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第七十二話 開戦

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【9日目:夕方 屋外中央ブロック 講堂屋上】

 生徒葬会からの生還条件は、全員に配られている手帳の表紙を百枚集めて講堂に足を踏み入れることであり、所持している表紙の枚数が百枚に満たない状態では、講堂にはいかなる手段を用いても入ることができない。
 『議長』からそのような説明があったし、実際に試してみて、それが事実であることを確認した生徒も、自分含め少なくないだろう。
 しかし、講堂の屋上になら、壁際に取り付けられた金属製の非常階段を用いることで、簡単に辿り着くことができる。
 鎖羽香音は、そこから下界を見下ろしていた。
 首に付けたチョーカーの位置を、指で調整しながら、恩田綜の『暴火垂葬(バーニングレイン)』によってあちこちが焼かれた痕跡のある講堂前の光景を眺める。
 その隣には、焼け野原を作り上げた張本人である恩田綜その人もいた。
「ハガネちゃんよぉ――なぁに黄昏ちゃってんの? 戦場に変わった学校を見てセンチメンタルな気分になってたりする?」
 馴れ馴れしく右肩に置かれた手を振り払い、羽香音は「うん、まあそうかもね」と軽くあしらった。
「つれねーなぁ。俺は『楽園』の中でオマエが一番好きなんだぜ? 時田の奴はいけ好かねえし木附の野郎はただの根暗だし、八井田はガキだしよぉ」
「私は好きも嫌いもないかな。興味があるのは私がどこまで通用するか。自分の力の限界はどこか。そういう意味では、『楽園』に宣戦布告したおばかさんたちのことは好きかもね」
 滝藤唯人は『楽園』のことを知らず、偶然この場所を通りかかったときに『楽園』のメンバーを殺しただけのようだったが、あの放送の主は違う。
 『楽園』について場所を含め把握していたばかりか、その暗部――『奉仕者』のさらに下に落とされた人間の扱いについても知っていた。
 そんな人間は、霞ヶ丘天と時田時雨、そして自分たち『四天王』くらいだ。
 しかしそのいずれの声とも違う――外部の誰かに内通しているという線はあるが、可能性としては低いと羽香音は踏んでいた。
 何かしらの『能力』によって、『楽園』の光景、あるいは音声を傍受することができる何者か――が、あの放送の主ないしその仲間にいるというのが有力だろう。
『楽園』のメンバーたち――何も知らない子羊連中は、あからさまに動揺している。
 もしこれから始まる戦いにおいて、『楽園』が敗れるまでいかなくとも、一定以上の打撃を受けるようなことがあれば、この滑稽ながらも盤石だった体制も瓦解するだろう。
 所詮は恐怖と絶望から逃げてきただけの愚者の寄り合いだ、無理もない。
 それならそれで羽香音は、また一人で生徒葬会の攻略にあたるだけなので、別に痛くはないのだが――『楽園』の崩壊はつまり、自分の失敗を意味する。
 ゲーム部部長として、自分の知恵と技術と機転によって目標を達成することを、生徒葬会以前からライフワークとしていた羽香音にとって、『楽園』の幹部として外敵から『楽園』を守るというミッションの失敗は、自身のゲームプレイヤーとしての敗北を意味するという認識だった。
 だから、まあ――本当にどうしようもない状況になるまでは、『楽園』のために最善を尽くして戦おう。
「ハガネちゃんのその余裕ぶった顔が引きつるところも見てみてぇなぁ。ま、それは後々の楽しみってことで、今は時田の奴の顔を立ててやるか」
 綜は両の掌を広げ、空高く掲げる。
 ――この男の『能力』は強力だ。
 少なくとも制圧力、殲滅力という観点においては、霞ヶ丘天をも凌駕する。
 ただ――降り注ぐ火の玉を掻い潜り、『楽園』の入り口がある倉庫に駆け込むことに成功する生徒も出てくるだろう。
 そこまで見越して――羽香音はすでに手を打っている。
 この『楽園』防衛戦の指揮官こそ時雨だが、前線における指揮は自分に委ねられていた。
 この暴力性の塊のような危なっかしい男も、使い方次第だ。
「――柔剣道場の裏に三人。中央やや右の桜の木の裏に一人。本校舎の一階の廊下からこちらを窺っているのが二人。――あと、この講堂の真後ろのほうにも一人近付いてきてるかな。もっと集まるのを待ちたいところだけど――もうやりたくてたまらないってとこでしょ、恩田」
「そりゃあなぁ、あのバカげた放送に乗せられてノコノコ集まってきた連中に現実を思い知らせることができるんだからよ。手は打ってるんだろ? じゃあもうやらせてくれよ、ハガネちゃん」
「――ま、いいよ。恩田がそう言ってくることも織り込み済みで作戦は立ててあるからね。私の『千理眼(ウィッチウォッチ)』に感謝してよ」
「ああ感謝してるぜ――透視なんてくだらねー能力だけど、そのおかげで効率的に火達磨作れるんだから――よ!」
 綜がかざしていた手を振り下ろし、程なくして薄暗がりの空が赤く染まる。
 『暴火垂葬』によって空に作り上げた十数個の火の玉が、地面に引き寄せられるように落下してくることによるものだ。
「うわああああ!?」
「ぎゃああああああ!!」
 火の玉は、二段構えで降らされていた。
 一発目で潜伏している生徒を狙い、二発目で彼らが逃げようとするであろう方向に落とすというものだ。
 もちろん、それでも掻い潜る生徒は出てくるが、上がった悲鳴の数からして二人は火の玉の餌食となったことが確実だろう。
 見かけによらず頭を使っているな、と、羽香音はそう思った。
 自分の『千理眼』――視界に入る範囲ならあらゆるものを透視できるという能力によるアシストがあるにしても、強力な能力におんぶにだっこというわけではなさそうだ。
 さすがはあの東城要のグループのナンバー2というところだろうか。
「桜の木から十メートル奥に逃げたよ。多分そのまま左方向に逃げる。後ろから来てたのはまだ生きてるけど足を焼かれてるね。動けないしそのうち死ぬんじゃないかな」
「いいぜその調子でサポートよろしくな――この分だと、誰も倉庫に近付けないんじゃね? ハガネちゃんの打ってた手も使わずじまいかもなぁ」
「それならそれでいいけど、それだと面白くないかな。あんなぶっ飛んだ放送をするような人たちなんだから、少しは驚かせてくれないと困る――と。……あは、どうやら杞憂だったみたい」
 羽香音は、『千理眼』によって捉えたその光景に、ニヤリと笑みを浮かべた。
 ――火の玉の直撃を受け、燃え上がっていた女子生徒のすぐ近くに、いつの間にかもう一人、別の女子生徒がいたのだ――いや、厳密には別ではない。
 焼き焦がされたはずの女子生徒と、まったく同じ顔、同じ体格、そして同じバッグを身に付けた――茶色がかった黒髪をポニーテールにしたその少女を、羽香音はよく知っている。
「凜々花ちゃん――私はあなたを買ってたよ。恵弥君よりよっぽど高くね」
「あ? ハガネちゃん、何をブツブツ言って――、!?」
 綜も、その異変に気付いたらしい。
 ということは、ちゃんと火の玉をぶつけた相手の顔は覚えていたようだ。
 殺戮する対象のことなんて等しくムシケラにしか思ってなさそうで、実際そうなんだろうが、それでも意外と観察眼はあるらしい。
 どうやらこの恩田綜という男に対する評価も改める必要がありそうだ。
 綜のことだから雑な仕事をして何人も倉庫への侵入を許すだろうと思っていたが――この分だと本当に、倉庫のほうに仕掛けた布石は使わずに終わるかもしれない。
 しかし――それも、綜が凜々花に倒されなければ、だ。
「あぶねっ!」
 凜々花が投げたカードのようなものは、女子の腕力とは思えないほどの速度で綜めがけて飛来したが、綜はそれを首を横に傾けてかわしていた。
 さすがに反射神経は良い。
 とはいえ、右の頬を掠めたらしく、そこから一筋の血が滴っていた。
「やってくれるじゃねえか……! おいハガネちゃん、アイツがその『凜々花ちゃん』か?」
「……なんだ話聞いてたんだ。そうだよ、ゲーム部一年の安藤凜々花ちゃん。期待のホープだったんだけど、どうやら敵になったみたい」
「殺していいんだな? いやダメだと言っても殺すけどよ」
「いいよ、あの子に防衛ラインを突破されると厄介そうだし。――身代わりを作る能力と、投擲を強化する能力と、二つ持ってるのかな、凜々花ちゃんは。ま――凜々花ちゃん以外の連中にはとりあえず牽制程度に火の玉降らせとけばいいよ。最優先で凜々花ちゃんをこんがり焼いちゃおう」
「そうこなくっちゃなぁ! 人様の顔にキズ付けてくれやがった怒りと、手応えのありそうな奴が出てきたって悦びとで脳みそ湧きそうだぜ……!」
 綜が腕を振り下ろすと、またも火の玉が空を赤く染めながら降下してくる。
 凜々花は二発目の投擲をしようとし――それを中断して駆け出していた。
 賢明な判断だ――最初は高い位置にあるから余裕があるように見えて、火の玉の落下速度は思いのほか速い。それに、ゆらめきながら落ちてくることもあって距離感も測りにくい。
 とはいえ――さっきの投擲で仕留められなかったのは、凜々花にとって痛手だ。
 そういう能力があると分かった以上、綜も凜々花の挙動には警戒する。
 そうなると、もはや肌を掠めることさえ容易にはできない――
 羽香音が見下ろしているその中で、凜々花めがけて火の玉が降り注ぐ。
 凜々花を円で囲むような形で、合計四つの火の玉が。
「分身を作れたとしてもまとめて焼いてしまえばいい――か。考えるね、恩田」
「俺を馬鹿にしすぎだぜハガネちゃん――俺は自分の能力でやれることやれないことはハッキリわかってる。後は相手の能力のできることできないことさえ分かれば負ける道理がねぇ」
「理論的にはそうだね。だけど――凜々花ちゃんのできることできないことを判断するには、さすがに情報が足りないんじゃないかな」
 羽香音の見ている目の前で、凜々花はパチッ、と指を鳴らすような仕草をした。
 その直後、凜々花から少し離れた場所に分身が出現する――しかしそこは火の玉の直撃圏内。
 が――凜々花が再び指を鳴らすと、さらに外側に分身が出現した。
 ほどなくして、火の玉が最初の凜々花と二人目の凜々花に直撃する。
 しかし最後に出現した凜々花は、火の玉の射程範囲外だった。
「分身を何人出せるか、そもそも分身は出すだけなのか――見たところ、分身と入れ替わることもできるみたいだね。そういうところもよーく見てから判断すべきだったんじゃないかな、恩田」
「……ゴチャゴチャうるせぇよハガネちゃん。俺が負けたか? 今、劣勢か? そうなってから言え」
「……そうだね、ごめんよ。ま――がんばれ」
 羽香音は、綜に対する評価を再度修正した。
 思いのほか有能な人間だと思ったが、まあそこまでではなかった。
 それでも、当初思っていたよりは上だが。
 そしてだからといって、凜々花が有利かというとそういうわけでもない。
 『暴火垂葬』はそれだけ脅威だ――ゲーム風に言うと「雑に強い」。
 特にこうして地の利を得ている状態だと、ただ火の玉を降らせ続けているだけで、やがては疲労困憊した相手に火の玉が直撃するのだから。
 ――さて、お手並み拝見だ。
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