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第六十二話 小屋

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【9日目:朝 裏山 小屋前】

 安藤凜々花と相川千紗の間に生じていた均衡は、思わぬ形で崩された。
 ――雨を降らせ続けていた空が青白く光り、程なくして張り裂けるような轟音を響かせたからだ。
 ――その雷に、凜々花も千紗もほんの一瞬、あるいは一瞬にも満たないような刹那、意識が向いてしまった。
「――!」
 我に返るのが早かったのは凜々花のほうだった。
 とはいえ、無策に飛び出してはあの銃の餌食になるだけだ。
 凜々花が取った行動は――攻撃でも逃走でもなかった。
「……!?」
 千紗が息を呑む気配が伝わる。
 彼女がこちらに向けている銃口が揺れたのは、動揺の表れだ。
 それもそのはず――凜々花は、肩から背負っていたバッグを、腕を滑らせることで地面に落とすようにして置き、それを足蹴にして木陰から出したからだ。
「何の真似なの……?」
「私にあなたと殺し合うつもりはないということを、態度で示しているだけです。――あなたのことは、陽日輝さんから聞いています。陽日輝さんの友人であるあなたのことを、私は信じたいと思っています」
「――! 暁と生徒葬会で会ったの……?」
 千紗の声には、期待と不安の感情が複雑に入り混じっていた。
 千紗視点では、凜々花が陽日輝を殺した、あるいは凜々花が陽日輝の死を目の当たりにした可能性もあるので無理はないだろう。
 しかし、ここで『期待』と『不安』を滲ませるということは――千紗は陽日輝に対して、少なくとも早速に害を加えようという気持ちはないだろう。
 それが確信できたので、凜々花はもう少し踏み込んだ話をすることにした。
「私は陽日輝さんに助けられました。二日前から一緒に行動していて、この小屋に来たのも陽日輝さんの判断です」
「……暁は今どこにいるの?」
 予想通り、というか、順当な質問だ。
 凜々花の話を聞いて、そこを疑問に思わない者はいないだろう。
「この山を登る途中で、別の生徒に攻撃されました。私と陽日輝さんは二手に分かれて、ここで合流する約束をしています」
 その説明に嘘はない。
 ただ、攻撃してきた生徒――楪萌の名前は伏せておいた。
 萌も千紗と同じ二年生であり、そこにどういう交友関係があるかは一年生である自分には分からない。
 陽日輝と萌は別段親しい間柄ではないようだったが、だからといって千紗と萌もそうであるとは限らない。同性なのだからなおさらだ。
 下手に名前を出して地雷を踏むことになるくらいなら、話の流れで必須な情報でもない以上、伏せておいたほうがいいだろうという判断だった。
 幸い、千紗は襲ってきた生徒のことには興味を示さなかったようだ。
「暁は無事なの?」
「陽日輝さんはとても強い『能力』を持っています。もうすぐここに来てくれるはずです」
「…………。嘘を吐いているようには見えないわね」
 千紗は。
 深い逡巡の後で、そう言って。
 銃を持っていないほうの手も扉の隙間から覗かせ、手招きした。
「そのカバンを持って、こっちに来たらいいわ。――こんな雨の中、外で待つのも辛いでしょう」
「――いいんですか?」
「それを期待してたんでしょう?」
 千紗が、嫌味や皮肉というわけでもなく、サラリと言った。
「暁がここに来るというのなら、あなたと一緒に中で待ちましょう。――あなたが嘘を吐いていないことを信じてるわ」
「……ありがとうございます」
 凜々花は、恐る恐る木陰から姿を出し、千紗の銃口から目を離さないようにしながらバッグを拾い上げた。
 指の間にはカードを挟んだままだが、向こうも銃を下ろしていないのだからそこはお互い様だろう。
 もし引き金を引かれたら、という緊張が胸の動悸となって表れるのを感じながら、凜々花は千紗に促されて小屋の中に入った。
 千紗が銃を下ろしたのは、後ろ手に扉を閉じたその直後だ。
「あなたもそれ、しまってくれる? よく分からないけど武器なんでしょう?」
「……ええ、私はカードを投げたときに威力を増すことができる『能力』を持ってますから」
「トランプを武器にするなんてマンガみたいね」
 千紗が微かに口元を緩める――ようやく見せてくれた笑顔だった。
 というより、先ほどまではほぼ手しか見えていなかったので、千紗の顔自体、まじまじと見るのはこれが初めてとなる。
 茶髪のショートカットに、バスケ部員らしく高めの身長。
 凜々花も160cmあるので低いわけではないが、千紗はもう少し高い。
 見たところ、165cmくらいだろうか?
 手足は細長いが、自分のように運動不足で筋肉が少ないことによる痩せ型ではなく、程よく筋肉の付いた健康的な痩せ型に見える。
 ……少し羨ましいと思ってしまった。
「そうですね、我ながら馬鹿馬鹿しくて笑っちゃいます」
 凜々花は千紗に苦笑で応え、トランプをスカートのポケットにしまう。
 それを見てから、千紗は胸ポケットからおもむろに手帳を取り出し、後ろのほうのページを見せてくれた。
「私の能力は『暗中模索(サーチライト)』。半径五十メートル以内に人間がいたら分かるの、脳裏にイメージが浮かぶような形でね。だからあなた――凜々花って言ったわね――凜々花のこともそれで分かったのよ」
「なるほど――そういうことだったんですね」
 どおりで、自分が隠れていた木を正確に撃ってこれたわけだ。
 ……しかし、そうなると。
「……その銃は、『能力』じゃないんですね」
「……ああ、これは私の私物。エアガンを改造してそこそこの威力が出るようにしてるのよ――シェル弾って言って、貝殻で作った玉を飛ばすの。銃刀法違反で捕まるから内緒にしてね」
 千紗は、ペロリと舌を出して笑った。
 ……前々から思っていたが、陽日輝たちのグループはお世辞にも素行が良いとは言えなさそうだ。
 まあ、こんな場所を見つけて勝手にサボリやたむろのために使っている時点で推して図るべしだが――
「とりあえず、こんなところで立ち話もなんだから、小屋の中を案内するわね。バッグは気になるなら持っててもいいし、その辺に置いてもらってもいいわ」
「分かりました」
 持ってていいとは言われたが、千紗を信用しているということを示すためにもここはお言葉に甘えてバッグは置かせてもらうとしよう。
 あと純粋に重くてしんどい。ここまでの登山は正直堪えた。
 凜々花は、人がすれ違うのも気を遣うくらい幅の狭い、しかし十メートルほどの長さしかない廊下を千紗の先導で進み、千紗が最初に案内してくれた部屋にバッグを置いた。
 そこは、靴を脱ぐ場所が入口にある和室で、座卓の上や部屋の端の棚には、陽日輝たちが持ちこんだものなのだろう、やけに真新しいお菓子やペットボトル、雑誌や漫画があった。
 ここにバッグを置いたのは、千紗のバッグもそこにあったからだ。
 畳の端には布団も敷かれていて、そこで千紗が寝ていたことが分かる。
「案内するといっても、そこまで広い小屋じゃないけどね」
 千紗はそう言って、一通りの部屋を案内してくれた。
 まとめると、廊下には出入口から見て左に三つ、右に二つの扉がある。
 右奥が先ほど見た和室。
 左奥はダイニングキッチン――というほどお洒落なものではないが、ガスコンロや洗い場、ボロボロの木製の机と椅子がある部屋だ。
 続いて、左真ん中の扉はシャワールーム。
 浴槽の無い簡素な作りのものだが、一応脱衣所とシャワールームの間は段差と薄いカーテンで区切られている。
 千紗が使っていたからだろう、シャワールームの壁や床は濡れていた。
 続いて左手前、つまりシャワールームの隣にあるのはトイレだ。
 和式ではあるが水洗式で、綺麗な状態ということは使えるのだろう。
 まあ、シャワーが使えることは陽日輝から事前に聞いていたし、となるとトイレのほうも使えても不思議はない。
 最後に、右手前の部屋、つまり和室の隣は物置部屋だった。
 四畳半程度の狭い部屋で、扇風機やファンヒーター、足の折れた机といった大小様々な物品が積まれた、埃っぽい部屋だった。
 ――確かに、それほど広い小屋ではないが、最低限生活できるだけの設備は整っている。
 あの北第一校舎を見た後だとどうしても見劣りしてしまうが、陽日輝が以前から目的地に挙げていたのも分かるくらいには充実していた。
 しかし――ここまで案内してもらって、分かったことがある。
それは、この小屋には、千紗以外の生徒は誰一人としていない、ということだ。
「あの――相川さん。不躾な質問ですが――この小屋にいるのは、相川さん一人なんですか?」
 凜々花のその問いかけに。
 千紗は、困ったように微笑んだ。
「やっぱりそれ聞かれちゃうわよね……暁から私たちのグループのこと聞いてたのなら、そりゃね。――あ、凜々花が想像したようなことはないわよ。例えば私がアイツらを殺したりとか、私が来たときにはアイツらは死んでて、小屋の裏にでも埋めてあるとか」
「……その言い方ですと、『他には誰も来なかった』というわけではなさそうですね」
「――そうね。あまり私にとって気分のいい話じゃないんだけど――凜々花に信用してもらうためにも、話してあげるわ」
 千紗は、何かを懐かしむような、しかし辛そうな表情を浮かべた。
 ……もしここで荒事があったなら、その痕跡がなさすぎる。
 だから、千紗の言うように、ここで殺し合いがあったわけではなさそうだ。
 しかし――少なくともこの小屋には、ずっと千紗一人だったわけではない。
 そのことは、ほぼ確信できた。
「すいません――お願いします。代わりといっては何ですが、私もここに来るまでのことを詳しくお話します」
「情報交換ってわけね。そう考えると話しやすいかも。――分かったわ。でも、それもやっぱり後にしましょう」
「えっ――?」
「凜々花は雨でびしょ濡れだし、私も袖が濡れちゃったし。暁が来る前に、シャワーを浴びましょう」
 千紗は、先ほどまでの沈痛な面持ちから一転して、あるいはそれを振り払うように無理にか――いたずらっぽく笑ってみせた。
「もちろん、二人一緒に仲良くね」
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