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第六十話 執念

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【9日目:朝 裏山】

 今朝は終始太陽が顔を覗かせることのない薄暗い朝だったが、曇天の空はついに泣き出したように雨を降らせ始めた。
 生徒葬会始まって以来初の雨天、普段ならば髪や服が濡れる不愉快な感触に顔をしかめるところだが、今――楪萌にとってそれは、好都合だった。
 『自縄自縛(ロープアクション)』により展開したロープを枝や幹に巻き付けたときや、枝から枝に飛び移ったとき、どうしても音が出てしまう。
 しかし、この雨のおかげでより距離を詰めて追いかけることができる――眼下で斜面を駆け上がる安藤凜々花を見下ろしながら、萌はニヤリと笑った。
 ――萌は、ハチの巣を暁陽日輝に向かって投げ付けた後、その場を離脱した――ように見せて、実は二人の姿がギリギリ見える場所に隠れていたのだ。
 そのため、二人が凜々花の能力により難を逃れたことも、陽日輝が凜々花を先に行かせてその場に留まったことも把握している。
 そして、二人の裏をかくべく、凜々花のほうを追いかけているというわけだ。
 凜々花はカードを強い力で投げる能力と、分身を作り出す能力の二つを持っているが、いずれも『カードを手に取る』『指を鳴らす』という予備動作だ。
 そのため、不意を突いて手を縛ってしまえば無力化できる。
 ……萌は、自身の本性を偽りの可憐さで包み隠して生きてきた。
 それが、美少女として愛されるために必要なことだったから。
 そんな萌だから、他人に対する観察力は常人よりも秀でている――そのため、陽日輝と凜々花がただの先輩後輩や友人という枠に収まらない関係であることはすでに看過していた。
 大方、この生徒葬会の中で吊り橋効果もあり惹かれ合う形となったのだろう。
 他人の色恋沙汰などどうでもいいが、凜々花の無惨な姿を陽日輝に見せてやって絶望に歪んだ表情を見るのは面白いかもしれない。
 手足を引きちぎってやるのもいい。
 それとも、ロープを鞭代わりにして全身をしこたま打ってやるか。
 あるいは、ロープを口から尻まで貫通させてやろうか。
 ――綺麗なものを汚すのは、楽しいことだ。
 萌が月瀬愛巫子に執着するのは、ライバル意識だけではなく、そういった萌の歪んだ感性にも拠っている。
 安藤凜々花も、自分には劣るが美少女に分類できる容姿だ。
 それを、より美しい自分が傷つけ、汚し、壊す――そうして得られる優越感、恍惚感があることを、この生徒葬会で確信した。
 萌は、マスク越しに鼻と口を押さえて笑いを殺す。
 何も知らずに走っている凜々花を痛めつけ、何も知らずに待っている陽日輝に見せつける。
 二人分の絶望を味わうことで、この傷の屈辱も少しは晴れようというものだ。
 ――あと少しで、凜々花に不意打ちを確実に決めることができる距離になる。
 そう、待ち望んだ時間まであと少し――
 ドスッ。
 ――そんな重たい感覚が、萌の左のふくらはぎにぶつかった。
 思わずガクッと体勢を崩してしまうほどの衝撃に、萌は振り返る。
 ――自分のふくらはぎに、ナイフが刺さっているのを、萌は目の当たりにした。
「なっ――――」
「やっぱり高低差があるとキツいな。背中に当てるつもりだったんだけど」
 ――萌は、ナイフが刺さったことによる物理的なショック以上に、精神的ショックによってロープの展開が疎かになり、バランスを崩して落下する。
 落下しながら、右手を前に出した姿勢の陽日輝を視界に捉えていた。
 ――陽日輝が後ろからナイフを投げたのだと、すぐに理解する。
 理解した瞬間、萌は一瞬で沸騰したような怒りと共に、ロープを再展開した。
「暁ぃぃ! わたしの体に傷を付けたなァァ!!」
 近くにあった枝に右手から伸ばしたロープを巻き付け、そこからぶら下がる形を取る。
 左手から伸ばしたロープはナイフの柄に巻き付け、引き抜いた。
 鋭い痛み、噴き出す血。
 そのいずれも気にならない。
 萌の心を燃やすのは、眼下にいる陽日輝へのドス黒い殺意だ。
「わたしをコソコソ付け回して後ろからナイフなんてサイテーだねえ暁君……!」
「凜々花ちゃんを後ろから襲おうとしてたお前に言われたくないな。――俺はお前が、俺や凜々花ちゃんがハチに襲われて苦しみながら死ぬ姿を見ようとしないわけがないって信じてたよ。だから俺たちがハチの巣をなんとかしたことはバレてると考えた。それで、凜々花ちゃんを先に行かせれば、追いかけてくれるとも信じてたよ」
「……! ペラペラペラペラ――わたしがあんたの思い通りに動いたって? 図に乗るな! わたしを今の一撃で仕留め損なったあんたの負けだ! あんたにわたしを倒す方法なんてないんだから!」
 そう、陽日輝相手ならこうして距離を取り、高低差を確保すれば負けることはない。
 あの光る拳にどれだけの威力があろうと、当たらなければ何の意味もないのだから。
「それとも、安藤ちゃんに助けてもらうぅ? ハチの巣をなんとかしたのも安藤ちゃんだもんねぇ? 彼女に守られてばかりで恥ずかしくないのぉ? キャハハハハ!」
「――凜々花ちゃんには頼れないな。お前に作戦がバレないよう、凜々花ちゃんにはお前が追いかけてくるだろうってことは言ってないんだから。だけど問題ないよ――俺一人で勝てるからな」
「よく言うよ! わたしに触れることもできないくせに! あんたがどれだけ強がろうが、近付かなきゃ話にならないあんたじゃわたしに勝てるわけがないんだから!」
 萌は叫び、引き抜いたナイフを陽日輝めがけて投げ付けた。
 その直後には次の枝へと飛ぶ。
 陽日輝はナイフをかわしたが、問題ない。
 この雨で、足場はさらにぬかるみ、悪化している。
 そんな中で、こちらが木から木に飛び移りながら物を投げ付けたりしていれば、そのうち陽日輝は転倒する。そうでなくとも、疲弊して隙が生まれる。
 そうなれば後は、首をへし折るなり絞めるなり自由自在だ。
「わたしはあんたの殺し方も自由に選ぶことができる! キャハハハハ――これってほんとに快感よねぇ! 安藤ちゃんをズタボロにしてあんたに見せてやることができないのは残念だけど、逆もアリよねぇ? あんたをボロ雑巾にして安藤ちゃんに投げ付けてやる!」
 萌は陽日輝の周りを飛び回るように木から木へと移り続ける。
 そして、手頃な枝をへし折り、投げ付け続けた。
 陽日輝はそれをかわすたびにバランスを崩しかけ、なんとか踏み止まるので精一杯だ。
 天候もわたしに味方している。
 わたしは生き残るべき人間だから。
 さあ、早く無様に転んで絶望の顔を見せなさい――――
「――――えっ?」
 ――そのとき。
 萌は、不快な浮遊感が全身を包むのを感じていた。
 新たな場所に巻き付けたばかりのロープに変な力が加わっている。
 その力に引かれるようにして、萌は体勢を大きく崩していた。
「な――――」
 萌は見た。
 ロープを巻き付けた木の幹が、地面から一メートルほどの高さのところでバキバキバキと音を立てて折れていっているのを。
 そして気付いた。
 その木の裏側、萌からは死角になる場所が、焼き焦がされていることに。
「あ、あんたまさか――!?」
「お前の言う通り、この森の中でお前の『能力』相手じゃマトモにやり合ったら分が悪すぎるからな。お前をナイフで仕留め切れなかったときのために、『保険』を打っておいたんだよ」
 萌はすでに理解していた。
 陽日輝は、この辺り一帯の木のうちのいくつかに、事前にあの光る拳によって触り、強い力が加われば折れるような状態にしていたのだ。
 時間的にすべての木にそのような仕込みを行う余裕はなかっただろうから、自分が『アタリ』を引き当てるまで、耐え忍んでいたのだろう。
 そしてついに自分が『アタリ』を引き当ててしまった――――
「くっ――まだ……!」
 陽日輝が斜面を駆け上がってくる。
 萌は落下しながら、ロープを別の木に伸ばし直そうとした――が、陽日輝がその橙色の光を帯びた拳で、掬い上げるようにして地面を殴ったことで、大量の泥が視界を覆ってしまう。
「うわっ!?」
 そして。
 その隙は、あまりにも致命的だった。
 泥を手の甲で拭ったとき、すでに陽日輝は眼前に迫っていたから。
「『夜明光(サンライズ)』!」
「まだだぁぁぁぁ!!」
 萌は咆哮した。
 生への執着と目の前の敵への殺意が、その肉体を駆動させる。
 ロープを木に伸ばして逃げる余裕はない。
 萌は、ロープを横向きに展開し、グルグルと何重にも巻き付けた――自分と、陽日輝の二人ともをまとめて。
「ぐっ!?」
 陽日輝が拳を繰り出し切る前にロープで肩から腰にかけてを雁字搦めにすることで、拳をギリギリのところで止めてしまう。
 もちろん、こうなると萌もロープを展開し切ってしまっているため、新たな攻撃を仕掛けることはできない。だからといってロープを解けばすぐに一撃を加えられて終わりだ。
 だから。
「ウヒヒヒヒ……どっちのほうが天に愛されてるか――試してみよっか、暁君」
「楪、お前――」
「行くよっ!」
 萌は、陽日輝と全身が密着するほどグルグル巻きになった状態で、ロープに力を加えた――斜面の下側に向けての力を。
 それにより、萌と陽日輝は勢い良く倒れ、そのまま斜面を転がり落ちてゆく。
 途中、突き出した枝や岩に全身を打ち付けながらも、萌は能力を解除しなかった。
 解除すれば殺されるという以前に、何が何でも陽日輝を葬るという執念が故に。
「がっ!」
「ううっ!」
「あぐっ!」
「ぎゃっ!」
 二人分の苦痛の嗚咽が響く中、萌はこめかみから滴ってきた血によって右目が塞がるのを感じた。
 全身どこが痛いのかももはや分からないが、どうもこの頭の傷は浅くはなさそうだ。
「『夜明(サン)……光(ライズ)』ッッ!」
 ――陽日輝が叫ぶと同時に、萌の体は跳ね上がり、宙を舞っていた。
 陽日輝が岩か何かを殴ることで、その勢いで自分たちを空中に浮かせたのだということは感覚的に分かった。
 しかし、それができたところで、この拘束は解けないはず。
 萌は無事な左目ですぐ近くにある陽日輝の顔を見上げ、微笑んだ。
 無駄な足掻きをご苦労様――そう思ったときだ。
 ――陽日輝の右腕が、ロープから引き抜かれていた。
「はっ――?」
「ロープってのは意外とよく燃えるな」
 その言葉に、萌は気付いた。
 土や雨の匂いに混ざって、縄が焼け焦げた臭いが鼻をつく。
 陽日輝が転がりながら殴ったのは、岩でなく落ちていた木の枝か何かで。
 それにより焼けて燃えた木の枝が、ちょうど空中でロープに当たり、引火したのだ。
 ぶっつけ本番で――そんな芸当を成功させたのか、コイツは――!
「――悪い。これで終わりだ」
「ちょっ、待……!」
 死の間際、それまでの執念が嘘のように、萌の心を恐怖が支配する。
 しかし、何を言っても無駄であることは、頭では分かっていた。
 自分は陽日輝たちを殺そうとした。
 であるならば殺されても仕方がない。
 生徒葬会というのはそういうものだ。
 ただ、自分は信じて疑わなかった――自分こそが生き残るのだと。
 陽日輝が繰り出した拳が、萌の顔面を打ち抜き、その中身ごと焼き溶かす寸前、萌が思い出したのは月瀬愛巫子だった。
 次出会ったら絶対に殺してやると誓ったライバル。
 自分が唯一、自分より美しいと認めた女。
 ――自分が生き残るのなら、あの人は何が何でも殺す対象だが。
 しかし、自分がここで死ぬのなら――せめてあの人が生き残るべきだ。
 そうすることで、間接的に自分の価値も担保されるように思う。
 もっとも、あちらはそんなこと思いもしないだろうけれど。
 ――そして、萌の意識は、灼熱の光に呑まれて消えた。
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