貝になった少年
昔、ある小さな村に小さな少年がいた。
どこにでもいるような普通の少年であった。毎日外で走り回り、親への反抗も覚えた。
ところが、そんな普通の少年が、思わぬ行動に出た。
きっかけは些細なことだった。夕飯のシチューに少年の大嫌いなニンジンが混じっていたのである。少年は烈火のごとく怒り狂った。そしてすでに暗くなった外に飛び出して行った。
少年の家のすぐ外は海である。だからこの近辺に住む人は泳ぎが上手い。しかし少年は数少ない゛泳げない人゛だった。だからこそ、少年は毎日森を走っていた。水に入ることもできず、少年は砂浜で寝転がっていた。
明かりはない。
全くないはずだった――
追いかけてきた母は驚嘆して立ち尽くした。
砂浜の上に、眩く輝く大きな貝が鎮座していたのである。そして、閉じられた貝の隙間からは、確かに少年の顔が見えた。
「ぼうや! 何をしてるの出てきなさい!」
「やだ」
「ぼうや!!」
「ちゃんと謝ってくれないといやだ」
少年の言う゛ちゃんと゛の意味が母には分からなかった。不承不承ながらも、真剣に謝っているつもりではいたのだ。ただニンジンを除けばいいだけの話じゃないの!? 母は段々怒りが込み上げてきて、やがて立ち去ってしまった。
少年の望みは叶えられないままだった。
母は村の実力者にこのことを相談した。息子が光る貝に閉じ篭って出てこようとしないのです――
実力者の老人は鼻毛を抜きながら「ほっとけ」と言った。
少年は実力者の言葉どおり、ほっとかれた。母以外からは。
母は毎日毎日、一日に何度も砂浜を訪れ、息子に謝った。しかし少年は無視し続けた。
3日過ぎて、5日過ぎて、そして一週間が経った頃――変化が現れた。それも劇的な。
「すいませんでした!!!!!!!!!!!!×40くらい以下同じ」
数百人――この村の全ての人間が、少年の前に集まった。そして皆声を揃えて少年に土下座した。その最前列には、実力者の老人の姿があった。
「ニンジンなど作ってしまってすいませんでした!!!!!!!!!!!!」
「すいませんでした!!!!!!!!!!!!」
「すいませんでした!!!!!!!!!!!!」
「ニンジン畑は潰します!!!!!!!!!!!!」
「残らず余さず全て完膚なきまでに潰します!!!!!!!!!!!!」
少年は冷徹な目でその一種おかしみのある光景を眺めていた。
「だから?」
「え????????????」
「それが、どうしたの。ぼくは、そんなことどうでもいいんだ」
「で、では………………………………………………………………」
村人達がざわつき始めた。皆、とても困った様子だった。そして実力者の老人は、血管が浮き出そうなくらいに怒っていた。
その時――1人だけ集団から外れていた母が、少年のすぐ前に飛び出してきた。そして、一週間ぶりに少年の僅かに現れた鼻筋を撫でて、笑顔で言った。
「今夜は、ぼうやの大好きな鶏の煮込みよ」
それを聞いて、少年の口元が一瞬緩んだ。
「…おかあさん」
「なあに、ぼうや」
「ぼうやって呼ぶの、もうやめてよ」
母は、虚を突かれたような顔になった。そして、そうだったのと優しい笑顔で呟いた。
「…分かったわ、ごめんね、エドワンス」
その瞬間、貝が光を失った。そして、地中に潜って消えて行った。少年は、1週間ぶりに外の世界に現れた。
「約束だからね、おかあさん」
「ええ、約束よ――」
約束が叶えられることはなかった。
『エマムニエール貝』――それが、貝の正式名称だった。数年に一度地中深くより現れ、子供がちょうど収まるくらいに口を開き獲物を待つ。そしてその子供から栄養を吸い取り、また潜って次の機会を窺うのだ。
とはいえ、この貝によって子供が死ぬことはない。
子供が死ぬのは――否、殺されるのは――大人たちの手によって、だ。
この時代、人食を嗜む者は多かった。彼らの間では熱く語られていた。どの人種の肉が一番美味いか、歯ごたえはどうか、若い方が柔らかい、黒人人種なら容易に調達できるが味が気に入らない――
永遠に答えは出ないと思われたが、意外なところからそれは現れた。
「エマムニエール貝で1週間熟成された子供の肉を1ヶ月寝かせてから食うと最高にワインと合うぞ」
ある有力国の王がそう発言した時、大勢は決した。
世界各国でエマムニエール貝の生態調査が行われた。希少種である光る巨大な貝たちは、王の圧倒的資金力を背景とした人海戦術により乱獲された。そしてそれらを゛比較的人口が少なく゛゛海沿いで゛゛金で操りやすい者が権力を持つ村々゛に次々と埋められていった。
こうして世界中の人食マニアたちに、おかしな貝によって生み出される美味しい子供の肉の存在が広く知られていくこととなり、高価で取引されるようになったのである。
少年の頭部と太股と性器はその王の元へ。
腕は東の大陸へ。
足首より下は西の大陸へ。
胴体は南の大陸へ。
ふとももと足首を除いたふくらはぎは北の大陸へ。
それぞれ、流れ流れて行った。
風の噂は、少年の母が口封じに埋められ、家は焼き払われた、と語った。
村はとても潤った。もちろん、ニンジン畑は存在したままだった。