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35:Electro Summer-05

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「……ダメだ、頭がおかしくなりそうだ……一体今何が起きているっていうんだ」
「お前にわからないことがおれにわかるわけねーだろ寝ぼけてんのかセス」
「夢なら覚めてほしいんだが」
「それはこっちのセリフだっての」

「コーちゃんもセス君も喧嘩するなら車から蹴り落とすよ?とりあえず思いつきを喋ったって混乱するだけなんだから黙ってな」

沢口とセスは、真澄が運転するコンチネンタルGTの中にいた。
お互い今の状況が掴めず、それぞれ項垂れたり頭を抱えたりしている。

数十秒間ほど沢口は黙ったものの、やはり納得がいかないのか顔を上げてセスに問う。

「なあ、ほんとに、ほんとにルミはいなかったのか?」
「何度も訊くな。……うそをついて何の益がある。……いなかったよ」

セスはゆっくりと何度も頭を振った。
うそなどどこにもない。

「誰もいなかった。……人ひとり存在しなかった」
「……」

なんで、と言いかけて沢口は口を噤む。これ以上、セスが何を知っているというのだろう。
横目でセスを見遣る。彼は窓の外を虚ろな瞳で見つめていた。
セスはいつもよりあからさまに元気がないが、それがうそをつく理由にはならないし、面倒くさいからという理由で説明を放棄するタイプでもない。
二人ともいらいらしているのは、理解が及ばないせいだろう。
一体、何が起きているというのか――。
沢口には見当もつかない。セスも同じなのだろう。

沢口はぐ、と歯を食いしばって耐える。
騒いだって、この現実は何も変わりはしない。

雛に続き、ルミナまでも――沢口たちの前から姿を消してしまった。



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少し時刻を遡り、夏祭りの日の夕刻のこと。
折れそうになる心を必死に奮い立たせながら、セスは円条グループが調査した、父の消息について再解析を行っていた。
姿を見せた年月日、時刻――そのとき自分が何をしていただろうと思い返すものの、日記をつける週間もないため、日付単位ではさすがに覚えていない。
その日付前後で、世界で起きたニュースを検索する。何かしらの事件は毎日起きているため、父が現れた日にも事件は起きていたが、それが父に関わっているようには思えないものが多い。
父が現れた数日中に天災が起きていることもあったが、さすがに関係ないだろうとセスは苦笑いを浮かべる。
どんなに優れていたところで、父は神ではないのだから。

一頻り自嘲したセスは、再びキーボードに指を奔らせようと息をついた。
その瞬間、PCに緊急メッセージが届いた。
送信元は沢口。内容は端的に――SOS。

「?」


セスは反射的に手元に転がっていた携帯端末を掴み、沢口に電話を掛ける。
コール音を期待したが、『おかけになった電話番号は、電源が切られているか、電波の届かない場所にあるため、お繋ぎすることができません』という電子音が返ってきた。

「……? どういうことだ」

一人ごちたセスは、いたずらや間違いだろうか、と考えてみる。
しかし今ちょうど届いたメッセージ、電話に出ることができない状況というものを考慮して、セスはそのメッセージの送信元を解析する。
何のことはない、メッセージの出所は電脳世界からだった。
沢口は電脳世界にいる。

電脳世界と現実世界では、直に携帯電話で通話することはできない。そのため沢口は、セスの現実世界からの電話をとることができなかったのだ。セスは携帯をPCに繋ぎ、電脳世界にいる沢口に再度電話をかけた。
今度はコール1回に満たないタイミングで電話が繋がる。
どうした、と問おうとしたセスを、沢口の叫びが遮った。


『ルミが! ルミがあぶねえんだ!!』



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『おれのことはいいから、とにかくルミを探してくれ! アイツ絶対ヤバイ奴なんだ!!』


状況の説明をしてくれと言うセスに、沢口はそう繰り返した。
業を煮やしたセスは沢口の言うとおり、沢口たちが行こうとしていた神社に向かうことにした。
お前はどこにいるんだ、と尋ねたが、沢口はわかんねえと答えた。

『周囲は真っ白で、何もねえ。多分電脳世界なんだと思う。キーボードとか呼べたし、けど、確証はねえ』
「……確証がないとはどういう意味だ」
『わかんねーよ!ちゃんとした手続き踏んで入ってきたわけじゃねーんだよ! 気が付いたらここにいたんだからよ』

おれのことはいいから!頼むよセス!
沢口にそう叫ばれては、セスはそれ以上追及することはできなかった。
通話を切り、念のためシャティが入っている携帯端末、キュアがいるフラッシュメモリをポケットに入れたセスは、スニーカーにもどかしく足を突っ込んで、部屋を飛び出した。

交差点でタクシーを捕まえて、神社の名前を告げると、今日は祭りだから、通行止めになってるよと運転手が言う。
近くまで行ってくれればいいので急いでほしい、沢口の焦りがうつったように、セスは運転手を急かした。
何だい兄ちゃん、早くお祭りに行きたいのかい、とタクシーの運転手はからかったが、セスのまじめな硬い表情を見て軽口をそこで一旦止めた。

通行止めとはいっても小道の通行止めだからなのか、さほど道は混んでいなかった。
否、まったくと言っていいほど混んでおらず、むしろ空いている。

「……おかしいねえ。なんか空きすぎてるなあ」

運転手も怪訝な表情を浮かべ、周囲を見渡している。確かに、平常よりも人が少ない。
祭りの日に、こんなことがあるものだろうか、とセスが思っていると、運転手が思いついたかのように口を開いた。

「ああ、円条さんちのお嬢さんの誘拐事件があったし、みんな怖がって祭りどころじゃないのかねえ?」

少し笑ってさえいたその口調に、セスの苛立ちは沸点を超えた。

「冗談にしていいことと悪いことがあるでしょう。私は彼女の友人です、……私が今どんな気分かあなたにわかりますか?」

整った顔立ちの『外国人』に、流暢な日本語で怒られた運転手はそうだったの、ごめんね、ごめんね、と二度謝った。

「冗談にしてもひどかったね、そうだよね。おじさんも自分ちの娘が誘拐されてたらこんな冗談言うヤロー殴ってるよ」
「…………」

運転手の軽口は止まず、セスは軽く頭を振った。
真剣に取り合うほうがどうかしているのだろう。相手は雑談程度に雛の名を口にしただけだ。
雛の行方について、興味を完全に失っているわけではないという証拠でもある。
彼なら万が一にでも彼が雛を見かけたら、きっと通報してくれるだけの情も持っているだろう。セスはそう思うことにした。

「いえ……こちらこそ、声を荒げてすみませんでした」
「いやいや、ほんとにごめんね。心配だよね。もう一週間以上にもなるもんね」

セスは言葉にはせず、ただ静かに小さく頷き、運転手はそれ以上雛については何も言わなかった。
坂道の入り口、通行止めになっている辺りで運転手は車を止めてドアを開けた。

「ごめんね兄ちゃん。失礼なこと言ったお詫びにお代はいいからさ」
「いや、でも」

タクシーは3メーターほどの金額ぶんを走っていた。

「いいから! 兄ちゃん日本語超うめーからサービスだ」

思いもよらぬ褒め言葉に、セスは面食らい、苦笑を浮かべる。
善意からの申し出なのだろう。これ以上の譲り合いは無益だと思った。

「ありがとう。恩に着ます」
「そんな日本人さえ最近あんまり使わない言葉まで使いこなしちゃうのかい。すごいねえ。さ、急いでたんだろ? 早くお行き」

タクシーを降り、もう一度深く礼をしたセスは、タクシーの運転手が手を振っているのに手を振り返す。
先ほどまで彼に感じていた苛立ちはもうなくなっていた。
タクシー代を奢ってくれたということよりも、日本にきて初めて日本語を褒めてもらったからかもしれない。
いつの間にか当たり前のように喋っていたが、周囲も当然のように受け入れていたから、褒められたことなどなかった。
悪い気はしなかった。

少しだけ気が緩んだが、坂道を見遣ってまた緊張する。
なんといえばいいのかよくわからないが、様子がおかしいのだ。
付近一帯に、人がいない。
たとえ住民が誘拐を恐れていたとしても、祭りへ向かう通り道に、人ひとり存在しないということがあるだろうか。
眉根を寄せて思案していたセスだったが、考えても埒が明かないと思い、神社へと続く静かな緩い上り坂を駆け足で登り始めた。
神社までの数百メートルの道のりには、生物の気配が何一つしなかった。
その静寂は耳の奥までつんざきそうなほど鋭く、セスは思わず身震いをひとつした。

――気味が悪いな。

沢口の拙い説明によると、ルミナと、『ゲッコウ』と名乗った人物はこのあたりにいるはずだった。
だが、生物の気配がまったくしない小道には、ルミナも、その『ゲッコウ』と思われる人物もいそうになかった。
意を決して、セスは口を開いてみる。

「ルミナ君……――!」

いるなら返事をしてくれ。しかし、セスの願いもむなしく、何の音も返ってこない。
周囲を見渡す。やはり誰もいない。
何か、不穏な出来事が起きている。それはわかる。だが、何が起きているかはわからない。
理解の範疇を超えた出来事、そう思えて仕方がない。

沢口の言を信じれば、夏祭りに向かっていた沢口とルミナは、『宙に浮く』『ゲッコウ』という人物に襲われ、そこで沢口は『正規の手続きを踏まず』、『電脳世界に飛ばされた』らしい。
――そんなことが起こりえるのだろうか。
しかし、実際に沢口は今電脳世界にいて、この場所は不気味なほど静寂で、様子がおかしい。そして『ゲッコウ』なる人物は、どうやら雛の行方を知っているらしい。
何かが、どこかで繋がっている。その可能性は否定できない。

セスはとりあえず、神社の境内までルミナを探しにいくことにした。
十数段続く階段を、一段飛ばしで駆け上っていく。
誰かに怒られそうな気もしたが、周囲には誰もいない。気にしないことにした。

境内までたどり着いたセスは、再び息を呑む。
お祭りの最中であるはずの境内は、煌々と提灯の明かりに照らされているものの、そこにも人間は誰一人として存在しなかった。
太鼓や笛の音もせず、聞こえるのは金魚すくいの水槽の水音や、発電機の音くらいだ。
誰もいないのに、祭りの様相だけ呈している。まるで舞台セットのようだ。

ピシャン、と音を立てて、金魚が跳ねた。

――どうなってる。

セスは踵を返し、駆け出した。一段飛ばしで上った階段を、一段飛ばしで下りていく。
ルミナはここにはいない。
ならば、ここでいつまでも立ち尽くしている暇はない。

――これから、何をすべきか。

それを考えた。

警察に知らせる。
まずそれが思い浮かんだ。だが、思考は即座にそれを却下する。
――警察に話したところで、無為に拘束されるだけだ。
この異常事態を、警察が何とかできるものとも思えない。警察が取り締まれるのは、現実的な問題だけだろう。
今、目の前で起きている事象は、あまりにも現実離れしている。

誰も助けてはくれない。
自分で活路を見出さなければならない。

セスの腹は決まった。決まったが、わからないことが多すぎて、据わりは悪かった。

坂道を下りてきて、大通りに出る。人の姿がぱらぱらと見えたことに、少しほっとした。
再びタクシーを捕まえ、今度は空屋に向かう。
次にすべきは、沢口との合流だ。
自身がドールを所持していれば、電脳世界から脱出してくることが可能だが、彼にはドールがないため、脱出する術がない。身を守る術もないため、コンピュータウィルスに感染する恐れもある。
だが、自分の身が危険に晒されている沢口は、まずルミナを探してくれと懇願した。
だからセスはそれに従った。だがしかし、ルミナを見つけることは適わなかった。
弁明の余地はない。ただ、事実を伝えるしかないだろう。
烈火のごとく怒るであろう沢口を想像して、セスは苦笑いを浮かべた。

少しだけ、緊張が解れた気がした。



駆け込んだ空屋も、夏休みの夕方の割には空いていた。
空屋の店番は柑奈で、慌ただしく駆け込んできたセスに彼女は目を丸くした。

「セス君。どうしたの? そんなに慌てて」
「ちょっと急いでて。今、部屋空いてますか」

切羽詰まっているセスに、うん、空いてるけど、と柑奈が頷く。柑奈が手続きをしている間に、柑奈の背後から真澄が現れた。
セスの声が奥まで聞こえたのだろう。

「セス君、あのさあ」

真澄は何か訊きたいことがあって姿を見せたのだろうが、今のセスは、力になってくれる人間を引き込むことしか考えていなかった。

「坂崎さん、手を貸してください」


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ひとりで脱出することができない沢口は、仮想キーボードを呼び出して、今いる場所の情報を表示していた。
紛れもなくここは電脳空間のようだ。

――こんな危機的状況なら、もしかしたら。
そう思い、いざというときのために持ち歩いている、獅子型ドールの弁蔵を呼び出してみたものの、やはりかれは言うことを聞かなかった。
獅子はあっという間に、電脳空間の遥かかなたまで駆けていってしまった。
それがほんの数分前のこと。
強制終了させようとしたが、それも適わない。
起動することができるのに終了することができないというのも妙な話だ。沢口はそう思いながら顔を顰める。

サポートしてくれる人間が誰もいないのに、弁蔵を呼び出してしまったのは早計だったと反省する。
尤も、弁蔵に実装してある機能で動作するようにしてあるのは、とりあえず走ることと止まることくらいなので、まあいいかと開き直る。
この空間には沢口のほかには誰もいないようだし、他人に迷惑をかけることもないだろう。そう思っていた矢先、背後から声がかかった。

「コウ君」

突然のことに、沢口は驚き、振り向いた。気配を全く感じなかったからだ。
だが、振り向いて、声をかけてきた人物を認めると、沢口は気配を感じなかったことに納得した。

沢口の背後に立っていたのは、少し癖のある黒髪、大きめの黒いジャケットを身につけた少年――ルミナのドール、壱だった。
壱はいつもの眠そうな表情とは打って変わって、凛とした表情を浮かべている。
沢口はその表情に見覚えがあった。静かに見据える、怜悧な双眸。

――ああ、今日は火曜日か。

記憶を辿った限りでは、今日はたしか火曜日だった。
目の前にいるのが壱で、今日は火曜日で。
そこまで認識した途端、堰を切っていろんな疑問が湧き出してきた。

ここはどこで。
なぜ自分はここにいて。
ルミナはどこで、どうしていて。
『ゲッコウ』と名乗る人物は何者で。
雛はどこで、どうしていて。
壱はどうしてここにいて。
なぜ、どうして、弁蔵は自分の言うことを聞いてくれないのだろう。

「壱」
「……うん」

壱は静かに返答する。

「…………なんでだ?」

いろいろな感情や疑問が詰まりすぎて、沢口はそう問うことしかできなかった。
それに対して、壱はやはり静かに頭を振り、答えた。

「……なんでだろうね」

その双眸は、悲しげな色に満ちていた。



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「……どこから説明したらいいのかわからないくらい、異常な事態が起きています」

空屋の一室を借りて、セスはセキュリティエリアを構築しながら真澄に現状を少しだけ話した。
夏祭りに向かっていたはずの沢口が、『正規の手順を経ずに電脳世界にいること』。
同じく夏祭りに向かっていたルミナが行方不明となり、彼女がいたはずの場所、祭り会場には『不自然なほど人が存在しないこと』。
雛の誘拐に関わっているらしい、『ゲッコウ』という不思議な人物が存在すること。

セスはかいつまんで話したが、口にすればするほど、どれもが現実味に欠ける話だった。
真澄の表情の半分ほどはサングラスに隠されてしまっているが、怪訝な表情をしていることはセスにもわかる。

「うそはつきません。ですが、現象の説明をすることもできません」

セスは話し出す前に、そう前置きしていた。
そのおかげか、真澄はセスの話にたいして言葉を挟まず、眉間に皺を寄せつつ聞くだけに徹していた。

「……正直……理解しかねることばかりで、上手く言えないのですが」
「うん、全然わからんね」

でも、セス君が冗談言うにしては性質が悪すぎる内容だしね、と真澄はブツブツいつもの調子で呟いている。

「まあ、わからないものはわからないでとりあえず流すしかないね。雛が誘拐されたのは紛れもなく事実だし、その『ゲッコウ』って奴を追えば、何か手がかりが掴めるかもしれないし」
「……ええ。この良くない状況の中でそれだけはプラスです」

真澄はふ、と軽く息を吐き、体を伸ばした。

「とりあえずコーちゃんを引っ張り出すか。ほんとに手のかかる子だね」

言葉の額面通りの害意は感じられない。

「とりあえず退屈はしませんね」

セスがそう返すと、まったくだ、と真澄は笑った。



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「でもさあ」

円条家からコンチネンタルGTを借りてきて、ハンドルを握っている真澄が大きく息を吐く。

「思いつき喋ったって混乱するだけっておれ言ったよ。言ったけどさあ…………ちょっとこれは意味がわかんなさすぎるよね」

そう言って、真澄は助手席に座る人物に視線を遣る。

電脳世界から連れ出された沢口は左ハンドルの真澄の後ろ、セスは沢口の右隣に座っている。



真澄の右手側、コンチネンタルGTの助手席に座っているのは――ドールであるはずの――壱だった。
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