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 ご趣味は? と尋ねられれば、
『人間観察です』
 と、金属的で硬質な声を用いてクロは即答する。
 ――もっとも、クロに趣味やその理由を問いかける人物など居はしなかった。
「この場所が好きなのかしら? それとも、人を見てるのが好きなのかしら?」
 この日、この時、この瞬間までは。


 クロは自身の器がハシボソガラスをモデルに作られていると確信している。体の大きさは一回り以上大きいが、細く真っ直ぐな嘴やなだらかな頭部と嘴の繋がりなどから推測された結論だ。体の大きさは作り手が苦心した機構を詰め込む苦肉の策として大きくせざるを得なくなり、翼長も比例したものだろう。
 この大柄な体付きはクロにとって大きな武器だ。海が近く山に囲まれたS町には海鳥や小鳥の他、人間のおこぼれを狙うトンビを始めとした小型猛禽類が多く生息している。トンビとカラスは餌を巡って争うことが多い。鳥類同士の戦いは観察して習得済みであるが破損の可能性が高く、自己修復が望めないクロには争わずに済むことが重要である。クロは大型であるが故に滅多なことでトンビに攻撃を仕掛けられずに済むし、小鳥に群れられて鳴き声で追い立てられることも避けられた。
 一時は会話で解決出来ないものかと思ったのだが、結論から言えば鳥類との会話は不可能だった。クロが立てる音に反応は示すが、クロが発する「言葉」は聞き遂げられない。また、クロにとって鳥の鳴き声も囀りも音以上の意味が不明であるし、意図をくみ取れたとして発声器官のないクロには真似することも出来ない。意思疎通は絶望的であった。
 鱗道が語るところによると、一般的な生き物ばかりを括った〝此方の世界〟と、それ以外の〝彼方の世界〟の隔たりはかなり大きい。この隔たりを超えて影響を与えるには大きな力や工夫が必須であった。特に〝此方の世界〟の者が〝彼方の世界〟の影響を受け取るにも一種の才覚――俗に言われる霊感や第六感、超能力などと呼ばれる感覚――が求められる。触れる、見える、聞ける、感じ取る等という意思疎通は双方向にしろ一方通行にしろ非常に困難らしい。
 クロにとって分かり易い実例がシロだ。シロは生前、単なるイヌであった。死後、集落一帯を守る霊犬となって力を蓄えた。その力を使うことで〝此方の世界〟のものに取り憑いているわけでも宿っているわけでもないのに、シロは単なる人間にも触れられるように顕現している。知識不足や生前の慣習が障害となって人語そのものは喋れないものの、子犬のような鳴き声は〝此方の世界〟の耳に届いている。
 これらを叶えているのは、シロが霊犬となった時間と意思により蓄えた膨大な力を消費しているからだ。己で扱いきれない程の力は、腐るよりも早く、穢れに侵されるよりも前に消費しなければ腐れ穢れてしまう。顕現はシロが荒神に成り果てることなく自然消滅するため苦渋の選択だ。〝彼方の世界〟の霊犬が〝此方の世界〟でさもイヌのように振る舞う為には、それ程の力を消費し続けねばならないという困難さの象徴と言える。もっとも本人は困難にもすっかり慣れ、満喫しているのだけれど。
 しかも、そのシロであっても生前と同種のイヌとは語らえない。シロはよく小型犬に吠えかかられるのだが、いくら自分に攻撃意思がないことや無害さを訴えかけても聞き遂げられない。シロも何故自分が吠えられているのか、吠え方や行動による推測は出来ても、当のイヌからは聞き出せていない。その為、いつも腹の内側に尻尾を巻いて鱗道の足の陰に隠れている。〝彼方の世界〟の存在に対しては、鱗道でも聞き取れない声を聞き、全く別種と会話を成立させられるというのに。

 区分が明確で、膨大な力を持っているシロでも干渉の可不可ははっきりとしている。これが、区分が不明瞭なクロの場合はもっと複雑だ。
 クロに生前はない。〝彼方の世界〟で意思と力を持って生まれた存在でもない。とある作り手がオカルトと偶然により人工的に生み出した意思がクロである。生み出された意思は液体金属に宿り、液体金属は精巧なカラクリが組み込まれた人工的なカラスの器に封じられただけで――故にクロは意思はあれど力を持たない、現状唯一の存在である。
 殆ど力を持たないクロが動かせるものは、自らの意思が宿った液体金属のみである。しかし、液体金属によってカラクリを繊細に挙動させ、さも実際の鳥であるかのように振る舞えた。カラスの器は人工物であるから物理的な影響を与えられるし受け取れる。視覚や振動の感覚器官が備わっているため程度に差はあれど、視覚、聴覚、触覚は有している。力が無くとも人工物を扱う工夫により、限られた範囲であるが〝此方の世界〟と相互干渉が持てるのだ。しかし、クロには発生器官がないため鳴き声や発話が出来ず、〝彼方の世界〟の声が聞こえない相手との円滑なコミュニケーションは不可能である。
 さらに、頑丈な人工物の器に収まっている故に、生半可な〝彼方の世界〟の干渉を受けない。〝彼方の世界〟から及ぶ実害を被りにくいという利点でもあるが、微弱な〝彼方の世界〟の声や姿を認識出来ないのだ。蛇神を降ろしていない鱗道でも感じ取れるものが、クロでは感じ取れないことも多い。才覚のない一般人より少しマシ、という程度であって、よほど強力な存在でない限りクロは〝彼方の世界〟ともコミュニケーションをとれなかった。
 〝此方の世界〟とも〝彼方の世界〟ともコミュニケーションに不備があるクロが非常に孤独な存在であるのは確かだ。しかし、クロ自身がそれを悲観したことはない。少なくとも現状では鱗道とシロが日常的にクロの声を聞き、コミュニケーションを成立させている。クロの事情を知っている猪狩とは音の回数や道具を使うことで不便ながらも情報交換は可能である。S町にいる限り、クロは完全な孤独ではない。
 また、クロの趣味である人間観察において、〝彼方の世界〟に対する鈍感さは利点であった。鱗道やシロ曰く、生き物とそれ以外の世界は明確な区画分けもなく重なるように存在している。そして〝彼方の世界〟の微少な存在は、あちらこちらに溢れているそうだ。実に様々な形で、実に様々な力を振るい、実に様々で独特な言語や音を発しながら。シロはこの微少な存在も当然のように感知して感覚的なコミュニケーションを成立させている。鱗道は日常的には逐一感じ取っていないようだが、時節やタイミングによって見聞き可能になると表情を曇らせることがある。視覚的にも聴覚的にも、一言で言えば「騒々しい」そうだ。鱗道の深々とした溜め息を聞くと、静寂を好むクロは己の鈍感さに安堵する。詳細な世界を感知してしまえば、己の許容量などあっという間に溢れてしまうだろう事の想像は容易いからだ。
 〝此方〟にも〝彼方〟にも中途半端で仲間もなく、限られた世界としか交流が持てない――自身のあやふやな立場に不満が無いと言えば嘘になる。しかし、クロの関心事は人間と人間が織りなす社会を観察することに大半が占められていた。見聞きするだけの観察でも好奇心や知識欲は満たされる。不明点はインターネットで調べられるし、鱗道やシロと問答も可能だ――ただし、シロに素晴らしい回答は期待できないのだが。
 限定的な現状であれど、クロは非常に満ち足りている。

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