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17:Beautiful World-02

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音楽準備室でユキノから『歌うユーレイ』の話を聞いた沢口たちは、一路雛の自宅へと向かっていた。
雛のドール歌花は、普段雛の自宅PCに保存されていて、最近外に出したりはしていなかったらしい。

「………歌花は情緒面が未完成だから…外の環境にどう対応しているのか想像できない」

ドールは基本的にマスターの命令で動作する。
ただし、緊急性が高い動作や通常慣習的に繰り返される動作はオートで行う。
それも基本プログラム次第で、状況に応じて対応を変えるプログラム部分は『情緒』と呼ばれる。
色々な状況に対処できるよう、様々なパターンの行動を入力しておけば情緒豊かなドールになるし、逆に必要最低限の行動しか入力しなければ単細胞なドールになる。
尤も、既製品のドールであれば多少の応用が利くようコーディングされているが、雛が一から作成した歌花は、緊急時にどんな行動をとるかわからない。
雛は不安げな顔で、それでも前を向いていた。

「……どこから情報が漏れたのか、それを第一に知らなければならないな…」

早足で前を歩いていく雛の後ろで、セスが呟く。
一頻り取り乱した雛はもとの落ち着きを取り戻していて、事象の概要を掴みかけていた。

「…情報は…『ウチ』に…漏れたんだと思う」
「『ウチ』?ピィんちにサーバがあんのかよ?」
「家じゃなくて…円条グループのネットワーク」

沢口、セス、そしてルミナは、一瞬言葉を詰まらせた。
雛の祖父が会長を務める円条グループは日本屈指の大きなグループだ。
世界の大企業ND社とも提携していて、『ドール』の開発に力をいれている部門があった。

「私の作ったドールを、製品にしようと思ったのかもしれない…」
「………ピィ」

工作をしたのは、おそらくは母の愛人、羽田だ。
多忙かつコソコソすることを嫌う母がそんなことをするわけがないし、円条家に仕える誰かが行ったとも考えにくい。
あと考えられるとすれば、円条家を我が物顔で歩き回る彼の仕業としか思えない。
羽田は永泉の卒業生で、円条グループのドール研究所に勤めていたこともある。技術的には申し分ない。
雛の卒業制作を製品にすることで、雛を驚かせるつもりだったのかもしれない。羽田は雛の心境を理解しているのかいないのかよくわからないところがある。

たとえ事情がどうあれ、作りかけのドールを持ち出されたことが許せない。
何より、そのドールは大切な友人をモデルにしていた。その友人のプライバシーを侵害しただけではない。せっかく取り戻しつつあった友情すら壊しかねなかった。
ユキノは気にしていないとしきりに繰り返していたが、あの憔悴した表情が雛の脳裏から離れない。
雛は静かに怒りの感情を募らせていた。

やがて4人は雛の自宅前に着く。自宅というには不相応な大きな邸宅。モニタがついているのだろう、雛が門の前に姿を見せると自動的に開く。ルミナが咄嗟に驚きの声を上げかけて、止めた。
先ほど雛が連絡を入れておいたため、門のすぐそばにコンチネンタルGTが止まっている。
流行の電気自動車ではなく、ガソリンで走る車だ。祖父のコレクションのひとつで、手放せないものらしい。
運転手が降りてきてドアを開けようとするのを手を挙げて遮り、雛は沢口たちに「乗って」とだけ告げた。
―――普段の雛であれば徒歩で屋敷まで行くが、今日はそれどころではない。

車で一分ほどの道を進むと、陳腐な言い方をすれば白亜の豪邸が鎮座している。
由緒ある家だが、時代に合わせて変化している様子も窺える。
円条の家は、時代に乗ることで命を繋ぎ、そして根と枝、葉を広げてきたのだ。

4人は入り口前で車を降りる。雛以外の3人は邸宅を見上げつつ中に入っていった。
玄関付近のメイドたちが雛に向かって頭を下げ、「お帰りなさいませお嬢様」と声を掛ける。
テレビででしか見ないような光景が、そこに現実としてある。
雛はそれでも態度を崩さずに、静かに「ただいま」と返してやる。いつもの雛の姿だ。
階段を上り雛の自室に着くまで、雛は自分を崩すことはしなかった。
―――取り乱しているところや慌てているところを、下のものに気づかせてはいけない。
帝王学を身につけさせられた雛の、半ば無意識での行動だった。
しかし、自室に3人を通しドアを閉めた途端、それがまた崩れた。
雛は鞄を投げ出し、PCに駆け寄ってロックを外した。慣れた手つきでPC内でドールを起動するソフトを立ち上げ、歌花を呼び出す。
歌花は―――そこにいた。
昨日も雛は彼女のコーディングをしていたのだ。いないわけがない。
それが、どうして。

「これが…歌花」

モニタを雛の後ろから覗き込んだ沢口は、さきほど音楽準備室で見た絵の中の少女と、雛のドールが酷似しているのを見た。
毛先が黄緑色の金髪の少女は、モニタの中でゆっくりと瞬きを繰り返していた。

「…歌花」
『…なに?ヒナ』

雛が静かに問いかけると、スピーカから電子音で作られた声が返ってくる。
作られた抑揚だが、甘く、澄んだ声色をしている。

「仮想空間で歌をうたっているユーレイって…歌花のこと?」
『…ユーレイ?歌花はユーレイじゃない』
「そうじゃなくて」

やや幼い口調の歌花の返答に、雛は首を横に振ってみせる。歌花にこの行動を覚えさせるためだ。
歌花には『セロテープ』にも組んだ自己学習型の機能がついている。コーディングされた感情に加えて、彼女はこうやって少しずつ、雛の行動を覚えていく。

「ネットワークを通って、私以外の誰かの前で歌っていたでしょう?」
『…………』

歌花は、それが咎められることだと既に知っているのだろう。雛の問いに沈黙を返す。

「誰が歌花を、外に出したの?」
『…………』

歌花は応えない。
雛は、表情を歌花に読ませないようにしつつ考える。雛の問いに答えないということは、歌花は誰かの手によって改修が加えられている可能性がある。

「歌花はまだ、外に出ちゃダメなの。壊れて歌えなくなっても、いいの?」
『…………』

沈黙は変わらないものの、歌花の表情は変化した。オモチャを奪われる前の子どもの表情だ。絶対的な拒否。

『…歌花がこわれたら、ヒナがなおしてくれる』
「…歌花が人を傷つけたら、私は歌花を直さない」

雛の声は、再び感情を含み始めた。
歌花が自分勝手なことを言うのは、雛のプログラミングが足りないせいだ。それは分かっている。
―――分かっていても、感情が先に立ってしまう。
それが人間なのかもしれない。

「歌花がこれ以上私の友だちを傷つけたら許さないっ…」
『………』

雛の両目から零れたものを、歌花はぼうっとした表情で見つめていた。
辞書として与えられている厖大な単語を、目で見て実感し、覚えていく。知識だけもっていても彼女はまだ、実際にはそれを『知らない』のだ。

『………ヒナ』
「…ごめんなさい…歌花が悪いわけじゃないのは分かってる…」

歌花を外に出した人間、歌花に必要なことを教えていない人間。
原因は歌花ではなく、人間のほうだ。
一粒だけ涙を零してそこで堪えた雛は、声を震わせながら歌花を諭す。

「いつか必ず外に出してあげるから、もう少し我慢して」
『…………』
「約束する。必ず、外に出してあげる。歌わせてあげる」
『やくそく』

歌花はひとつひとつ、新しいことを覚えていく。メモリにある単語を、言葉として覚えていく。
歌花はその言葉を『気に入った』のか、もう一度『やくそく』と呟いた。
雛は歌花の呟きに頷いてみせる。

雛の悲しげな表情に、歌花は口を開いた。

『………ごめんなさい、ヒナ』
「………歌花」

先ほど雛が歌花に与えた言葉だ。

『……歌花は、うたいたかったの』

歌花の真っ直ぐなその視線が、ユキノのものと重なった。

「おう、歌花」

歌花が雛と心を通い合わせていたところで、雛の後ろから沢口が顔を出して口を挟む。
初めて見た人間を警戒したのか、歌花は眉を顰めた。

『だれ』
「…コウ。私の、幼馴染」
『おさななじみ』

雛の言葉を鸚鵡返しに歌花は繰り返し、沢口をじっと見た。雛と違うつくりの顔、雛とは違う髪の色、目の色、そして身体的特徴。
彼の顔をメモリに書き込んだ歌花は、彼の名を呼んだ。

『コウ』
「おう。歌花、歌うには『相応の場所』があるんだと。だから我慢しろ」
『相応の、場所?』

モニタの中で歌花は首をかしげている。ひとつひとつの単語は分かるものの、組み合わさると理解できないようだ。
歌花の視線に、説明を求められていると沢口は気づいたものの、巧く説明することができるわけではなかった。

「わかんねーけど。そんときゃみんなお前の歌にフルボッコされんだよきっと」
『フルボッコ』
「ちょっとコウ!歌花に変な言葉覚えさせないで!」

雛が沢口を咎めているのを尻目に、歌花はモニタの中で『フルボッコ』『フルボッコ』と繰り返している。歌花の中の辞書にはない言葉らしい。

『コウもフルボッコ』
「マジデスカ」

応用力の高い雛のドールは、ひとつ微妙な単語の使い方を覚えたようだった。

「もう…」

一度覚えた単語を、歌花が忘れることはないだろう。代替できる単語を覚えさせることができれば使わなくなるかもしれないが、『フルボッコ』に代わる単語を覚えさせたところで、どの道不穏なことには変わりない。
それならば『フルボッコ』のほうがまだ愛嬌(?)があっていいかもしれない。
雛はぼんやりとそんなことを思っていたところで、ふと歌花が何かを思い出したような顔をする。

『ヒナ』
「うん?」

顔を上げた雛に、歌花は『ネギってなに?』と訊いた。突拍子もない質問に、今度は雛が首を傾げてしまう。

「…ネギ…?野菜のネギのこと…?」
『歌花がうたってたら、おじさんが『ネギ、ネギは持ってないの!?』ってゆってた』
「…………???」
「ああ、そういやさっきあのコ『ネギはついてないけど~♪』って歌ってたな」

沢口は先ほどの動画の少女の歌を思い出していた。意味はわからないが、彼女は確かにネギがどうこうと歌っていた。雛の背後で、セスが肩を竦めた。

「…この分だと、他にも何か単語を覚えていそうだな」
「……えええ、ちょっとー…」
『わくてか キタコレ』

後で歌花の辞書の中身を確認しなければ。と雛は気が重くなる。この様子だと、雛が知らない単語が詰まっているに違いなかった。
楽しげに笑いながら覚えた単語を披露している歌花は、どうやら落ち着いたようだ。
これならば外に出て行くことはないだろう―――そう雛が安堵した刹那。
ピコン、と雛には聞き覚えのないアラームが鳴り、歌花が声を上げた。

『………ヒナ!』
「!!」

手を雛に向けて伸ばした歌花の姿が一瞬にしてモニタの奥に消え、後には歌花のいなくなった空虚な画面だけが残っていた。

「歌花っ!!」

ガタンと音を立てて雛が立ち上がる。咄嗟のことでどうすることもできなかった。
歌花はどこかに消えてしまった。彼女を誰かが『呼んだ』のだ。
一瞬唖然とした雛だったが、セキュリティソフトを即座に立ち上げ、今雛のPCにアクセスしてきたアドレスを辿る。
数秒の計算の後弾き出された発信元は、雛の予想通り、円条グループのサーバだった。
―――このままでは、また歌花は意図せずユキノを傷つける。
そのために。

「セス君…歌花を追いたい」

モニタを見つめたまま、雛は背後に立つ天才少年と呼ばれていた友人に乞う。
言いたいことを察したセスは、雛の決意が固いことを知っていて、敢えて問う。

「……いくら会長の孫娘といえど、ハッキングは罪になると思うが」
「1から10まで説明してる暇があるなら正面から行くけど…今は歌花を止めなくちゃ…!」

振り向いた雛の真剣な眼差しに、セスは折れるしかなかった。

「わかった。歌花を追おう」
「ありがとう、セス君。ここからでいい。身元がわかってもいい。全部私の責任だから」

責任は歌花を呼び出した人間にあるとセスは思ったが、雛の決意に水を差すこともないと黙って頷いた。
デスクに向かっていた雛と代わり、セスが腰を下ろす。
シャティのデータが入っている携帯電話とPC、キュアのデータが入っているフラッシュメモリとPCを繋ぐ。
セスはシャティとキュアの起動を行いながら、片手間に接続プログラムを作り上げていく。
仮想のクライアントを構成し、円条グループのサーバに接続するつもりだ。

セスが指を走らせるキーボードは、絶え間なく音を立てて文字列をひたすらに連ねていく。
指先は喋っているかのごとく音を鳴らす。

それに応えるように、シャティとキュアが起動した。


『マスター、ご命令は?』
「実に久々だが…ハッキングだ」

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