大理石の床とレンガの壁に囲まれた広い部屋の中に突然人影が現れ、シスターによって転送されたカガチやきび達が冷たい床にドサッと落ちた。その後ろに石化された子供達も一緒に落ちた。地響きのような音と共に埃が舞う。
ただ、そこには怪人と化したアコーニーだけが居なかった。
「ここ……どこ……?」
きびは周りを見渡した。書斎のような部屋だ。溢れるぼど沢山の本に囲まれ、整頓された本棚には几帳面さが現れている。その割にはこの部屋にあるたった1つ置かれた机には本や何か文字が書かれた紙が無造作に置かれていた。
シスターが貫かれた肩を押さえて苦しそうに言った。
「ここは魔法師達の街、アストラル。……オリジナルの魔女の1人、テルシオがいる場所……」
「|resanig《レサーニグ》(治癒)」
上の方から誰かの掛け声と共に蛍の様な淡い光の粒がシスター達の周りに現れた。淡い光が傷口に集まりシスターやカガチの腕の傷口を塞いだ。
それと同時に、パキパキと軋むような音がシスターから聴こえてくる。
「シスター!!」
カガチがシスターの前にしゃがむ。
「後の事は彼に任せます。アコーニーの事頼みましたよ……」
そう言い残すとシスターは石化して真っ白な石像になってしまった。
胸の辺りが輝くと、水晶玉が浮き出しカガチがそれを掴んだ。
「シスター…………」
「久しぶりに会ってそれはないでしょ…………」
部屋の隅にある螺旋階段を降りながら困った表情で現れたのは、夜空のようなローブを着た絵本に出て来るような魔法使いだった。
褐色の肌には日焼け前のような薄い色をした模様がある。それは顔や手にもあるので、まるで蛇の柄のように全身にその模様があるのかもしれない。
テルシオと呼ばれたその人は高校生くらいの少年のような魔女だった。
カガチが手にしたシスターの水晶玉が勝手に動き出し、テルシオの手に渡った。
「あっ」
「残念だけど、咎人とがにんの君にはこれを持つに値しない」
「…………」
カガチはテルシオを一瞬睨み付けそのあと目を伏せた。
「うっ……んん……」
「しろちゃん!」
「蓬! 大丈夫か?」
きびとあらせが眠っていたしろに声をかける。
しろが頭を押さえながら起き上がった。
「あれ? ……なにここ……」
きびやあらせがしろに説明しているその間にテルシオが水晶玉からシスターの記憶された映像を眺めた。
「何となくの事情はわかった。最近、魔女達が襲われているのは、こちらも把握している」
「それで、対策は?」
カガチが言った。
「ない。我々はまだ彼等と接触した事がない。発見されたのは、みな石化された状態だった。見えない敵に備えるのは個人に委ねるしかない」
「その中の何人かはあのネコに油断したはずや!」
「そう言えば、映っていたネコ……」
テルシオは人差し指を顎に当てて考えた。
「あれはカーミラのネコじゃないか?」
「たしかルシアンのご主人の名前カーミラだったよ」
きびが言った。
「あいつは今どこに?」
「石化されちゃったの。それでルシアンが私のところに……」
「石化……あの性悪が負けるほどの相手なのか?」
「敵のボスは楽園に住んでいたイブやで。オリジナルが集まっても太刀打ちできる相手なんか? うちの魔力戻した方がいいんちゃう?」
「君のは決定事項だ。もう覆くつがえせないんだよ。カガチ」
「ちっ」
カガチが舌打ちをするもテルシオは気にせず話を進めた。
「正直言うとオリジナル達がどこに居るのか殆ど把握していない。特に君の師は隠れてばかりだからね。そして、そこのシスターとカーミラ。彼等もオリジナルだ……」
「…………」
「オリジナルって前にお姉さんが言ってたヘビのウロコから生まれた人?」
「その人達から力をもらったのが、お姉さんたち人間から魔女になった人よね?」
「それが2人も石に……シスター強かったのに……」
シュガールの3人がヒソヒソと話す。
「また、魔女狩りが始まるのか……」
テルシオは窓の外を眺めてつぶやいた。窓の外からは街が見下ろせた。大通りを歩いている人々がにぎやかに1日を過ごしている。
「もう、始まっているんや。今度は魔女と魔女の同士討ちやで」
カガチのその言葉にテルシオは閃いた。
「おかしい……。イブに僕達が恐れるほどの魔力があるなんて……イブの鱗は剥がれ落ちた筈だ。人間になりエデンを出て行ったイブがなぜこんなにも魔力を持っている?」
「……誰かがイブに入れ知恵でもしたんちゃう? 水晶玉めっちゃ集めてんやから」
「それ裏切り者がいるって事?」
あらせが言った。
その言葉でテルシオ以外の視線がきびの方へ向く。
「あぇ! わ、わたし違うよ!」
きびが両手を横に振り否定をする。
「当たり前や。昨日今日の話やない。それに、ちびの記憶覗いた時もイブの事知らんようやったし」
「でもさ、イブはカインを殺したいんじゃなかったっけ?」
フィカスが言った。
「そうや! カインや! 全部あいつが悪いんや!」
カガチがカインの名前を出すと腹を立てた。
「話が見えないな」
テルシオはポケットから懐中時計を取り出して時間を見た。
「僕はこれでも仕事中でね。ここは学園なので、部外者にいつまでも居てもらうと都合が悪い」
「学校? じゃあ、ここにもシスターがいるんですか?」
しろが言った。
「いや、シスターはいない。ここはシスターがいるセラピーとは違う。通っている生徒達も……君達とは少し違うんだ」
「ホムンクルス。カインが作りたかった物をあんたらが完成させたわけや」
カガチが少し喧嘩腰にテルシオに話す。
「君達を助けたかったからだ。魔女狩りに苦しむただの・・・人間達を憎悪犯罪ヘイトクライムから守るために」
「身代わりを人間に売っぱらって? 虐殺が奴隷に変わっただけやないか!! 国はホムンクルスを受け入れても支配や迫害はなにも変わらなかった! それに魔女狩りの時とは違う。今度は本当に魔法が使える人間が現れたんや、始めて魔法を見た人間達はそれを見て何を思ったと思う? 魔女はやはりいたのだ、我々は正しかったと。お前は証明したんや。魔女は恐ろしいものだと、支配しなければ支配されると。助けだと? どれだけ物として扱われ、どれだけ死んだと思っとんねん! あいつらの死体の山を見てもそう思えるんか? 立場が違えばそれは自分だったかもしれないのに。助かったとは思わない。時が過ぎ時代が変わっても、そんな考えが油のようにべっとりと頭に付いて離れない。いつも付き纏う。あんたらはカインと同じ悪魔や!」
テルシオは少し悲しそうな目をして優しげに言った。
「では……どうすればよかったと言うのだ? お前は我々に心が無いとでも思っているのか? 魔女狩りをやめさせるためにあれでも最善策を取ろうとした。我々に今更なにを求めるんだ? 蛇よりも悪逆非道なことをしているのは人間達の方じゃないか」
「お前達など始めから現れなければよかった!」
「カガチ言い過ぎ!!」
フィカスが止めに入った。
「ケンカしないで! ケンカしちゃやだぁ!」
きびが涙目になりながらカガチの袖を掴んだ。
「ごめんなさい。私が余計なこと言ったから……」
しろが俯きながら言う。
「も~大人気ないんだから!」
フィカスが2人を見て言う。
「お喋りはここまでだ。それにそこに寝ているセラピーの子を医務室に運ばなければ。後で使いの者を寄越すから、しばらく街を散歩でもしていてくれ。また改めて話をしよう」
テルシオが指を鳴らすと床に魔法陣が現れた。カガチ、きび、あらせ、しろの体がゆっくり床の底へ沈んでいく。
「……すまなかった」
テルシオの言葉と共に姿が消えると、街の広場に降り立った。
魔女と人間とホムンクルス
街の広場は行き交う人々で賑わっていた。
人々の顔を見るとテルシオのような褐色の肌をしている人が多く見られた。
シスターのいたセラピーでは、いろんな国から来たような子供達の集まりだったが、ここはまるで1つの国のようだった。
「お姉さん。大丈夫?」
きびがカガチに話しかけた。
「あ……ああ。さっきはすまんかったな。少し感情的になってもうた……」
「またシェディムが現れたりしないかしら……?」
しろが心配そうに言う。
「ねぇ、何か飛んで来るよ!」
あらせが空を指差した。
1羽の鳥がきび達の頭上を旋回し、地面に着陸すると、鳥は人の姿に変わりにこやかな表情を見せた。
「テルシオを訪ねていらしたお客様ですね。テルシオの使いで来ました。街をご案内いたします。シムルグと申します。どうぞシームとお呼びください」
シムルグと名乗る若い男の子は片足を後ろに引き片手を胸に添えて|bow and scrape《ボウ・アンド・スクレープ》と呼ばれるお辞儀をした。
「この街、アストラルをご案内いたします。なにかご要望などはございますか?」
「ここってどんなところなの?」
あらせが質問した。
「ここの住民はホムンクルスの血をルーツに持つ者達の住処。魔導師だけでなく|獣人《じゅうじん》もそれに当たります」
「獣人ってなに?」
「獣人とは|獣《けもの》から人に変身でき、変身しても動物の身体能力が備わっている者です。あなた方も目にしたことがあるはず。カーミラの使い魔である猫。そしてこの私も獣人です」
「前から思ってたんだけど、獣人は魔法が使えたりするの?」
しろが言うとシムルグが首を横に振った。
「いいえ。獣人は魔女や魔導師のような魔法は使えません。獣が人間に変身できる程度のものです。そして、ホムンクルスは魔法が使えると言っても、彼等は魔女ではありません。所詮は|紛《まが》い物。ホムンクルスの魔法は1人1つの特定の能力しか持ちません」
「「「へ~え」」」
3人はわかったようなわかってないような返事をする。
シムルグがパンと両手を叩き、何か思い付いたように提案する。
「では、お客様は外の世界からいらっしゃったので、よろしければ魔女とホムンクルスについてご説明いたします」
「うちは……」
カガチが気まずそうに何か言いかけるとあらせが止めに入った。
「お姉さんいなくなったら僕たち路頭に迷っちゃうよ」
「お姉さん大事な戦力だものね!」
「はやく! お姉さん!」
あらせときびがカガチの服や手を引っ張り、カガチの後ろをしろが付いて歩く。先を歩くシムルグの後を4人が追った。
シムルグはきび達を街の博物館へ案内すると、周りの展示品には目もくれず、奥へ奥へと進むと広い部屋へ出た。
シムルグが壁画の彫刻を指差した。
「こちらをご覧ください」
壁画は絵巻のように続いていて、物語のようになっていた。
壁画には玉座に座る王と1人の魔女が謁見《えっけん》していて、魔女の後ろには裸の人間が何人も立っている。
シムルグが壁画の説明をしだすと3人は静かにその話を聞いた。
「かつて魔女狩りによって人間の世界は混沌に満ちていました。魔女狩りで処刑された者の中にはほとんど魔女は居なく、罪もない少女達が王の命令により拷問を受け殺されたそうです。心痛めた魔女は王に魔女狩りを廃止してもらうよう頼み、それと引き換えに献上したのが|麦秋《ばくしゅう》を思わせる褐色の肌を持ち、蛇に似た瞳をした〝人間〟でした。魔女は言いました。
『これは私が錬金術で作った|人間《ホムンクルス》です。どうか、魔女狩りで虐げられている私達の代わりに』
ホムンクルスが魔法を使えるのは魔女が生み出したその名残りなのです。王はホムンクルスを奴隷として国民に浸透させ、魔女狩りをしていた国民達は魔法が使える奴隷に嫌悪感を持ち、人として扱う事を拒みました。こうして奴隷達が人として扱われないのは魔女狩りの過去が人々の中に染み付いて残っているからなのです」
シムルグはゆっくり歩き出した。
「やがて人間との生活を共にしていくうちにホムンクルスにも人間の文化を学習し始め、人としての心が芽生え始めました。ここからがホムンクルスが語る悲劇の始まりなのです」
隣の壁画には鞭で打たれるホムンクルスや荒波に揉まれる船の絵が彫られている。
「奴隷は船で大陸を渡り、国から国へとホムンクルスは広まりました。主人の財産として金儲けに使われる奴隷達の扱いは、人としてではなく物として扱われ、船に身動きが取れないほど押し込まれ運ばれて行きます。過酷な長い航海に耐えられずホムンクルスは多くの命を落としました」
静かに聞いている3人の目がだんだん潤んでくる。
シムルグが隣の壁画に進むと、人間の男女が向かい合っていた。女性の方には蛇が巻き付いている。
「それでもホムンクルスが衰退しなかったのは蛇の血が入っていたからです。基本、魔女は|生殖《せいしょく》ができません。ですが|彼等《ホムンクルス》は人間の体を模して作られました。つまり、性別があったのです。蛇の中には|単為生殖《たんいせいしょく》ができる個体がいるのをご存じですか? 単為生殖とは、簡単にオスやメスがいなくても子供を作れることを言います。ホムンクルスはメスさえいれば増やせたのです。もちろん普通にオスメス同士の繁殖も可能です。ですが、奴隷であるホムンクルスには主人である人間の許可が必要でした。結婚も自由には出来なかったのです」
次の壁画には2種類の旗を靡かせて4人の人間が描かれていた。
左側の兵士のような鎧を来て、跪く人間に剣を下ろしている。
右側にいる兵士は隣の人間を庇うように抱き支えているようだ。
「やがてホムンクルスは人間と対等な地位を求めました。差別的扱いに気付き始めたのです。そして彼等を人として扱う人間達も増え、そうでない人間とで考えは分断されました」
「ホムンクルスはどうして人間にやり返さなかったの? 魔法が使えるのに」
あらせがシムルグに聞く。
「ホムンクルスの魔法は1つの決まった魔法しか使えません。全てが自分の身を守れる魔法とは限らないのです。例えばホムンクルスが動物の言葉がわかる魔法を持っているとします。もし仲間の1人が主人に反逆してしまうと動物と話す能力しかないその人は、なんの抵抗もできず罰を与えられてしまうでしょう」
「なんで? その人がやったわけじゃないのに!」
「そう。これが人間達がホムンクルスを縛り付けることができた理由なのです。1人逆らえば他の誰かが犠牲になる。そうなるのは大抵力の弱い者です。中には主人に気に入られるために仲間を売ることだってありました。生き延びるために逃げ出した仲間を、生き延びるために殺さねばならないと自分に言い聞かせて」
「そんなぁ……ひどい……」
きびが涙と鼻水を垂れ流す。
「それも終わりを迎えます。魔女は長寿で年を取らず、その姿のまま永遠に近い時を過ごします。それに比べ、人間界の時はあっという間に移り変わり、やがて奴隷制度も無くなりました。奴隷の解放と反対運動が行われたのです。1部では人間界でも奴隷を集めた国を作り、人間とホムンクルスが仲良く暮らしていると言われています。そして、ホムンクルスが少なくなるとやがて魔法も衰え、人間は世代交代を繰り返すと、人々は魔法を信じなくなったのです」
シムルグの説明が終わると、3人は声もなく大粒の涙をポロポロと流していた。しばらく泣き止みそうにない。
「ここの人達はどうやってアストラルにやって来たのさ? ろくに魔法は使えないだろ?」
フィカスが言った。
「|彼《テルシオ》が迎えに来てくれたんです。長い年月を過ぎ久々に人間界の様子を見た彼が。帰っておいでと……。まさかこんなにホムンクルスが生命の進化を果たしているとは彼も思わなかったそうで、また人間達に虐げられていたのがすごいショックだったと後から聞きました」
シムルグは困ったような顔でアハハと笑った。そしてカガチの方を向いて穏やかな表情を作る。
「あの|酷悪《こくあく》な時代の中。我々は戦い、生き残り、新しい時代を切り開きました。それは我々の誇りです。……確かに彼の行いは許し難いものです。無責任です。彼を恨んでいるホムンクルスも少なくありません。……ですが、あまり彼をいじめないでください。あれでも我々は彼がいなければ今日も明日も無かったのですから」
カガチは目を伏せた。
「せやかて……」
「彼。冷たく見えますが、あれでも泣き虫なんですよ。今頃カガチさんに言われたこと影で泣いてますよきっと。アッハハ!」
そう言うとシムルグは本当に可笑しそうに笑った。
「カガチさん。あなたに何があったのかはわかりませんが、なんとなくは察しがつきます。あまり自分を責めないでください。残された者は辛い。だからこそ次世代に過ちを繰り返させてはならない。それに、新しい歴史を作るにはまだ我々は若いじゃありませんか。悪いところは変えればいいのです。それこそ壁画にされるくらいに」
シムルグが壁画を背に親指でそれを指した。
その壁画は1人の魔女が手を差し伸べ沢山のホムンクルスを導いて歩く姿だった。
人々の顔を見るとテルシオのような褐色の肌をしている人が多く見られた。
シスターのいたセラピーでは、いろんな国から来たような子供達の集まりだったが、ここはまるで1つの国のようだった。
「お姉さん。大丈夫?」
きびがカガチに話しかけた。
「あ……ああ。さっきはすまんかったな。少し感情的になってもうた……」
「またシェディムが現れたりしないかしら……?」
しろが心配そうに言う。
「ねぇ、何か飛んで来るよ!」
あらせが空を指差した。
1羽の鳥がきび達の頭上を旋回し、地面に着陸すると、鳥は人の姿に変わりにこやかな表情を見せた。
「テルシオを訪ねていらしたお客様ですね。テルシオの使いで来ました。街をご案内いたします。シムルグと申します。どうぞシームとお呼びください」
シムルグと名乗る若い男の子は片足を後ろに引き片手を胸に添えて|bow and scrape《ボウ・アンド・スクレープ》と呼ばれるお辞儀をした。
「この街、アストラルをご案内いたします。なにかご要望などはございますか?」
「ここってどんなところなの?」
あらせが質問した。
「ここの住民はホムンクルスの血をルーツに持つ者達の住処。魔導師だけでなく|獣人《じゅうじん》もそれに当たります」
「獣人ってなに?」
「獣人とは|獣《けもの》から人に変身でき、変身しても動物の身体能力が備わっている者です。あなた方も目にしたことがあるはず。カーミラの使い魔である猫。そしてこの私も獣人です」
「前から思ってたんだけど、獣人は魔法が使えたりするの?」
しろが言うとシムルグが首を横に振った。
「いいえ。獣人は魔女や魔導師のような魔法は使えません。獣が人間に変身できる程度のものです。そして、ホムンクルスは魔法が使えると言っても、彼等は魔女ではありません。所詮は|紛《まが》い物。ホムンクルスの魔法は1人1つの特定の能力しか持ちません」
「「「へ~え」」」
3人はわかったようなわかってないような返事をする。
シムルグがパンと両手を叩き、何か思い付いたように提案する。
「では、お客様は外の世界からいらっしゃったので、よろしければ魔女とホムンクルスについてご説明いたします」
「うちは……」
カガチが気まずそうに何か言いかけるとあらせが止めに入った。
「お姉さんいなくなったら僕たち路頭に迷っちゃうよ」
「お姉さん大事な戦力だものね!」
「はやく! お姉さん!」
あらせときびがカガチの服や手を引っ張り、カガチの後ろをしろが付いて歩く。先を歩くシムルグの後を4人が追った。
シムルグはきび達を街の博物館へ案内すると、周りの展示品には目もくれず、奥へ奥へと進むと広い部屋へ出た。
シムルグが壁画の彫刻を指差した。
「こちらをご覧ください」
壁画は絵巻のように続いていて、物語のようになっていた。
壁画には玉座に座る王と1人の魔女が謁見《えっけん》していて、魔女の後ろには裸の人間が何人も立っている。
シムルグが壁画の説明をしだすと3人は静かにその話を聞いた。
「かつて魔女狩りによって人間の世界は混沌に満ちていました。魔女狩りで処刑された者の中にはほとんど魔女は居なく、罪もない少女達が王の命令により拷問を受け殺されたそうです。心痛めた魔女は王に魔女狩りを廃止してもらうよう頼み、それと引き換えに献上したのが|麦秋《ばくしゅう》を思わせる褐色の肌を持ち、蛇に似た瞳をした〝人間〟でした。魔女は言いました。
『これは私が錬金術で作った|人間《ホムンクルス》です。どうか、魔女狩りで虐げられている私達の代わりに』
ホムンクルスが魔法を使えるのは魔女が生み出したその名残りなのです。王はホムンクルスを奴隷として国民に浸透させ、魔女狩りをしていた国民達は魔法が使える奴隷に嫌悪感を持ち、人として扱う事を拒みました。こうして奴隷達が人として扱われないのは魔女狩りの過去が人々の中に染み付いて残っているからなのです」
シムルグはゆっくり歩き出した。
「やがて人間との生活を共にしていくうちにホムンクルスにも人間の文化を学習し始め、人としての心が芽生え始めました。ここからがホムンクルスが語る悲劇の始まりなのです」
隣の壁画には鞭で打たれるホムンクルスや荒波に揉まれる船の絵が彫られている。
「奴隷は船で大陸を渡り、国から国へとホムンクルスは広まりました。主人の財産として金儲けに使われる奴隷達の扱いは、人としてではなく物として扱われ、船に身動きが取れないほど押し込まれ運ばれて行きます。過酷な長い航海に耐えられずホムンクルスは多くの命を落としました」
静かに聞いている3人の目がだんだん潤んでくる。
シムルグが隣の壁画に進むと、人間の男女が向かい合っていた。女性の方には蛇が巻き付いている。
「それでもホムンクルスが衰退しなかったのは蛇の血が入っていたからです。基本、魔女は|生殖《せいしょく》ができません。ですが|彼等《ホムンクルス》は人間の体を模して作られました。つまり、性別があったのです。蛇の中には|単為生殖《たんいせいしょく》ができる個体がいるのをご存じですか? 単為生殖とは、簡単にオスやメスがいなくても子供を作れることを言います。ホムンクルスはメスさえいれば増やせたのです。もちろん普通にオスメス同士の繁殖も可能です。ですが、奴隷であるホムンクルスには主人である人間の許可が必要でした。結婚も自由には出来なかったのです」
次の壁画には2種類の旗を靡かせて4人の人間が描かれていた。
左側の兵士のような鎧を来て、跪く人間に剣を下ろしている。
右側にいる兵士は隣の人間を庇うように抱き支えているようだ。
「やがてホムンクルスは人間と対等な地位を求めました。差別的扱いに気付き始めたのです。そして彼等を人として扱う人間達も増え、そうでない人間とで考えは分断されました」
「ホムンクルスはどうして人間にやり返さなかったの? 魔法が使えるのに」
あらせがシムルグに聞く。
「ホムンクルスの魔法は1つの決まった魔法しか使えません。全てが自分の身を守れる魔法とは限らないのです。例えばホムンクルスが動物の言葉がわかる魔法を持っているとします。もし仲間の1人が主人に反逆してしまうと動物と話す能力しかないその人は、なんの抵抗もできず罰を与えられてしまうでしょう」
「なんで? その人がやったわけじゃないのに!」
「そう。これが人間達がホムンクルスを縛り付けることができた理由なのです。1人逆らえば他の誰かが犠牲になる。そうなるのは大抵力の弱い者です。中には主人に気に入られるために仲間を売ることだってありました。生き延びるために逃げ出した仲間を、生き延びるために殺さねばならないと自分に言い聞かせて」
「そんなぁ……ひどい……」
きびが涙と鼻水を垂れ流す。
「それも終わりを迎えます。魔女は長寿で年を取らず、その姿のまま永遠に近い時を過ごします。それに比べ、人間界の時はあっという間に移り変わり、やがて奴隷制度も無くなりました。奴隷の解放と反対運動が行われたのです。1部では人間界でも奴隷を集めた国を作り、人間とホムンクルスが仲良く暮らしていると言われています。そして、ホムンクルスが少なくなるとやがて魔法も衰え、人間は世代交代を繰り返すと、人々は魔法を信じなくなったのです」
シムルグの説明が終わると、3人は声もなく大粒の涙をポロポロと流していた。しばらく泣き止みそうにない。
「ここの人達はどうやってアストラルにやって来たのさ? ろくに魔法は使えないだろ?」
フィカスが言った。
「|彼《テルシオ》が迎えに来てくれたんです。長い年月を過ぎ久々に人間界の様子を見た彼が。帰っておいでと……。まさかこんなにホムンクルスが生命の進化を果たしているとは彼も思わなかったそうで、また人間達に虐げられていたのがすごいショックだったと後から聞きました」
シムルグは困ったような顔でアハハと笑った。そしてカガチの方を向いて穏やかな表情を作る。
「あの|酷悪《こくあく》な時代の中。我々は戦い、生き残り、新しい時代を切り開きました。それは我々の誇りです。……確かに彼の行いは許し難いものです。無責任です。彼を恨んでいるホムンクルスも少なくありません。……ですが、あまり彼をいじめないでください。あれでも我々は彼がいなければ今日も明日も無かったのですから」
カガチは目を伏せた。
「せやかて……」
「彼。冷たく見えますが、あれでも泣き虫なんですよ。今頃カガチさんに言われたこと影で泣いてますよきっと。アッハハ!」
そう言うとシムルグは本当に可笑しそうに笑った。
「カガチさん。あなたに何があったのかはわかりませんが、なんとなくは察しがつきます。あまり自分を責めないでください。残された者は辛い。だからこそ次世代に過ちを繰り返させてはならない。それに、新しい歴史を作るにはまだ我々は若いじゃありませんか。悪いところは変えればいいのです。それこそ壁画にされるくらいに」
シムルグが壁画を背に親指でそれを指した。
その壁画は1人の魔女が手を差し伸べ沢山のホムンクルスを導いて歩く姿だった。