨てる?」
「――俺は、俺がしたいことをしただけだ。この先のことなんて分からない。ただ――今の俺は、お前に死んでほしくないと思ってる」
 それは、嘘偽りの無い自分の気持ちだった。
 芽衣の目をまっすぐに捉え、そう言い切った。
 しかし――芽衣の傷つき切った心に、その言葉が響くことはなかった。
「……暁君はいい人なんだろうね。でも、私は暁君が思ってるほどいい子じゃないんだ。誰かを犠牲にしてでも生き残りたいし、それができないなら、もう――死んでしまいたい。――ねえ、私に殺されてよ。それが無理なら、私を殺してよ。どっちもできないなら――もう、何も言わないでよ」
「――星川――」
「迷惑なんだよ。中途半端に優しくされても。この生徒葬会はまだまだこれからも続くんだよ? だから――暁君が、殺してくれないなら――!」
 芽衣は、ポケットからシャープペンを取り出し、それを勢いよく自分の喉に――
「やめろ!」
 陽日輝が、そう叫んだ直後。
 芽衣の、シャープペンを持った右手の、肘から先が消えていた。
「えっ――」
 一瞬の出来事に、陽日輝は目を疑ってしまう。
 何度も瞬きし、その異様な光景が偽りないことを確認する。
 ――芽衣の右手の肘から手首辺りまでが、跡形もなく消えていた。
 芽衣から切り離された右手首は、血を撒きながらくるくると回転し、床に落下する。
 それを、呆然と見送ってから――ようやく痛みと事実を認識したのか、芽衣が絶叫した。
「あああああああああああああああああああああ!!」
 左手で右肘の上を肉に食い込みそうなほど強く掴み、そのままバランスを崩して転倒する。
 芽衣が痛みのあまり、床を転がり回るほどに、肘の断面からも血がまき散らされる。
 その壮絶な光景に目を奪われていた陽日輝は――カツカツと、空き教室に入って来る足音を耳にして、振り向いた。
「あなたは騒動の中心になりやすいな。『殺されるか殺すかしてくれ』だなんて、女にそこまで言わせるとはつくづく罪な男だ」
「わかこま――さん」
 そこにいたのは、藍実と共に外に出ていたというツボミだった。
片時も肌身離さず持っている、あのレイピアのような細い剣を携えた彼女は、その後ろに藍実を従えて立っていた。
 藍実は、部活の先輩である芽衣がのたうち回っているのを見て、悲痛な表情を浮かべている。
 ――ツボミが芽衣の右腕の大部分を一瞬にして消失させたことに、陽日輝は遅ればせながら気付いた。
 そんな――あの剣は、直接触れなくても、この距離からでも誰かを攻撃できるような類の『能力』だっていうのか……!?
 陽日輝は戦慄しながらも、なんとか言葉を絞り出した。
「どこに――行ってたんですか」
「この校舎の周りをうろつく輩がいたんだよ。敵対的だったので片付けた。戻ったらこの騒ぎだ」
 片付けた――その言葉が意味するものは、考えるまでもない。
 そんな輩がいたというのは驚きだが、しかし今は、そんなことより――
「星川の傷の、手当を――」
「あなたは何を言っている? 腕が飛べば環奈にも治せない。それに、彼女が望んだことだろう。生きることを諦めた人間を生かしてどうする」
「……っ! 若駒さん、なんてことを――……!」
「なら彼女のために死ねばよかっただろう」
「……!」
 ツボミは。
 レイピアの先端を、すでにのたうち回る余力すら失い、床にうずくまっている芽衣に向けた。
 芽衣は、生気の失われかけた瞳で、それを見つめるだけだ。
 その唇が弱々しく、「あかつきくん」と動いた――ような気がした。
「暁。あなた一人に背負える命は限られている。生徒葬会のルールの話だけではなく、もっと根本的に、あなた自身の器量の問題として」
 それは、とても残酷な事実。
 しかし、陽日輝自身も分かってはいた、確固たる事実だ。
「あなたへの恩に報いて忠告させてもらった。――そしてこれもあなたへの餞別だ。私の『能力』は見ての通り。ハッキリ言って、あなたに対し負ける要素が無い。あなたが生きて帰りたいと願うのなら、私と戦わずに済むよう振る舞ったほうがいい」
 ツボミは。
 レイピアの先端を、手首の軽やかなスナップだけでシュンッ、と振った。
 その直後、芽衣の首から上が一瞬にして消失する。
 先ほどの右腕同様、芽衣の頭部が、痕跡すら残さずに。
「『斬次元(ディメンション・アムピュテイション)』――長いので私はDAと呼んでいる」
「…………!」
「彼女を弔うのなら、手伝おう」
「……いいえ。俺が、やります」
「そうか。なら他の者には私から説明しておこう」
 ツボミはそう言って、レイピアを腰に提げた鞘に戻した。
 それ以上は、陽日輝にも芽衣にも目もくれず、廊下へと出て行く。
「ああ、彼女の手帳はあなたが貰うといい。形見代わりにはなるだろう。――行くぞ、藍実」
「は、はい」
 藍実は慌てて後を追いかけようとし――それから、こちらを向いて、「……ごめんなさい」と呟いた。
「私も、後から手伝います」
「……ありがとう。でも、大丈夫だよ。藍実ちゃんはこれからも若駒さんといるわけだし、若駒さんと一緒にいたほうがいい。それに――これは、俺がしなきゃ、いけないことだから」
 芽衣のために死んでやることも、芽衣を死なせてやることも、自分にはできなかったから。
 だから――せめて芽衣の遺体は、自分が弔ってあげたかった。
「……分かりました。星川先輩のこと……お願いします」
 藍実は、深々と頭を下げて、それから小走りで廊下へと出て行った。
 後には陽日輝と、頭部と右肘から先を失った芽衣の遺体だけが残される。
 芽衣の死に顔すら、見ることが敵わない――顔のない遺体は、モノのようにすら思えてしまう。
 それでもここにあるのは、ほんの数十秒前まで生きていた、クラスメイトの遺体なのだ。
「星川……ゴメン。俺には――お前の望んでいたことはできなかった」
 今さら何を言ってもどうしようもなかったが、言葉が口を突いて零れだすのを止めることはできなかった。
 目頭が熱くなり、視界が滲む。
 ――芽衣の遺体の傍らで膝から崩れ落ちたまま、陽日輝はしばらく、動くことができずにいた。
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