【9日目:夕方 屋外中央ブロック】
暁陽日輝は、安藤凜々花と相川千紗の元へと駆けるさなか、『それ』を見た。
日没が近付き、紫色を帯びる直前の、橙色に染まった空が、何の前触れもなく明るくなったのが、最初の異変。
思わず立ち止まり、空を見上げる――恐らく、このとき中央ブロックにいた生徒のほとんど全員が、同様の反応をしていたことだろう。
真昼のような――ですら、ない。
自然光ではありえないような真っ白な光によって、夕焼け空はある意味暴力的に塗り潰されている。
植木や建物から伸びる影は、その分くっきりと黒い。
光が強ければ強いほど、影もまたその濃さを増す。
そして、陽日輝は程なくしてその光がどこから出ているかに気付いていた。
――中央ブロックの講堂の屋上よりも、十メートルは高い位置。
そこに、まるで絵画で見る天使のような真っ白な翼を拡げた、一人の女子生徒が浮かんでいた。
斜め下から見上げている陽日輝には、彼女の翼が肩甲骨の下寄りから、制服を破って伸びているのが見えた――そして光は、彼女を中心に放射されている。
それが能力によるものだとしたら、彼女は二つの能力を持っているのだろうか。
天使のような翼を生やす能力と、光を放つ能力。
もしくは、二つの効果があるだけの一つの能力なのか。
分からないが――そこはさしたる問題ではない。
問題は――彼女こそが、この『楽園』の頂点に立つ生徒であるということだ。
嶋田来海の『偏執鏡(ストーキングミラ―)』によって見せてもらった『楽園』の様子を見るに、それは間違いないだろう。
霞ヶ丘天――彼女が直々に姿を現した。
それは、『楽園』が劣勢であることを証明している。
しかし同時に、これほどの勢力を持つ『楽園』を築き上げた生徒と戦わなければならないということも意味する。
だが――今は、凜々花たちのところに向かうのが先だ。
幸い、天はこちらを向いておらず、距離も離れている。
天により近い場所に複数の生徒がいる以上、ひとまずは安全圏だろう。
そう判断し、再び駆け出した陽日輝は、すぐに自分の見通しが甘かったことを思い知らされた。
「!?」
陽日輝は、天が翼をはためかせたのを目にした。
その直後だ――強風、いや、暴風が辺り一円に吹き抜けたのは。
「うお、あっ……!?」
駆け出そうとしたところだったこともあり、陽日輝は大きくバランスを崩してその場に倒れてしまう。
なんとか受け身を取ったものの、地面を数回転がる羽目になった。
起き上がろうとして、手近にあった細い電柱を掴む。
離れた場所から複数の悲鳴が聞こえる――その中に、凜々花や千紗のものとおぼしき悲鳴が無いことに若干安堵しつつ、陽日輝は立ち上がった。
北第一校舎で戦った伊東という生徒の『大波強波(ビッグウェーブ)』ほど身動きが取れないわけではないが、射程距離があまりにも広すぎる。
自分と天とは上下だと二十メートル、平面の距離だと百メートル近く離れているというのに、これだけの影響だ。
何より、相手が空中にいるというのが厄介すぎる。
ああして浮遊されている限り、自分は天には手も足も出ない。
天と戦うためにも、『一枚入魂(オーバードライブスロ―)』を持つ凜々花や、改造エアガンを持っている千紗と早く合流しなければ。
掌や制服に付いた土埃を払い、陽日輝は再び駆け出した。
□
「はあ……はあ……はあ……っ」
外の様子が騒がしい。
窓枠がガタガタと揺れている。
どうやら、強風が吹いているらしい。……恐らくは、誰かしらの『能力』による。
中央ブロックの一角にあるプレハブ小屋の中で、彼女――立花百花は、壁にもたれかかった状態で座り込んでいた。
ツインテールを作っていたヘアゴムをすべてほどき、傷口にハンカチを当て、右手と口を使ってなんとか左手首を縛り上げ、止血したものの、ここに来るまでにかなり失血している。
若駒ツボミの『斬次元(ディメンション・アムピュテイション)』によって左手首を切断された上、弟の死体を見せつけられて出来た隙に放たれた一撃は、百花の右脇腹にも傷を作っていた。
それだけで済んだのは、百花がギリギリのところでツボミへの無謀な特攻を止め、全身全霊で回避の一手を打ったからだ。
それは百花が思考の結果取った判断というよりは、本能的な動作。
そして、回避しながら繰り出した廻し蹴りを『絶対必中(クリティカル)』によって直撃させることで、どうにかツボミから逃げる隙を作ることができた。
とはいえ――まともな治療が期待できないこの状況では、多少の延命に過ぎないだろう。
実際、多くの血を失ったことで頭がクラクラとしているし、寒気も感じる。
大量出血によるショック症状が起きる手前なのかもしれない。
右脇腹の傷も、幸運にも内臓には達していないようだが、肉まで切られている。
もう少しこの傷を拡げてやれば、そこから腸が顔を出しそうですらあった。
「……ごめんね……繚……」
繚の仇を討つことだけが、自分が生に執着する最後の理由だった。
しかし、それすらも叶わなかった――地力では自分が勝っていたかもしれない。
だけど、繚の死体を目の当たりにして、平静でいられるはずもなかった。
この満身創痍の状態で、ツボミと再び相まみえたとして、勝つ見込みはゼロに等しい。
それでも百花は、どうにか再び動き出すべく準備を続けていた。
片手が使えない難儀さを感じながら、ブレザーとワイシャツを脱ぎ捨てて、上半身は千切れかけのブラジャーと肌着のみの状態になる。
そして、右脇腹の傷は、プレハブ小屋の棚に置かれていたガムテープを肌着の上からグルグル巻きにして、無理やり塞いだ。
……外では、今もなお激しい戦闘が続いている。
プレハブ小屋ごと震わすほどの強い風が吹き続けている。
そんな中、こうして一人でいると、なんだか、かくれんぼをしているような気分だ。
小さい頃から、おままごとやお人形遊びには興味を示さず、男の子に混じって鬼ごっこや虫捕りをして遊んだものだ。
もちろんその中には、繚の姿もあった。
……ああ、もしかしてこれが、噂に聞く走馬灯なんだろうか。
ツボミを殺しに行かなければならないのに、昔のことばかり脳裏に浮かぶ――
「――随分と余裕の無い顔ね、立花さん。私はあなたのことを、少し買い被りすぎていたのかしら」
――外の風があまりにもうるさかったからか、それとも、自分が満身創痍だからか。
プレハブ小屋のドアが開けられるまで、『彼女』の存在に気付けなかった。
少し前に自分が彼女に言った台詞を、意趣返しのように口にしながら、メガネをかけた長い髪の女子生徒――月瀬愛巫子が、プレハブ小屋に足を踏み入れてきた。
「愛巫……子」
「その様子だと返り討ちに遭ったみたいね。……それにしても、髪を下ろしているあなたは新鮮ね。そっちのほうが似合っているわよ」
愛巫子は後ろ手にドアを閉じ、まっすぐこちらに向かってくる。
愛巫子の『身代本(スケープブック)』は、自身が受けたダメージを事前に読破した本に転嫁することができる能力だ。
この生徒葬会期間中に愛巫子が何冊の本を読んだかは分からないが、そのストックがあと数冊分しかない――なんてことはないだろう。
今の自分に愛巫子を殺し切ることはできるだろうか――
そんなことを考えていたのが、表情に出ていたのだろう。
愛巫子は呆れたように肩をすくめ、「この期に及んでそんな獣のような目をするのね、あなたは」と呟いた。
「往生際が悪いわよ」
「アンタに言われたくないわよ……」
「一緒にしないでほしいわ、と言いたいところだけれど――そうね。私もこの生徒葬会で色々な目に遭ったわ。あなた筆頭に何人もの輩に屈辱を味わわされたし、思い通りにいかないことだらけだった。だからこそ、私はここに来たのよ」
愛巫子は、百花の目の前で膝を折ってしゃがみ込み、言った。
「私と組みましょう、立花さん」