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帰路において、クロはシロの背中に居場所を変えていた。クロの真下には布製のナップザックがある。ドラゴンがイラストでも文字でも大きく描かれたものだ。クロの趣味では全くないこの代物は、肉屋が思いついた妙案の結果である。
薬屋でも、どうやってシロとクロに持ち帰らせるか、という問題に黒松親子が首を傾いだ。そこに肉屋がこのナップザックを持ってやってきたのである。自信満々に取り出されたナップザックに対する反応は、クロは模様の趣味に理解が出来ず、シロは、
『それ! 学校の子が持ってるの、見たことある! 格好いい奴!』
と飛びかからんばかりの勢いでヒャンヒャンと喜び吠え立てた。
聞けば、肉屋の子供が使っていたものであるらしい。今はもう使っていないので――ニュアンス的には、使うのを避けるようになったので、というものであった――汚れてしまっても構わないと言う。
ナップザックの中には弁当屋と肉屋が選んだ惣菜、八百屋が厳選したフルーツ、更に百屋特製の卵酒が入った水筒が収められていた。そこに薬屋から受け取った飲料と風邪薬も入れられる。ナップザックは結構な膨らみになったが、それ故にシロの歩みで揺れたとしても中が激しく動くことはなさそうだ。最後に、料金がツケとなった顛末を黒松がしたためた一筆と料金レシートも入れられる。
成果物と報告書で満たされたナップザックの紐が、シロの両前足にそれぞれ通された。仕上げに紐の長さを調整すれば、シロは見事にナップザックを背負って見せる。こうなれば涎で汚れることはない。肉屋の妙案は功を奏したのだ。子供達を見て憧れていたらしいナップザックを背負ったシロは、可愛い可愛いと褒められたことで一層上機嫌になり、クロは理解できないと人知れずかぶりを振る。ともかく、こうしてシロとクロは帰路についたのである。
今、何時頃であろうかと、クロはシロの背中で揺られながら考えていた。時計を持っていない以上、正確な時間は分からないが店を出たのは昼を回っていた頃だ。シロの歩みは道路上の危険に注意し、クロと成果物に配慮する意味でもゆっくりとしている。出かけてから優に数時間は経過しているはずだ。
『お腹空いたねぇ』
『いいえ、まったく』
その為、帰路にて同様の遣り取りを何度も繰り返している。考えてみれば、シロは普段食べている昼食を食べずに買い物に出ているのだから空腹は当然であろう。肉屋の前で涎を滝のように流してしまうのもしょうがない。が、霊犬は摂食不要という揺るぎない事実がある。
『クロはいいなぁ。でも、食べれる方がいいしなぁ』
『本来、貴方も摂食不要の筈ですが』
けどなぁ、でもなぁ、とシロはゆっくりのんびりと歩きながら煮え切らない。シロの思考が描く不安定な滑空は、多少時間は前後すれど、
『食べるって、幸せなんだもの』
結局は同じ答えに着地する。クロはシロの思考の着陸を見届ければそれ以上の追及はしない。クロは摂食の喜びも飢餓の苦しみも永遠に味わうことなく、シロの答えに正誤も是非も突きつけられないのだから。
『鱗道、喜んでくれるかなぁ』
『喜ぶでしょうとも』
クロの返事は素っ気ないが、シロは満足そうに、『そっか!』と言って大きく尻尾を振った。クロはシロの歩調次第で変わる町の風景の中に、先程の商店街を重ねようとする。
結論、シロが頭にクロを乗せて一匹で出歩いていても誰も咎めなかった。買い物と分かるやいなや歓迎と応援ムードで出迎え、問題が発生すれば解決策を導こうとまでしてくれたのだ。財布がシロの涎で台無しになってもツケにすることに異論は出ず、シロとクロのお使いは成功と言って差し支えない成果を得られた。
これが鱗道とシロが日々積み重ねてきた行いの結果であることをクロは心得ている。
クロが知る鱗道は交友関係が狭く、話し好きでもなく、シロの散歩と蛇神の代理仕事以外での外出が限られているインドアな人物だ。が、ツケが通じ、シロを使いに出す異常さも「今更」で済まされている辺り、クロの知らない姿があるのだろう。また、シロも一人で出歩いているところを咎められない程、一般イヌ以上の行儀の良さを保証する行動を取っている筈である。愛想と愛嬌を振りまく姿は想像に容易いが、今日、お使いを共にする中では普段とは違う――それでも根本は同じ――の様子を垣間見た。
よく知っていると思っている者にも、知らない一面がある。そんな奥深さの他にも、様々な慣用句を体感した満足度もあった。苦労や不安もあったが、最終的に今日の経験はクロにとってプラスであったと胸を張れるだろう。
『きっと、あの子供達も、こんな気分で帰路についていたのでしょうね』
『なんのこと?』
『昨晩のテレビ番組です。私は初めて子供に共感を抱いているのかもしれません』
子供がお使いを済ませて帰路につくシーンに流れる音楽がある。シロはその曲まで覚えていないようだが、クロは思考の中で思い返しハミングしていた。シロのように番組を堪能することは出来ないだろうが、歌に関してはなかなか良い歌詞ではないか等と思いながら。
ようやく十字路が見えてきた。かつては公衆電話があり、今はただの空白である角地。時々賽銭箱や小さな地蔵などの他、事情によっては不可思議で奇っ怪な〝彼方の世界〟絡みの品が置かれることもある。『鱗道堂』はもう、すぐそこだ。
が、シロは十字路が見えて数歩で足を止めた。頭を上げ、鼻をひくつかせている。シロにとって一番優れている五感の嗅覚を活用しているようだ。どうしたのか、と尋ねるよりも先に、クロもまたシロが足を止めた理由に気が付く。クロの場合は風が運ぶ音を聞き取ったのだ。
ナップザックの鞍から身を乗り出し、シロの横顔を覗き見る。珍しいことに随分と怪訝な表情を浮かべていた。シロは何も言っていないのだが、
『ええ、シロ。私も同意見ですとも』
聞こえた二度目のくしゃみに、叶うならば苦笑いかニヒルな笑みを浮かべたかった。さては、シロとクロを使いに出した後に一眠りしたのだろう。目覚めて少し回復した体調で、己が無理を言ったことに気が付いたのだ。迎えに行こうにも風邪であることに変わりない。しかし再び眠るも、居間にどっかり座って待ってもいられない――そんなところであろうか。
シロとクロが連れ立って買い物に行く原因となったテレビ番組の例に漏れなかったのは、自分達だけではなかったと言うことである。
『せめて暖かくしてくれているとよいのですが』
『ねぇ、クロ。ちょっと走るよ。いい?』
クロはシロに返事をする前に己の姿勢を確認した。店がここまで近ければ人目の心配はしなくていいだろう。シロが自在に『ちょっと走』れば、もし通行人がいたとしても背中のカラスなど認識も叶うまい。多少不格好でも、ドラゴンの描かれたナップザックに覆い被さるように翼を広げてシロの体に無駄な凹凸を作らぬように努めるべきである。嘴はシロの被毛に埋めて首の皮をしっかりと挟み、両足もシロの被毛をかき分けて背中の皮を掴む。重量のある体をこれだけ押し付ければ荷物もクロも振り落とされまい。
『ええ、構いませんとも。この際ですから、私は歌いましょうか』
シロはもう一度、走って良いかと確認しながら少しばかり強めの足踏みをする。クロは自身の体と荷物がシロから離れなかったことを確かめ、改めてゴーサインを出した。
シロが一歩目の跳躍を果たす。四肢が刻む軽やかなリズムはあっという間に十字路を曲がってしまうだろう。歌うにしてもワンフレーズとして歌いきれるかどうか。綿入れ半纏を着込み、ガラス戸の隙間から顔を覗かせ、シロとクロの帰路をそわそわと落ち着きなく待っている鱗道に、本気数歩手前の速度でシロが飛び込む方が早いかも知れない。それでも、せめて、ワンフレーズ。後にクロの語調に変換して鱗道に向けて言い放つだろう一言を、今は歌詞として。
『なんてことないさ』
了