第一話「ニート・ニート・ニート」
ある街で、一つのムーブメントが起こりつつあった。
それは、商業主義・技術主義に走る音楽シーンへの対抗。ただ大きな音を出し、がなり声で絶叫するといった、テクニックも何もない若者たちの活躍だった。
これは、その中をさっそうと駆け抜けたあるバンドの物語である。
その街に、とても暇な青年がいた。
大学生であるが、キャンパスに足を踏み入れるのは、学生食堂でカレーを食べるときだけだった――もちろん一人で。なので、彼はネット上では「ガクショク」と名乗っていた。
ある日、いつものように、具のほとんど入っていないカレーを食べながらパソコンをカタカタやっていると、後ろで話す学生たちの声が聞こえてきた。
「バンドやったらもてるんじゃねえ?」「いやいや、ねーよ、お前のツラじゃ」
――なるほど、バンドか。ほとんど天啓のようにガクショクは感じた。
彼の行動は早かった。すぐに、メンバー募集のネット掲示板を開いていた。
すると、さっそく見つかった。異様なのが。
〈オレは、むかついているんだ! だから、オレは、叫びたいんで、でかい音だしてくれる奴、よろしく頼む〉
シンプルなその文面に何かを感じた。とりあえず、このヴォーカル候補に、連絡してみることにする。でかい音? 簡単だ。ボリュームを上げればいいんだから。技術に関して言及されていない。ということは、まったくの初心者でも問題はないということで。ばっちりだな。
返信しようと思ったが、とどまった。自分は何を担当するかまだ決めていない。
ギター、ベース、ドラムス――どれにするか。
なんか大変そうなドラムスは却下。ギターとベースの違いが分からなかったので検索して調べたところ、どうやらギターは弦が六本、ベースは四本らしい。どう考えても後者を選ぶべきだろう。さっそく、〈ベーシストです、一緒にやりましょう〉とヴォーカル希望へメールをする。
返事はすぐに来た。
〈じゃあ今日会わないか。駅前の楽器屋にオレはいる。赤髪が目印だ〉
一方的なメールだったが、ガクショクもベースを買おうと思っていたので、楽器屋へ向かうことにした。
「最も安いベースをください」と店員に言い、ガクショクは一万五千円の黒いプレシジョン・ベースを購入した。
予想以上に重かった。こんなのぶら下げて演奏などできるのだろうか。
ガクショクがそう不安がっていると、ある客と、店員との会話が聞こえてきた。
「すいません、ギター買いたいんですけど、どれがいいですか」
サングラスをかけた、金髪の男が、気だるげにそう質問している。とても今から何かを始めようという口調ではない。
店員もそれを感じているようだったが、ビジネスライクに、
「それでしたら、こちらの『初心者十一点セット』がよろしいかと」と、薦める。
(初心者セットだって。そんなのがあったのか。俺もそれにすればよかったな)
とガクショクは後悔した。しかしサングラスの男は「うーむ」とうなり、
「これ、何がついて来るんですか?」
「ギター本体に加えて、教本、チューナー等が付属します」
「うーん、余計なのごちゃごちゃついて来ても邪魔だな。ギターだけでいいんで、一番安いギターください」
そう男が断ったので、店員は顔を露骨にしかめ、最も安いコーナーへ案内した。
「おー、この赤いSG、いいなあ。これにしよう」
「あのー」ガクショクは男に話しかけた。「なんでセットにしなかったんですか」
いきなりの質問に男は一瞬とまどったようだったが、
「いや、だって、教本とかどうせ読まないし。オレ、ただでかい音だしてスカッとしたいだけだからさ。だからチューナーもいらない」
なるほど。潔い人だな、とガクショクは思った。自分も見習おう。
「そういう君はベーシストか?」男が聞いた。
「そうそう。今日始めたばっかりで。よかったら俺とやらないか」ガクショクが提案すると男は頷き、
「ああ、募集する手間が省けたな。じゃあよろしく頼むぜ。君なら初心者でオレと釣り合うだろうしな」
男とガクショクは握手を交わす。これでギタリストを確保できた。
「あ、そうだ」ガクショクは店内を見回す。「ヴォーカル候補の人と待ち合わせしてるんだ。たぶん今、この店の中にいるはず」
「あ、マジで。どういうやつ?」
「なんか赤い髪の人らしいけど」
二人がキョロキョロしていると、店内をふらふらとさまよう人物が見つかった。ギターケースを背負った、眉間にしわのよった女性だ。髪には赤いメッシュが入っている。
「違うな、ギターしょってる、ヴォーカルじゃないよ」
と男が言ったとき、彼女はばたりと床に倒れた。
「うわ。どうしたんだあの人」
「助けようぜ。ギタリストはもう一人いた方が、音が厚くなっていい。恩を売っとく作戦だ」言いながら男は、女性に駆け寄る。「おいあんた、大丈夫か――うっ」
近寄って、なにやら怯む。ガクショクも側に寄って、その理由が分かった。
彼女は強烈な酒の臭いを漂わせていた。
「うるせぇ……なんでもないから寄るな」女性は自分の頭を抑えながら言った。
「なんでもないって、あんた今転んだだろ」
「転んだんじゃねえ、寝たんだ! あたしの睡眠を邪魔する気か」
完全に泥酔している。
「店の迷惑になるからここで寝るのは止した方がいいと思うけど」ガクショクがそうつぶやくと、
「何が迷惑だ! あんたらみたいな、安物しか買わない客ばっかの店だ。迷惑もクソもあるか! おい、お前」女性はサングラスの男を指差す。
「え、オレがなにか?」
「お前がギター選ぶの見てたぞ! お前、ニセSG野郎だ、ギブソンだろギブソン、SGつったら! 安物メーカー選びやがって!」
「すげえ酔い方……」
「見せてやる! あたしの得物はなあ」女性は背負っていたギターケースを開き、中から赤い、大きなギターを取り出した
「グレッチ・テネシーローズだ! どうだ!」
「げっ、すげえ」
一瞬で男は眼を奪われた。
「なんだいそれ、高いの」何も知らないガクショクが聞くと、
「確か二十万くらいする。他は知らないけど。なんであんたそんなの持ってるんだ?」
「家にあったんだよ、うらやましいだろ? だけどこんなすごいもの持ってるあたしを――あいつらはクビにしやがった! クソったれ!」
いきなり女性が大声を出したのでガクショクはたじろいだ。
「なんだ、あんたバンドをクビになったのか」
「そうだよ。ちょっと酒いれて遅刻してっただけじゃねえか! おまけに下手だの、芸術性がないだの、やかましいんだよあいつら!」
「あんたの方がやかましいと思うが……まあ落ち着けって。とりあえず、どっかに移動しようぜ。オレ、あんたに興味がわいたよ。酒に酔ってこそのミュージシャンだよな」
「SG、お前分かってんじゃん。そう、ギターはピックと酒で弾くんだよ。よし、バーガー食おう、バーガー」
女性がふらふらと歩き出したので二人も後に続こうとすると、
「おい、お前ら、もしやメールくれた人か?」
と、赤い髪の男性が声をかけてきた。けげんそうな表情で、酔っ払った女性を見て、
「あれ、宴会の帰りか? なんでその人そんなに酔ってんだ?」
「なんだと! 酔ってなにが悪い!」
いきなり組み付かれるハメになった。「酒臭い!」
そしてファーストフード店に移動し脂っこいポテトをかじりながら話し、SGの男、グレッチの女性、赤い髪のヴォーカル、ガクショクの四人はどうやら、お互いに考えていることは同じだと分かった。
とにかく音を出したい。それだけだ。テクはいらない。今すぐ音を鳴らしたい。それが自分たちの音楽だ。全員がそういう主張だった。
「ぶっちゃけ、ぶち砕きたいんだよ」グレッチが言った。赤髪を指差し「お前の赤い頭も、街にいるつまらない奴らの頭も。あたしの音でぶち壊したいわけ。赤いフルーツぶっ潰すみたいに」
「同感だな。オレは社会に不満がある、そいつを叫びてぇんだ」赤髪も頷いて答えた。
「今の台詞、良いんじゃないの? 『赤い実ぶち砕く』――『スマッシング・レッド・フルーツ』。いかしてる」
SGの一言で、バンド名は決まった。
スマッシング・レッド・フルーツ。結成だ。
「ああ、そういえば」ガクショクが言う。「皆、学生? 仕事してんの? 俺は大学生なんだけど」
他の三人は一瞬黙り、そして答えた。
「ヒモだ」と赤髪。
「自由人だ」とグレッチ。
「求道者だ」とSG。
三人とも無職だった。