【9日目:未明 北第一校舎一階 小会議室】
暁陽日輝と安藤凜々花は、小会議室の床に寝袋を敷き、毛布をそれぞれ一枚ずつ被って横になっていた。
秋の夜は肌寒いので寝袋に入ったほうが暖まるのは間違いないが、いざというときに身動きできないリスクがある。
日中は根岸藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』によりほぼ完璧に守られている北第一校舎一階だが、藍実も睡眠を摂る必要がある以上、能力が一時的に解除されている夜間は警戒が必要だ。今は藍実が起きている時間なのでその心配はいらないが(藍実が寝ている間は交代で見張りをすることにしている)。
「…………」
「…………」
陽日輝と凜々花は、二人並んで仰向けになり、天井を見上げていた。
電気は消しているが、廊下にある消火栓の赤いランプの光が滲んでいるほか、屋外に面しているほうの窓からは、ぼんやりと月明かりも差し込んでいるため、暗闇に目が慣れている状態なのもあって、小会議室にある机や椅子等の輪郭はよく分かるくらいの状態だった。
なので、首を横に傾ければ、凜々花の顔もよく見える。
そこに浮かぶ、不安げな表情のシルエットも。
「……陽日輝さんは、どう思いますか?」
陽日輝の視線を感じてなのか、寝支度を整えて横になって以降初めて、凜々花が口を開いた。
その唇はきゅっと結ばれていて、微かに震えているようだった。
「……さっきの放送な……正直、ここまで生徒葬会が進んでるとは思ってなかったから、俺も驚いてるよ」
――そう。
若駒ツボミに招集され、日付が変わる瞬間を全員同じ場所で過ごした陽日輝たちが耳にしたのは、二十四時間ぶりとなる『議長』の忌々しい放送で。
そこで真っ先に伝えられた生存者の人数に、陽日輝は耳を疑った。
『まずは、八日間生存おめでとう。前回の放送の時点で、生存者は二百十九人でした。それからの二十四時間、君たちは本当によくがんばってくれました。生徒葬会を開催した甲斐があるというものです』
そんな、目の前にいたら間違いなくぶん殴っていたであろう前口上の後で。
『議長』は、こう続けたのだ。
『現時点での生存者は九十七人です。なんとか二桁になりましたね。すでに前回追加したルールを活用し、複数の『能力』を手に入れた生徒も少なくありません』
――――と。
それに対し、ツボミは『まだ多いな』と呟き、四葉クロエは『概ね予想通りですわね』と呟いた――直後、二人の間で火花が散ったような気がしたのは錯覚ではなさそうだったが、それはさておき。
そんな反応をしているのはその二人くらいで、陽日輝たちからすれば、にわかに信じがたい話だった――二百人以上いた生存者が、たった一日で半分以下に減ったという受け入れがたい事実。
懸念していた、新たなルールの追加はなかった。
なかったが――生存者の人数が、二百人どころか、百人を割ったということは。
理論上、すでに二人の生徒が『投票』を行ってしまえるということを意味する。
その事実が、放送直後の調理室に、明らかな不安と動揺の空気をもたらしていた。
ツボミやクロエは冷静に見えたが、この二人は自分以外の誰かと一緒に生還するという目標が無い――身も蓋もない言い方をすれば、自分だけ生きて帰れるのならそれでいいわけなので当然だ。
ツボミに関しては、藍実と環奈と共に生還するという建前である以上、その二人に希望を与えておく必要はあるだろうが、その辺りは抜かりないはずだ。それに、少なくとも藍実は、ツボミが自分たちを切り捨てる可能性を十分考慮していた。すでに内心警戒を強めているはずだ。
しかし、陽日輝と凜々花は、クロエたちのようにはいかない。
二人ともが生きて帰るためには、二百枚の表紙を揃える必要がある。
それまでに『投票』が二度行われてしまったのなら――どちらかは生きることを諦めなければならなくなるのだ。
――そんなことがあって、今。
もしかしたら、こうしている間にも、どこかの誰かに抜け駆けをされてしまうかもしれない――その事実は、二人以上での生還を目指しているすべての生徒に、激震を走らせたことだろう。
陽日輝と凜々花も例に漏れず、持ち主が死んでしまっている二百枚以上の手帳が、一箇所に集まってしまわないことを祈るしかなかった。
「……陽日輝さん。正直、私は怖いです。『投票』の枠のこともですけど――そのことで、今まで以上に激しい殺し合いになるということもです」
「ああ――自分一人だけ生き残ればいいってヤツ以外は、焦らないわけないからな。これまでは積極的には手帳を集めてなかったグループも、血眼になって殺しにかかってくるかもしれない」
そう言いながら、陽日輝はチラリとドアのほうを見やる。
――ドアの内鍵を閉めるのはもちろんのこと、長机を動かして簡易的なバリケードを作ってある。
ツボミやクロエはともかく、一度は取り乱して自分に襲い掛かってきた三嶋ハナを始め、東城に囚われていた三人は短気を起こしても不思議ではないと、陽日輝は考えていた。バリケードは、寝込みを襲われないための対策だ。
ハナたちは、東城の件と星川芽衣の件でかなり精神的に参っている――そこにあの放送だ。実際、調理室で彼女たちは、恐れと焦りの入り混じった、探るような眼差しを周囲に向けていた――こちらと目が合ったらすぐに逸らしていたが。
「それに、今まで協力してきた連中が、疑心暗鬼になって仲間割れするようなこともあり得るわけだしな。……遅かれ早かれこうなってたとはいえ、嫌な状況だよ」
「……そうですね。ただ――これだけは言わせてください。私は陽日輝さんを信じています。陽日輝さんも、私を信じてくれると、嬉しいです」
「信じるよ。いや、信じてるよ」
陽日輝は、すぐにそう言い直した。
その言葉に、そこに込められた気持ちに偽りはない。
……これまでは、心のどこかでまだ『投票』に行き着くような生徒は現れないだろうという慢心があった。
しかし、すでに残り人数が百人を切っていると分かった今、少なからず動揺はある。
それでも、いや、だからこそ、凜々花を守り抜く決意はより強くなった。
「陽日輝さん――ありがとうございます。この生徒葬会は、最低で最悪ですけど――陽日輝さんと出会えたということだけは、嬉しく思っています」
凜々花が微笑んだのを見て、陽日輝もつられて微笑み返す。
――そのまま陽日輝は、凜々花の唇に自身の唇を重ねた。
微かな不安をかき消すように――という後ろ向きな意味合いもあったが、それ以上に、自分が生徒葬会を戦い抜くための光を噛み締めるように。
□
「あなたは身軽でいいな。羨ましい限りだ」
二階へと続く階段、その踊り場近くに腰掛けている若駒ツボミがそう言うのを、階段の一番下で手すりにもたれかかりながら、四葉クロエは聞いていた。
すでに、自分が東城要の被害者ではないことは看過されてしまっている。
それが判明したときは内心舌打ちしたものの、それならそれで取り繕わなくていいのは楽だ。
クロエは、斜め上に座るツボミの動向には最大限注意を払いながら答えた。
「環奈と藍実を引き入れたのはあなたの戦略ですわよね? この外部の侵入者から守られた校舎も、時間さえあれば大抵の傷は治せるという余裕も、あなたは十二分に享受しているはずですわ。私からすれば、誰かに縋れるあなたが心底羨ましいですわよ」
それはクロエの本心ではない。
本当にそう思っているのなら、陽日輝や凜々花と同行すればいい。
そうしないのは、ツボミの言う『身軽』な状態のほうが都合が良いからだ。
しかし、ツボミに対する意趣返しでそう言ってやった。
とはいえ、ツボミはそれに対し怒りも慌てもせず、
「そうだろう。この場所は今や、拠点として完璧に近いからな」
と返してきた。
……この人のことが苦手だ、と内心クロエは思う。
トイレに立ったときにツボミとバッティングしてしまい、会話に誘われてこの状況に至っているが、さっさと部屋に帰ってしまいたい。
そんなことを考えていたクロエに、ツボミは続けて言った。
「とはいえ、この拠点を出なければならないときも存外近いな。手帳を集めるためにいずれは動かなければならないのだが――その『いずれ』が近付いた。四葉、あなたはいずれ私と対峙するつもりか?」
「……。そうならないことを願っていますわ」
「ふふ、私もだ」
こちらを見下ろすツボミの、月明かりに照らされた端正な顔に、魔性の笑みが浮かんだ。
あまり感情を露わにしないツボミの、珍しい表情だ。
……言葉とは裏腹に、ツボミは自分に対し殺し合いになっても勝てるという絶対的な自信を持っていることは明白だった。
『私はお前を殺さないでやる、だからお前も私を殺そうとするな』
――そんな言外の圧を感じる。
……ここで一か八か戦うというのも一つの手かもしれないが、あまりにもリスクが高すぎ、クレバーではない。
――クロエは、陽日輝や凜々花にも明かしていない『切り札』を二種類持っている。しかしそれを切るのは、今じゃない。
クロエは、ツボミを見上げて言った。
「私もですけれど、陽日輝と凜々花にも注意したほうがいいですわよ。あの二人を甘く見ないことですわ」
「おかしなことを言うものだな。甘く見てなどいないよ。暁はあの東城を倒した男だぞ?」
そう言いながらも意味深に唇を歪めたツボミを見て、クロエは、東城との戦いにおける自身の関与がバレていることを確信する。
しかし――やはり。
「いいえ――あなたは甘く見ていますわ、若駒ツボミ。私は知っていますの。あの二人の絆が生む爆発力と運命力を」
「運命力?」
「奇跡を引き寄せる力ですわ。……ああ、そんな顔をしないでくださいませ。別にスピリチュアルに傾倒したりはしていませんの――ただ、強い意志は運命――と、人が感じるようなもの――すら、捻じ曲げることができるというのが、私の信条ですのよ。あの二人には、その力がありますわ。個の才覚はあなたや東城には及ばないでしょうが――運命力に関しては、彼らが上ですわよ」
「……随分とあの二人を買っているな。運命力か――面白い概念だな。ふふ――失礼。馬鹿にしているわけではないんだ。言葉通りの意味さ――実に面白い」
ツボミは階段から立ち上がり、カツカツと靴音を響かせながら降りてきた。
おのずと警戒を強めながらも、クロエは体勢を変えないままさらに言う。
「面白がっていられるのも今のうちですわ。――あなたが環奈と藍実に価値を見出して利用しているように、私も陽日輝と凜々花に価値を見出して利用していますの。自信はありますわよ」
クロエはそう言って、めいっぱいの不敵な笑みを浮かべて見せた。
――陽日輝と凜々花を、自身の生還のため利用し、必要であれば切り捨てる心積もりではいる。
しかしその一方で、二人のことを応援している気持ちも、嘘偽りの無い本心だ。
あの二人の運命力がどれほどのもので、どこまで行けるのか――見届けたい自分がいる。
……あとは、純粋に、良いカップルだとも思う。
温かく見守ってあげたくなるような、そんな奴らだとも。
「楽しみにしているよ、四葉」
――すれ違いざま、ツボミがこちらを一瞥してそう呟いたのに対し、クロエも無言の一瞥で応えた。