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 これは、私、猪狩昴の遺言となるだろう。
 この手紙が見つかった時、私が自然死でなければ、私は屋敷に殺されたものだと思い、屋敷を破壊して欲しい。手段は問わない。火を放とうと、重機で破壊しようと、もはや、手段は問えない状況にあると考えている。
 何のことか、と思われるのは当然であろう。だが、それを端的に説明できる手段を私は持っていない。よって、私がこの屋敷で何をしたのかを記すことにする。

 私は人間を避けて山に住んだ。病弱な私を奇異な目で見る血族にも、世間の目にも疲れてしまったからだ。そんな時に山で見付けたカラスの死体の、死してなお失われぬ美しさに魅了され剥製を作り始めた。趣味故に手間暇も金銭も惜しまなかった作品に買い手がつくこともあり、猟師の頼みとなれば無碍にすることも出来ず買い取られるままであったが、私はそれを喜ぶことは出来なかった。で、あるのに、私は剥製が増えていく屋敷の中で生き物が私一人であることに恐怖を抱くようになった。手塩にかけて我が子のように愛おしんだ剥製を恐れる日が来ようとは。
 それでも私は他の人間を拒んだのである。思考を持ち、感情を持ち、だがそれらが正しくは伝わらず伝えられない他人である人間は恐ろしかった。故に、私はオカルティズムに走ったのである。実際に生き物を零から作ろうと考えていたわけではない。不可能であるからこそ没頭し、孤独を忘れることが出来るものがあれば良かったのだ。しかし、私は、生き物のような物を作るに至ってしまった。生き物を恐れていたというのに。
 信じられなければ信じなくともよい。ただ、屋敷を破壊してもらえれば私は構わないのだから。
 己が意思を示すかのような存在が揺らめいている。少量でははっきりとしなかった動きも、基盤素材を錬成し与え続け量を増せば、明らかに自然法則とは異なる動きを見せるようになった。この時点では愉快であった。臆病な私の孤独を紛らわせるには、予測とは異なる動きを示すこれは充分であった。
 ただ、私は愚かなもので、やがて単調な動きでは物足りなくなった。別の器に入れようと考え、カラスをモデルに器を作ることにした。カラスは多くの剥製を手がけたこともあり、骨格や筋肉の仕組みをよく知っている。金属や鉱石で多くの機構を作り、器を作り、出来上がった贋作の鴉に私はあれを注いだ。
 鴉は動いた。私は成功した。成功してしまったのだ。死体が増えていく屋敷で一人怯え、それを紛らわせるためにあれを作り、行き着いた先でそれは生き物であるかのように振る舞った。生き物を作る、などということは出来るはずがない。生き物を恐れる私に出来ようはずがない。よって、鴉は当然、生き物ではない。失敗作だ。中に注いだあれも、全て失敗作だ。生き物ではないのに、生き物のように振る舞うそれを、私は酷く恐れて捨てた。作り方も、何もかもを廃棄した。私の側には、一羽の鴉だけが残った。
 私は己の臆病さを隠すためにも、鴉には失敗作だと言い続けた。鴉には意思疎通の術もなければ確認手段もない。動くだけならばネジ巻きの玩具と同じである。私の言っていることなど伝わらない。そう、私は思い込もうとしたのだ。
 意思疎通の術を与えなかったのは私の選択であるというのに。鴉にあれを注ぐ直前になって、私は万が一を考えてしまったのだ。あれが誠に意思を持っていたなら、思考と感情を持ち、けっして正しく伝わらず伝えられない人間のようであったなら。私が恐れた他人であり、生き物に近い物であったなら。そう考えて、私は、鴉から発声機構を外したのだ。
 失敗へと突き進む道を選んだのだ。成功したとしても、失敗したのだと言えるように行動してしまったのだ。生き物が生まれることを恐れてしまったのだ。自分で作っておきながら。私は愚かだ。臆病で、愚かだ。生き物が怖い。だが一人は嫌だ。子どものような我が儘が叶ってしまって、私は逃げ道を失ってしまったのだ。当然の、沙汰である。
 あれを破棄して以降、屋敷は私から外出の自由を奪った。常に私を監視している。この手紙も手早く書き上げねば見つかってしまうかもしれない。この部屋は防水が施されているから安全かも知れないが、確実とは言えないだろう。
 屋敷が私を憎んで恨み、屋敷に私が殺されることは最早構うまい。私はそれだけのことをした。望んで作り始めて、望まぬままに作り上げてしまった。そして捨てた。憎まれても恨まれても仕方がない。だが、この世の理を外れて意思を持った屋敷は破壊せねばならない。屋敷をこのまま残しておくことは出来ない。それくらいの尻拭いはしていかねば申し訳が立たない。
 だが、私にそれが可能かは分からない。不可能だと思われる。私は屋敷に殺されるだろう。だからこそ、私が不審死を迎え、この手紙が見つかることで、後の人間に屋敷の破壊を願っているのある。
 この粗い書き置きは、遺書であり、遺言であり、懺悔である。

 もし、もう一つ願っても構わないのであれば、鴉を探してやって欲しい。鴉は、鴉だけは、外へ出してやりたいのである。私が命をさらしてでも屋敷と対決せんとする理由は己のしでかした事に対するケジメでもあるが、私と共に屋敷に閉ざされた鴉を外へ出してやりたいが為でもある。
 私には理を曲げた罪があろう。浅慮に望まぬものを作り出した罪があろう。しかし、鴉にはなんの罪もない。
 鴉は、私がこの世に作り出したたった一つのものである。生き物ではない。鴉の贋作である。私が語れば耳を傾けるように寄り添い、字を読んでやればなぞるように嘴を動かす。健気に私の後を付いて回り、肩に乗って屋敷を散歩する。それが、鴉に注がれたものの意思か、感情か、思考かは分からない。私が――私が、恐れて、意思疎通の手段を奪ってしまったばっかりに。すまない。すまない。
 あれは、生命なくして動く、本物の贋作だ。何を考え、何を思っているか、伝わらず伝えられない――他人や生き物と同じ、だが私が作った贋作なのだ。その実、私を恨んでいるかもしれない。憎んでいるかもしれない。屋敷と同じように私を殺そうと狙っているのかもしれない。分からない。だが、贋作であろうと生き物であろうと、分からないことには変わりがないことに、今更ながらに気が付いた。
 だからこそ、あの鴉を、外へと出してやりたいと思うようになった。罪も咎もない鴉は外の世界に触れるべきだ。私が出来なかったことを、私が恐れてきたことを、この鴉ならば成し遂げてしまうかもしれない。そんな願望を、抱くようになってしまったのだ。そんな願望を抱く己に、全くもって嫌気が差す。己へ向ける嫌悪は、鴉への辛辣な態度に出てしまう。全く、私は救いようがない。屋敷に殺されることがお似合いだ。
 しかし、鴉は私にとって救いであり、願望となった。動くだけしか出来ない鴉であるが、生き物でもなければ死体でもない。私が恐れない唯一の存在が、この鴉となるはずだったのだ。その事に今更になって気が付いたのだ。このまま私と共に屋敷で朽ち果てるのは憐れである。
 私はカラスが死しても美しいと思って剥製にした。しかし、窓の外を飛ぶカラスには及ばない。だからこそ私はこの鴉も飛べるようにと機構を組んだ。鳥は空を飛ぶものである。生き物ではない鴉は疲労もなく、体が壊れない限りどこまでも飛んでいけるはずだ。

 文章が支離滅裂の様相を呈した。これ以上は、悪化するばかりだろう。
 もし、私が死してなお、屋敷に鴉が残っていたならば、外へ出してやって欲しい。私が鴉にしてやれることは、もはや他にはあるまい。だが、出来れば私は、それを、己の手でやってやりたいと思っている。
 逃げ道などない。私はこの手紙を書き上げた後、屋敷と対決せねばならない。意思疎通の出来ぬ相手に、なにをどう対決するか見当もつかないが、私が恐れた生き物相手と同じと思えば、未知という恐怖は少しばかり和らぐものだ。あれの居場所には心当たりがある。私は地下にいく。あそこならば空気も淀み、環境の変化も少なかろう。

 私が無事に戻っていたならば、この手紙は当然破棄する。が、読まれていると言うことは、私は戻れなかったということだ。死体も見つからない、行方不明という形であるかもしれない。だが、私は死んでいる。確実に死んでいる。屋敷はそれほど危険であるということだ。屋敷は、あれは、破壊して欲しい。

 ただ、願わくば、少しでも猶予があれば、鴉を探してやって欲しい。居なければ、見つからなければ、その時はそれで構わない。だが、もし、居たならば。見付けたならば。それがどのような形であっても、鴉は外へ。贋作の屋敷から、外へ。鴉は、この屋敷から飛び立つべき、本物の贋作であるからだ。

 ――猪狩昴


 クロは字が読めると言っていたので、鱗道は音読することなく目を通した便箋を骨董品の隙間に並べていった。肩から離れたクロは棚の隙間、あるいは便箋に近い骨董品の端に両足をかけて顔を便箋へと落としている。鱗道の読む早さより大分遅いのは、鱗道が早いのではなくクロにとって噛み砕きながら読むべき内容であるからだ。
 最後の一枚、鴉を外へ出してやりたいと、もっとも字が震えている便箋に鱗道はじっと視線を落としていた。丁字形の交差地点、横には暗く短い空間と外に出るための扉。そして横目に伺えば、扉の前に稀薄な人影が一人。最早顔を鱗道に見せるだけの力もないのか、頭は暗い影のような霧状になっている。
 ――猪狩昴という男を鱗道は知らない。この屋敷で彼自身を知っているのはクロと屋敷に染みた意思存在だけである。鱗道も猪狩も、昴という男が遺していったものから手探りのように形作るばかりだ。猪狩は元の職業柄、そう言うことに長けていそうな気もする。が、鱗道にとっては感想でしかない。その感想は――なんとも、後味の悪い感想だ。
 人間を疎んじて屋敷に籠もり、見付けた趣味に興じて剥製を作り、死体に囲まれていると不気味に思うようになり、孤独から逃げるように望んでもいないオカルトに走って成功を収めてしまった男。考えなしと言ってしまえばそれだけ。どこかで立ち止まる機会はあったはずだが、金銭的な自由と悪い方に働いた器用さが機会そのものを失わせてしまったのだろう。
 憐れであるし、愚かでもある。だが、はっきりと非難することも否定することもしにくいのは、昴が「出来てしまった」だけであって、思うこと自体は鱗道にも稀ながらあることだからだ。都会に就職先を求めたのも、蛇神の代理仕事から逃げようとした意思が含まれている。ただ、出来なかったのだ。都会暮らしも性に合わず、彼方の世界からも逃げられなかった。鱗道は出来なかったからH市に戻ってきたのであって、「出来てしまった」ならば今も都会に暮らしていたかもしれない。
 昴は「出来てしまった」絶望や恐怖を、己の産物へと向けた。それがクロや屋敷に染みた意思存在から感じる、乾いた湿度の大本の失敗作や否定という呪いである。呪いであるからこそ、少なくともクロを「生き物」や「失敗作」という言葉に執着させて拘らせ、意思の指向性を決めてしまった。恐らく、屋敷に染みた意思存在も――シロが違うと言っている以上、完全に一致はしないのだろうが――「生き物」や「失敗作」に何らかの形で執着し、意思の指向性を決められているはずだ。
 幸いなことに昴は、最期を前にクロや屋敷に染みた意思存在に呪いをかけたことに気が付いている。だからこそ、己が憎まれている恨まれていると思い始めた。そしてそれを悔いている。何とかしようと行動を取ろうとした。
 不幸なことは昴がそのまま何も出来ずに死んだことである。クロの呪いも解放されず、屋敷に染みた意思存在も同様であった。クロと屋敷に染みた意思存在の呪いは新たに注がれることなくなったが、拭われることもなく浸食を残して乾いていった。
 死んで稀薄な意思となり、屋敷に遺った死霊は何を思うのだろうか。死んで彼方の世界に渡った今、死霊はクロや、あるならば屋敷に染みた意思存在の声を聞いたのだろうか。鴉を書斎から連れ出した鱗道の前に姿を現したのは、この手紙を見せるためであったのだろうか。その理由は――最後の一枚と、今も同じなのだろうか。
 クロが最後の便箋に目を通すために鱗道の肩に止まった。ほんの数行の文章である。インクの滲み、掠れ、潰れかけた文字。酷く読みにくい数行の震えは、力が入りすぎてしまったものなのだろう。
「――クロ。言いたいことがあるなら聞くぞ」
 鴉の重みに下がる肩に力を入れて支えながら、鱗道は暗闇の男を見た。黒い霧のようになってしまった顔であるが、影の形からして足下に向いているように見えた。恥じているのか、悔いているのか、恐れているのか、知る術は鱗道にはない。
『言いたいこと、ですか』
 硬質な声には一切の震えもない。研ぎ澄まされた刃物のように鋭い声が、
『昴はやはり、行方不明直後に死んだと考えるべきですね』
 あらゆる鉱石、あらゆる金属、あらゆる色彩を引き連れてその一言だけを発し、それ以上を語らなかった。あまりに複雑な音声に対して酷く淡泊な言葉に、鱗道は目を丸くして肩の鴉を見上げる。様々な宝飾品やガラス戸が反射する光を受けて黒々と光る鴉は微動だにせず、ただ嘴を高く掲げていた。
「……それだけか?」
『ええ。それだけですが、何か』
 鱗道の言葉に対する返答は、ぞっとするほど無感情で冷たいものであった。
「いや、だってお前……「生き物」じゃないとか、「失敗作」だとか言われて……しかも、意思疎通云々も、これに書いてあったとおり、結局昴が」
『鱗道。私が、昴が意図して私に発声機構を付けていないことに気が付いていないと思っていたのですか。言ったでしょう。昴はミスなどしない、と』
 高々と掲げられた嘴が開くのは、語っているという主張行為だ。胸が大きく膨らんで見えるのは、嘴を上げてバランスを取るために胸部が突き出しているからだろう。
『昴の生前に連れられて入った頃、実験室にあった贋作のパーツにはいくつか発声機構を思わせる部品がありました。ですが、どれも壊されているか中途半端な試作で終わっていたのです。私に発声機構が備わっていないのは、昴が意図したものとして考えるには充分でした。動機は推測も出来ませんでしたが――この手紙に書いてある通りだと思えば、理解は出来ます。昴は度々、意思疎通が完全ではない他人が恐ろしいという旨を語っていましたから』
 やはり、昴の話をする時には抑揚が滲む鴉の――クロの声は、先ほどに比べれば平坦ではある。だが、複雑すぎないからこそ、鱗道にも理解が出来る適した抑揚となっていた。
『確かに昴は私が意思疎通が出来ないことを「生き物」ではない要素としていましたが、それだけではありません。体温を有していないこと、破損や破壊による修理修復を己では出来ないことなども要素としては上げていました。勿論、繁殖できないということもですね。
 ですが、私は昴に言われたからという理由だけで己を生き物ではない、失敗作であると考えているのではありません。昴が上げた要素もそうですが、世界はあまりに多角的なのです。たった一つの解が答えとされるのは数学など限られた学問だけであり、この世界の多くは複数の要素が絡んで回答が一つとは限らない。私は、私が「生き物」ではないならば「何物であるのか」を知りたいのです。また、別の視点別の角度において私が「生き物」とされる定義があるのならばそれを知りたい。私は昴から多くを学び、学んだことを活かして書物を読み、屋敷という世界の狭さを知ったのです』
 愛おしむようであり、恐れるようであり、哀れむようであり、尊ぶようであり、楽しむようであり――不確定で曖昧な、複雑であれど明確な声で言葉は語られる。あらゆる感情を内包していて、どれか一つが極端に強いわけではなく、
『私はかけられた言葉を恐れこそすれ、私を作り出したことに感謝こそすれ、昴に憎悪を抱いたことなどただの一度もありません』
 ただ一つ確実なことは、クロは嘘を言わない、ということであった。
『私は――嬉しい。昴が私に、より広き世界を学べと望んでいたと知れたことが、私は――嬉しいのです』
 ――ああ、乾いている。肩のクロを見上げて、鱗道は目を細めた。クロには昴の言葉が染みて呪いとなっている。「生き物」や「失敗作」という言葉に対する執着や拘りの指向性は、確かに呪いなのだ。だが、クロは既に一歩進んでいる。指向性を己の知識をむさぼる力として、一人である時も書物を漁り思考を続けて常に進み続けた。恐れても逃げず、命題に変えて、前進するための目標へと昇華させた――それは、昴が出来なかったことであり、クロならば成し遂げるのではないかと昴が可能性を見出したことだ。
 クロに向けていた視線を、先程まで人影が――昴が立っていた場所へと向けたが、もうただの薄暗い一角には何も立っていなかった。クロの声が聞こえたのかどうかも分からずじまいである。頭の形も作れていなかったことから考えれば、もう一度見られるかどうは分からず、可能性は低いだろう。だが、確認の機会は必要なものではなかった。
『鱗道』
 クロが鱗道に向ける声は硬質で一律な音になっていた。
『昴がいたのですか。精神界――彼方の世界というのでしたか。そこにいるならば、私の声は聞こえたのでしょうか』
 鱗道が振り向くよりも先に、つらつらと流れるようなクロの言葉が頭に届く。鱗道は結局クロを振り向き切らないまま、首を当たらない範囲で横に振った。
「いた。が、聞こえてたかどうかはわからん。俺に見えたのが不思議なくらい酷く弱い幽霊だった。今のが最後でもおかしくない」
 嘘を言わないクロに倣い、鱗道も嘘や推測は言わなかった。事実さえ告げればクロは、自ら羽ばたける翼を持っているのだ。
「……確認したかったか? お前の声が聞こえていたかどうか」
 鱗道の言葉に、クロは頭を横に振って見せた。
『いいえ、その必要はありません。元々、私の声は昴には届かないものですから。それに――もし、聞こえていたとしたら……それは、少し……妙な心地になりますね。なので、聞かぬが花で結構です』
 言葉の終いの方で、鱗道は耐えきれずに小さく笑った。クロの傾げられた頭にも、『何を笑っているのですか』という淡々とした質問にも答えなかった。その感想があまりに人間くさかったから――等と言えば、長い講釈が始まりかねなかったからである。

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