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第七十三話 狙撃

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【9日目:夕方 屋外中央ブロック】

 恩田綜の『暴火垂葬(バーニングレイン)』により、講堂周辺に降り注ぐ火の玉は、燃えにくいコンクリートの地面に落下したときでさえ、しばらくそのまま燃え続けているほどの激しい炎を纏っている。
 学校創立時から植えられているような桜や松の木も、火の玉の衝突により枝が折れ、幹が焼け、そのまま木の形をした炭へと変えられていく。
 当然、不運にも火の玉の直撃を受けてしまった人間は、文字通りの火達磨となってコンクリートの上を転げ回ったかと思うと、そのまま鼻がもげそうなほどの悪臭を漂わせながら焼け焦がされていた。
 安藤凜々花は、『複製置換(コピーアンドペースト)』を駆使することでそれを回避していたが、自分と同じ姿かたちをした分身はすでに何体も焼け焦がされてる。
 意思も感情もないただの人形のようなものと分かっていても、自分とまったく同じ見た目をしたモノが焼かれていくのを間近に見るのは気分が良いものではない。
 しかしそれ以上に、『暴火垂葬』による攻撃を回避することが精一杯で、まともに反撃できないことのほうが問題だった。
 なんとか隙を見つけてカードを投げてはいるが、これまでの生徒葬会でも散々思い知らされてきたように、『一枚入魂(オーバードライブスロー)』の弱点は、軌道が真っ直ぐすぎて対策されやすいというところだ。
 事実、最初こそ恩田綜の頬を掠めることに成功したものの、その後はこちらが投げたカードはことごとくかわされてしまっている。
 分身を何体も出せるというタネも早々に明かさざるを得なかったし、複数の分身による物量攻撃を警戒してか、これまであちこちに降らせていた火の玉をこちらに集中させてきているのも厄介だ。
 運動と火の玉の熱とで、秋の夕暮れ時とは思えないほどの汗をかきながら、凜々花はそれでも、内心笑みを浮かべていた。
 ――作戦通りだ。
 『暴火垂葬』を持つ恩田綜相手に最も安全に時間稼ぎができるのは、六人の中では自分であり、だからこそ先陣を切ることになった。
 分身を惜しげもなく使い捨て、こちらに火の玉を集中させることで――他のみんなが、動きやすいように。
『安藤さん、体力と集中力はまだ切れてないかい? 私たちの『準備』はあと三分ほどかかりそうだからねぇ。くれぐれも無理はしないでおくれよ』
 ――凜々花が左耳にのみ付けているワイヤレスイヤホンから、嶋田来海の声が微かなノイズと共に入って来る。
「はい……大丈夫です。私に攻撃してきそうな生徒は近くにいますか?」
『恩田がバカスカ落としてる火の玉のおかげで大抵は死んだか逃げたからねぇ、今のところいないようだよ。まだ何人か機会を窺ってはいそうだけど、それも恩田をどうにかするまでは動かないだろうねぇ』
「それを聞いて安心しました――私は大丈夫です」
『幸運を祈るよ』
 講堂の屋上にいる恩田綜と、その隣にいる鎖羽香音からは距離が遠くて見えづらいだろうが、それでも極力口を動かさないように、最低限の発声で凜々花は来海と交信した。
 ちゃんと会話ができているあたり、ブレザーの襟の内側に付けたマイクは、どうにか音を拾っているらしい。放送室から調達しただけあって、なかなかに高性能だ。
 ――凜々花は、『偏執鏡(ストーキングミラ―)』を使ってこの周辺にいる生徒の動向を観察している来海から、こうして密かに情報を得ながら戦っていた。
 そうして確実に時間を稼いでいる間に、別動隊が恩田綜を叩く――そういった手筈だ。
 ここで気になるのは、恩田綜の隣にいる羽香音――ゲーム部部長の動向だ。
 凜々花にとっては知らない相手ではない――むしろゲーム部の部長と部員として、それなりに親交があった相手である。
 しかし今は敵同士だし、羽香音がこの状況を楽しめるタイプであることは薄々分かっていたことだ――こちらを微笑みを浮かべて見下ろしている彼女の顔を見るに、もはや確信さえ持っている。
 ゲーム、言い換えれば勝負。
 それがどんなものであれ、彼女はその過程を、そして勝利を楽しむ。
 ゲーム部自体、歴史のあるクラブではなく、羽香音が一年の頃に部員を集めて顧問を探して、学校側と交渉して創設したというのだから筋金入りだ。
 この生徒葬会という、命すらかかった『ゲーム』は、羽香音にとってさぞややりごたえのあるものなのだろう。
「部長――私は、あなたや白木先輩みたいにこの状況をゲームとして楽しむことはできません。ですが――負けられないという気持ちは、負けていないはずです」
 親友の仇を討つこと。
 愛する人と共に生きてここを出ること。
 その二つの精神的支柱が、凜々花に力を与えている。
 分身による身代わりが間に合わなければ即焼死のこの状況に対する恐怖をも乗り越えられる力を。
『よく頑張ったね安藤さん――準備ができた。――相川さん、タイミングは任せるよ』
 どれだけ火の玉をかわし続けたのかも分からない――しかし、来海から入ったその連絡は、凜々花が待ちに待っていたものだ。
 改造エアガンを所持している相川千紗が、講堂の屋上を狙い撃てる場所――本校舎の渡り廊下で、狙撃の準備を完了したという報せは。
 ――だが。
「――恩田、しゃがんで!」
 羽香音が叫び、綜がそれに戸惑うこともなく機敏に伏せた直後、彼の頭があった位置を、高速で何かが通り過ぎていくのが見えた――改造エアガンから放たれた、貝殻で作られているという弾だろう。
 しかしそれは――かわされてしまった。
「凜々花ちゃん、さっきから何度も目が合ってるのに話すのはこれが最初だね。久しぶり、元気してた?」
「……ええ、元気に走り回っていましたよ――部長」
 凜々花は、火の玉が一時的に止んだこの隙に、立ち止まって息を整える。
 もともと日頃の運動不足のせいで体力には自信が無いのだ。それでもこれだけ動き回ることができた自分を褒めたいくらいだった。
 もっとも――そんな余裕はなさそうだったが。
「それはなにより。――どうして私が攻撃を読めたのか、恩田も私の指示にノータイムで従えたのか、知りたい?」
「……部長が、攻撃を事前に察知できるような――索敵系の『能力』を持っているという線が濃厚だと思っていますが、違いますか?」
「索敵ってほど便利じゃないけど、ま、正解かな」
 羽香音が大仰に首を傾け、ニヤリと笑うのが見える。
 ――千紗が『暗中模索(サーチライト)』、来海が『偏執鏡』というその手の能力を持っていたことで、そういう能力もあるという前知識があったので、容易に想像が付いたことだ。
 恩田綜が戸惑うことなく羽香音の指示通り動いたのも、事前に羽香音の『能力』を聞かされていれば、むしろ当たり前の動きだ。
「どういう『能力』かまで喋ってあげるほど、私は優しい先輩じゃないからそこはまあ想像してね――とにかく、凜々花ちゃんたちのアテが外れたのは間違いないかな」
「……いいえ、外れてませんよ。アテも――弾も」
 ――凜々花は。
 夕陽に照らされて、一瞬キラリと光った『それ』を見据え、呟いた。
『そうだね安藤さん――相川さんの狙撃は、成功だ』
 来海もまた、イヤホン越しにほくそ笑んでいるのが分かる。
 ――どうして、本校舎から狙撃するだけのことにこれだけ時間を要したのか。
 元々自分たちは本校舎にいたのだから、狙撃するだけならもっと早くできた。
にも関わらず、凜々花が矢面に立って時間稼ぎをしたのは、こちらに注意を引き付けるためだけではない。
千紗のエアガンとその弾に、ある『仕込み』をするためだ。
「――っ! 恩田、お前に巻き付いてるそれを――その『糸』を、ほどけ!」
「あ? 『糸』だァ? ――ぐぅっ!?」
 立ち上がりかけた恩田綜が、苦悶の表情を浮かべてその場で制止する。
 無理もない――今、彼の全身には、千紗が撃った弾と共に飛んできた、無数の細かな糸が巻き付いているのだから。
『吐和子の『糸々累々(ワンダーネット)』は一本一本は弱くても、重なれば容易には解けないからねぇ。そして弾に巻き付けた糸のもう片側は――エアガンに巻き付けてある。それはつまりどういうことかというと――操り人形(マリオネット)の完成さ』
 来海が勝ち誇ったのとほぼ同時に、恩田綜の顔や服に、何かがめり込んだような凹みができる――糸が不規則に食い込んでいるのだ。
「ぐ、くぅぅぅぅぅぅぅぅ……! 糸がなんだ、火の玉で焼けば終わりだろうがァァ!」
 恩田綜が火の玉を自身の周囲に降らせ、糸を焼き切ろうとする。
 それは想定内であり、実際、その方法で拘束から逃れることは容易い。
 エアガンの弾に括りつけて飛ばすというような方法で放った糸では、恩田綜を絞め殺すには至らず、彼を引っ張って屋上から落とすのもそう早速にはできない。
 しかし――千紗の弾と吐和子の糸は、彼を殺すために放たれたものではない。
 彼の動きを止めるために、放たれたものだ。
「馬鹿! 恩田、それは後回しにして凜々花ちゃんに火の玉を落とせ! 攻撃の隙を与えるなッ!」
「遅いですよ、部長!」
 凜々花は、立て続けに指を鳴らし、最大人数――八体の分身を作り出した。
 火の玉が飛んでこないのなら、分身を離れた場所に出す必要はない。
 身動きの取れない相手に向かって投げるのだ、むしろこちらも固まっていたほうがいい。
 凜々花は、ポケットから抜いた百人一首の読み札を、恩田綜めがけて投げていた。
 八体の分身も同じように、百人一首の読み札を投げる。
 合計九枚の読み札が、講堂の屋上で身動きが取れなくなっている恩田綜を切り刻む――はず、だった。
 しかし、恩田に当たるはずだった読み札は、そのすべてが直前になって失速し、落下する。
 ――その光景を、凜々花は前にも見たことがある。
 そしてそのような現象を引き起こせるのは――『アイツ』だけだ。
「……はあ。何やってるんすか先輩方。これ、貸しっすよ? 俺いないと死んでたでしょ二人とも」
「あぁん!? ここはテメエの持ち場じゃねぇだろーが、木附!」
「!」
 凜々花は。
 目を見開き、数瞬、我を忘れていた。
 攻撃が止められたこと――それもある。
 しかしそれ以上の衝撃は――屋上に姿を現した、三人目の生徒。
 親友・天代怜子の仇――木附祥人だった。
「ぐるぐる巻きにされながら凄まれても怖くねぇっすから、さっさと火の玉でそれ焼いちゃってくださいよ」
「~~! ナメた口利きやがって、後で覚えてろよ」
「恩田先輩こそ覚えててくださいよ、俺が助けたこと」
「二人とも喧嘩はいいから――でも、こうなった以上、もう出し惜しみはできないね。思ってたより手強いや。プランBに変更しようか」
 一触即発の恩田と木附を制止してから、羽香音が肩をすくめる。
 凜々花は、沸騰しそうな感情の波を押し殺しながら、三人を――より正確には、木附を睨み上げていた。
 ――そんなとき、来海からの通信が飛び込んでくる。
『――安藤さん。親友の仇を前に、落ち着けなんて私には言えない――私も吐和子やミリルが強姦されて殺されるなんてことがあればそいつを許せないからね――ただ。暁君も言っていた通り、君が本当に仇を討ちたいのなら――とりあえず、深呼吸だ』
「っ……。そう――ですね。そう――でした」
 凜々花は、容易く激情に呑まれかけていたことを内省する。
 来海に言われた通り、大きく息を吸って、そして吐いてみた。
 肺の中の空気と一緒に、気持ちの入れ替えもできたように感じる。
 もちろん、木附への怒りや憎しみが薄れることなどない。
 ただ――視界はクリアになった。
「――あれ、いい目になったね凜々花ちゃん。さっきまでよりもっとずっと。やっぱりプランBしかないね、これは。――私もさっきは取り乱しちゃった、部長として恥ずかしいところを見せちゃったなぁ……ここからは、凜々花ちゃんを僅かにでも可愛い後輩とは思わない。私が本気で攻略しなきゃいけない敵として、私に委ねられた『楽園』の戦力のすべてを使うよ」
 羽香音は。
 そう言ってから、ポケットからトランシーバーを取り出し、言った。
「作戦変更プランB。待機中の楽園守備隊は、直ちに行動を開始せよ」
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