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第八十五話 模倣

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【9日目:夕方 屋外中央ブロック】

 安藤凜々花は、背中に下敷きが突き刺さって倒れ伏している相川千紗を庇うように前に進み出て、八井田寧々と対峙していた。
 寧々の能力は『泥棒猫(コピーキャット)』、どういう条件かは定かでないが、他の生徒に与えられた『能力』をコピーして使うことができるという能力だ。
 実際、千紗の背中に下敷きを突き刺したのは、凜々花の『一枚入魂(オーバードライブスロー)』でもなけれが説明が付かないし、それに。
 今、寧々の周囲を取り巻いている、この風は……!
「『制空権(ピースメイク)』……!」
「ピンポーン、安藤さんそれ正解! やっぱり私みたいな不真面目ちゃんと違って、優等生は頭の出来が違うねー。でもでも、私の『泥棒猫』には無意味も無意味! なんといっても、攻略されたらまた別の『能力』使えばいいだけだからぁ!」
 寧々がケラケラと笑うのと反対に、凜々花は思わず歯噛みした。
 寧々の言う通り、『泥棒猫』は底が知れない能力だ。
 彼女が一体何種類の『能力』をコピーしているのか、それは自分には知る由も無い。そして、コピーされた『能力』の内容も同様だ。
 これまで見てきた生徒の能力は一種類、多くても二種類。
 なので対策の立てようもあったが、寧々に対してはそうもいかない。
 実際、千紗が倒れてすぐに投げたカードは、こうして展開された『制空権』によって防がれてしまった。
 木附祥人との戦いで用いた攻略法を試みるにしても、千紗によるアシストが無い上に、寧々には恐らくあの戦いを見られてしまっている。
 なので、高い確率で返り討ちにされてしまうだろう。
 だとしたら、違う方法を考えなければならないが、あまりのんびりもしていられない。
 千紗の背中の傷からは、少しずつとはいえ未だに血が流れ出ていて、一刻も早く手当が必要な状況だ。
 悠長に寧々の隙を窺っていられるような、恵まれた状況ではない。
 ならば――こういう方法は、どうだろうか。
 凜々花は、思い付いたその方法を脳内で迅速に吟味し、そして実行を決断した。
 少なくとも、木附戦の焼き直しを試みるよりは見込みがありそうだし、やってみる価値はある。
 凜々花は、連続で指パッチンを行い、分身を出現させていく。
 ただし、それらは寧々とその周辺の真上――空中に対してだ。
「それ木附先輩にやった奴でしょ? 二番煎じはつまらな――」
「決め付けるのは早計に過ぎますよ、八井田さん!」
 凜々花は、指と指の間に百人一首の読み札を挟み――それらを投げた。
 ――落下中の分身めがけて。
「えぇっ!?」
 てっきり自分を狙われると思っていたであろう寧々が素っ頓狂な声を上げる。
 凜々花が投げたカードは、分身たちの顔を、手を、腹を、足を、次々に切り裂いていく。
 そして噴き出した鮮血が、雨のように寧々めがけて降り注いだ。
「うわぁっ!?」
 『制空権』の風力をもってしても、大量に降り注ぐ血は防げない。
 そして水と違い、血には色が付いている――寧々は思わず目を閉じ、瞼を手の甲でガシガシと拭った。
「うっ……見えな……!」
「相川さん、大丈夫ですか!?」
 凜々花は、その隙に振り返り、倒れている千紗に呼びかけた。
 千紗は、脂汗の滲んだ顔を上げ、微かに微笑んだ。
 しかし、痛みのためかその笑みはぎこちなく、弱々しい。
「大丈夫……よ」
「すぐに手当します――ですから、もう少しだけ待っていてください!」
 凜々花は、そう叫んで寧々のほうに向き直り――思わず目を見開いた。
 鮮血の雨を浴びたはずの寧々が、まったく赤に染まっていない綺麗な状態で立っていたからだ。
「なっ……!?」
「ちょっと焦ったけどもう大丈夫! これは楽園のメンバーが持ってる『瞬間清掃(クリーンクリーン)』って能力で、自分の体や服に付いた汚れを一瞬で消せるってやつだよ。女の子的には嬉しい能力だよねー、まさかこんな形で役に立つとは思わなかったけどぉ!」
「……そうですね、私も欲しいですよ、その能力……!」
 北第一校舎に山小屋と、昨日から体を洗える場所を拠点にしていたものの、この『楽園』での長時間に渡る戦闘でだいぶ汗だくになってしまった。
 なので『瞬間清掃』が羨ましいと感じたのは事実だ。
 もちろん、口ではそう軽口のように返しながらも、凜々花はすでに次の手を打っている。
 ――凜々花は見逃さなかった。
 寧々を取り巻く風が、今はもう止んでいるということに。
 凜々花が投げたカードは、寧々の首めがけて飛んでいく。
 しかし寧々は、いたずらっぽく笑って「残念でした!」と舌を出し。
 クルリとその場で360度回転していた。
 それは一見すると、ただの無駄な動き。
 しかしその瞬間、彼女を取り巻く形でつむじ風が発生したのを凜々花は見えた。
 石粒や砂埃が巻き上げられ、その中に自分が投げたカードも混ざる。
 そのつむじ風は瞬間的なものだったが、その代わりに風力自体は『制空権』のそれよりも強かった。
 そしてその能力を、凜々花は知っている。
 いや、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだが、その能力とおぼしき説明文を、凜々花は以前に読んでいる……!
「『大旋風(トルネーダー)』……!」
「あれれ、知ってるんだ。もしかして、あの人の死体から手帳取っていったの安藤さん? 私が仕留めた獲物なんだけどなー」
「……そういうことでしたか」
 生徒葬会の途中、自分が暁陽日輝と合流するよりも前に、屋上のフェンスを突き破って転落死した崎下士郎という生徒がいた。『大旋風(トルネーダー)』は彼の能力だ。
 あのとき彼と戦っていたのは、寧々だったのか。
「私も『楽園』に入る前は一人で生き抜くために頑張ってたからねー、経験はそれなりに積んでるつもりだよ? あは、なんかエッチな響きー」
「……そうですか。しかし、私もあなたの能力について分かりかけてきましたよ」
「ふうん……? ていうか安藤さん、タメなんだから敬語やめない? そういうのタニンギョウギっていうんだよね?」
 寧々はそう言いながら右手を上げた――その右手がホースのようにぐにゃぐにゃになったかと思うと、袖がはち切れ、深緑色の大蛇に変わった。
「……そんな能力もあるんですか」
「面白いでしょ? ――で、私の能力の何が分かったのかな?」
「あなたの『泥棒猫』は、能力をコピーできる条件は恐らく緩い――私が『一枚入魂』を使っているところをあなたはそんなに見ていないはずなのに、コピーできていたことからもそれは分かります。ですが――一度使った能力は、もう一度見るまで使えないんじゃないですか?」
 ここまでの戦いで、寧々は同じ能力を二度以上使っていない。
 『制空権』なんて常時使用していてもいいくらいなのに、それをしていないのだ。
「あちゃー、やっぱりバレちゃうか。そうだよ、私の『泥棒猫』は使い切り。だけど、それで十分だよ。だって――安藤さん殺し切るのには、別に支障無いもの」
 寧々が無邪気に笑う――そう、表情自体は邪気の無い笑みだ。
 それがかえって恐ろしい――寧々もまた、殺しをどうとも思っていない人種。
「この蛇に気を取られてたでしょ――『本命』は、そっちなんだよね」
「!」
 寧々の視線が自分の足元に向けられているのに気付いたときには、遅かった。
 アスファルトの地面を突き破って伸びてきた二本の手首が、自分の両足首をがっちりと掴んで離さない。
 土に汚れた色褪せた手は、骨に皮を貼り付けたように見える。
 ――ゾンビ。
 そんな単語が、脳裏をよぎる。
「くっ……!」
 凜々花は、すかさずカードを真下に落とすように放った。
 ゾンビの指が三本、脆く千切れたが、なんと千切れたそばからグチュグチュと音を立てながら再生してしまう。
「恩田先輩は、相手の動きを完全に止められる『停止命令(ストップオーダ―)』とかって能力を手に入れてたけど、こっちはこっちであっちより便利なところがあるんだよね。だって、『停止命令』と違って、こっちは射程圏内なら複数の相手に使えるもの」
「ッ! ――相川さん!」
 凜々花が振り返ると、地面に倒れている千紗の首を、ゾンビの腕が締め上げていた。
 千紗がゾンビの手を両手で掴んで抵抗しているが、傷を負っているせいかその力は弱々しく、見るからに苦しそうだ。
 凜々花はカードを構えたが、先ほど切断した指が瞬時に再生したことを思い出し、その手が止まる。
「あはは、だよね! 無駄だもんね!」
 寧々がケタケタと笑う。
 凜々花は、指パッチンで分身を作り出すとともに分身と入れ替わったものの、そのときにはすでに分身も足を掴まれていた。
 ならばと、さらに指を鳴らして今度は空中に分身を作り出し、その分身と入れ替わると共にカードを投げたが、寧々の右腕の大蛇が俊敏な動きでそのカードを呑み込んでしまった。
「くっ……!」
「ほらほら、急がないとその人死んじゃうよ? もっと工夫してよ、優等生さんっ!」
 寧々が嬉しそうにそう囃し立てる。
 凜々花は着地し、そのときにはまたゾンビの手が足首を掴んだ。
 ――あの大蛇の動きは想像以上に速い。
 投げれる限りのカードを投げても、ことごとく防がれてしまうかもしれない。
 いや、恐らく防がれてしまうだろう――だからこその、寧々のあの余裕だ。
 しかし、このままでは千紗がもたない。
「ま、あまり遊んでても先輩たちに怒られちゃうし、駄目押しやっちゃおうかな――てわけで、『暴火垂葬(バーニングレイン)』!」
「……!」
 寧々が左手を掲げ、振り下ろすと共に、空を赤く染めて火の玉が降って来る。
 ――『泥棒猫』、確かに恐ろしい能力だ。
 しかし――この絶体絶命の状況で、凜々花は活路を見出していた。
 ポケットから取り出したカードを、素早く投げる。
 寧々の右腕の大蛇は、再びそれを呑み込み――しかし、その直後。
 寧々の表情が、一瞬にして強張った。
「あ――」
 大蛇が、微かに震えている――かと思うと、寧々の体を引っ張りそうなくらいに暴れ回り始めた。
「――熱っっっつぅぅぅぅ!?」
 ……凜々花は、後ろ手に回したカードにマッチで火を点け、投げただけだ。
 どんな生き物でも、体の内側は脆いもの。
 腹の中を直に焼かれては、ひとたまりもない。
「よくも……!」
 寧々が能力を解除したことで、大蛇は消え、寧々の細い腕が露わになる。
 そこから煙が上がっているあたり、やはり寧々本体へのダメージのフィードバックはあるようだ。
 しかし、これで終わりではない。
 ゾンビの手がある限り、火の玉を避け切ることはできない。
 分身を最大数召喚して盾にすれば、自分か千紗のどちらかだけは助かるかもしれないが、それにしてもその場凌ぎだ。
 火の玉が落下してくるあと数秒の間に――寧々を、仕留める!
 凜々花は指パッチンを連続して行い、出現させた分身たちと共にカードを投擲した。
 数十枚のカードが寧々めがけて飛んでいく。
 ――寧々が、さらに別の能力でカードを防いだなら自分の負けだ。
 凜々花は、祈るような思いで寧々を見据え――そして。
 凜々花が投げたカードは防がれることなく、寧々の全身を切り裂いた。
「いや……だ……死に……たく……」
 寧々は、よろよろと後ろ向きに数歩、後ずさったあと――そのまま、崩れ落ちた。
 その瞬間、足首を掴んでいた感覚が消える――今だ!
 凜々花はすぐさま駆け出し、千紗を抱え起こして半ば引き摺るように移動した。
 数瞬遅れて、先ほどまで自分たちがいた場所に火の玉が着弾する。
 肌に熱風を感じながら、凜々花は崩れ落ちている寧々を見つめた。
「……私たちは、生きて帰りたいんです」
 自分の手もまた、血で汚れている。
 寧々のことをとやかく言えるような立場ではないことは確かだ。
 それでも――生きて帰るために、戦い続けるしかない。
「相川さん、今、手当しますから……!」
「ありがとう、凜々花……」
 凜々花は千紗の背中に刺さっている下敷きを見て逡巡する――こういうとき、刺さっているものを抜いてしまうと一気に血が出てしまい危険だ。
 しかし、このままでは傷の手当のしようがないのも事実。
 医学の心得があるわけではない自分に出来ることは限られているが、それでも、何もしないわけにもいかない。
 凜々花は、とりあえず千紗をもっと安全な場所に移動させようとして――そのとき。
 薄暗くなりかけていた夕焼け空が、まるで真昼のような眩い明かりに照らされたのに気付いた。
「なっ……!?」
 想像を絶するその光景に、凜々花は思わず空を見上げたまま動けなくなる。
 ――場所としては、講堂の真上。
 そこを中心に、真っ白な光が放射されている。
 いや、正確には――そこに浮かんでいる、一人の女子生徒から、だ。
 その女子生徒の背中からは、まるで天使のような白い翼が拡がっている。
 神々しさすら感じるその光景に、凜々花はごくりと唾を呑み込んだ。
 ――彼女の姿は、嶋田来海の『偏執鏡(ストーキングミラ―)』によって見せてもらっている。
 『楽園』にいる生徒の一人。
 そして恐らく、その中心人物と目される生徒。
 霞ヶ丘天――その天使のような姿を目の当たりにし、凜々花は確信する。
『楽園』は、彼女が作り上げた、彼女のための世界なのだと。
 そして、その『世界』を守るため、彼女が動き出したということは。
 この『楽園』を巡る戦いも、いよいよ大詰めを迎えようとしているのだろう。
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