エンイチロウとノスタルジー
エンイチロウは、教室に居た。
恐らくここは、エンイチロウが昔通っていた学校の、空き教室。
だけどこの教室が何年何組の教室なのか、思い出せない。
もしかしたら、ここは、一切馴染みのない学校なのかもしれない。
周りを見渡してみる。床の色、黒板の大きさ、机や椅子の形、どれをとっても馴染みのないものばかりだった。多分、ここは、自分の通っていた学校ではない。エンイチロウはそう思った。
しかし、そうだとすれば、なぜ自分は見知らぬ学校の教室に居るのだろうか? わからない。
それに、人の気配が全く感じられない。時刻は夕方、たとえここが空き教室だったとしても、人が全く居ないはずがない。しかし、だからといって迂闊に周りを歩くのは危険だ。エンイチロウはこの学校の生徒でもなければ、教職員でもない。そんな人間が学校に無断で侵入したことがバレてしまったら、ただでは済まないだろう。エンイチロウは、この学校で何かしらの悪事を働くつもりは一切ないが、第三者からみればエンイチロウは無断で学校に侵入した者でしかない。万が一通報されようものなら、警察沙汰になるかもしれない。そんな面倒事に巻き込まれるわけにはいけない。エンイチロウは、急いでいるのだ。なぜ急いでいるのか? 理由は思い出せない。ともかく、エンイチロウは急いでいるのだ。
エンイチロウは、教室の隅の掃除用具が収納されているロッカーを開けた。両手両足を縄で縛られ、目隠しをしていた女子生徒が入っていた。女子生徒は、寝息を立てて眠っていた。エンイチロウは安堵した。ロッカーのドアを閉め、エンイチロウは次の場所に向かった。
足音を立てないように廊下を歩いていると、ツインテ―ルの女子生徒と目が合った。女子生徒はエンイチロウを不審に思っている様子だった。なのでエンイチロウは、たまたま手に持っていたカッターナイフで、説得を試みることにした。
説得は成功、女子生徒は、エンイチロウと同行してくれることになった。しばらく歩いていると、スーツを着ている男と目が合った。エンイチロウは、女子生徒を男に引き渡した。男は軽く会釈すると、持っていたスーツケースを手渡し、エンイチロウにもう一人女子生徒を連れてくるように指示した。
エンイチロウは辺りを見回した。すると、背の小さな女子生徒の姿が目に入った。後をつけていると、理科準備室に入っていくのがみえた。理科準備室は人気がなさそうだったので、エンイチロウも一緒に部屋の中に入ることにした。
そこで、エンイチロウは、またもや説得を試みたが、女子生徒が金切り声をあげて抵抗し始めたので、女子生徒の頭に手元にあったビーカーを叩きつけた。すると、女子生徒はその場で意識を失って倒れたので、スーツケースに急いで詰め込んだ。
スーツケースを抱えながら、エンイチロウは学校の少し遠くに停まっている車に乗り込んだ。車の中には先ほどの男がいた。
「エンイチロウさん、いい仕事してますねぇ」
男は満足げな声でそう言った。エンイチロウは黙って軽く頷いた。
遠ざかっていく校舎を車窓から眺めながら、エンイチロウは想う。
なぜ、自分はこの学校に来たのだろう。
時折ガタガタと音を立てて動くスーツケースを抱きかかえながら、エンイチロウは寂しさと懐かしさを感じていた。
この感情に名前を付けるとしたら――これはきっとノスタルジーというものだろう。
エンイチロウはそう思った。