10.
戦いの中でもっとも特徴的な働きをした『龍』の増産が決まった。
その鈍重な動き故、パイロットの適性も甘く済み、更にどのような地形であっても走破する事の出来る柔軟性が高く買われたのだった。
以降は山の上から、下から、川沿いからと、これまでの仕返しとばかりに奇襲攻撃を仕掛け、破竹の勝利図を展開していった。
やがて『北』への本土侵攻が始まり、戦争は一方的な支配のみを要求する恐喝へと変わった。
そうして、高価な特殊兵器部隊であるハルカ達には長い休息の時が与えられた。
「生理なんて、今まで無かったのに」
ハルカが小さく、小さく呟いた。
目の前ではニキータが顔を赤く染めている。
ハルカはそれを見て、微笑んだ。
「神様が、授けてくれたのかも、知れませんね」
彼女のお腹は、その小さな背格好には不釣合いなくらい、大きく膨らんでいた。
「これじゃ、死ぬに死ねないね」
笑いながら言う。
「そ、そんな!」
「冗談、だよ」
それは、到底冗談とは思えない笑いで。
笑顔を崩して、無表情で窓の外を見る。
そこには春が広がっていた。
命の息吹が溢れていた。
「寂しいな……」
沈黙が、広がった。
ニキータはかけるべき言葉を迷っていた。
だが、今の彼はダンマリで終わらない。
ゆっくりと口を開いた。
「お、俺、ハルカさ……さんさえ良ければ」
ハルカがゆっくりと首を振った。
優しい笑みを浮かべていた。
「ダメだよ。私が好きになった人は、皆死んじゃうんだから」
少し冗談めかして言った。
冗談になってないと、ニキータが悲しそうに眉を顰める。
「俺は死にません!」
「……ダメだよ。もう、誰かを好きになれなくなっちゃった」
それは精一杯のニキータの勇気だった。
憧れが恋心に変わったのはいつだったか。
それは、ハルカが初めて弱さを見せた、あの時だったか。
その時から、ニキータの心は、彼女を守りたいという気持ちで一杯だった。
だけれど、彼女はそんなニキータを受け入れられないと、とても、とても寂しそうに笑った。
その寂しそうな表情が、彼の心を強く苛む。
暖かな日差しが降り注ぐ窓辺。
ハルカのベッドの傍らに、二つの写真があった。
まるで飼い犬のように中尉に擦り寄るハルカと迷惑がっている中尉の写真。
もう一方は、ハルカにちょっかいを出して殴られている飛騨と、そしてそれを笑う全員の映った写真。
懐かしい、忘れられない思い出の一ページ。
あるいは、忘れたくなかったのかも知れない。
それをニキータはじっと眺めていた。
悲しい気持ちが、知らないうちに溢れて、胸を苦しくさせていく。
「ねえ、ニキータ」
「は、はい」
突然の掛け声に、ニキータは上擦った声で返事をした。
口を開けば今すぐにでも泣いてしまいそうなくらいの悲しみに支配されていた事に気付き、ニキータ自身が驚いた。
泣いてしまわぬよう、ぐっと堪える。
「中尉に教わった曲、聴かせて?」
ニキータはじっとハルカを見つめた。
これはニキータを必要としているのか、中尉を必要としているのか。
ハルカはただ、穏やかに微笑んでいる。
その瞳だけで全てが分かってしまった。
この人は優しい人だ、と。
ニキータも精一杯の笑顔で「はい」と答え、ピアノへと向かった。
その時、ノックの音が響いた。
部屋へ招くハルカ。
それに答える声が二つ。
ぺこぺこと少し伸びた髪を揺らす薫と、両手いっぱいに食べ物を持ってきた癒月だった。
その後ろで、木場が軽く手を上げている。
この場で一番背の高い薫がニキータやハルカに頭を下げるのはいささか奇妙な光景であったが、立場が圧倒的に下である為に体育会系の薫にはこれがもっとも自然な行動だった。
「今日はぁ、すっぱいフルーツのタルトです~」
「あはは、ありがと。別にそんなにすっぱいものが欲しいって訳じゃないけどね~」
「そうなんですか?」
薫の問いに、自然に笑みを返すハルカ。
「うん。まぁ、三人ともそこに座って、これからニキータがピアノを弾いてくれるから」
椅子に座って、タルトを皿に分ける癒月。
それを手伝う薫。
腕を組み、ピアノの方を向く木場。
そんな、新しい日常を迎えた彼らを祝福するように、静かにピアノの演奏が始まった。