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「私vs結石」

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 娘に詰められる。
「ケンちゃん(息子)の教室に行ったら、五人くらいの女子に囲まれてるんだよ。
 私は彼氏といろんな話をしながら学校から帰ってるよ。
 ケンちゃんもカナちゃんと一緒に帰ってるよ。
 ねえパパは小学校の頃女の子とどんな会話してたの?
 好きな子はいたの? 告白されたことあるの?」

 その一言一言に私は律儀にダメージを食らう。「やめてくれ、その技は俺に効く」とナルトのコラ画像ネタで耐えるのがやっとだった。

 娘に恋愛経験のなさをディスられると、ここに恋愛小説が誕生することになる。

 というわけで始まったこの連載、「恋愛経験の少なさを創作で補填する」が目的だったはずなのに、どういうわけか初回では江戸時代の漁師と無人島のアホウドリの話になってしまった。

 恋愛について再考してみよう。
 恋愛の形の一つとして、会いたいのになかなか会えない、というやつがある。GLAYがフーウと歌ってるやつだ。あれを書いてみよう。実体験も交えて。

*

 夜寝る前にトイレに行って放尿した後、下腹部に激痛が走った。腹痛かと思って再びトイレに駆け込むと、絞りだすように、血の混じった尿が出た。その後左の下腹部と、その裏手にあたる腰に激しい痛みがあり、痛み止めを飲んでようやく眠りについた。しかし痛み止めの効果が切れる夜中2時あたりに再び酷くなり、救急車を呼ぼうかというところまでいった。しかし症状から調べたところ、尿路結石らしく、痛みは3~4時間で治まるということだったので、しばらく我慢すると本当に治まり、再び眠ることができた。

 朝一の放尿では既に血の色は見えなかった。大量に尿が出た。幸いすぐ近くに泌尿器科があったので朝一で診察してもらった。問診表の持病欄に一応「脳脊髄液減少症」と書いたところ、年老いた先生に「珍しい病気持ってるね。ほれ、あの人もなってるっていう」「米倉涼子ですね」と話が弾んだ。マイナーな病名も著名人がカミングアウトするとこのような効果をもたらす。

 診察してもらう頃には、痛みはほぼ治まっており、違和感程度になっていた。検尿の検査結果では、やはり血が混じっているということ。白血球の数が気になるとか何とかで、前立腺の触診もされた。つまりはケツの穴に指を入れられた。痛みに強いはずの私だが、ケツの穴は苦手である。思わず「痛い痛い痛い」と情けない悲鳴をあげてしまった。中年男性がおじいさんのお医者さんにケツに指を入れられて悲鳴をあげている場面を想像したくない方は、爽やかな海を走るセグウェイと可愛い犬の画像でもご覧ください。
7, 6

  

「来週エコー検査をします。結石が出たら持ってきてください」と言われ、紙コップと容器を渡された。小便するたびに紙コップで受けて、結石が出ていないか確認しなければいけない。しかしただただ紙コップに小便が溜まっていくだけである。溜まっている時は何度も中断して中身を確認して流さないといけない。一向に石は出てきてくれない。医者に行く前の朝の大量放尿で、既に石が出てしまっている可能性もある。会いたいのに会えないどころか、既に去ってしまっているのかもしれない。恋する人に会いたくてその到来を待ち続けているのに、恋する人はこちらに気付くことなくとっくに去ってしまっていたのだとしたら、小説にはならない。

 そもそも石は何個あるか分からないのだ。腎臓の方に石が出来ていれば、かなりの苦しみを覚悟しなければいけないとか。なんで今年はこんなに病気がついて回るんだ。厄年か、と思ったら確かに厄年だった。一つの病気が引き起こした運動不足やら何やらが、別の病気に繋がっていくというわけだ。何もかもが繋がっている。昔の思い出だって当然今に繋がっている。つまり存在しなかった思い出は現在には繋がりようがない。つまり私は今更どうあがいたって、一緒に下校する女友だちの思い出を持ちようがないわけだ。

 こうして書くことでいろいろなことに気付かされる。自分にとって恋愛小説とは何だろう、ということを再び考える。それは尿路結石のようなものだ。痛みを伴うし、なかなか出会えない。やっと出会ったところで、それはもはや自分のものではないのだ。恋愛とは結石であるという結論に異論を挟む人はもういないだろう。だから恋愛小説集の一発目が「漂着者vsアホウドリ」であったことも、ごくごく自然なことなのだ。ケツの穴がむずむずしている。

(了)
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