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8話 二人の花

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 未練を残したまま温泉を出て廊下を歩いていくと、自室の手前に白髪頭の男性店員が立っており、こちらへ頭を下げてきたので、俺もお辞儀を返した。
 近くで顔を見ると年齢は五十代程のようで、思いのほか若いようだ。
「どうも、高崎の父です。今日は宿泊いただきありがとうございます」
「ああ、お父様でしたか。こちらこそ、お世話になります」
 高崎母と会った時のような驚きはなく、白髪頭にやつれた頬と、明らかに疲弊している様子を見て不安になった。
「みなさんで楽しめていますか」
「それはもう。俺は昔からずっと桜島を愛していて。桜島は親友、いや兄弟みたいなものですから。桜島の麓で一晩過ごせるなんて、夢のようですよ。あ、もちろん、この旅館も楽しめています」
「アハハ。それはよかった。じゃあ、君が隼人君ですか?」
「はい、そうですが」
「娘から君の話を伺っていましたよ。同じサークルに桜島とアウトドアを好きな人が居て。趣味の似ている娘に対抗意識を燃やしているとか」
「ええ、困ったものですよ。桜島に捧げる愛の力は俺の方が強いはずですけど。娘さんと過ごしていると敗北感を味わうことが多くて。悩みの種です」
 俺が言うと、高崎父はまた笑った。
「隼人君は本当に面白い方だ。娘と仲良くしてくれて本当にありがたいよ」
「仲良くできていますかね」
「ええ。素直じゃない性格なので、分かりにくいかもしれませんが。娘は楽しそうですよ、隼人君のおかげです」
「素直じゃないですよ、本当に」
 アイツなりに楽しんでいたのか。
 俺は、どういう訳か、嬉しかった。
「娘は昔から桜島やアウトドアの事は好きだったんだけど、趣味の合う子はほとんど居なくて、中学や高校の頃は同級生とあまり馴染めていない様子で、家に閉じこもっている事が多くなって。例の感染症が流行ってからは更に外出する機会が減って、一緒に遊ぶような友達は全く居なくなってしまった」
「はあ」
「だから、いろいろな出会いのある大学に行けば、少しは状況が変わると願っていたけど。それは期待以上だった。桜島やアウトドアを共に楽しむ事のできる仲間がいるおかげで、娘は明るくなった」
「それは、何よりですよ」
「だけど、今は私が娘の楽しみを奪ってしまっている。例の感染症が流行っていた時期は旅館に来てくれるお客さんが減って、従業員も減ってしまった。何とか旅館を維持する事ができて、いまは客足が戻ったけど、今度は従業員を増やす事ができなくて。最近は娘に仕事の手を借りてばかりで、自由な時間を奪ってしまっているんだ」
「仕方ない事かもしれませんが、少し可哀そうな気がしますね」
「そうなんです。申し訳なくて。でも、現状、私ができる事は何もなくて。なので、隼人君にお願いがあるんです」 
「お願いですか」
「ええ。今日は忙しい日だけど。娘の仕事を早めに終わらせようと思っていて。仕事の後、娘をみなさんの所にお邪魔させてもらえませんか」
 高崎父は真剣なまなざしを向けてくる。
「まあ、いいんじゃないですかね」
 高崎も辛い想いをしてきたようだ。多忙で不機嫌になっている高崎の姿を思い浮かべると、彼女を少しでも楽しませてやりたい気分になった。
「ありがとうございます。本当に良かったです。それでは、よろしくお願いします」
 高崎父は頬を緩めて安心した表情を見せると、急いで仕事に戻っていく。
 これで高崎が楽しめるならいいが、根本的な問題の解決にはなっていない。
「あの」
 だから俺は去って行く高崎父を引き止めた。
「どうしました」
「その。どうにか従業員を増やして、娘さんの負担を減らす事はできませんか」
 俺は言った後に、なぜ他所様の家庭事情に口を出しているのだろうかと少し後悔した。
「ううん、いまもお客さんの入りが安定している訳ではないから、従業員を積極的に募集できていなくて。お客さんに喜んでもらって、売上を高い水準で維持するにはどうすればいいかもはっきり分からなくて。恥ずかしい話だけど、まだ模索している状況でね」
「そうでしたか。余計な事を言って、すみません」
 事情を聞かされて、何か良い方法はないか思考を巡らせるが何も思いつかない。それでも何とかしてやりたいし、何とかしてほしいと思った。だが、高崎父のやつれた様子を見ると、これ以上何も言えなかった。
 無力感に襲われて、気を落としていると高崎父は微笑んだ。
「娘にそこまで気を遣ってくれるなんて、嬉しいよ。君は本当に優しい人だ」
「いえ、そんな事はないです」
「娘を貰ってくれないか」
「はあ?」
「冗談だ。いやあ、君は硬派だね」
 そう言って高崎父は笑ったが、俺は全く笑えない。父も母も冗談が得意なようで、何故、娘は似なかったのか不思議である。
 笑い続けながら改めて仕事に戻る高崎父を見送ってから俺も部屋へ戻った。
 部屋の中では、酒盛りが再開していて、直井と長瀬はすっかりへべれけになっており、山中と満重はいまにも眠りに入りそうな様子で、後から参加した野村も目が据わっていた。
 どいつもこいつも、桜島の夜を楽しむ気がないのだろうか。
 俺は部屋のポットで急須にお茶を淹れて、湯呑に注いだ。それから、縁側の椅子に腰かけて外を眺める。この旅館はどこに居ても錦江湾を見渡す事が出来る。縁側は特に最高の眺望だ。これなら申し分なくアレを堪能できるだろうと思った。
 しばらくお茶を啜って過ごしていると、部屋に夕食が届いた。
 鹿児島県産の黒豚しゃぶしゃぶを中央に据えた豪華なお膳が用意された。
 呂律の回らなくなった直井と長瀬の言葉を無視し、絶品のしゃぶしゃぶに舌鼓を打った。
 直井と長瀬は豚肉にかぶりつき、焼酎をがぶがぶ飲み続けている。自分達の分だけでは足りずに、既に眠りについた満重と山中の食事まで完食してみせた。そこでようやく満足したのか、二人は仲良く眠りに落ちていった。
 野村は酒を飲むと更に無口になり、ひたすら黙々と酒を飲み続けていた。時折、一口も酒を飲まない俺に文句を言いながら、いつしか瞼を閉じた。
 時計を確認すると、十九時を過ぎていた。夜はこれからが本番だというのに。
 この夜の楽しみ方をこれまで散々説いてきたが、直井や長瀬には今一つ響いていなかったようだし、興味を示していた野村は何か不満でもあったのか酒に飲まれてしまった。勿体ない奴らである。
 後は、高崎だ。アイツはどうするのだろうか。
 仕事が落ち着けばこの部屋へ来るらしいが、それまで待っているべきだろうか。
 いや、駄目だ。これ以上考えるのはやめよう。
 何故これほどに高崎の事を考えていて、ムキになったり、気を落としたりしているのか。考えても分からなくて気分が悪い。少なくとも、俺はやりたい事がやれていないようで、フラストレーションが溜まっている。それならば、今は自分の直感を信じて行動しよう。そう思いついて、高崎を待つことをやめて、部屋の電気を消した。
 高崎父は俺の事が優しい人だなんて言っていたが、そんな事はないだろう。



 暗闇に包まれた部屋の中で、瞑想をするみたいに心を落ち着かせてぼんやりと錦江湾を眺めていた。
 ずっとスマホを触っていないので、時間は分からないが、そろそろ始まる頃だろうか。そう思った時、部屋の戸が開いて廊下の光が差し込んだ。
 高崎が来たのだ。彼女は電気の消えた部屋に気後れしているのか、そろそろと足を踏み入れ様子を伺っている。縁側の椅子に腰かけている俺の姿には気づいていないようで、みんな寝てしまったのかと、気を落としているかもしれない。
 高崎を傷つける訳にはいかないので素直に、「おつかれ」と声をかけた。すると高崎は背筋を伸ばし、小さく肩を吊り上げた。
「起きてたんだ」
「ああ。いまからが本番だからな」
 俺の言葉に高崎は首を傾げる。
「本番?」
「そろそろだろう。丁度良いタイミングで来たな」
 俺は窓の外を眺める。錦江湾を挟んだ約五㎞先。鹿児島市街地の夜空に光の花が咲いた。
 開花から少し遅れて重低音が響き渡る。
「あ、そうか」
 高崎は茶色の瞳に花火を映しながら呟いた。
「今日は花火大会か。だから忙しいんだった」
 この旅館は対岸の鹿児島市街地で開催される花火大会を人混みの喧騒から離れた位置で静かに眺める事ができる隠れたスポットで、一部の層から人気があるらしい。そんな忙しい理由を忘れてしまう程、高崎は忙しかったようだ。
「まあ。座れよ」
「うん」
 彼女は縁側の方までそろそろと歩いてきて、俺の向かいの席に腰かけた。
 花火の美しさに心を癒されたのだろうか、先程までの冷淡な態度からがらりと変わって、素直で温和な様子になっている。
 俺達は再び窓の外を眺めた。
 錦江湾の夜空が金銀赤色の花火で染まっていく。
 会場の裏側であるこの部屋からは掌ほどの大きさにしか見えないが、その美しさに変わりはなかった。
「本当に最高だ。この旅館に泊まる事が出来て良かったよ。毎年、繁盛してるんだろ?」
「うん、毎年花火大会が開かれていた時は早い時期に部屋が埋まるけど。今年は久しぶりの開催だったから、部屋が埋まるのが遅くて、ワンゲル部のみんなも予約できたんだよね」
「やっぱりそうか。しかし、特等席で花火が見られるっていうのに、さっさと寝てしまうなんて、こいつらは勿体ないよな」
「本当だね」
 高崎は頷いた。
「可哀そうだし起こしてやるか?」
 高崎は俺をじっと見つめた後、首を横に振ったので、放っておくことにした。
 これまで嫌な事をされた事に対する嫌味を言ってやるつもりだったが、この絶景と高崎の様子を見ているとその気は失せてしまった。
 しばらくすると花火が止まり、静寂が訪れる。その後も花火の煙で靄がかかった錦江湾の夜空を眺め、余韻に浸った。
「ねえ、あれ見て」
「ん」
「花火が打ちあがったところの空。あの赤い光、見える?」
「ああ、何か光ってるな」
 高崎が指差した先。花火大会の会場上空には、赤い光が点滅しながらぐるぐると円を描いて飛行していた。
「あれ、UFOじゃない?」
「いや、普通にドローンだろ」
「ロマンがないね」
 高崎は呆れたように言う。
 桜島の力は信じない癖に、UFOは信じるなんて。意外とロマンのある奴である。
 そのまま謎の光を目で追い続ける彼女の横顔を見て、この夜をもう少し楽しんでいたい気持ちになった。
「なあ。花火大会っていうのはもう少し長くならないかと、いつも思うんだ」
「短くて、儚いからいいんじゃないの?」
「それも分かるけど」
 俺はスマホのライトで足元の手提げを照らし、中からコンパクトサイズの焚き火台を取り出して高崎に見せた。
「いまひとつ満ち足りない気持ちを埋めたいんだけど。やるか?」
「うん。やろうかな」
 高崎が頷くと同時に俺は立ち上がる。
「でも、焚き火をできる場所があるの?」
「あ」
 行動が先に出すぎて、そんな事は考えていなかった。

 無計画のために焚き火は頓挫しそうになったが、高崎が両親に確認して、旅館の敷地の隅で焚き火を行う許可をもらってくれた。
 アウトドア専用のスペースでもないところで派手に炎を上げる訳にはいかないので元々小さかった薪を更に細かく削る作業から始めた。
 薪の用意が仕上がると、焚き火台の上へ薪を放射状に組み立てていく。
 火をつけると、小さな炎がゆっくり燃え広がっていく。火力が安定してから、それを二人でじっくり眺めた。
「もっと大きな火を焚いてさ。花火大会の会場に負けない位、こっち側を盛り上げたいと思ったけど、これはこれでいいな」
「うん。私はこっちの方が好き」
 高崎は薪を削る俺の動きを見つめていて、察する。
「この作業をやりたくて仕方がないって顔だな。しばらくアウトドアから離れて辛抱ならないんだろう」
 高崎は俺の挑発に顔をしかめるが、あっさり頷いて見せる。
 ナイフを渡すと、彼女は慣れた手つきで薪を薄く削ぎ落していく。途中、薪の表面を薄く削りつつも切り離さず、その真下を同様に繰り返し削っていく事で薪全体を羽根のような形に仕上げる、『フェザースティック』を作ってみせた。その滑らかな手捌きを見て非常に感心させられた。
 完成したフェザースティックを焚き火にくべて、火力が上がるのを見て、高崎は頬を緩める。彼女は本当にアウトドアが好きなんだろう。そして、そんな奴に出会えた事は、嬉しかった。
「焚き火が楽しいのは、狩猟本能というか。狩猟時代の記憶がさ。俺達の中にある遺伝子から、こう、フラッシュバックするんだよな」
「何を言ってるか分からない」
「だよな」
 興奮するあまり、支離滅裂な事を言ってしまう。
 それから充分な量の薪を削り終えたので、二人とも手を止めた。
「実はさ。アウトドアから離れていたのは、俺も同じなんだよ。といっても俺は暑いのが嫌だから避けてただけなんだが」
「暑い中でやりたくない気持ちは分かる」
「だけど、こうやって高崎と焚き火をしてみれば、真夏のアウトドアも悪くない気がしてくるよ」
「そうなんだ」
 高崎は呟いた後、少し口角を上げる。
「お父さんから聞いたんだけど。私の事を心配してくれたみたいで、ごめんね」
「いいけど」
 おしゃべりなお父さんだ。これが理由で、高崎の様子が変わったのだろうか。
 俺は何だか恥ずかしくなって、頭の後ろが痒くなる。
「忙しい中で、何か息抜きはあるのか。ストレスが溜まっているんじゃないか?」
「たまに散歩して、長渕剛の石像を見に行ったりするかな」
「長渕剛のファンだったのか」
「そうじゃないけど。あの姿を見ると、私の代わりに叫び声を挙げて、嫌な事とかを発散してくれている気がして。少しスッキリする」
「それは良さそうだな。でも、せっかくの休暇に仕事ばかりで。たまにしか息抜きできないっていうのは、やっぱり辛いんじゃないか」
「うん。辛いと思う時もある」
「だよな。ワンゲル部のメンバー達は高崎が活動に参加できない事を寂しがっていたぜ。何とかしてやりたいと考えたりもしているだろうけど、みんなそれなりにやる事はあるし。俺が高崎の仕事を手伝えれば、って思ったりもしたが俺だってバイトをしているから、そういう訳にはいかない。だから、俺からお前に直接してやれる事は残念だけど思いつかないんだ。でも。せめて高崎と同じくらい俺は頑張りたいと思う。何をどう頑張ればいいのか分からないけど、とりあえずバイトに精を出すとか、そんな感じで同じ立場になりたいと今日の高崎を見て思ったんだ」
「いや。そんな無理な事はしなくていいよ」
「無理な事じゃなくてさ。高崎が苦労しているなら、同じくらい苦労して、辛さを分かち合いたい。俺にできる事はそれ位しか無くて、それが今の俺にとって一番やりたい事なんだよ。自由に過ごす事が出来る夏季休暇で、俺は何をすればいいんだろうって悩んでいたけど。やるべき事がやっと見つかったんだ。だから、どうだろうか。まとまらないけど、お互い頑張って、また大学で会おうぜ。それで、その時はアウトドアを好きなだけ楽しめれば良いな」
 長くて、要領を得ない俺の言葉に対して高崎は静かに頷く。
 俺の気持ちは少しでも伝わっただろうか。身動きの取れない環境に置かれた高崎を見て、夏季休暇が自由すぎて辛いと嘆いていた己を恥じた。苦しむ高崎を少しでも楽にしてやりたい。正しいやり方なのかは分からないが、こうするしかないと思ったのだ。
「ここはお祖父さんの代から経営している旅館で、お父さんとお母さんは跡を継ぐと私が小さい頃から一年中休みなく働いていたんだ。だから私は学校が休みの日に相手をしてくれる人が居なくて、一人でできる遊びを探さないといけなくて、そこで出会ったのがアウトドアだったの。つまり、私がアウトドアを始めたのは隼人君とほとんど同じ理由なんだ」
「そうだったのか、何というか奇遇だな」
「うん。だから隼人君がアウトドアを始めた理由を聞いた時、私は共感したし、すごく嬉しかった。だからどうという訳でもないけど。この嬉しい気持ちがずっと続けば良いと思ってる」
 どうして高崎がこの話をしてくれたのか、分からなかった。分からないが、彼女の心の内に初めて触れた気がして、高崎と同じ気持ちになった。
「何ていえばいいか分からないけど、俺もそう思う」
 俺が答えると、高崎はこれ以上、何も言わなかった。
 少しずつ弱くなっていく火を眺めながら俺は訊ねてみる。
「いまは、どうだ。いまの生活とかじゃなくて。たったいまは楽しいか?」
「うん、楽しいかな」
 高崎はポツリと言った。


 
 カーテンの隙間から光が漏れてきて、朝になった事を知る。
 昨日は鮮烈な出来事が続いた為に、興奮して朝まで一睡もできなかった。
 他のワンゲル部メンバー達は早い時間から眠っていたため、既に目を覚ましている様子だった。
 直井と長瀬は酔い潰れて眠ってしまい、花火を見られなかった事を悔いながら、朝風呂へ入るために部屋から出ていった。満重と山中は静かに洗面所へ移動し、さっさと化粧を始めたようだ。少し眠るのが遅かった野村は、まだ布団の中に入ったままだ。
 部屋の中は静かだったが、従業員が朝の支度を始めているようで、部屋の外からは荒っぽい物音が聞こえてくる。
 瞼を閉じて寝たふりをしていたが、そろそろ活動を始めようと布団から這い出て縁側の席に座り、カーテンを少しだけ開けた。
 青く照らされた錦江湾を眺めていると、昨日の花火がフラッシュバックした。
 しみじみ余韻に浸っていると、「おはよう」と声をかけられた。
 振り返ると、野村が布団から目元のあたりまで顔を出してこちらを見ていた。
「ああ」
「みんな、早いね」
「アイツらは寝るのも早かったからな。野村は支度をしなくていいのか」
「うん。まだ、時間あるよね」
「大丈夫だろ」
「少し、話したい事があって。いいかな」
「いいけど」
 野村は何となく真剣な様子だったので、深刻な話題ではないだろうかと気が重くなった。中途半端に布団を被っているせいで、彼女がどんな表情をしているのか分からず、不気味さもある。
「昨日の夜、高崎さんと、どこに行ったの?」
「ああ、焚き火をしに行ったんだよ。旅館の外にスペースを貸してもらえたんだ」
「え、いいな」
「起こしたら悪いと思ってさ、でも、俺達だけ楽しんで悪い事をしたな」
「いや、そんなのは良いよ」
「でも、起きていたなら、声をかけてくれれば良かったのに」
「それは、無理だよ」
 野村は弱々しい声で言った。
 引っ込み思案の野村にとって、俺達に声をかける事は難しかったのだろうか。しかし、昨日の昼間は一緒に桜島を散策しようと声を掛けてきていた。だから、何か別の理由があるのだろうが、よく分からない。分からないが、何となく重苦しいような雰囲気を解消しておきたい。
「そういえば昨日、野村が撮影した桜島観光の写真はSNSに載せたのか?」
「うん、載せてみた。鹿児島県外の人から、評判が良かった、かな」
「長渕剛の石像はどうだ。彼のファンから良い反応を貰えただろ」
「程々かな。長渕剛さんのファン層は、あまりSNSを使わないのかも」
「なるほど、そういうものか。やっぱり俺にはSNSの素質がないな」
「素質は磨かれていくものだから、大丈夫だよ」
 やはり野村はSNSの話題が好きなようで、快活になってくれた。
「それでね。桜島を巡って、撮影した写真を見返して。私も桜島の魅力に気づいてきた」
「素晴らしい事だな」
「だから私は。落ち込んでばかりではいられない。桜島みたいに、もっともっと頭を出していきたい」
「頭を出すって、何だ?」
「もっと主体的になって、行動できるようにしたい。それで、自分を磨いて、高崎さんに負けない位、がんばりたい」
 目を輝かせている野村には悪いが、高崎と何を競うのか、よく分からなかった。だが、想いの強さは何となく伝わってきたし、目標を掲げるのは良い事だと思った。
 それから間もなく、桜島が噴火して部屋の窓が強く揺れる音を聞いた。野村の決意に桜島が感動し、エールを送ってきたのかもしれない。
 陽が高く昇り、部屋の中が明るくなると、野村は布団から這い出てきた。そして、タオルで顔を隠し、「化粧しないと」と言いながら洗面所へ向かった。

 居間に全員が集合する頃、朝食が届いた。青魚の塩焼きは朝食にピッタリの塩梅で、俺は興奮したのだが、みんな疲れがたまっていたのか反応は乏しく静かな食事の時間になった。
 食事を終えると、すぐにチェックアウトの時間になり高崎と両親に見送られて、旅館を出た。
 直井の車に乗り込む前に、名残惜しく桜島を眺める。
 彼とは、しばしの別れになる。そう思って、最後に声をかけた。
「良い旅行になりました。この二日間の事は生涯忘れません」
「隼人が楽しんでくれたなら何よりだよ」
「はい。そして、この夏は自分を見失いそうになりましたが、ここに来た事で目標を見つける事ができました」
「そうか。それはなによりだ。目標に向かって頑張ってくれ。じゃあ、帰り道は気をつけて。また来てくれよ」
「勿論です。それまで、どうかお元気で」
「隼人も身体に気をつけてくれ」
「ありがとうございます」
 頭を下げると、直井が、「またやってるよ」と呆れるように言った。
 一方、野村も桜島をじっと見つめている。
 もしかすると野村も桜島の声を聞いているのかもしれない。
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