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第十五話「ホワット・ア・フール・ビリーヴス」

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「……というわけで、このイズミと対決することになったんだが」
 ハイオクがいきさつを説明するとエルとドリーは嫌そうな顔になった。
「面倒くせぇ。オレもう帰りてえから、また今度じゃあ駄目か?」エルはaoの持ってきたフライングVを弾き終え疲労していた。もっとも十全のコンディションであっても横着な彼が引き受けたかは分からないが。
「わたくしが相手では不足だと言うの?」イズミがそう言うと床に座っていたドリーが、
「私は口調でキャラを作っているような人物は苦手なのでな」
「お前が言うか。じゃあao、どうよ」テラがそう振るがaoも、
「対決なんて良くないぜ。平和に行こうじゃないか。それよりイズミさん、オレのバンドのシャツ買わない? 今なら特別に五十円引きだぜ。あとうちのイケメンボーカルのサイン入り写真もあるよ」
 などと商売方面のやる気を発揮してしまう。
「イズミ、今日はみんな疲れてるみたいだから勝負はお預けという形じゃだめか」
「腑抜けですわ」イズミが見下すような表情で言った。「貴方たちには自分が音楽を創り奏でるものだという自覚があって?」
「暇つぶしだぜ」エルが冷やかすように言う。「アンタはそうじゃねえのか? プロ志望なわけ? 楽しくやりてーだけだしオレ。面倒くせーことやりたくねーんだよ。誰だってそうだろ? アンタがそうじゃないっつうんならちょっと尊敬するぜ」
 他のメンバーも頷き、aoは「音楽は金のためにやるもんだ」などと言うのでイズミは心底落胆したような顔でため息をついた。
「ならばやる気を出させてあげましょうか。先日のギター泥棒、あれはわたくしと同じバンドのギタリストです。彼に楽器を燃やすというアイデアを提案したのは何を隠そう、このわたくしですわ」
「何だと」
 にわかにテラがいきり立つが他のメンバーは相変わらずやる気のない顔つきのままだ。テラはイズミににじりより詰問した。
「てめえの目当ては何だ? マジに天使を呼ぶつもりか? ここまでして何が狙いだ」
「言うまでもないことですわ。あの人たち――『エンジェルス・エッグ』の手助けをするのがわたくしの生きがい。貴方たちは彼らの音楽を知らないからそうしてのうのうと生きていられるのです」
 次第にイズミの顔つきは、酔ったような、恍惚としたものに変わっていった。「雑音ですわ。それ以外の音楽など。わたくしはそれを知っているから自らノイズだけを奏でる」
「雑音、結構じゃないか」ハイオクが言った。「音楽に高貴も低俗もない。好みの問題さ。そのエンジェルス・エッグというバンドは良く知らないけどな」
「彼らは」ハイオクの言葉などすでに耳に入っていない様子のイズミが、うっとりとした顔で言う。「かつて天使に願いを叶えてもらった方々ですわ。人間を魅了する『力』をもって音を奏でるのです」
「胡散臭い話だな。付き合っていられないぞ」ドリーがうつむいたまま立ち上がり、帰ろうとする。
 するとイズミは笑って、
「あなたはすでにその『力』に触れたのでしょう、猫崎緑さん?」
 不意に名前を呼ばれてドリーはやや顔を強ばらせた。
「『力』? 何のことだ?」
「覇気も夢もなくただ時間を浪費するだけの貴方たち兄妹が、なにゆえあの日、海を見に行くなどという行動に出たのです?」
「兄貴がそういう気分になっただけだ。ただの気まぐれだ」
「いいえ。あれこそ天使の恵み。『伝染』したのですわ。天使の力は人から人へ駆け巡る」
「伝染……だと?」
「なあ、オレもう帰っていいか? そういう変な話するんならよー、オレ必要ねえだろ?」言いながらエルが出口へ向かおうとする。
 するとイズミは手に持っていたバッグから、ペットボトルを取り出した。中には薄い茶色の液体が入っている。
「だけどすぐに消えてしまう。わたくしはその力を持っていない。絶望ですわ」イズミの赤い眼が鈍く輝く。
 突然ペットボトルの口を開けるとその場に中身をぶちまけた。
「おい! 何やってんだよお前! ウーロン茶なんか撒きやがって」テラが叫ぶ。
「未遂に終わったけれども、楽器を燃やすというアイデア――優れていると思わなくて? 音を奏でるという点では――弾く以上に原始的。木が燃え弦が焼ききれるそのサウンドは天へも届く……」
 不敵に笑いながらイズミが取り出したのはライターだ。「燃やすのは何か別のものでも良いと思うのですわ。そう、肉のかたまりとか……」
 ――茶じゃあねえ、まさか可燃性の液体か?! テラはイズミの狙いに気づきじわりと汗をかいた。「嘘だろ……」
「おいおいマジでやる気か? そんなわけねえよな」やや近くにいるエルも動揺している。
 炎上した場合とばっちりを受けるのは、最もイズミから近いクロノとガクショクに間違いなかった。もっとも足元にぶちまけられたものが本当に可燃性の液体なら、の話だが。そうでないという確証は得られない。イズミの異様な態度ならあり得る。
 そして彼女は突如、それを肯定するかのように、笑い始めた。
「あっ……は、はははははははははははははっ! あははははははは! 燃やす、燃やしてしまいましょう……。火葬ですわ、絶望を光に変える転生の炎ですわ」
「冗談だろ! よせよ!」「そういうマジでヤバイ行動はオレのいねえとこでやってくれよ!」
 テラとエルがそう叫んでいる間、ハイオクは考えていた。
 ――イズミからライターを奪い取る。だがもしヤツが下に落とすのが早かった場合、オレも炎上してしまうだろう。どうする……?
「エンジェルス・エッグよ永遠に!」
 イズミがそう言いながら、親指でライターを点火しようとした時、
「止めて!」
 クロノが叫ぶ。
 同時にガクショクが跳ねた。
 次の瞬間には、彼の手の中にライターがあった。
 一瞬だった。
 猫のような俊敏な動作だ。しかもそれを、どう見ても筋肉などまともについていないガクショクが成し遂げたのだから一同はあっけに取られた。
「ふう。危ないところだった」
 ガクショクがそう言うと、イズミは先ほどの狂態から一変し冷静な顔つきになった。
「なるほど。そういうこと」ガクショクをじろじろと見た後、振り返ってクロノを見る。「確かに過去二回の『伝染』のときもあなたがいた。そして今回も……」
「え?」
「あなたが引き金だったわけね……黒野楓」
 クロノを見るイズミの表情は険悪なものになった。赤い瞳は燃えるように光り、口元はひどく強ばっている。「なぜ貴方なんかに……いえ。それはわたくしの知るところではないわ。とにかく……」イズミは出口を開き、振り返らずに言う。「わたくしの仕事はこれでおしまい。あとはあの方たちが……。黒野。あなたはかつて『天使』を見たのでしょうけれど……いい気にならないことよ。あの方たちは貴方とは違う」
 そう吐き捨てた後、「ああ、そうそう、それはただのお茶ですわ。貴方たちが騒ぐ姿、とても笑えましたわよ。それじゃあまたどこかで」手をヒラヒラと振りながらイズミは出て行った。
「……なんだったんだよアイツ」疲れた顔でテラが言う。
「狂人の演技をしていると思い込んでいる狂人だな」それにドリーが答えた。彼女も嫌な顔だった。
「わけの分からないヤツだったが……クロノ」ハイオクが帽子を被りなおす。「あいつはお前を『引き金』と呼んだ。ヤツらの狙いはお前ということか……。事情は良く分からないが……。お前らやオレやマチ、ガラナたちの邪魔するならエンジェルス・エッグ。相手してやろうじゃないか」
「やべーよ茶、こんなにぶちまけちまって、店長に怒られるぜ。電波系少女が乱入して撒き散らしたって言って信じてもらえんのかな」エルはそう心配している。
「クロノ。君はイズミが言ったとおり、天使を見たことが?」ガクショクが聞いた。
「見たんじゃないけど、いるのは感じた」いつもの無表情でクロノは頷く。「ちょっと前の話」


「……スマッシング・レッド・フルーツの黒野楓でした。彼女が『発生源』だったのですわ。はい……」
 ビルの隙間の路地でイズミは電話をかけていた。晴れていた空はにわかに曇り始めていた。
「なんですって……彼女も参加させるのですか? サマー・フューネラル〈夏の葬列〉に……」
「そうだ……」電話の向こうの声を聞いてイズミは悲痛な顔で歯を食いしばった。「イズミ……きみは本当によくやってくれていると思うよ……でも君には『卵』としての力はないんだ……分かるだろ? ……だからこそ君にもこの夏の終わりに……古い体を脱ぎ捨てて生まれ変わって欲しいと思う……それこそが……」
 イズミの耳に届いているのか分からないが、相手の声は続く。
「俺たち……エンジェルス・エッグの目的なんだ……夏が終わると同時にこのくだらない日常も終わる……楽しみにしていてくれよ……イズミ?」
 空からぽつりと雨が降り始めた。すぐに土砂降りになる。
 コンクリートの壁にもたれかかるイズミ。その背中は壁に描かれた羽と重なっている。

 半分流れて、歪んだ翼だった。
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