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act.5「Mr.suicide」

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 死は誰にでも平等だ。というのは間違いである。少なくとも僕は、そう思っている。

   ―――――

 或るホテルの部屋で、僕は裸体の女性をじいと抱いている。
「本当に……良いのですね?」
 甘えるように身を寄せてくる女性の頭を撫ぜながら、僕は問いかけた。そしてその問いかけに対して女性は笑みを浮かべながらゆっくりと頷く。
「……分かりました。最後に何か言い残す言葉は?」
 僕は再度問いかける。僕に身を任せている女性は、ゆっくりと視線をこちらに上げるとにこりとこちらに向けて笑いかけてきた。
「……ありがとう」
 その言葉に僕は思わず目を閉じ、唇をぎゅっと噛みしめながら、その女性の身をぎゅうと強く抱き締めた。
 きちんと整っていたベッドの布がほんの少し乱れ、ぐらりと一度揺れる。

 この女性は死んだということを、抱きしめたその身体は冷たく僕に教えてくれた。
 消えた鼓動が、冷めていく「生」が、力なく閉じたその瞼が、僕にはとても悲しく思えた。
 この女性の為に涙を流そう。もう僕の涙が枯れてしまっているならば、血でも良い。とにかく彼女の為に涙を流さなくてはならない。死んだということを悲しんでくれる人がいなければ、生を失った彼女がとても惨め過ぎる。
「……僕は一生忘れないよ。ずっと背負って行くから……三島葵さん……」
 全身の生が抜けきったその彼女の抜け殻をゆっくりと、丁寧にベッドへ横たわらせると、僕は静かにそう呟いた。そうしてから、僕はシャツを脱ぎ棄て自身の体をじぃと見つめる。
 下腹部の肉が、独りでにつうと裂け、やがて三文字が浮き上がる。
――三島葵。
 流れ出る血を拭い、たった今刻まれた。その名にじぃっと手を添える。
「これで二十九人……」
 僕はその抜け殻を残してホテルを後にする。
 既に手配を受けているのは分かっているのだ。捕まるのも時間の問題だということも。
 だが、捕まる前にやらなくてはならない事がたくさんある。
「一人でも、多くの人間を、救ってやらないと……」
 僕は拳を握りしめ、目から流れ出る赤い涙をぬぐうと、明け方の空を見上げ、改めてそう誓った。

   ―――――

「明けましておめでとう。雪野」
 立てられた線香の煙が、ゆらりと左右に揺れてながら天を目指している。挙げられた二本の線香が何故か僕にはとても寂しいものに思えてならない。
「わざわざありがとうね」
「いえ、気にしないでくださいよ。俺が来たいだけなんで」
 そう言うと雪野さんは少し寂しげな微笑みを見せた後、お茶でも出しましょうかと呟きながら和室から出て行ってしまった。
 雪野さんが出て行った事を確認した後、僕は小さくため息をひとつ吐き出してから目の前の遺影を見つめる。写真には満面の笑みを浮かべている雪野早苗がいる。何かで飾らなくても、その美しさは際立っていて、その誰もが嫉妬するような美貌が、僕にはとても憎らしく思えた。
 何故、僕はこの女性を選んでしまったのだろうか。彼女が別れを告げたことで出た彼女の裏の姿を考えると、交際していたことでさえも強い後悔を生んだ。
「雪野、お前はどれだけの人間を苦しめたら気が済むんだ?」
 返事など勿論帰ってこない。
 水島、須賀、山下さん、雪野佐代子さん、そして僕。
 いや、未だ雪野佐代子の影を追い続けてるという意味では、あの雪野を慕うグループも、あの殺害状況を偶然見たネクロフィリアも被害者と言えば被害者なのだろう。
「いつの間にか、お前がこの状況の始まりになってるんだな」
 水島の話を聞けば、そうではないことは分かる。だが僕が巻き込まれた原因も、この高校で様々な出来事が起こるきっかけも、きっと雪野早苗のせいだろう。
「なぁ、俺は一体何をすればいいんだ?」
 この先もネクロフィリアのような殺人狂との対峙があることを考えると、とても生きた心地がしない。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。僕は両の拳をぎゅうと握り締める。
「……絶対に、お前だけは背負わないからな。今はここに依存してるけど、絶対に抜け出してやる」
 僕は立ち上がり、遺影に背を向け、力強く一歩を踏み出した。

     ―――――

『また雪野さんの家に行ってきたんだね…』
 受話器の先の、結城は穏やかな口調で僕にそう問いかける。僕はぎしりと椅子の背もたれに体を預ける。
「まぁ、なんていうか、行かなくちゃいけない。そんな気持ちになったんだ」
『ふぅん、あんなに酷い人だってわかったのに?』
「まぁ……なんだろうな。俺の自己満だ。別に拝む気持ちはないんだよ」
『へぇ……』
「自分で振っておきながらやけに無反応だな。お前」
『あはは、そう見えちゃう?』
 受話器越しに結城の無邪気な笑い声が響く。僕はその声になんとなく心が休まるのを感じた。
『色々あったもんね。杉原も……』
「そうか? 別に気にするほどの事でもないさ」
 その一言の後、結城が急に黙り込み、暫く電話越しの静寂が生まれる。僕はぼんやりと机の上のシャープペンをじっと見つめてみる。中学時代からずっと使い続けているそれのグリップはやけに古く色褪せ、透明なプラスティックを通して見える芯のホルダーはところどころ黒ずんでいる。いつからあれだけ中が黒くなったのか、今はもう思い出せない。
『いつでもさ』
「うん?」
 受話器の向こうからの柔らかな声が、僕の荒み始めている心に水を与えてくれる。
『相談事は話してよ。いつでも乗るからさ』
「ああ、ありがとう」
――悩み事なら話せよ。いつでも乗ってやるぜ? 親友だろう俺達。
 不意に、脳裏を彼の言葉が過った。去年僕が突き落してしまった「最初の犠牲者」である須賀の事を。
 何故僕らはあそこで信じることが出来なかったのだろうか。もしかしたらあそこで何かしらの行動を起こしていれば、もしかしたら彼は生きていて、今もここで、この僕しかいない家をうろうろと歩きまわっていたかもしれない。
 うっとおしいと思いつつも、頼れる奴だった。
『――ら、杉原?』
「え、あぁ何?」
『……なんか声が上ずってない?』
 結城はこういうところで妙に勘が鋭いからいけない。できればそっとしておいてほしいと思いつつも、僕はその心配そうな口調になんだか嬉しさを感じる。
「大丈夫大丈夫。これは違うから」
『もしかして僕の親切な台詞に感動しちゃった?』
「あぁ、そういうことにしておいてやるよ」
 えへへ、と受話器から照れのある笑み。
 僕は受話器を耳に着けたまま、なんとなくリモコンに手を伸ばす。そろそろいつも欠かさず見ているニュース番組が始まる時間だ。
 このニュースを見るという習慣も、母と父が消えてからついたものだった。
 父と母は去年の三月に旅行に行ったきり連絡がない。あまりにも帰ってくるのが遅いことを心配した当時の僕は警察に連絡。しかしその捜索で二人の所在地はおろか、生死の有無さえ分からずに、早々に捜索は打ち切られてしまった。それ以来、いつかは二人について報道があるかもしれない。まぁその場合は「身元不明の遺体」として帰ってくることになるだろうが…。
【昨日、○○市の宿泊地にて女性の死体が発見されました。その犯行の手口から、現在指名手配中の殺人犯、越戸要(こしどかなめ)による犯行とみて現在捜査を進めております。では現場の…】
 正直驚いた。
『杉原?』
 僕等の住む市名での殺人事件。しかもその犯行が今現在巷で話題になっている大量殺人鬼の仕業である可能性が高いということ。そしてテレビに移っている場所は僕の通う高校から然程遠くはない距離だ。
「悪い結城、一旦切る」
『えぇ、ちょ――』
 プツリと通話停止ボタンを押すと、僕はすぐさまに携帯を取り出し、一人の女性の番号をコールする。
『……何?』
「……ネクロフィリアの次は、大量殺人鬼なのか?」
 電話の主は、向こうでくすりと笑う。
『話が分かるじゃない』
 その言葉で僕の全身の力が抜け、ぐにゃりとその場に座り込んだ。カタンと落ちた携帯からは、水島が僕を呼ぶ声が聞こえてきている。
『明日、私の家に来てもらえるかしら?』
 この言葉が、単なるお誘いの電話ならば、どんなに良かっただろうかと、僕は震える体を自らの手で抱きしめながら、なんとなく思った。

     act.5「Mr,suicide」


 よく晴れた空の下、僕は少し気合いの入った服装を身に纏い、近場の公園にあるベンチに腰かけていた。
 彼女から一方的に伝えられた待ち合わせ場所。それがこの公園なのだ。僕は折角の冬休みの一日をこんなことに使わなければいけないのかと少しばかり愚痴を心の中で吐きながら、彼女がやってくるのをひたすら待ち続けている。
「あ、杉原君いた」
「……よう」
 ぶっきらぼうに返事を返し、水島の方へと僕は視線を移し、そして驚いた。
 高校やクリスマスの時の地味なイメージが全て吹き飛ぶ。
 ジーンズに黒の長シャツ、白いセーターに黒いマフラー。もう少し厚着をした方がいいとか、色の組み合わせを考えるべきだとか、色々と言いたいことはあるわけだが、何よりも驚きなのが、彼女が自ら白い服とタイトなズボンを身につけてきたことなのだ。ついこの間まで黒に黒を合わせた、まるでこれから暗殺にでも行くのではないかとでも言いたくなる姿だった。それがこの白。
 おまけにいつも垂らしっ放しの黒髪は後ろで上手く纏められている。見たところ髪の毛をほんの少し切ったようにも見える。
「おま……水島だよな!?」
「……そうだけど?」
「いつものあの真っ黒な姿はどこに行ったんだよ!?」
 思わず吐き出してしまった言葉に、水島は微笑みで応える。
「キミが言ったんじゃない。あの時に……」
 あの時とは、いつだったか。最近ならば覚えている筈なのだが、記憶に何故かない。
「……君が杉原君か、どこか抜けてそうな子だねぇ」
 不意に、背後から声がかかる。僕はハッとして振り返り身構えた。
 そこには、誰もいなかった。
「こっちだよこっち」
 すぅ、と誰かに首を撫でられ、そしてすぐに気配が消えた。
「今のが本当の殺人鬼なら、死んでたね」
「……誰ですか、あなた?」
「いい加減杉原君にも色々と話すべきだと思ったから、呼んだのよ」
 呼んだ。話すべき。一体何を話にきたのだろうかと僕は首を傾げながら再び視線を水島へと移した。
 そこには、白いスーツに身を包んだ男性が笑みを浮かべて立っていた。少し赤みのかかった髪と、カラーコンタクトでも入れているのか、やけに赤く染まった瞳が彼の存在感を引き立たせていた。
「彼の名前は、インフェルノって覚えておいて」
「いん……ふぇる……の?」
 どうも、と『地獄』と名乗った彼は丁寧に頭を下げお辞儀をする。それに釣られて僕も彼にお辞儀を返す。
「とりあえず、私の家で、色々と知っておいてほしい事柄を君に告げようと思うのよ」
「……」
 混乱し、ぐしゃぐしゃにかきまぜられた頭を抱えながら、引かれるがままに、彼女の家へと連れて行かれてしまった。

 「ここが私の家」
 僕は本日二度目の衝撃に口を抑えてしまった。
 とてつもなく和の香りの漂う屋形が、そこにはあった。
「うちの父母は死んでしまっているの。で、引き取ってくれたのがここの叔父と叔母で…」
「俺の家の、数倍は…ある?」
「まぁとりあえず入ろうじゃないか」
 そう言うと、インフェルノはずかずかと門をくぐっていく。続いて水島も門をくぐる。僕は完全に置いていかれているという感覚と突然のカミングアウトに戸惑いながらも、二人の後を追っていく。

「さて、私の部屋にもついたことだし、早速始めましょうか」
 畳十五枚程の広さの部屋に僕等は座り込む。置いてあるものと言えば箪笥と机と整えられた敷布団位で、やけに殺風景なものである。
「まずね、私の復讐の最終目標は、ある殺人組織の撲滅なのよ」
「待て待て、突然にそんな会話を始められても、全く分からないって」
「まぁ聞いてあげてよ杉原君」
 慌てふためく僕をインフェルノが宥める。その抑えられ方に諦めを覚え、僕は黙りこみ、水島の言葉に耳を傾ける。
「その殺人組織の名前は『way:』って言ってね、幹部クラスの人間が殺人願望を抱いている人間を誘い込み、今では宗教クラスの大きさにまで発展しているのよ」
「そんな組織を撲滅って……できるのか?」
「内部からの破壊と、外部からの破壊によって、殺人者をバラけさせ、ボスを叩く。統率力の無くなった奴らなんて敵じゃないもの」
「だから内部って、幹部クラスでもなけりゃ影響力ないぞ!?」
 水島が指を指す。僕はその方向に視線を移すと、にっこりと笑みを浮かべるインフェルノを姿があった。
「まさか……」
「彼、幹部の一人なのよ。主に始末担当のね」
「内部で俺も多数の人間に声をかけてみてるわけだ。ボスを炙り出せる可能性だってある」
「ボスをあぶりだすって?」
「誰も知らないのよ。way:創設者の存在をね」
 水島は頬を指で突きながら答える。
「と、とりあえず上手く着いていけないが、そのway:って殺人集団を撲滅する為に、内部の人間を仲間に引き入れて、それでいて俺と水島の二人で外部から破壊を企てると……そういうわけだな?」
「他にも協力者を募るけどね。今は外部の人間は私と杉原君だけね」
 僕は完全に混乱を通り越し、呆れを覚えた。
「そんな少人数で、馬鹿みたいにでかい組織を潰せるのか!?」
「だから協力者を収集しているって言っているでしょう? 私もインフェルノも、切羽詰まっているのよ」
 協力者を集めるという言葉に、ふとした疑問を覚える。今回の指名手配犯がこの町に来ていること。そしてそれが今回ネクロフィリアと同じくなにかしらの関連性を持っているということ。
 小さな疑問だが、聞かなくてはと僕は水島を凝視し、口を開いた。
「もしかして、その協力者の候補」
 水島は頷く。
「えぇ、指名手配犯。コードネームは『Mr,suicide』こと越戸要よ」
 体内の血がガキリと凝固していくような感覚を僕は覚えた。
 
「知ってるかな?」
 からり。女子高生のグラス内の氷が音をたてて崩れた。
「何をだい?」
 向い側に座る男性は、暇そうにスプーンを目の前のポタージュの中で泳がせている。女子高生の話にもさほど興味は湧いていないようである。
「施し屋」
 女子高生はボソリと一言そう言った。
 その言葉に、男性の身体がビクリと動く。その反応を、女子高生は見逃さなかった。
「……ねぇ、もっと人を殺したいと思ってるならさ、『うち』に入らない?」
「……私利私欲で人を殺すつもりは毛頭ない」
「へぇ、じゃああの『刑事』さんも自分の為ではないと?」
 もう一度男性の身体が上下に動いた。
「……罰は受けるさ。使命を終えたらだがな」
「まぁ良いわ、ゆっくりあなたを口説くとしましょう…」
 女子高生はガタリと立ち上がり、男性の前に一枚のカードを置くとそのまま店から姿を消した。
「……僕は、こんな事の為に人を殺すものか…」
 全ては目的のために。男はぎゅうと唇を噛みしめ、目の前のカードを縦に引き裂きポタージュの中へとねじ込むと、彼もまた店をずんずんと怒りに身を震わせながら出て行ってしまった。
 すぅとその席を立ち、誰もいなくなったテーブルに、驟雨は近づくとポタージュの中に手を入れる。ぬるりとした感覚が彼女の心に怖気を植え付ける。
 千切れて二枚となったカードがポタージュから引き抜かれ、それを丁寧にナプキンで拭き取りポケットへと入れた。
「…証拠は隠滅ね」
 驟雨はそう呟く。そして彼女もまた店を出て行った。

act.5-2

「Mr.suicide?」
 僕の言葉に、水島は改めて頷く。
「ミスタースイサイド。別名施し屋」
「ちょっと待てよ。なんで連続殺人犯にそんな名前がついているんだ?」
 僕はその疑問点に着目する。二十九人の人間を殺害し、指名手配まで受けている猟奇殺人者に、施し屋という名前は確実に合う筈がない。彼の殺人が、何かしらの「利」を生んでいるのだろうか。いや、人が死ぬ事に利など生まれる筈がない。僕が嫌っていた雪野でさえも、死ねばそれなりの物を僕に残していったのだから……。
「この人ね、被害者に一定のパターンがあるのよ」
「パターン?」
 水島の言葉に、僕はオウムのように返した。水島は気にせずに続ける。
「その被害者にはね、必ず――」

   ―――――

「今回も外傷無しか」
「本当に、どうすればこんな殺し方ができるんでしょうね?」
 私はさあ、と首を横に振りつつ、鑑識の集団の間を割って二十九体目の遺体の前でしゃがみ込む。やはり、前回までの二十八体同様外傷が一つもない。
 私はそれを確認した後、遺体の右手首を覗き込んだ。
 やはり、あった。
「これで二十九人目のリストカット常習犯ですか……」
「まぁな。多分もう少し調べれば、睡眠薬か何かも出てくるんじゃないか?」
「鑑識の結果待ちって事ですね……」
 木下は俯きながらそう私に呟いた。
 正直なところ私も俯きたい気分だ。ここまで、犯人の顔まで分かっているというのに何故未だに捕まえることができないのか。おまけに既に仲間の命まで一人奪われているのだ。この失態で絶対に終わらせる気は毛頭ない。
「木下、俯くのは後にしろ。犯人に手錠をかけるまで、絶対に前を向け」
「は、はい!!」
 私の言葉に木下は顔を上げる。この思考の切り替えの早さは本当に彼の武器だろう。刑事として能力は半人前だが、この判断力はそれだけで常に自身を最善の方向へと動かしている。
 木下ならば、きっと私の後継として相応しいだろう。私はそんな事を思いつつ、木下に笑いかける。
「さっさとこの事件、終わらせようじゃないか」
「はい、絶対に……終わらせましょう」
 木下は強いまなざしで私を見据えた。

   ―――――

「自傷経験者が対象になっているのか」
 水島の説明を要約し、僕は言葉を返す。
「ええ、どの被害者も、死にたいと願う人間ばかりなのよ。というか、『依頼』して殺してもらっているのよ」
「なんでそこまでして……」
「案外人間なんて脆いものだよ。少し意思が挫かれただけで死を選んだ人間を俺はかなり知っている」
 呟きに対してインフェルノが口を挟む。先ほどからジッポの蓋を開閉して弄っているだけであった存在が突然喋ったことで僕は少したじろいだ。仲間であるという水島の言葉を信じきれない自分がいるのだ。ネクロフィリアを始末したのも彼であり、また大量の汚れ仕事を受け持ち、手を血に染めてきたというインフェルノの言葉が、正直僕の心には一番堪える。
 僕は死なんて覚悟してはいないし、一度助かったこの命をもう一度散らすような馬鹿な真似もしたくはない。
 できればこの状況から逃亡したいという思いが強かった。雪野の呪縛を断ち切りたい、未だ精神的に病んでしまっている山下の仇だってとってやりたい。だがそこまで自分の身を危険に投じるなんて馬鹿すぎる。
 だが、こんな一般人になにができるというのか。
 僕は周囲を見渡す。殺人経験者を見分けられる少女に、始末人のスーツ男。僕はなんだい、ただの高校生だ。
 否、何もできはしない。
「……あのさ、もう少しだけ考える時間を貰えないか?」
 突然の意見に、二人の表情が固まる。その光景に身を強張らせながら、それでも必死に言葉を吐き出していく。
「正直さ、俺、高校生だぜ? たかが須賀の犯行とネクロフィリアを一時的に追い詰められたとしてもさ、それでも結局何もできてないんだぜ?」
「……」
 静寂がぎゅるりと僕の肺を締め付け、酸素を吐き出させていく。
 苦しい。僕はどうやって呼吸をしていたっけ。
 というよりも、呼吸はどうやるのだったか。
「怖いんだよ。この非日常がさ。最初は暇つぶし程度にはなるかと思ってたけどさ、俺ここまで来たらつきあってらんない…」
「……じゃあ帰れば良いんじゃないか?」
「インフェルノ!!」
 白スーツの男は冷たい眼差しのまま僕へと歩みよると、ぐいと胸倉を掴み上げ、顔を寄せる。
「君の判断力、勘といい素晴らしいセンスの持ち主だ。けれども、そこに意志が備わってなければ意味はないのさ」
「……水島が無理矢理に俺をこっち側に連れ込んできたんだろう!?」
 胸から全身へ、熱い何かが駆け巡り、僕はその熱い何かと共にインフェルノに噛み付いた。
「だが、君はその誘いを受けてこちらに来たんじゃないのかい?」
「!?」
 その噛みつきを、インフェルノはいとも容易く剥がしねじ伏せると冷ややかな視線で再度僕を見る。その鮮明なまでの赤い瞳は、僕に得もいえぬ恐怖心を叩きこむ。
「何もかもお前は中途半端過ぎるんだよ。雪野早苗、須賀、ネクロフィリアに山下由佳」
「何もできてないさ。だからこそこんな足手まといはいない方がマシだろう!?」
 インフェルノは僕を力強く押す。僕は受け身も取れないまま尻から落ち、鈍い痛みを感じた。
「考える時間が欲しいんだろう? いや、逃げる時間が」
「…!!」
 もう我慢の限界であった。何故被害者である僕がこんな目に遭っているのだろうか。何故殺人集団の壊滅作戦に参加しなければいけないのだろうか。
 僕は傍の壁に思い切り左拳を叩きこんでからそのまま部屋を逃げるように出た。後方から水島の声がした気がしたが、そんなこと関係はない。
 もう嫌なのだ。これ以上『死』に関わるのは。もうこれ以上ネクロフィリアのような快楽殺人者を相手になどしていられない。
「一つ言っておいてやる杉原!!」
 インフェルノの声、だが顔を見るのも癪なので、立ち止まるだけにしておく。
「俺達の組織の中じゃあ、お前の名前は覚えられているからな」
 僕の心臓が、一度強く脈動し、身体が震えを覚え始める。
 うわぁぁ。
 心の中がざわつく。
 死という言葉が具現化して、まるで隣にでも立っているかのような感覚さえ覚えた。
 僕はそのまま、震える手脚に力を込め強く床を蹴った。

   ―――――

「なんで、あんなこと言ったのよ?」
 水島は俺を黒い瞳で見据えながら訴えかけるように呟く。
「あいつは必ず戻ってくるから平気さ。もう逃げ場が無いってことも自覚しただろうしな」
 既に杉原という名前は組織内では評判になっていた。灯台もと暗しとでも言うかのような隠れ方をしていたネクロフィリアを発見し、そして一般人でありながら対峙までするという勇敢さ。
 いつかこの存在が大きくなれば、我々に危険が及ぶのではないか。そんな意見さえ出たのだから驚きだ。
 今現在は杉原の始末は保留だが、いつそれが執行になり、断罪者が動き出すか分からない。その状況だからこそ、彼には死の恐怖を植え付けておく必要があった。
「人間がさ、死を身近に感じたとき、三種類の人間に分かれるんだぜ?」
「え?」
 水島はぼうっとした表情のままこちらを見ている。俺はその表情に笑みを含んだ表情を返しつつ、三本指を立てる。
「一つ目は快楽。命が潰える瞬間にこの上ない悦びを感じて、そのまま奈落へと堕ちていく人間。これが俺達の組織の奴の大半な」
「う、うん……」
「二つ目は逃亡。死という存在に恐怖を感じてそのまま閉じこもってしまう人間。杉原や山下由佳がその例だろう」
「杉原君も…?」
「とにかく彼には死の存在性を知ってほしいんだよ。そうでもしないと余計に役に立ちそうにないから……」
 あとは、彼がこの状況から上手くいい方向に転がることを祈るだけだろう。

 そんな事を考えていると、ジーパンのポケットがふるると小さく震える。
「……もしもし?」
「インフェルノ? 笹島だけど、次のミッションが決まったよ」
 笹島のお気楽そうな声に多少気が抜けるが、それでもその次のミッションについて頭を巡らせる。
「それはMr,suicideに関連しているのか?」
「関連しているよ。というか、あの男を捕獲する事が決定した」
 やはり。俺の予想通りのミッション内容に安堵する。
「了解。すぐにアジトに戻る」
 そう言って携帯の通話を切ると、横で苦々しい表情を浮かべている水島を見て、一度笑う。
「三つ巴になるぞ。俺らと、お前らと、御陵刑事の三勢力でな」
 その言葉で水島は全てを把握したのか、更に表情を渋めていた。

   ―――――

 何故、ここまで死から逃げなければいけなくなっているのだろうか。
 僕はすっかり明かりの無くなった裏路地を歩きながらぶつぶつと愚痴を言い続ける。ただの高校生が役に立つはずがない。多分あの二人は僕を利用する為に引き留めようとしているんだろう。そうだ、そうに違いない。
「……いや、そんなわけはないだろうな」
 脳内を回っていた言葉をぶつんと切り落とし、ボソリとそうつぶやいた。
 分かっているのだ。あの二人が僕に多少なりとも期待を寄せている事を。けれども、それに応えられるだけの気持ちがない。勇気もない。こんな情況の僕がいても意味は無いのだ。
「本当に、馬鹿だよな。俺……。また逃げてやんの」
 自嘲気味に笑ってみると、その嘲笑がやけに自分に合っているなと思い、しばらく続けてみる。

 不意に、何かの気配を感じ、背後を振り返ってみる。
「……キミは、誰だい?」
 目の前に棒立ちしている男性を見て、僕はゴクリと唾を飲み込む。背から冷たい汗が滲み出ているのがよく分かる。
――あぁ、どうしてこんなにも俺は運が悪いのだろうか。
 身構えながら、目の前の存在をじっと睨み続ける。
「……なにか、食べ物か何か、貰えないだろうか?」
 目の前の男性。

――Mr,suicide

 越戸要が、そこに立っていた。
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   acr.5-3

「……」
 僕は目の前の殺人鬼に視線を向ける。
「本当に悪いね。見も知らずの人間に……」
 殺人犯は陽気にナイフを光らせながら肉に切り込みを入れフォークを差し込み、そのまま口へ運んで行く。普通大量殺人鬼にナイフなんて持たせるものではないだろう。いや、それを言うならフォークもだが。
 そんな殺人気に凶器を持たせたのには、殺される可能性が極めて低いという考えからであった。
 まずこの目の前で料理を笑みを零しながら口に運ぶ大量殺人鬼は、凶器を使わずに人を殺している。外傷がない辺り、薬かなにかで対象を殺害しているのだろうと予想できる。また、殺害の対象が皆「死にたがっている」という事も僕がこの狂人と相対できる状況にある一つの理由だ。
「……なんで僕を助けてくれたんだい?」
 突然の問いかけに僕はハッと息を呑む。
「別に、困ってる人を助ける位、してもいいんじゃないですか?」
「施し屋、Mr,suicide」
 その言葉に、僕は身を震わせじっと目の前の殺人鬼を見据える。向こうは濁り掠れた光を放つ瞳で僕を見つめている。
「まぁ、普通に手配書は出ているからね。むしろ知らない方がおかしいと思ったんだ」
「……こんな人の集まってる場所にいたら危ないとか考えないんですか?」
「キミはいちいちすれ違った人の事を注意深く見るかい?」
 その問いかけに、僕は首を横に振る。そういうことだ、と殺人鬼、越戸は頷く。
「大体、自分が危険になる事を人間は進んで行わないものだよ。なにより目立つ事を嫌うからね。うちの国は」
 越戸は肉を口に運び、ゆっくりと咀嚼する。
「……なんで、人を殺すんですか?」
 越戸のフォークを握る手が、ぴたりと止まった。
「人助けさ」
 その言葉に、僕はぐるりと脳がひっくり返ったような、そんな感覚を覚えた。人を殺すことを「救い」と例えた人間、多分殺人鬼よりも奇なる存在なのは確かだろう。
 生を奪うことに対して、そこに悪意がないだけで人はここまで善人に見えるものなのだろうか。
「生を断つことが、本当に人助けなのですか?」
 ポツリと生まれた疑問にが、嘘偽りのない言葉が不意に口から吐き出された。
「……じゃあ僕から聞くが、死を望む人間にとって『生きる事』とはなんだい?」
 心臓が、一度強く高鳴った。
「自ら命を断つ勇気も無く、この世界に順応していく勇気もない人間にとって、生きることは何のメリットがあるんだい?」
「それは」
 動く口から言葉は全く吐き出される気配はない。
 当たり前だ。何も思いつかないのだから。
 しどろもどろとする僕を薄らと開いた目で一瞥した後、越戸はナプキンで口を丁寧になぞると手を合わせる。
「御馳走様」
「え、あぁ、はい……」
 僕は目の前で手を合わせ、小さく頭を下げている男に戸惑いながらも返答を返す。彼は本当にそこら中で話題になっている例の殺人鬼なのだろうか。
「さて、じゃあ僕は行くことにするよ」
「え?」
 越戸は立ち上がるとそう言葉を置いて席を起つ。これ以上留まっていると流石に誰かしらが警察を呼びかねないんでね。と苦笑しながら周囲を顎で指す。
 周囲はすっかりこちらを見て密やかに言葉を交わし、また中には指さして携帯を取り出して騒いでいる中高生達の姿も見て取れる。
 刹那、越戸が動き出した。
 越戸はゆっくりとその微温湯の様な空気の漂う空間を、笑みを浮かべながらその指を向ける中高生達の席へと向かう。
 僕は周囲の気味の悪い空気に身を震わせながらも、ひたすらに越戸に目を向け続ける。一体何をするつもりなのだろうか。正直恐怖というよりも彼の行動に強い興味があるのだ。
 しかし、そんな妙な好奇心に近い何かは、一瞬にして砕け散り、そして黒く、冷たく染まった。
 若者の中の一人が彼に触れられた瞬間にゆらり、とソファに崩れ落ちたのだ。
 悲鳴。
 悲鳴。
 共鳴する周囲のざわめきが僕の耳を貫いてゆく。が、そんなざわめきなど今の僕にはなんの影響もない。
 目の前で一人の少女が、笑いながら死を迎えた事を目の当たりにした。これに対して、どう反応すればいいのか全く分からない。これは果たして他殺と呼べるのだろうか。そして、目の前で人の命を奪った越戸要の事を、本当に殺人鬼と呼ぶべきなのだろうか。
 僕には分からなくなっていた。
 これが、本当に救いなのだろうか。この苦境からの逃亡にすら近い死を与えることが、本当に、本当に…。
 好奇心などとうに消えてなくなっていた。残っているのは空の脳と心に残るかすかな疑問の闇。
「これは……なんだ、救いなんかじゃない。でも殺人でもない……」
 戸惑う僕の目の前で、狂人は静かに微笑み命を奪った少女の頭部を。
 愛おしそうに撫でていた。

   ―――――

 心臓が強く高鳴っている。ここまで危険な状況に自らを置いてまで『彼女』を標的とすることが今後どんな危機的状況になるのか分かっている。だが、寄生され続けている彼女をもう放っておくのは忍びないのだ。
 僕の動向が気になるのか、「金銭の十分ある」僕に食事を奢ってくれた少年はじっとこちらを見ている。彼からは恐怖というよりも、殺人鬼である僕に対する強い興味があるように思える。多分僕に快く手を差し伸べたのも単純な興味からなのだろう。僕がどうやって人を殺すのか。何故人を殺すのか。ただそれだけの為であって、それ以外はない。僕以外のちゃんとした浮浪者相手ならば多分彼は簡単に見捨てただろう。
「……あんた、あの張り紙の奴だよな!! だよな!?」
 携帯を構える金髪の男性は、僕に向かってやや興奮気味にそう問いかける。
「あぁ、そうだよ。けれども、君に用は全くないんだよ」
 僕は掠れているであろう瞳でじぃと金髪の男性を見据える。先ほどまで昂揚感とでも言うべきか、そんな気持ちを浮かべていた彼の顔からすぅっと生気が抜けていくのを感じる。どうやらこの不気味な『能力』の使い過ぎのせいなのか、視線を交わしただけでも『吸い』取ってしまうようになっているようだ。
 そこでふと疑問が生まれる。が、今はそれよりもこちらが先だ。
「……真田薫さん、ですよね?」
「はい」
 ヤケにゴテゴテとしたメイクの若者の集団の中に一人いる異質な人物に僕は声をかける。その声に、彼女は何かを感じ取ったらしく笑みを浮かべ頷くと、僕に手を伸ばす。
「悪いね、遅れてしまって」
「いえ、良いんです。来てくれると思ってました“先生”」
 僕は何も言わずただひたすらに笑みを浮かべると、静かに彼女の手を両手で挟み、祈るように眼を瞑った。
 温かい何かが、僕の中へと流れ込んでくる。そしてその流れ込む全てが真田薫だという事を主張し、そして僕に涙を流しながら抱きついてくる。
「もう大丈夫だよ。君は解放されたんだ……」
 生から解放されかけた彼女は薄く開いた眼を僕に向け、一度にこりと微笑んだ。


 それから、彼女は冷たくなった。
 周囲から耳を貫くような悲鳴が上がるが、そんなもの関係ない。今はただ、この幸福を手にした少女の為に泣いてあげるべきなのだ。別れはいつだって悲しいと、周囲にも伝える為に。強く彼女を抱きしめ、そしてひたすらに嗚咽交じりの涙を流す。
 ふと、潤んだ視界の中で一人ポツンと呆けている存在に気が行く。呆けたまま、パクパクと何かを呟いているのが分かる。そして、その言葉がなんであるのかも口の動きから把握できた。
――救いなんかじゃない。
 そんな事は分かっている。これは僕のエゴなのだから。そして今まで僕が命を奪ってきた人々の考え方もエゴなのだ。だが、それで双方に利が出ているのだ。僕は少なくともこの行為が悪事ではないと思っている。
 そんな事を脳内でつぶやきながら彼を見る。彼は言葉を続けた。
――でも殺人でもない……。
 正直なところ、驚いた。こんな言葉が出てくるとは思ってもいなかった。僕と同じ考えをする人間がいたことに何か衝撃に近いものを感じてしまった。
 僕は呆然としている少年に向け、静かに微笑んだ。
「どうやら、君と僕は同類のようだね……」
 その言葉に、彼は再度戸惑いの色を見せていた。

   ―――――

「先輩、人物をまとめる事に成功しました」
 木下はA4サイズの茶封筒を真上に掲げながらこちらへと駆け寄ってくる。私はその封筒を引っ手繰ると中の五枚の印刷用紙を引っ張り出し、確認する。
「やはり、あの人以外は全て人物が一致しました」
「くそっ。もっと早くやってりゃ最小の被害で済んだってのに…。上の奴らは何故手を拱いてたんだ……」
「本当に、訳が分かりませんよ……」
 本当にその通りだ。これさえあれば次の対策が出来た筈なのにも関わらず、これをこちらに回さなかった。これは何かしらの理由があるのだろうが、その理由が分からない。一体何がどうなったらこの“名簿”を出すのを渋らなければいけない状況になるのだろうか。
「とにかく、これで次の『死願望者』を持った人間を先回りすることができる」
「そうですね。上はともかく、今はこちらが先ですね」
 木下の甲高い声に私は頷く。そして手にしている紙に目を落とす。
――越戸学習塾生徒名簿。
 昔、越戸要の開いていた小さな学習塾の全生徒名簿だ。
 どうやら地元の学生が入っていた小さな塾だったようだ。生徒数は六十八人と塾としては多い部類ではあるが。
「それで、今のところの被害者のうち、二十八人がこの名簿の人物と一致しているんだな?」
「はい、そうです」
 木下は頷いた。
 それにしても分からない事が多すぎる。まず一つ目に、生徒の殺害を何故塾の閉鎖から半年経った今始めたのか。塾生たちが集結しているときに殺害を企てればいとも容易く生徒を根絶やしにできただろう。だがそれをしないという事は、単に人を殺したい理由であるというわけではないらしい。
 またこの塾の閉鎖が一年前ということにも何か引っかかるのだ。確か鏡合わせ事件の遺体が死亡したと思われる時期も確か、一年前の筈。
 そして、その人物はここに見事に記載されているのだ。
 たった二人のうちの一人の教師、中島悟として。
「先輩……これは」
「繋がったな。ここで一つ」
 確かに繋がった。一年前の監禁死体、一年前に閉鎖された塾、一年経って起き始めた生徒連続殺人事件。
 偶然ではない。だが、死因に全くと言っていい程関連性が無いのに疑問を感じるが、それはまた奥深く掘り出せば解決出来るだろう。
「遂に俺達の反撃が始まったな……」
「やはり、これもway:の」
 そうだろうな。私は強く頷き、笑みを浮かべる。
「あぁ、そして向こうも越戸要を始末しにかかっている筈。半年前の出来事といい、奴をこのまま見逃しておけるほど向こうも状況は芳しくないはずだ」
 これで私たちとway:の一騎打ちの舞台は整った。越戸要を捕らえた方が勝利のこの戦いが、遂に。
「木下ぁ!! 準備にかかるぞ。総力を挙げて越戸要の逮捕にかかる!!」
 その言葉に木下は力強く二文字で答え、駆けていく。さて越戸要。残り三十二名の塾生を簡単に殺せるとは思うなよ。
 私は拳を強く握りしめ、目の前にある手配書に思い切り拳を叩きつけた。

   ―――――

 何故、こうなってしまったのだろうか。
「……本当に、いいのかい? 匿うなんて事」
「あなたにはまだ捕まって欲しくないんだ。というか、このままどちらかに捕らえられたら、俺がスッキリしない」
 僕の言葉に対し、乾いた笑いが背後から聞こえてくる。
「……君はやっぱり僕に似ているよ」
 ふざけるな。僕が何故お前のような殺人鬼に似ているなんて言われなければいけないんだ。そう言おうとした時、殺人鬼という言葉がまたしても僕の中で妙に突っかかり、言葉にならなかった。
「今なんて言ったのかよく聞こえなかったんだが……」
「気にしないでください」
 俺はそう言うと、また路地に滑り込んでいく。人通りのある場所を通ればパニックが起こるだろうし、少しでも発見される危険性をなくす為には、それしかない。
「そういえば、君は高校生かい?」
「受験生」
 そういえば受験の事などすっかり頭から抜けているなと、その時急に思った。色々なゴタゴタのせいでひとっつも勉強できていない。まぁ、今更やっても意味はないので一浪でもするかな。と心の中ですんなりと思えてしまい、少し微妙な感覚を覚える。
「じゃあさ、一人、教えてほしい人物がいるんだけど……」
「また殺、救うのか?」
「わざわざ言い直してくれるとはね」
 越戸はまた乾いた笑い声を僕の背中に放つ。この気味の悪い笑い方はどうにかならないものか。そんな苛立ちをぐっと僕は抑え、次の標的の名を問いかけた。
「あぁ、山下由佳という女の子なんだが」
 僕の足が、自然と止まった。
「知っているのかい?」
「山下の…命を奪うのか?」
 身体が震え、脳内がぐしゃぐしゃに掻き回される。思考が追い付かない。ぐるぐると回る記憶が、次々と山下との映像を映し出していく。
 何かが一転した。世界も、自らの思考も。
 この男は敵であると。僕の全神経が強い警告を放ち始める。
「……ふざけるなよ。あいつも、殺すっていうのか?」
「救うんだ」
 その頑ななまでの言葉に、先程までは感じていなかった強い嫌悪感を感じ始める。僕はその嫌悪感に従うように、強い憎しみを込めた眼で彼を睨みつける。
「やっぱり同じだ……」
 越戸要、施し屋は無表情のまま呟く。
「君も、やはりエゴの塊だね」
 僕は否定もせず、そして同意もせずに、ただひたすら黙り込み、彼に鋭い視線を投げ続けた。


「また被害者か……」
 目の前で横たわる少女は静かに瞼を閉じている。
 まるで死を受け入れるかのような、死が幸福でもあるかのような、そんな笑みを浮かべている。
「あの、刑事さん?」
 この少女の知り合いである三人が、少し濁った表情を浮かべながらこちらへと向かってくる。この三人組と被害者である少女との身なりの違いに多少の違和感は感じるが、それは置いておくべきことだ。まずはこの状況にしてしまったことへ謝罪しなければ。
 私は立ち上がり、そして三人組へ身体を折り、頭を下げる。
「申し訳ないね、対応が遅れてしまって……」
 精一杯のお辞儀だ。手がかりを掴んだのにも関わらず結局また出してしまった被害者。これは私の罪だ。背負い、そして心に打ち込むべき杭。この罪から解放されることは無いだろう。だがしかし、被害者達の無念さは晴らしてやることができるのならこんな重みどうってことはない。
「あの、そうじゃないんです……」
 私の言葉に、少女が口を開く。私は思わず顔を上げた。続けて中央の赤い髪の少年が口を開いた。
「俺達に……面倒な事が回ってきたり、しませんよね?」
 心配と苦しみの滲み出た笑みを浮かべながら少年は、確かにそう言った。左右の男女も大きく頷いている。
 何故だろう。彼の一言に、心の臓を抉り出された気分を覚えた自分がいた。切り捨てる事を生業としている人間を私は沢山知っている。私も実際は切り捨てることでここまで上り詰めてきたと言ってもいい。
 だが、それでも切り捨てた人間には、最後には敬意を送ったつもりだ。その分の重石を自らに課してやってきた。
 この少年少女は一体何だというのだろうか。ここまで、生を失った者に、ここまでの仕打ちが何故できるのだろうか。
「面倒な事とは、なんだい?」
 堪えろ。
 そう必死に言い聞かせる。
「バイトとかあるし、それに」
「適当に事情聴取するだけだから、もう少しだけ辛抱してくれるかい?」
 ふっと木下が乾いた笑みを浮かべながら言うと三人はそれなら、と呟いてそのまま他の刑事に連れられて行った。私はぽかんとしながらその光景を見続けていた。最早怒りという言葉さえどこかに行ってしまった。なんというか、心の中に生まれていた炎に勢いよく消火器をかけられた感覚だ。
 その呆然と佇む私を見て木下が戸惑いながら肩を叩く。
「先輩、大丈夫ですか? 何か気分でも?」
――なぁ、木下。人ってなんなんだろうな。
 青い顔をしている木下に対して、そんなことをぼんやりと呟いてみる。突然木下は疑問の色を表情に浮かべる。何故だか今、とても心の中にあった重い重い石が砕けて消えたような気がした。
「ど、どうしたんです?」
「俺が背負ってきたものは、一体何の為にあったんだろうな……」
 少年達のエゴ。
 笑って死んだ少女。
 そして、死んだ者を『背負ったつもり』になっていた私。

 殺人鬼の方がむしろ純粋だと感じてきてしまうのは何故なのだろうか。

 足もとの遺体を見つめながら私は、ぼんやりとそんな事を考えていた。

   act.3-4

 僕は何故か今、殺人鬼を連れて走っていた。理由は全く分からない。ただ一つ言えることは、今自分は彼の『共犯者』であると言っても過言ではないということだ。目の前で人を殺した人間を連れ、レストランを駆けて出て行ったのだから当たり前だ。今頃殺害現場では僕の事も捜索対象となっているだろう。
「どうして君も来たんだい?」
「……」
 幾度となく来る問いかけに僕はひたすら無言で返す。
 殺人鬼とは関係を持ちたくはない。けれども、考え方は違うが人を救おうという信念と、全てを背負おうとしている彼には何故かとても興味が沸くのだ。
「何が君をそこまで追い詰めているんだい?」
「俺は別に……」
「君は僕とは違う思考の持ち主だと感じているんだけどね……」
 その通りだ。人が死ぬ事を『救う』という思考なんてできないし、ましてや自分以外の何かを背負うなんて事できるわけがない。
 それに今自分がさまざまな事件に関わっていることだって、もとを正せば雪野が原因であるし、それに今事件を解決している状況だって、単に平凡な日常に刺激が欲しいという理由だからだ。正義感とかそういう考え方もありえない。
「それにあそこで僕を捕獲しておいた方が、君にとって利があったんじゃないのかい?」
 足を止める。
「……山下を本当に殺す気か?」
 越戸はその問いに対して笑みを浮かべる。
「ええ」
 刹那、強い憤りの様な何かが僕の中を駆け抜け、そして握りしめた拳がいつの間にか越戸の右頬に食い込んでいた。
「……僕の奇跡の能力を教えてあげようか」
「え?」
 ハッとして越戸に向けた腕を引っ込める。朱色に染まる頬がとても痛々しく、切れた唇から流れ出る血色の液体が少し心を蝕む。
「僕の能力は、人の生命力を吸い取るものだ」
 そう言って彼は右手を伸ばす。僕に向けてのばされたそれが、突然恐怖の対象のように感じられてくる。
「まぁこれは正直便利な能力なんだ。例えば吸い取った生命力を他人に流し込めば治療や延命の効果にだってなるんだから」
「それだけでも十分人を救える能力なんじゃないのか?」
 うっとりと腕を見つめる僕に彼は満面の笑みを浮かべている。
 狂っている。
 完全に狂っていると思った。こいつは。
「僕が狙っている子たちはね、半年前塾をやっていた頃の教え子達なんだ」
 驚きと疑問が僕の心を埋め尽くし、そしてその全てを弾き飛ばすように一度強く鼓動の音が響いた。
 まさか、いやそんなわけはない。記憶の中に残っていた会話が、ゆっくりと再生されていく。
 一年前の鏡合わせ事件。
 一年前の塾生を狙った殺人事件。
 何か抜け落ちていたピースが見事にはまった気がした。
「あんたが、もしかして半年前の鏡合わせ事件の犯人なのか?」
 無意識のうちに吐き出した言葉に越戸の表情が強く歪む。ふっと彼の腕を見てみると強く握りしめられているのがよく分かる。
「……あんた、なんだな?」
「彼は、僕の思想に反抗したんだ。僕と生徒達の『全てを救う為』の計画を滅しようと…」
 突然しどろもどろになった彼を強く睨みつける。
「一年前、あんたのその事件が全てに繋がってるみたいなんだよ」
「どういうことだ?」
「あの事件の時から丁度半年程経った今になって事件が多発しているんだ」
 僕は感情にまかせ、自分の知っている全てを吐き出していく。一瞬だけ見た越戸の表情は大分困惑の色が滲んでいる。
「あんたのその計画をway:が利用しようとしているんじゃないのか?」
 黙り込む越戸。
 その姿を僕はじっと見据える。
 渋い顔をしている彼が、少し哀しげに見えてくる。
「それはないね」
 越戸が口を開いた。
「そしてそれが例えway:に関連するものだったとしても、僕はもう戻れないんだよ」
 そう呟くと彼は自らのシャツを脱ぎ捨て、電灯の下へとゆっくりと移動してくる。

 その姿に、僕は衝撃を覚える。
 刻まれているのだ。上半身にびっしりと刻み込まれた名前、名前、名前…。越戸はその名前達を抱きしめるが如く両腕を抱きしめる。
「僕のこの能力の制約も教えてあげるよ」
 越戸は刻み込まれた名前を指指す。
「僕が能力を使って人を殺したときに現れる罪の形、それがこの名前」
 ふと、僕はその名前の書かれた部分の皮膚が多少薄黒く変色している事に気づく。
「その変色……」
 僕がふと吐き出した疑問に、越戸はゆっくりと頷いた。
「この変色が全身に回った時点で、僕は死ぬんだよ」

   ―――――

 闇に包まれた部屋の燭台に火がともってゆく。それと同時に視界が開け、十人前後のメンバーが姿を現す。
「さて、そろそろ活動を開始しようか。皆」
 僕の呼びかけに、周囲が賛同の声を上げる。馬鹿な殺人気気どりが消えてくれたおかげで、大分メンバーも洗練されてきた。ネクロフィリアを失ったのは痛手であったが、それ以上の収穫を考えると、まぁ、良いものだろう。
「彼は入ってくれるもんですかね?」
 インフェルノが赤い瞳をこちらに向けている。僕はああ必ず入るはずだとだけ答えておく。正直なところ彼は中立的な立場に居座り続けている。彼に流した情報が簡単に誰かしらに漏れている可能性もあり得る。まぁ、それを知っていて泳がせているわけではあるが。
「一番怖いのはあんただけどね、インフェルノさん?」
「おお怖い怖い、殺し方も嫌味の言い方もえげつないねぇ『ケルピー』さん?」
 インフェルノとテーブルを挟んだ場所に座っている長髪の少女、ケルピーは冷やかな視線をインフェルノに投げ掛けている。その殺気に満ちた視線をインフェルノは笑みを浮かべながら弾き飛ばしている。
「まぁ今ここに普通に呼ばれているんだ。裏切者なら俺が直々に手を下すさ」
「あぁ、そうだな。俺がそう判断すれば『断罪者』が殺してくれる」
「そういう事を言われると、本当に怖いですね」
 インフェルノはおどけたように両の手を振る。
「さて、今回は人殺しが任務ではない」
 僕の発言に、周囲は何をいまさらとでも言いたげな表情を浮かべている。
「越戸要、Mr.suicide、施し屋の捕獲。捕まえたらすぐさまに俺の前に突き出せ。以上」
 その言葉と同時に九人が闇へと消えていく。僕を含め二人を残して。
「どうした? 行かないのか、インフェルノ?」
 赤い瞳をした青年は悪戯な笑みを浮かべてこちらを見ている。
「杉原の件ですけど、どうします?」
 ああ、その件についてか、と僕は彼が残った理由に対して納得する。確かに彼についての調査を頼んでいた気がする。まぁ、今の状況では特に欲しいと思う人材ではないし、なによりも「アレ」を未所持なのだから、まだ勝手にさせておくべきだろう。
「それよりも越戸要の方を頼んだ。杉原の件はまだ良いさ」
 その言葉にインフェルノはくすり、と笑い、頭を下げる。
「了解。way:創始者、杉原修也さん……」
 インフェルノはそう言って闇へと消えていった。
 全く、本当に食えない奴だ。自由過ぎて扱いづらいったらないものだ。と僕は腹の底から昇ってきた笑いを思い切り吐き出す。

 誰もいない暗闇で一人。

 ずっと。

 ずっと。

 ただひたすらに僕は、笑い続けていた。
29, 28

  


 変色が全身に回った瞬間に、彼は死を迎える。
「……ターゲットを全員殺して、それで死ねばあんたは幸せなのか?」
 顔を強張らせ、そして彼の変色した肌と傷のようにくっきりと刻まれた名前をちらりちらりと眺めながら僕は問いをかける。
 溶けてしまいそうな程の闇に包まれた世界に、たった一つ点在する電灯。そしてその明りに照らされまるで劇の主役のように彼は立っている。いや、実際今彼は主役なのだろう。
 僕に水島、そして警察に追われ、それでも自らの信念を貫き通す為にひたすら逃亡を続ける男性。まるでどこかの映画館にでも迷ったかのような素敵な物語じゃないか。
「そうだよ」
 越戸はそうつぶやき、小さく頷き僕をじっと見つめている。その瞳に、真っ黒く落ちている筈の瞳に明かりがともっている事に僕は今更気づく。人殺しの眼は何処へ行ったのだ。人を殺めた人間に何故そんな眼ができるのだ。
 僕はゆっくりと後方へと一歩後退し、苦し紛れの一言を口から捻り出そうと震える唇をこじ開ける。
「本当にあんた、狂ってる」
 越戸は笑みを浮かべると、褒め言葉だ。と寂しげな表情のまま返答した。
 その姿に、微かであるがネクロフィリアの姿を重ねようとしている自分がいた。全く同じはずの台詞な筈なのに、どうしても彼とネクロフィリアの二つのピースが繋がる気配がない。
 
「次は……」
「山下由佳さんだ。知っているのなら、場所を教えてはくれないか?」
 唇を、強く噛み締める自分がいた。あの仕打ちの後に、今度は彼女に死が待ってるという事実。一体一年前にどんな約束をしたのかは知らないが、ここで彼女に生きる事を諦めさせてなるものかと、僕は必死に心を震わせ、強く拳を握り締め顔をしゃんと上げて彼の目をじっと見つめる。
「嫌だね。友達が死ぬのを容認出来るほど卑劣でもないと思ってるんでね」
 その言葉に、彼は突然噴き出す。
「君は、身の回りの人間さえ生きていればいいんだね?」
 どきりと胸が強く鼓動した。
「君は何故そこまで人を背負おうとしないんだい? 多分僕よりもそういう世界に入れそうな君が」
 気を確かに持てと必死に自身に呼びかける。彼女は僕のせいであんな目に遭ってしまったのだ、ならば背負うべきだろう。
「じゃあ逆に聞かせてくれよ。なんで全てを背負う必要があるんだ?」
 彼は頬を二、三度指で掻き目をキョロキョロとさせた後、再び微笑む。
「それが可能な能力を授かったからさ……。これが僕の使命なんだよ」
「命を削ってでも生命力を喰らい続けて、その先に何があるって言うんだ!?」
 どす、と鈍い音と共に腹部に痛みが走り、同時に自らの体の内部から嫌悪感のような、嘔吐感のようなそんな感覚が押し寄せてくる。
「君がいると僕の目的が達成できないというのなら、僕は君も『背負うこと』になるんだ」
「結局は力ずくかよ」
「腹部に一発で済んだだけで良かったと思ってくれ」
 そう言うと彼はうずくまる僕の前に千円札を三枚、ゆっくりと置くとそのまま踵を返して歩みを始める。上着を着直した彼はそのまま闇へとじわりと溶けていくと、最後には完全に姿を確認できなくなった。
 そうか、あいつはあの少女を殺す為だけにあそこで浮浪者の振りをしていたのか。僕と出会ったのも単なる偶然、そして利用する対象と決めたのも単なる偶然。
――俺は、彼の眼中にすら入って無かったってわけか。
 そう気づいたとき、嘔吐感よりも強い感情が湧きあがってくるのを感じた。
 とにかく山下の病院へ行くべきだ。施し屋の事だ、すぐに対象を調べ上げてしまうだろう。その前に、僕が行ってもう一度越戸の前に立ちはだからねばならない。
 責任は取るべきだから。
 清算はちゃんと済ませるべきだから。
 身体を起こし、まだくらりとする足元に気をつけながら、壁伝いに僕は越戸とは逆の方へと歩いて行く。
「そこまでだ」
 背後からした声と共に、僕の肩を誰かが力強く握ったのを感じた。


act.5-5

 
「……杉原君に言われて来たの。調子はどうかしら?」
「……」
 彼女は窓の外をじっと見つめたまま、何の反応も示さない。私自身滅多に話した事がないからどう会話を切り出そうか。そんな事を必死に考えた末、出て来たのが「杉原」という言葉であった。
 昨日、あのまま出て行ってしまった彼が再び私にメッセージを送って来たのは、夜中であった。施し屋に関する事についての返答かと思ってそのメールを開いてみれば――
――山下の病院。
 とだけ書かれたものであった。その後に彼に何を連絡しても通じない事を考えるとやはり既に何かに巻き込まれてしまったという事は容易に予想できる。しかしそれがway:関連であったならば、彼の生死は正直怪しい。だが彼らのように殺人に手慣れている集団ならばまず連絡手段を完全に絶ってから、跡を残さずに殺す筈である。
 ならば、このメールの状況から生存率が非常に高いはずである。
 そして同時に、メールを一瞬の隙を見て送らざるを得なかったこと、そして山下さんの入院している病院を送ってきたという事は、ここで何かが起こるという事だ。
「それにしても、一体彼女の周辺で何が起こるって言うのよ」
 病院は人の死を垣間見る人間が非常に多い為、赤く反応する人間が大量にいる。その為にここでは『眼』が全くもって役に立たないのである。way:の幹部だって動いている筈のこの状況で、ここにいるのはあまり芳しくはない。どうにか反応がし易い場所はないものかと思うのだが、精神的に衰弱しきっている彼女を連れて遠くになど行ける筈がない。
 つまり、ここでもしも争奪戦が起きれば私達が圧倒的に不利なのだ。
「何をそんなに怖い顔をしてるんだ?」
 私は反射的に視線を入口に向ける。
「何よ、インフェルノと驟雨もいるのね?」
 一瞬だけだった。
 ほんの一瞬の香りの痕跡が、彼以外にもう一人人間がいる事を確信させた。
「悪いね、俺今はあっちの側なんだ」
「元々そうでしょう? 私とは利害関係が一致しているだけの存在だものね……」
 インフェルノはおどけながら頷いた。そして、右手を私に向けて伸ばす。
「山下由佳、引き取らせてもらっていいかな? あの施し屋を釣る材料になるんだよね」
 どういうことだろうか。意味が全く分からなかった。
 彼女が、何故施し屋に狙われているのだろうか。しかも、これだけ精神的に参っている状況で…。まるでこうなる時期が来る事を知っていたかのような行動ではないか。まさか、施し屋は人の死への願望が見える存在なのだろうか。私は必死に思考を巡らせるが、それでも答えは出そうにない。
「彼女が、一体越戸要となんの関係があるのよ?」
 私の問いかけに、インフェルノの表情が和らぐ。
「二人の関係を知って、そしてそれを杉原君から聞いたからここにいるんじゃないのか?」
「どういうことよ?」
 インフェルノは少し言葉を溜め、静寂を作り出すとそれを自ら切り落とすようにもう一度口を開いた。
「一年前の閉鎖された越戸塾の生徒だったんだよ。彼女は」
 脳が完全に思考を停止した。
 一年前の、塾閉鎖といえばその副塾長が被害となった鏡合わせ事件……。
 丁度姉が失踪し、そしてこの『眼』を手に入れた時ではないか。
「山下さんが、一年前のあの塾にいたって言うの……?」
「ああそうだ。そして、今までに殺されている女子高生も全員、あの塾の生徒さ」
 インフェルノの言葉で、何故杉原君が私を彼女の下へと向かわせたのか、上手く合致した。次のターゲットとなっているのだ。
 その殺人犯は次は彼女だと言っていたのだろう。それを何かしらで知った彼は私に咄嗟にメールを送った。そして連絡の絶たれたどうしようもない状況に陥ってしまったのだろう。
「……彼女を使って彼をway:に入信させるつもりなのね?」
「それが望みみたいなんだよ『姿を見せない』リーダーさんはね」
 彼はそう言うとずかずかと病室へと入り込み、窓をじっと見つめたまま動かない彼女の腕を掴み、ベッドから引きずりおろす。
「病人に!!」
「俺達は快楽殺人者だ。今更そんな事気にするかよ……」
「っ!!」
 私はインフェルノを右頬を思い切りひっぱたき、怯んだところを見計らって彼女の手を強引に奪い取り駆け出す。最早一刻の猶予もない。一番心配だった人物は今回は気まぐれで完全に味方をやめている。そしてどこかに驟雨も潜んでいる。急いで病院を抜け、人目のつかないところへと移動するべきだろう。
 私は山下由佳の右腕を力強く握りしめると思い切り引っ張る。ぐにゃりとした感覚があるし、彼女自身も歩こうとしていない。まるでこれから死ぬという事を容認しているかのような態度だ。
「……」
 それでも私は気にせずに彼女の腕を引き続ける。彼女が鍵として動いているのならば、彼女と一緒に逃げ回っていれば施し屋と出会う可能性が高い。その時に上手く説得をすれば、力を貸してもらえる可能性はあるのだ。
「ごめんなさいね。あなたを利用させてもらうわ……」
 多分これが彼の伝えたかったことなのだと思う。杉原君が今どこで何をしているかは分からないが、とにかく今は逃げ続けよう。
 聞きたい事もあるのだ、沢山。
 一年前の出来事をもっと聞きだしたい。そうでもしないと姉の方は決して見つからないままだろう。
 私は覚悟を決め、足に力を入れるといつもの自分とは思えないほど力強く一歩一歩を踏み出していった。
 その時、携帯が大きくバイブレーションした。

   ―――――

「行ってくれたわね」
「ああ、本当に面倒なもんだよ」
 俺と驟雨だけはどんなことがあっても信じろと言ったはずなのに、彼女はすっかりそれを忘れているようだ。
「まぁ疑われるのは慣れてるから良いがね……」
「協力者を信じられない人間は死ぬだけよ」
 まぁそう怖い事を言うなって。と俺は物陰から現れた驟雨に言う。匂いでここまで人に催眠をかけられる人間がいるとは、と毎回彼女の得意な香水術を見て思う。始末屋の俺や断罪者でさえ彼女にはかなわないだろうなと正直驟雨には白旗状態だ。能力の性質が真逆過ぎてどうしようもない。
「それで、私達はどうするの?」
「勿論way:の馬鹿達の撹乱に専念さ。お前の香水を使ってここに『山下由佳がいる』ヴィジョンをway:の奴らにだけ見せてくれれば良い」
 驟雨は頷くと、また姿を消した。いや、実際は目の前にいるのだろうから、催眠をかけられたと言うべきなのだろう。そしてベッドの方を見るとそこには窓を覗き続ける山下由佳の姿がいる。
「あとは頼んだよ。ネクロフィリアを追い詰めた勇者さん……」
 俺はそう言った後、病室から窓を覗き込み続けた。

   ―――――

「これが全てさ。あの男に関する情報は……」
 僕の言葉に、彼等はまだ信じられないという表情でいる。全てを吐けと言ったから吐いたのにこれでは吐き出し損だと思いつつ、まぁすぐに信じられる話ではないかとあきらめ気味に息を吐き出す。
「成程、それなら無傷のまま人を殺せるな…。現実的な方法ではないのは確かだが…」
 物分かりのいい人物がどうやら、一人いたようだ。
「それで、俺は次の人物がクラスメイトだから助けたいんだよ……」
「グルなんじゃないのか!? おい!!」
 机を強く叩くとガラの悪い男性が一人、煙草一本分もない距離まで顔を突き詰めて喚き立てる。あぁこういうのは本当に警察にいるもんなのだなと思いつつ、僕はもう一度息を強く、深く吐き出した。
「それで、君が彼に近づいた理由は?」
 一番堪えたくないところを、大分年季の入った男性に問いかけられる。皺だらけのスーツを身に着け、妙に鋭さのある目をこちらに向け、嘘でもつこうものなら殺してやるとでも言いそうな殺気を放っている。
 これは嘘をつくべきではないな。
 僕は一瞬でそう悟った。むしろ刑事なのだから協力してもらえる可能性の方が高いだろうと僕は予想し、口をゆっくりと開く。
「越戸を説得して、仲間に引き入れたかったんだ」
「ほら見ろ!! お前もやはり共犯なんだな!!」
「菅波!!」
 ガラの悪い男性を年季の入った男性が制止する。そして、静寂に包まれた事を確認した後に、周囲を囲む刑事全員に向けて静かにその年季の入った男性はつぶやく。
「木下以外、全員部屋を出てくれ」
 こちらもぞくりとする程に強い眼力を周囲に見せつけると、周囲はすごすごと部屋を出て行ってしまった。ただ一人、若そうな男性刑事を残して。
「さて、これなら話しやすいだろう?」
「何故周りを追いだしたんです?」
 刑事は微笑むとゆっくりと煙草を吸い始める。妙に肺に来る嫌な煙が僕を軽くのけぞらせる。
「いやな、何か私の考えている名前が出てきそうな気がしたんだよ…」
 その一言を聞いた瞬間、僕はハッとする。この刑事は詳細を掴んでいるのだと、ハッキリと理解した。
「「way:」」
 やはり見事に言葉が重なり、そして気持ちの良い音の重なりを見せた。正直こんな犯罪集団の名前で綺麗にハモってもうれしくも何ともないのだが、そこはまぁ気にしない事にしよう。
「実は俺、単独でway:について追ってるんです。でも、こんな学生一人じゃ目をつけられたら始末されて終わりでしょう?」
 実際もう既に目をつけられてはいるのだが、今そんな事を言って保護なんて状況になれば水島達の、本気でway:を追っているグループに迷惑がかかってしまう。俺はただ山下を救えればいいのだから、ここはあえて全てを語らずに「探っている」という表情を見せるだけでいいと思ったのだった。
「実はな、私とこいつはあの殺人集団を追っているんだよ。だが、上が何かとこの集団に対してうるさくてね……」
「そうなんですか」
「まぁ、面白い事を考えるじゃないか。少年探偵君は…」
 正直、探偵や問題を解くつもりは毛頭ないのだが、ここはそう言う事にしておこう。その方が情報も手に入りやすい。
 もう彼を説得するのは不可能だと知った今、彼ら刑事に逮捕してもらう事が状況を良くできる筈なのだ。
 おそらく彼、越戸はどんな説得を受けてもyesという言葉を吐くことはないのだ。壁になる人間は多分ある程度は始末してでも目的を果たそうとしている。他の事に目を向けているほど時間はないのだろう。
 ここでこれ以上の殺人を止める確実な方法。それが彼らなのだ。少なくとも僕はそう思う。
「今、多分○○病院にいる山下由佳が狙われている。だから、way:を潰す為に手を貸してはくれませんか!?」
 この言葉で、僕の考えうる限りされる反応は予想が付いている。
「……無理だ。犯罪者と協力してway:を手繰ろうなんてそんな事はできない」
 ビンゴ。
「でも、説得しなければ僕のクラスメイトも危ない。それに、一度会って彼の性格は分かったんです。だから、次は説得できるかもしれません……」
「ありえないな。殺人鬼は所詮殺人鬼だ」
 この刑事さんは確実に越戸を逮捕するという方向へと行ってくれた。後は数十人の警備隊を使って彼の手を封じ、そして拘束されれば山下と、山下以降の人物の無事も図れるし、way:へ兵器として渡る可能性も見事に潰れる。
 これで良いのだ。これで。
 越戸はもう説得できない。今山下と共に逃亡している水島もそれにすぐに気づくだろう。が、気づいた時点で山下は死を与えられることになる。そうなる前に刑事を動かすには、この対応しかないのだ。
「だが」
 突然、刑事は呟く。
「獄中越しに説得を試みて、一時的に釈放というカタチで味方に付けるという方法ならあるかもしれないな…」
 その呟きに僕は思わず笑う。
「警察の言う言葉じゃあないですね」
「そうだな。だが、眼には眼をという言葉もな……」

 刑事は僕を刑務所の外へと解放すると、そのまま数人の刑事を従え、車に乗って病院のある方へと向かって行った。僕も向かうべきなのだが、その前にあの刑事の乗っている車を見送りたいという気持ちがどこかにあったのだ。
 あの人とはどこかでまた変な会い方をしそうな、そんな感覚を覚えたのだ。
 僕は車が姿を消したのを確認してから、ゆっくりと携帯を取り出し、水島へと番号を発信する。無機質な発信音が静かに何度か響き、そして数回の無機質な発信音の後に、彼女は電話に出た。
『杉原君?』
「あぁ、今、どこにいる?」
 彼女の答えた場所が、予想以上に病院から離れている事に驚きながらも、僕はそこへと向かうと言って通話を切った。
 多分、彼女なりに上手い方法を思いついたのだろう。病院にway:の連中がいる事を考えると、刑事さんは相当美味しい事になるのではないかと、ふと考えてしまう。まぁ、そう簡単に捕まる殺人集団ではないのだろうから、逆に僕としては申し訳ない状況になる可能性もあるが…。
 way:の幹部の数人と、越戸が捕まってくれるのならそれだけで十分万々歳だ。

 さぁ、とにかく向かおう。

 僕は携帯をポケットにしまい込むと、強く地面を蹴った。

――発作だ。
 左胸にその違和感を感じ、そして同時に強くなる嫌悪感と窒息感に思わず片膝をつき蹲る。心臓に一ミリずつ切り込みでも入れられているのではないかと思ってしまうかのような、そんな微少だが耐え難いほどの激痛。次第に肺は必死に酸素を求め始め、体は震えを覚え始める。
 ここまで大きな発作は初めてではないであろうか。僕は酸素の回らない脳で必死に思考を巡らせる。
 人を一人殺す毎に現れる症状の一つ。先程の彼には話さなかったもう一つの―禁断症状―。それがこの精神を崩壊させるべく蠢く小さな激痛の虫だ。体中を這い回り僕を嘲笑うかのように全身を苦痛で包みこんでいく。しかも経験からのものであるが、この蝕みは人を一人殺す毎に威力が増している気がするのだ。最初は肺の麻痺によるブラックアウト、だった筈が今ではブラックアウトもできずにこの痛みに耐え続ける拷問的なものへと姿を変えている。
 だが、それでも僕は継続を決意した。
 次に人の命を奪ったら、どんな制裁が僕を待っているのだろうとか、そんな考えはもう止めた。それ相応の行為を行っているのだからこの激痛の蝕みは当たり前のものなのだ。問題なのは、この制裁に打ち勝ち、自らの目的を果たす事。
「――あと四十人……」
 ゆっくりと痛みが和らいでいく。発作が治まったのだと理解し、ゆっくりと呼吸を整えてから僕はもう一度立ち上がるとあの黒髪の少女の姿を探して視界を巡らせる。
 多分あの少年の根回しなのだろう。僕を直接止められないと分かっての最後のあがき。
 いいじゃないか。
 十分に付き合ってやるさ。ああそうとも。
 生徒達との約束を、守らなくては。

 その為なら、僕は悪魔にでもなると誓ったのだから。


  act.5-6

 私は今、幻を見ているのだろうか。
 幾多もの殺人を犯してきた人間が、何故あの一室に集結しているのだろうか。
「指名手配しても捕まることがない筈の殺人犯が……」
 木下の言葉に私は頷く。
 カニバリズム、つまりは食人行為を行う大量殺人犯、多田幸長。
 子供のみを狙う通称「チャイルドプレイ」こと酒田章介。
 黒魔術とでも言うかのような拷問的な殺人を犯し自らを「ジル・ド・レイ」と名乗る男、山瀬幸也。
 ストーカー行為による精神的な攻撃の後、弱りきった女性を殺していく「ストーク・フリーカー」蒲谷光太郎。
「……どれもway:の核にいる殺人犯達じゃないか」
 何故彼らが自ら姿を日の光に晒しているのかは分からないが、彼等がこちらに気づいている気配は全くない。ならばここは先にこの四人を捕らえるべきだはないだろうか。私の脳はこの状況下ですぐさまにそういう判断を下した。
 あそこにいる人物も越戸要を目的とし、そして次に狙われているであろう少女、山下早苗を捕らえる事を目的としてやってきただろう。
「おい木下、先に奴ら、捕らえるぞ」
 その言葉に木下は反射的な早さで頷くと、後方で待ち構えている警備隊にも呼びかける。既に病院側の許可は取ってある。それ以外に何か問題が生じるならば、それを全て背負うのが私の役目だろう。
「必ず、誰も逃すな」
 その言葉と同時に警備隊は力強く地面を蹴ると山下早苗の病室へと駆けて行った。
 さて、と。
 私は木下にここに残るようにと言葉をかけた後、胸元に差し込まれている小型の拳銃を抜き、弾が入っている事を確認する。私の仕事はまだ終わっていないのだ。越戸要。彼を捕らえる事こそが全てを終わらせるカギとなる筈。病院の周囲を歩きまわっていれば、彼が現れる可能性は非常に高い。
 私は煙草を思い切り噛みしめ、火を点火すると、踵を返して病院脇の道へと向かう。完全な勘だ。
「……御陵さんは、何故越戸要にこだわるんですか?」
 背後から木下がそう問いかけてくる。
「大した理由じゃないさ」
 人を殺すことに痛みを抱えている人間が、救いと称して殺人に及んでいるという事実。そして全てを背負った上で一つの「大きな救い」に向かって彼は走っている。
 かつてここまで死を重んじている殺人犯がいただろうか。できれば私は彼のこの全てを背負うという意思を汲んでやりたいと思うが、それでもこれはれっきとした殺人。人の命を奪う行為なのだ。
 彼のこの行為を続けさせてはならない。これ以上彼に自らを傷つける行為へ走らせてはいけない。
「恨むなら恨め、憎むなら憎め……」
 今、やっと私が背負おうとしていたものが、何であるのかが分かった気がした。どんな時でも使用する事を躊躇ったこのドス黒い凶器を自らで抜くことが出来たのは、それが理由なのだろう。

   ―――――

 何故か引っかかることが多すぎるのだ。あの刑事の言っていた事といい、何かおかしくはないだろうか。
 確かに僕はネクロフィリアの時よりも早く行動を起こした。しかし、刑事側の話は「上層部で公開を禁止されていた証拠がやっと公開されたから、行動することができた」としか判断し得ない内容であった。普通ならばここで何も考えずに事が済むだろうし、刑事側はその書類に従って対応すれば越戸要を捕らえる事も簡単だろう。
 ならば、何故上はその彼を捕らえる事が可能な書類を隠ぺいしていたのか。
 その考えが脳裏をかすめた時、僕は思わず立ち止まり、顔を強張らせた。
「……繋がってる?」
 その考え方がとてもしっくりくる気がするのは何故だろうか。いや、けれどもそうしたら何故彼らが越戸要が行動を移してから二人目の時点でいとも容易く捕獲出来た筈だ。それをしなかったのは何故か。
 よく今の状況を考えてみるべきだ。
 ターゲットの山下を連れて水島が逃亡を図り、そして越戸要がそれを追っている。病院ではインフェルノ辺りが何かしらの行動を起こしていると踏んでおこう。まだ信じきれる相手ではないが、ある程度の協力は惜しまない筈だ。それによって動きだしたと思われる犯罪者集団の数人が病院に集まっているだろう。そこへ刑事組が突撃。犯罪者側がもしも「その場に留まる」という状況になっていれば、そこで刑事組が数人を捕らえることになるだろう。これである程度のway:に関する情報が入る。
「……」
 今逃亡している人物は、一体誰だ。
 殺人者を見分けられる瞳をもつ少女と、越戸の餌となってしまっている越戸要だ。
 二人とも、良く考えてみれば通常ではありえない能力を手にしている。片方は組織にとって不利益の生じる可能性のある少女、もう一人は組織に多大な利益を発生させることの可能な男性。
「……水島の始末も目的の一つか、あの赤目、情報を向こうに流してるんじゃないか!!」
 僕は殴りつけるように言葉を吐き捨て、そしてすぐさまに携帯を取り出すと水島へと発信の電波を飛ばす。
 二人ともにケリをつけられるならば、それに越したことはないのだ。今まで彼女がどうやって身を守って来たのかは分からないが、それでも今日、この状況下で彼女が狙われているというのはあり得なくはない話だ。今までは見るだけだった存在に、僕という駒が出来たことで予想外の動きを始めている水島。そして彼女の目的は既にインフェルノから流れている。
 今まではただのバカな一人の少女の妄言だと思っていたかもしれない。
 しかし、今こうやって僕と水島は一人の猟奇殺人犯を下し、そしてそのうちの一人である僕はかの組織に目をつけられている。
 司令塔を潰せば駒は動かない。
「……」
 ワンコール。
 ツーコール。
 スリーコール。
 僕は電話を切り捨て、折りたたむとポケットに叩きこんだ。完全な判断ミスだ。
 電話に出れないという事は、越戸の説得に失敗し、そのまま二人とも「餌食」となってしまったか、僕の予想通り組織により越戸は捕縛され、そして瞳を持つ水島は始末されてしまった場合の二つに一つだろう。
 僕は歩幅を限界まで広げ、足場の悪い地面をなんのそのと駆けて行く。最悪の状況だけは避けなければならないのだ。今回のこの状況は僕は作りだしたのだから。僕自身がどうにかしなければならない。
 あの時素直に彼がいるうちに通報をしておけばこんなことにならずに済んだかもしれないのだから。
「もうこれは俺とあの組織達と、越戸の三つ巴なんだから」
 諦める事は許されない。
 逃げる事も許されない。
 自らの行いは自らによって終止符を打つべきなのだ。

   ―――――

 体力がない自分に嫌気がさしてくる。私はただ揺られているだけの彼女を精一杯引っ張りながら、ひたすら視界の狭い道を走り続けている。あとどれだけ走り続けるべきなのだろうか。ある程度開けた場所にでも出ないとある程度の会話もできないだろう。
 山下さんを始末され、姿も消されてと散々な状況になる可能性がある。
「……」
「山下さん……?」
 私の問いかけに返事はない。ただ虚ろにこちらを見つめ、半開きの口のまま呆けている。髪も手入れが完全に届いているわけではないのでボサボサに乱れている。
 誰が見てもこう判断するだろう。
――心が壊れてしまっている、と。
「連れまわしてしまって本当にごめんなさいね」
 けれども私は、彼女を道具にしなければならない状況にいるのだ。彼さえ味方につけてしまえば組織を崩壊させる道を開くことができる。私のこの瞳とインフェルノの『武器』、杉原君の行動力に越戸要の一撃必殺の殺害能力。これだけでも十分お釣りがくる筈だ。
 それに、もしかしたら彼が一年前の出来事に何か関与している可能性だってあるのだ。
 組織への復讐、そしてもう一つの目的である、姉さんの捜索。
 あの私宛に残された黒いビー玉が一体何を示しているのだろうかということ。
 まだ、解けていない疑問が私にはたくさんあるのだ。ここで手がかりを逃してしまいたくはない。
「……追いついた」
 不意に聞こえた背後の声に私は心臓を打ち抜かれた気分を味わった。
 注意力の消失した刹那に私は木の根に足を取られ、受け身も取れないまま地面に勢いよく突っ伏した。頬にべたりとついた土がやけに冷たい。その感覚が、私に周囲の異変に気づかせた。
 雑草も、私達を取り囲むかのように凛と胸を張って立っている大木も、全てが浅黒い色に染まり、生気を映していない。まるで命そのものを吸い取られ、肉体のみを残されたかのようなその姿に私は身を震わせる。
「…山下早苗さん。迎えに来ましたよ……」
 その人物は周囲の枯れ果てた木々に見向きもせずにこちらへと向かってくる。
 私の瞳が強く反応し、心を震わせる。
――真っ赤だ。私はその目の前の赤い光を放つ存在をきりりと鋭く見据える。
「Mr.Suicideね?」
 彼はゆっくりと頷き、両手を軽く振る。
「退いてもらえるかい?」
 待って欲しい。その言葉に彼は興味を示す気配はない。越戸要は薄らと開いた瞳でこちらをじっとのぞき込む。

 刹那、ビクリと越戸要は眼を見開いた。まるでいる筈のない存在を見ているかのような、そんな視線。
「……沙希、さん?」
――!?
 山下さんの手を握る右腕に自然に力が入っていく。
 あなたは行方を知っているのか、姉の行方を。予想外の出来事に私は震える唇で彼にそう問いかける。一年前の出来事に関与している人間なのだろうか彼は。それならば確実にあの日あの場所で何があったのか知っている筈だ。姉が何故消えていったのかも知っている。
 一筋の光明が、私の前に赤い光で表れた気さえした。
 だが、その希望の存在は、冷たい目をし、冷たい空気を背負ったままその問いかけに対しひたすら沈黙を守っている。
――彼女は僕が殺した。

 沈黙。

 沈黙。

 今、彼はなんと言ったのだろうか。よく聞き取れなかった。
 今、彼は何を口にしたのだろうか。多分脳がその十一文字を拒否した。
「……え?」
「僕は人を殺したとき、その人の名前を身体に刻み込まれるんだ……」
 彼はそう言うとおもむろに上着を脱ぎ棄て、適度に肉のついた身体をこちらへと見せつける。
――嘘だ。
 私はその彼の肉体に、その現実に、否定の思考しか生まれなかった。

 火傷をしたかのような赤いミミズバレで左胸に刻まれた四文字。
 そう、今私があえて使っている「水島沙希」の名前が、くっきりとそこには移っていた。
「もう後戻りはできないんだ。だから、山下早苗さんは貰って行くよ……」
 最早、それどころではなかった。乱れた思考は心に不安という液体を注ぎ続け、そして震える身体は私を奈落へと突き落していく。
 山下さんが立ち上がり、至福の笑みを浮かべて越戸の方へと歩み寄っていく。
 それを止める意思は無かった。
 あふれ出る涙が、声が、胸を締め付ける「絶望」が全てを支配し尽くしていた。

   ―――――

 誰かが悲鳴をあげている。

 誰かが嗚咽と共に涙を流している。

 わたしはだあれ?

 このまま目を覚ましたくはない。それに、今目の前に約束を守りに来てくれた先生がいる。もうこのこわいこわいばしょから解放されるんだ。そうおもうと、とても心が温かくなった。

 わたしは立ち上がって、目の前でじょうはんしんをはだけさせて傷跡を見せている先生の下へと行こうとする。

――命を一つにするんだ。そして、この世界の、不幸な人たちに生命の温かさを伝えるんだ……。僕らの全てを懸けた大きな大きな計画だ。

 その言葉に私は従います。

 あんな暗い世界で、死と隣り合わせで、そして孤独を感じなくてはいけない場所にいるよりも、この空気や木々のようになってしまいたい。

「山下ぁ!!」
 刹那、私の心を貫く様な声が背後から投げかけられた。今まで眠っていた全てが、一斉に目覚める感覚を覚える。目の前の先生も目を見開いて私の後方に視線を移し、硬直していた。
 この声を知っている。
「君は……」
「まだ死んでないよな? 山下も水島も。悪いけどどっちもあんたが背負うモノじゃないんだよ……」
 喜びと切なさの入り混じった感情が溢れてくる。
 死にたいと思っていた心に、マッチで火を点けられた感覚が灯り、虚ろだった意識が完全に目覚める。
「杉原君……?」
「確か山下の護衛、四日間だったよな?」
 不意に彼はそう言った。私は首を軽く傾げながらも、一度小さく頷き肯定の意を示した。
 すると、杉原君は指を四本示す。
「二日分しか使ってないんだ。二日分、今ここで返上しても良いかな?」
 珍しく、彼が恥ずかしくなるような言葉を吐いた。笑いがこみ上げてくる。
 一歩づつ……。
 一歩づつ……。
 踵を返し、そしてゆっくりと歩幅を広げ、そしてそのまま彼へと飛び込んだ。
「……山下、さん?」
 先生は戸惑いの色を見せている。当たり前だ。絶望に浸る姿を見せていた人物が、突然目の色を変えて逆の方向へと駆けて行った。思想を違えたとでもいうべき行為なのだから。
「先生、多分あの時襲われてなかったら、彼に助けを求めていなかったら、このまま先生に命を捧げていたと思います…」
 そう、必死に守ってくれた人物が私の前に現れなかったならば。
「ごめんなさい。まだ、命を諦めたく……ないんです……」
 待ち続けた計画を崩すその私の自分勝手な我儘を聞いた先生が、表情を強張らせる前に……。
 一瞬だけ安堵の表情を浮かべていた気がした。
31, 30

  


 彼女の言った言葉が、理解できない自分がいた。
「……今、なんて?」
 杉原と呼ばれた少年の腕の中で、山下早苗は瞳を潤ませながら僕を見つめる。その瞳に気圧され、そして同時に彼女が吐いた言葉がどうしても信じられなくて、もう一度問いの言葉を吐き出した。
 腕が震えている。足も、視界が揺らぐ。
 全てが否定された気分だった。
「救ってもらった命を、諦めたくない……。先生、私……」
 躊躇いがちに呟く彼女を、杉原君はぎゅうと強く抱き締め、こちらに鋭い視線を向けている。あれほどに気のない姿を曝していた筈の少年が、今目の前で僕に向けて牙をむいている。彼は本当に自分の為だけに動いている少年なのだな。僕は拳を握り締めて、先に排除しておくべき人間だったと自責の念を自らの心に打ち付ける。
「どうすんだよ。死にたくない奴を殺すのは、あんたにとって一番のタブーなんじゃないのか?」
「……ああそうだ」
 いつの間にか、僕はそう言っていた。その声に呼応するかのように周囲がざわめき、空気が凍えるほどに冷たく姿を変えたような感覚を覚えた。
 どうすればいいのか分からない。今までの生徒達は約束を守ってくれた。僕が必ず来るという言葉を信じ続け、周囲からの弾圧にも耐えていた。いつかは周囲から疎ましがられる運命をもちながらも、それでも自らの命を役に立てたいと願う者達。僕はその者達の願いを叶える為だけに塾を開いて計画を公表したのだ。
――僕の能力で君達のその切なる願いをかなえる事が出来る。と……。
 今、その約束を望み待っていた一人が僕と出会う事を引き金に全てを思い出した。
 にも関わらず、彼女の答えは『否定』であった。
「先生ごめんなさい。この命を……杉原君に守ってもらったこの『私』という命を、まだ手放したくないんです」
 勝手な事だとは分かっています。と彼女は静かにつけたした。
「それは、僕らが目指した『正義』を否定するということなのか?」
 自分が何を言っているのか、もう分からない。
「あんたのそのおせっかいな手助け、周囲にはどう映ってるか、あんたは自覚してた筈だ……」
 杉原君は唾でも吐き出すかのように、そんな言葉を僕に吐きかける。
「犠牲の上に成り立つ世界なんて、いらねぇよ」
――もしも……。
 不意に、あの時、あの計画を始める事になった一人目の日に、純粋に思った言葉を思い出しハッとする。

 そして、それを思い出した瞬間、僕の中で何かが、満たされた気がした。

   act.5-7

 正直、彼の信念を完全に否定しきれない自分がいた。けれども心では否定できなくとも、言葉という存在はいとも容易く全てを否定する一言を放てるものだ。
 もちろん、僕自身彼に吐きかけた一言に納得しているわけではない。が、越戸の精神を削り取らなければ山下は殺されてしまうのだ。それだけは防がなければならない。だからこそ納得のいかない自分自身を押しのけてでも音としてそれを放った。
 越戸はぶつぶつと何かを呟き、嗚咽をあげる水島(何故涙を流しているのかについては彼女が平静を取り戻したときに聞こうと思う)に、何故か意識を取り戻している山下、そして僕と順々に視線を移して言った後、唇を強く噛みしめ地面を見つめ始めてしまう。
「それが、君の選択なんだね? 約束を反故にしてでも生きたいと……」
 その問いかけに、僕の腕の中に身を預けている彼女はゆっくりと頷く。
 越戸はざりりと僕と山下に歩み寄る。一瞬だけ警戒の意を示したが、ふと見えた彼のその表情が一瞬にして僕の警戒という言葉を根こそぎ奪い去っていってしまった。
 越戸は山下の前でしゃがみ込むと、ゆっくりと頬を撫でてから笑みを浮かべた。
「……なら、精一杯に生きて欲しい。いいかい?」
 彼女は頷く。越戸の前で、ゆっくりと一度頭を縦に振り、そして彼に視線を合わせて小さく、申し訳なさそうに一度笑みを作り、すぐさまに顔を下に下げ僕の手をぎゅうと強く握りしめる。
 僕はその手をゆっくりと、壊れ物を扱うかのようにすぅっと握り返す。彼女の肩に入っていた力が抜けた気がした。
「杉原君……」
「あ、え?」
 突然名前を呼ばれたことに多少の戸惑いを感じつつも僕は返答する。彼は先ほどの怒声とは打って変わって柔和な表情を浮かべている。もう彼が何を考えているのか、全く分からない。理解不明だ。計画を破壊されたことで気でも狂ったのだろうか。
 いや、彼に限ってそんな事は無い筈だ。確かに今目的であった人間の一人を絶対に「殺害」できない状況になっている。つまりは計画の成功に支障が生じているという状態、信念の崩壊にも近い状況で彼はそれでも強引な姿を見せようとしない。
 待てよ。と僕は彼が以前行っていた「想定外」の行動を思い出す。
 かつて彼は目的の為に一度だけ「無関係」の人間を手にかけている。またその前には依頼によって生命力を奪取する行為を行っているのだ。
 もしも、だ。
 もしもその吸い取っていた量が既に一人や二人計画から除外されていても問題ないほどの量になっているのなら…。
「多分、君の考えている事は当たっているよ」
 越戸はにっこりと満面の笑みを浮かべ、僕の思考を完全に読み取ったかのような言葉を吐いた。こいつはテレパシーでも使えるのだろうか。
「けど、外れの部分もあるんだ」
 越戸は寂しげな表情を浮かべ、視線を遠方に飛ばす。
「できれば誰も、僕のこの一年前に提案した計画に賛同しなければと思っていた時があってね…」
 あぁ、今更思い出すことになるなんてと越戸は呟きながら満足気に頷いている。
「……どういうことか、よく理解できないんだが」
「僕は、この計画を始める時に、一つ考えたことがあったんだ」
 彼は静かに指を一本立てた。
「もしも、もしも一年前に約束をした子達が幸せで、まだ生きたいと願うような生活をしていたなら、僕は全てを諦め、全てに決着をつけ消えよう」
「……」
 口を挟めない。いや、挟もうとする意思が僕には無かった。ただ彼の言葉に耳を傾けよう。そう考えている自分がいた。
「けれどもその願望は、今日まで満たされることが無かった。願望でしか無かったんだよ。虐め、鬱、全て精神を追い込まれ、夢を潰され、心すら開けない子達ばかりだった……」
 確かに山下も散々な目に遭っていることは確かだ。嫉妬の捌け口としてクラスの女子達から一斉に攻撃を受け、おまけに僕のせいでネクロフィリアの餌食にまでされかけてしまった。もしも、彼女が孤独なまま終わっていたとしたら、ネクロフィリアも現れずに、虐めを受け続けそれを頼る仲間もいないで一人で戦っていく状況になっていたとしたならば。
 きっと、彼女は越戸の言う「救い」を選んでいだろう。
「一人でもこの計画に背いてくれる子がいてくれて良かった。僕自身忘れていた『願望』を思い出せた。そして、まだ生きたいと思う子にも出会えた。山下由佳さん」
「はい」
 越戸はくしゃりと山下の頭を一度撫でてから踵を返し、僕らを残して歩み始める。
「なぁ、よかったら……」
「もう数人も手にかけている身だ。計画を止めるつもりはないんだよ。幸い君の考え通り、蓄積分があるから一人や二人の生命を回収できなくても、計画は実行できるんだ……」
 説得できない事は分かっている。いや、僕自身彼の道を塞ぎたくはない。
「……その計画、完遂できるといいな」
 僕は『彼ら』に向けてそう言った。
 彼等は頷き、そしてこちらに笑みを見せてくれた。そんな気がした。
「君の我儘さには本当に参ったよ……」
「身の周りにあるものは守りたいだけだ」
 そういうのをエゴイストって言うんだよ。と彼は悪戯な言葉を吐き出した。勿論その自覚はあるから、冗談と受け取れる。自分にとって利益のある人物しか必要としない。無益なものに手を出して何になるというのが僕の考えだ。背負うのも僕が必要とするものだけ。あとは何も必要ない。
「何が似た者同士だよ。真逆じゃないか」
 越戸の表情が和らいでいる。
 今までの緊張が一気に解けたのか、身の回りの景色がよく見えてくる。
 彼の行こうとしている道は、すべての生が奪い取られ、萎れている。これは何を示しているのだろうか。まるで彼の行く道がもっと修羅場へと続いているかのような、そんな印象を受ける風景だった。
「そうだ、彼女が泣き止んだらでいいんだが、伝言を頼めるかい?」
 彼は申し訳なさそうな表情と一緒にそんな事を僕と山下に言う。僕等は勿論、と一度強く頷く。
「黒い玉は俺も持っている。そして、あともう一つあるってこと、そして……」
 そこで彼は言葉を濁す。僕は首を傾げ、この状況もそっちのけに泣き続ける水島に視線を移した。
「そして『沙希さんはこうするしかなかったのだ』と、断罪者に『三つ目』を持っていかれないために彼女が提案したものだと……」
 三つ目に、沙希……。
 おかしくはないだろうか。山下と僕は目を見合わせる。
 今そこで泣いているのが水島沙希であって、妹さんの方が行方不明であると聞いた覚えがある。あの文化祭の時、彼女は確かに「妹の有紀は行方不明だ」と言っていた筈だ。あの壮絶な一日のことなのだ。よく覚えている。いや、忘れたくても忘れられる筈がない。
「……知りたかったら、彼女に直接聞くのが一番最適だろう」

――それじゃあ。

 その言葉と共に、彼は一人凛とした姿勢のまま、枯れ果てた道をざりりざりりと戻って行ってしまった。

   ―――――

『病院に集まっていた四人の指名手配犯を確保……』
 ニュース番組では大手柄とでも言うようにキャスターが覇気のある声で報道をしている。そうか四人も捕まえる事が出来たのかとあの刑事の行動力の高さに少し関心を覚えた。まあそんな上からの目線で見れるような立場では全くないのだが…。こちらもある程度の彼女が隠している秘密にway:を何故崩壊の道へと導きたいかという理由も引きだせるであろう材料を手に入れる事が出来た。彼をこちらに引き入れることはできなかったが、元々彼自身にその気持ちはなかっただろうし、彼は彼の目的があるのだから、僕はもうこれ以上彼の道の前に立たぬようにしよう。
 そう決めたのだ。
「……水島さん、気分は?」
 山下はそう彼女に問いかける。
 あの後山下を連れだした僕は病院側から説教をしこたま浴びた。実際のところ連れだしたのは水島なのだが、そうするように提案したのはほかでもない僕、杉原であるし、それにあの時の彼女は本当に衰弱しきって説教どころではなかった。その分も多分僕に対する説教の中に入っているだろう。そう考えると、今ここで落ち着いてツンとした態度を取っている彼女を見ると、非常に一度頭上に拳を降ろしてやりたい気分になる。
「……何よ」
「いや、なんでもないよ」
 それでも女の子だもんなぁ、と僕は一人で勝手にそう思い、ぎゅっと握りしめられた拳をほどいた。
 一日だけ検査入院となった彼女は、流石に病院に対しては隠しきれなかったのか、本名が「水島有紀」で、姉ではなく妹の方である事を白状した。それによって刑事もややこしく絡み、どうしてそんな虚実をしたのかという聴取を一時間近く取られていた。
 その一時間を見事に何も言わずに帰ってくる彼女も彼女であるが……。
「それで、俺達には全てを話してくれる気になったか? 水島有紀さん」
 山下がゴクリ、と唾を飲み込む。何故彼女が呑み込んだのかはよく分からないが、まあとにかく今は真相の究明だ。

 暫くの沈黙の後、彼女はすっと山下を指指す。
「山下さんは、我慢してもらえない……?」
 その言葉に、山下はびくりとし、そして少し寂しげで哀らしい表情を見せると、すごすごと病室から出て行ってしまった。どちらかといえば一番の被害者である筈の彼女に話を聞かせてあげるべきだと思うのだが、と不意に思うが、それだけに重要な話というのならここは黙っておこう。
「じゃあ教えてくれよ。黒いビー玉に、一年前の出来事、復讐の理由――」
「……長くなるけど、聞いてくれるかしら?」
 僕は静かに頷く。
 これで、彼女の存在理由も、この黒々と絡みつく関係も、一年前からの繋がりも全て。
 と、彼女が口を開こうとした瞬間に、病室のドアが大きな音と開いた。
 赤い瞳の人物が、いつもとは違うタンクトップにジーンズというラフな出で立ちでやってきた。インフェルノだ。彼は息を切らしながらこちらに歩み寄ると彼女の腰かけているベッドの柵にガチャリと手をかけ、緊迫した表情を浮かべたまま声を上げた。
「水島!! Mr.suicideを何故逃がした!?」
 ああそのことか。と僕は彼女が語ろうとしたところに入ってきた邪魔者に対し嫌み交じりの声を放つ。
「あいつは、意思が固かった。あそこで止められるよう……な!?」
 刹那、強い浮遊感が僕を襲った。
 息を荒げインフェルノは僕の胸倉を掴み、その細い腕からはあり得ないような力で僕を軽々と持ち上げている。
「仲間に引き入れる前に、保護する必要があったんだよ!!」
「ちょっと、インフェルノ」
 水島の声に反応し、彼は僕をガタンと壁に放り投げた。壁と接触した背中がじんと痛む。
「越戸要を俺たちが捕獲した。この意味が分かるか?」
「……え?」
 ボソリと、彼はそう呟いた。
「way:が確保したんだよ!! 越戸要を!! こっちじゃ四人を犠牲にしただけの利益があるっつって大騒ぎだ……」
 ゆっくりと彼はクールダウンしていき、ドサリと僕が先ほどまで腰かけていた椅子に座り込んだ。
 このニュースは、彼女に対する疑問も、復讐の理由も、全てが吹き飛んだ。
「で、でも越戸は絶対に応じない筈だ……!!」
 必死でひねり出した言葉だった。彼のあのまっすぐな瞳を見て、僕は説得をあきらめたのだ。彼は屈するような人物ではない。
 言葉は、インフェルノの冷たい視線によって全て切り取られ、捨てられた。
「俺達が説得なんていうチャチなことをすると思ってんのかよ?」
 もう、何も言葉が出なかった。

 窓から入り込んでくる風が、やけに生暖かい。まるでここにいる人物全てにまとわりつくかのような嫌悪さえ抱く様な風だ。そして、その風はゆらりと入り込んできたかと思うと、突然牙を向くように僕と、水島と、インフェルノ、そして病室におどおどとしながら入ってきた山下の身体に突風として向かってくる。

――あの組織が欲してるのは「越戸要」ではなく、命を無尽蔵に吸い取ることのできる「Mr.suicide」なんだよ……。

――この意味が、分かるよな?

 幸せも、喜びも、希望も、全てを刈り取るような、そんな生ぬるい風だった。

act.5-END-

Next→act.6「way:」
32

硬質アルマイト 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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