1.
「悲劇だね、喜劇だね。まったく持ってこの世の中クソだ!」
心の底から憤慨したような女子の声が信二の居た保健室に響いたのは6限目を少し周った所だった。
独り言ともとれるその声は、信二のご機嫌の斜めな胃にダメージを与える。
途端、ズキンと鈍く疼いた胃に舌打ちしたくなるような衝動を、
残り少ない理性で信二は押えた。
そして少しだけ一体何が悲劇であり喜劇であるのか考えてみたが、
押し寄ってきた胃の痛みにその思考は完璧に洗い流されていってしまった。
それにしても、怒声の女子は誰に向かって言葉を発しているのだろう。
まさか自分ではあるまい。
思いつつ、キリキリ痛む胃を抑え、ベットの中で軽く身じろぎする。
「いや、クソ、と言うのは少し口が悪かったかな。
私のこの不満かつ不服かつ可笑しさと若干の泣きたい気持ちを伝わりやすく
更に私のオリジナリティーをいい感じに出して世の中にぶつけるにはどう言う言葉が相応しいと思う?」
ワンブレスで件の女子は言う。
まっさらな思考に言葉は思いの他深く浸透する。
とは言っても、それも一瞬の事ではあるが、
普段よりも頭の回転が鈍った信二にとっては十分過ぎる時間があった。
布団を頭から被り、信二はそれを忘却する事に勤める。
余計なことに能力を裂く余裕もなければ気持ちもない。
それにしても、よく口の回る奴だな。
ため息を噛み殺し、ベットの中で再度小さく身じろぎする。
どちらにしろ、変な人間には知らんふりが一番いい薬なのだ。
「おやおや、だんまり? それはあまりにも酷くないかい、信二君」
もしも。
もしも女子の語尾に「?」がついていれば、
信二はこのまま無視を決め込んでいただろう。
だが。
だが女子は確固たる自信を声に持たせ、
今現在ベットで胃痛と戦う人間を指名した。
「信二」の名を言い、さらにその上で意見を求めてきた。
(……どこで、ばれた? どこで俺がベットにいるって事が知れた?)
自分の名前を呼ばれ、微かに緊張した心で考える。
女子の声に聞き覚えは……ない。ような、気がする。
(なら、何でだ? と言うより、アレ全部俺に言ってたことだったのか?)
胃の痛み以外の理由で、眉をしかめさせる。
「誰だ……?」
やっとの事で口から搾り出た声。払いのけた布団。
起き上がる気力はまだなく、信二は白い天井を見つめながら考える。
はっ。
白い仕切りカーテンの向うから、鼻で笑う声がする。
「君は質問を質問で返流儀なのかい?
だとしたらいいシュミしてるね。ああ、これ褒め言葉じゃないよ。
じゃあ私も君の流儀に乗っ取って返そう。誰だと思う?」
………………。
思考停止。
…………。
再始動。
そして結論。
……あー、なんか、うざいなぁコイツ。
本題の「誰だと思う?」に辿り着くまでお前は一体どれだけの言葉と時間を使ってんだと。
しかも律儀に嫌味まで添えてたよな、コイツ。
近寄りたくない人種にばっちりと遭遇してしまったらしい。
物事を理屈で捉えて行く人間とは折り合いが付け難いのだ。人生の経験上。
「知らん。知りたくもない」
ぶっきらぼうに言い捨て、信二は強く目を瞑った。
胃の痛みは既に最高潮。仕方がないので体をくの字に曲げる。
少し和らぐ胃痛。おお。グットグット。
「質問放棄? ハッ、いいシュミしてるね」
もちろん、それも褒め言葉じゃないんだろうな。
――――…………全然グットじゃねぇ。
何がグットだコラ俺。現実逃避してどうすんだ俺。
まずはこのムカツク野郎の口封じるのが先決じゃねぇか。おい。
頭から降ってきた声に、信二は舌打ちを押さえ込む。
いつのまに接近していたのだろうか、よく口が回る女子の気配がすぐ真横にあった。
想像したのは、にやにやと自分を見下ろすのっぺら坊。
誰だよ。
唱えてみても、のっぺらぼうは前文句を長ったらしく延べてから
「誰だと思う?」そう言って嘲笑に顔を歪めるのだ。
――ああ、畜生。今確かめてやるから逃げるなよ。
のっぺらぼうの素顔、もとい、声の主を知るために瞼を押し上げようとする。
その簡単な動作でさえ、今は随分と大儀な事に思えた。
――――――光が、
第一章
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2.
クラスに一人や二人はいなかっただろうか?
イジメの対象になる訳でもない。その興味すら向けられない。
自己顕示欲が欠落してるとしか思えない奴。
風景と同化してる奴。空気と同列に扱われる奴。
とどのつまり、存在感の無い人間。
信二の胃に執拗なダメージを負わせていた人間こそ、
例の『声の主』こそ、そんなクラスメイトの象徴だったはず、だった。
「…………」
「…………」
二人きりの保健室で見詰め合う二人。
同じ顔を持った双子とか、そう言う推定が頭に流れるが次にはその考えも否定される。
(あんな印象的な苗字の奴、俺は一人しか知らない)
月見里 綾。
やまなしあや。
教室の窓際最前列を入学以来14ヶ月守り続ける鉄仮面、
動かない口と顔の筋肉を称して石仮面月見里。
実は顔の筋肉が全部死んでいる。
そいつの声を聞いた人間は必ず不幸になる。
そんな伝説を持つクラスメイトが、口元を歪めながら、
ベットに横たわる信二を見下ろしていた。
胃痛はどこかに吹き飛んでいた。
――次に信二が取った行動は、次の通りである。
至極ノーマルで至極間抜けな確認作業。
つまり、他の人物が保健室にいないかどうかの点検だった。
しかしいくら見渡そうとも保健室にはこの二人しかいない。
そう言えば、保健室の先生はけが人の付き添いとかで病院に行ったんだっけ。
なんて考えてみたりする。
結局、事実は変わらなかった。むしろ揺ぎなくなっただけだった。
この保健室には信二と月見里綾しかいない。
それが唯一無二の事実だ。
ともすれば『声の主は月見里綾である』のが、当然なのであるが
それでも信二には「自分の耳の機能が突如イカれた」「全ては幻聴だった」なんて言う
天文学的な確立の方が高いような気がした。
それほどまでに、信二にとって、いや、月見里綾を知る者にとって、
彼女が言葉を発するのは稀有なのである。
もっとも――
「はっ、君さ、つくづくいいシュミしてるね。何、当て付け?」
目の前の彼女がこの言葉を発した瞬間、稀有ではなくなった訳だが。
それに信二が返せた言葉と言えば、
「おまっ……しゃべれたのかっ!?」
最高に低レベルなリアクションだった。
「しゃべ――はははははは!
確かに私は鉄仮面……いや、石仮面にバージョンアップしたっけな?
とにかくそんな無礼極まりないような名前で呼ばれているが、言葉を持たない訳じゃない!」
むしろよく喋る方なんだ。彼女は確かにそう言う。
「嘘だと思うかい?」
付言する綾。
「……嘘だとは思わないが信じがたい」
返答する信二。
言われてみれば綾の声質には無口な人間の持つ重み、みたいなものが備わっていた。
多分、多分であるが、コイツは気に入った人間には呆れる程喋り、
気に入らない人間には呆れる程無言を突き通すのだろうと信二は思う。
じゃあ、自分は気に入られた……のか?
背筋に一つ、冷たい汗が通る。
「私は誰にでもフレンドリーになれるほど尻軽じゃあないんだよ。
私はカップラーメンみたくお手軽じゃないんだよ」
そうして彼女は唄うように言う。
「……何か喜劇で、悲劇なんだ?」
ベットから起き上がり信二は聞いてみた。
先刻から気に掛かっていた、悲劇と喜劇の中身を。
「はは! いいシュミしてるね。ああ、これは褒め言葉だよ!」
綾の顔に浮かんだ明るい苦笑。
呆然とそれを見上げながら、信二は彼女の動向を探る。
それから流れるような動作で彼女は制服の胸ポケットに手を伸ばした。
取り出したのは一枚の名刺。綾は手の内でそれを弄びながら、
「別に悲劇と喜劇がいっぺんに上映された訳じゃない――ただ」
「ただ……?」
「一つの劇に、悲劇と喜劇が同席してるんだ」
シェークスピアも真っ青だね。
綾は笑い、顔に掛かった自身の黒髪を耳に掛けた。
――笑えば結構可愛い方なのかもしれない。
口が裂けても言えない考えが巡る。
「どうやらこの予告状によると、」
もったえぶるように一端そこで言葉を区切り、
「私は一週間後殺されてしまうらしいんだ」
綾は、たしかにそう言っていた。
まるで他人事。まるで無関心。自分は一週間後、殺されると。
『一週間後、お命頂戴いたします』
受けとった予告状を見、綾を見、
「は?」
信二は言った。声は少し裏返っていた。
「漫画みたいだと思うかい? 小説みたいだと思うかい?
そうだろうね。私も思った。と言うか呆れたね。君みたいにね。しかし――」
シニカルに笑う綾。
どこか屈折したような笑い方しか出来ない奴なのだろうか。信二は思う。
……どうでもいいか。
綾は返されたそのカードを弄びながら、緩慢な動きで隣のベットに腰掛けた。
それから天井を仰ぎ、
「しかし?」
「実例がある」
「実例……?」
「私が殺された」
彼女はそう言う。
「は……?」
「信二くん。なぁ、信二くん。私を助けてくれないか」
綾はこう言う。
「余命一週間の私をね」
それが始まり。あるいは終わり。
全ての顛末は、この保健室から始まる。
「……ふざけてんのか?」
いささか気勢をそがれ、普段のトーンで信二は問うた。
綾はニヒルに口元を歪めたままで、返答を寄越すような素振りは未だない。
「じゃ、じゃあ何か? 俺の目の前にいる人間は幽霊とでも言うのか?」
眉根をしかめさせたまま、信二は再度訊く。
復活し始めたあの憎たらしい胃痛に、今度は頭痛まで加わってきている。
「違うさ。オケラだってそうだが、私もちゃんと生きてる」
やはり緩やかな動作で綾は自分の手を左胸に押し当てた。
ギシリとベットのスプリングが軋み、
「何なら確認がてらに触ってみるかい?」
「結構だ」
「うわ、即決か。もう少しいたわりみたいなものを見せたらどうだい?
君の目の前にいるのは一応、美少女じゃないか」
「自分で言ってる時点で随分アレだな」
確かにね。扇情的に微笑む綾。
……白状しよう。月見里綾は、顔がいい。
まあその分、口は開いてても閉じてもアレと言うような障害持ちであるが、
それを勘定に入れたとしても……以下略。
(くそ。だから嫌だったんだよ……)
「何で俺なんだ……?」
素朴な疑念に、
「君が信二君だからさ」
返される哲学。
しばらくの間無言が続き、
「訳わかんねー事言うなよ……」
口火を切ったのは信二だった。
「殺されるつーなら警察にでも何でも相談すりゃいいだろ」
「仮に言ったとして、まともに取り合ってくれるかどうか
解らないほど君も馬鹿じゃないだろう?」
「……それは、そうだけど」
「信二」
綾のまっすぐな視線が、信二を射抜く。
急に名前を呼ばれ、目が醒めたような心地になる。
「君が君だから助けを求めている。これは理由にならないか?」
「…………」
しばらくの思案があり、
「いや、」
やっとの事で信二はかすれた声をひねり出す。
「ならないだろ」
『そいつの声を聞いた人間は必ず不幸になる』
綾が持つ噂。
ならば声を聞いた自分は不幸になるのだろうか。
いや、もしかすると関わった時点で彼女の不幸やとらに自分は囚われていたのかもしれない。
もう、既に。
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2.
クラスに一人や二人はいなかっただろうか?
イジメの対象になる訳でもない。その興味すら向けられない。
自己顕示欲が欠落してるとしか思えない奴。
風景と同化してる奴。空気と同列に扱われる奴。
とどのつまり、存在感の無い人間。
信二の胃に執拗なダメージを負わせていた人間こそ、
例の『声の主』こそ、そんなクラスメイトの象徴だったはず、だった。
「…………」
「…………」
二人きりの保健室で見詰め合う二人。
同じ顔を持った双子とか、そう言う推定が頭に流れるが次にはその考えも否定される。
(あんな印象的な苗字の奴、俺は一人しか知らない)
月見里 綾。
やまなしあや。
教室の窓際最前列を入学以来14ヶ月守り続ける鉄仮面、
動かない口と顔の筋肉を称して石仮面月見里。
実は顔の筋肉が全部死んでいる。
そいつの声を聞いた人間は必ず不幸になる。
そんな伝説を持つクラスメイトが、口元を歪めながら、
ベットに横たわる信二を見下ろしていた。
胃痛はどこかに吹き飛んでいた。
――次に信二が取った行動は、次の通りである。
至極ノーマルで至極間抜けな確認作業。
つまり、他の人物が保健室にいないかどうかの点検だった。
しかしいくら見渡そうとも保健室にはこの二人しかいない。
そう言えば、保健室の先生はけが人の付き添いとかで病院に行ったんだっけ。
なんて考えてみたりする。
結局、事実は変わらなかった。むしろ揺ぎなくなっただけだった。
この保健室には信二と月見里綾しかいない。
それが唯一無二の事実だ。
ともすれば『声の主は月見里綾である』のが、当然なのであるが
それでも信二には「自分の耳の機能が突如イカれた」「全ては幻聴だった」なんて言う
天文学的な確立の方が高いような気がした。
それほどまでに、信二にとって、いや、月見里綾を知る者にとって、
彼女が言葉を発するのは稀有なのである。
もっとも――
「はっ、君さ、つくづくいいシュミしてるね。何、当て付け?」
目の前の彼女がこの言葉を発した瞬間、稀有ではなくなった訳だが。
それに信二が返せた言葉と言えば、
「おまっ……しゃべれたのかっ!?」
最高に低レベルなリアクションだった。
「しゃべ――はははははは!
確かに私は鉄仮面……いや、石仮面にバージョンアップしたっけな?
とにかくそんな無礼極まりないような名前で呼ばれているが、言葉を持たない訳じゃない!」
むしろよく喋る方なんだ。彼女は確かにそう言う。
「嘘だと思うかい?」
付言する綾。
「……嘘だとは思わないが信じがたい」
返答する信二。
言われてみれば綾の声質には無口な人間の持つ重み、みたいなものが備わっていた。
多分、多分であるが、コイツは気に入った人間には呆れる程喋り、
気に入らない人間には呆れる程無言を突き通すのだろうと信二は思う。
じゃあ、自分は気に入られた……のか?
背筋に一つ、冷たい汗が通る。
「私は誰にでもフレンドリーになれるほど尻軽じゃあないんだよ。
私はカップラーメンみたくお手軽じゃないんだよ」
そうして彼女は唄うように言う。
「……何か喜劇で、悲劇なんだ?」
ベットから起き上がり信二は聞いてみた。
先刻から気に掛かっていた、悲劇と喜劇の中身を。
「はは! いいシュミしてるね。ああ、これは褒め言葉だよ!」
綾の顔に浮かんだ明るい苦笑。
呆然とそれを見上げながら、信二は彼女の動向を探る。
それから流れるような動作で彼女は制服の胸ポケットに手を伸ばした。
取り出したのは一枚の名刺。綾は手の内でそれを弄びながら、
「別に悲劇と喜劇がいっぺんに上映された訳じゃない――ただ」
「ただ……?」
「一つの劇に、悲劇と喜劇が同席してるんだ」
シェークスピアも真っ青だね。
綾は笑い、顔に掛かった自身の黒髪を耳に掛けた。
――笑えば結構可愛い方なのかもしれない。
口が裂けても言えない考えが巡る。
「どうやらこの予告状によると、」
もったえぶるように一端そこで言葉を区切り、
「私は一週間後殺されてしまうらしいんだ」
綾は、たしかにそう言っていた。
まるで他人事。まるで無関心。自分は一週間後、殺されると。
『一週間後、お命頂戴いたします』
受けとった予告状を見、綾を見、
「は?」
信二は言った。声は少し裏返っていた。
「漫画みたいだと思うかい? 小説みたいだと思うかい?
そうだろうね。私も思った。と言うか呆れたね。君みたいにね。しかし――」
シニカルに笑う綾。
どこか屈折したような笑い方しか出来ない奴なのだろうか。信二は思う。
……どうでもいいか。
綾は返されたそのカードを弄びながら、緩慢な動きで隣のベットに腰掛けた。
それから天井を仰ぎ、
「しかし?」
「実例がある」
「実例……?」
「私が殺された」
彼女はそう言う。
「は……?」
「信二くん。なぁ、信二くん。私を助けてくれないか」
綾はこう言う。
「余命一週間の私をね」
それが始まり。あるいは終わり。
全ての顛末は、この保健室から始まる。
「……ふざけてんのか?」
いささか気勢をそがれ、普段のトーンで信二は問うた。
綾はニヒルに口元を歪めたままで、返答を寄越すような素振りは未だない。
「じゃ、じゃあ何か? 俺の目の前にいる人間は幽霊とでも言うのか?」
眉根をしかめさせたまま、信二は再度訊く。
復活し始めたあの憎たらしい胃痛に、今度は頭痛まで加わってきている。
「違うさ。オケラだってそうだが、私もちゃんと生きてる」
やはり緩やかな動作で綾は自分の手を左胸に押し当てた。
ギシリとベットのスプリングが軋み、
「何なら確認がてらに触ってみるかい?」
「結構だ」
「うわ、即決か。もう少しいたわりみたいなものを見せたらどうだい?
君の目の前にいるのは一応、美少女じゃないか」
「自分で言ってる時点で随分アレだな」
確かにね。扇情的に微笑む綾。
……白状しよう。月見里綾は、顔がいい。
まあその分、口は開いてても閉じてもアレと言うような障害持ちであるが、
それを勘定に入れたとしても……以下略。
(くそ。だから嫌だったんだよ……)
「何で俺なんだ……?」
素朴な疑念に、
「君が信二君だからさ」
返される哲学。
しばらくの間無言が続き、
「訳わかんねー事言うなよ……」
口火を切ったのは信二だった。
「殺されるつーなら警察にでも何でも相談すりゃいいだろ」
「仮に言ったとして、まともに取り合ってくれるかどうか
解らないほど君も馬鹿じゃないだろう?」
「……それは、そうだけど」
「信二」
綾のまっすぐな視線が、信二を射抜く。
急に名前を呼ばれ、目が醒めたような心地になる。
「君が君だから助けを求めている。これは理由にならないか?」
「…………」
しばらくの思案があり、
「いや、」
やっとの事で信二はかすれた声をひねり出す。
「ならないだろ」
『そいつの声を聞いた人間は必ず不幸になる』
綾が持つ噂。
ならば声を聞いた自分は不幸になるのだろうか。
いや、もしかすると関わった時点で彼女の不幸やとらに自分は囚われていたのかもしれない。
もう、既に。
3.
『3年の鳥居坂にあってくれ。
事情を聞いてからでも結論を出すのは遅くないだろう?』
そう言って綾は保健室を後にしたのだが、
相変わらずの胃痛に悩まされる信二にとってはただの戯言程度でしかなかった。
『3年の鳥居坂』とやらを探す気力もない。
終礼が終わり、皆が帰り支度をしているのをぼんやりと見つめながら
全部すっぽかして帰ってやろうかなんて鬼畜な考えも巡ってはいたが、
どうもツキが愛想をつかしてしまっていたらしい。
三年の鳥居坂が直ぐに見つかったのである。
『 ピンポンパンポーン 』
いや、見つかったというよりは、
『あー、もしもし? 信二くんですかーっ?
ゐヤッホー、鳥居坂未玖様でーぃす! 早速だけどお前放送室にちょい来いや』
見つけられたと言う方が正しいのかも知れない。
全校放送で呼び出しとはどう言うことだろう。
これには流石に信二も固まった。机を下げながら人知れず嘆く。
(……確実に、これは)
あいつがもたらした不幸だ、と。
チャオ! なんて一言を持ってブッツリと切られた放送。固まる教室の空気。
「まぁた…………」
教室のスピーカーを見上げながら、誰かが嘆息を漏らした。
…………鳥居坂未玖。
言われてみれば名前くらいは聞いたことがあるような気がする。
良く言えば天真爛漫、悪く言えば唯我独尊。
しかしてその実態は、
「あの会長か」
委員会を束ねる生徒会の会長だったはずだ。
再度漏らした嘆息を絡めとるのは、いつもの事だと解凍され始めた教室内の空気。
(仕方がない、か)
自分の持つ選択肢はあまり多くないような気がしていた。
そしてそれは、ありとあらゆる意味で事実だったのだ。
【 ――県立VIP高校 放送室 】
「7分27秒26」
放送室に入ってから真っ先に告げられた言葉がこれだった。
コイツもめんどくさい部類の人間だ、とかぎ分けたのは
どうでもいい所だけ冴え渡る直感。
「いいかい、いいかいっ、人生の時間ってのは戻らないんだよー、
くそぅどうしてくれるよ私が君を待ってたこの時間をさっ!」
これ見よがしに目の前でピッピピッピ押されるストップウォッチ。
6畳一間に押し込められた放送機材、そしてネズミとライオン。逃げ場なし。
「アンタが遭いにくればいいだけの話じゃないか……」
「めんどくさい」
窮鼠にはライオンを噛む力などなかった。
目の前には望んだ展開に嬉々とするライオン、もとい3年の鳥居坂。
一刀両断された正論が床に転がり、信二は前髪を掻きあげる。
類は友を呼ぶと言う。捕食者と群れるのは捕食者だけという話だった。
「……どんなご用件なんですか?」
演出しえる限りのぶっきらぼうな声で言ったものの、
そのリアクションさえ相手が欲していたものらしかった。
わざとらしく細められた目元に、信二は明確な力関係を見る。逃げてぇ。
「んんー? ツキミサトから聞いてないかい?」
「ツキミサト、って誰ですか」
「揚げ足を捕らないで欲しいなぁ」
放送室の隅っこにうず高く積み上げられた古い放送機材を物色しながら、
鳥居坂未玖はやはり楽しそうな声色で言う。
「聞いてませんよ。月見里からは何も」
「うっそーん。って、まっ予想はしてたけどねっ」
「どっちなんですか……」
放送室の中央に鎮座する学習机を指でなぞりながら、
信二はやはりうんざりとした声色で言う。
「でぇーもね、ツッキーの現状くらいは聞いてるっしょ?」
「一週間後に殺される、って奴ですか?」
「半信半疑?」
「むしろ全否定」
間髪入れずに返した言葉に返されるのは、いっそ愉快な馬鹿笑い。
そりゃそうだ、とヒーヒー言いながら抱腹絶倒中の未玖を尻目に、
信二は思い出していた。
それはあの、悪夢のような保健室での出来事。
『どうやらこの予告状によると、私は一週間後殺されてしまうらしいんだ』
それはあの、綾の奇怪な言動。
『実例がある』
そして一番難解な、あの言葉。
『私が殺された』
「…………」
「彼女の言葉をどこまで信じるかは、君の自由だ」
前触れもなく真顔を作った未玖が言う。
どこまでも愚直な視線。肩口で切り揃えられた透き通るような鳶色の髪。
おあつらえ向きに西向きの窓からは夕日が差し込んでいた。
「彼女の言葉はどこまでも真実で虚偽である、ってね」
「……月見里綾は確かに殺された、しかし、殺されていない」
「そーゆーことさね」
未玖は朗々と笑う。
信二の直感は実感に変わる。
(コイツも面倒くさい部類の人間だ)、と
少年のような仕草で信二は鼻っ面を掻いた。
中央の机に腰を据えた未玖はそれを見て笑い、こう付言する。
「解かんないかなぁ、解かって欲しいんだけどなぁ」
この時点で信二には一つの予想があった。
綾の言動の理由についての予想だ。
もしもその通りなのであれば、全ての事象に説明はつく。
しかしその通りなのであれば、全ての事象に意味がなくなるなんて言う
恐ろしいパラドックス含んだ予想。
「これを認めてしまえば全てが倒錯しかねないんだぞ……?」
「半信半疑?」
「むしろ全否定したいな」
そりゃそうだ、とまた抱腹絶倒する未玖。
ああ、実に面倒くさい事に絡まれた、と信二。
「にしし、まあまあまあ、その『全否定したい事』言ってみれば?」
全てを知り、自分は正解の場所に立ちながらヒントを寄越さないで
人が解答に苦悩する様を見て喜ぶ人間が信二の目の前にいる。
生粋の支配者階級が。
「こんなモンが存在し得るこの世の中はクソだな」
なぞる彼女の言動。
なるほど、こんな状態に陥ったなら誰だって言いたくもなるって話だ。
正解の場所に立ち、やっと納得した。
西日で満たされた放送室内、信二は言う。
「 月見里綾は、多重人格障害者だな? 」
瞬間、返される未玖の笑い声は肯定の証だったのだろう。
・多重人格障害
旧称、多重人格障害。現在名称は解離性同一性障害と言う。
明確に独立した性格、記憶、属性を持つ複数の人格が1人の人間に現れるという症状を持つ。
ほとんどが人格の移り変わりによって高度の記憶喪失を伴い、
そのために診断が遅れたり、誤診されることが非常に多い疾患である。
自然に漏れたため息を聴き、満足げに頷く鳥居坂未玖は、
信二の眉間に寄って来たシワを見、さらに満足げに頷いてみせた。
「……むかつくなぁ」
「渡されたパズルのピースで、謎はちゃぁんと解けたみたいだねっ」
「無視かよ。……全部知ってたんですか?」
「そんなこともあるよーなないよーな的な?」
「どっちだ」
ケタケタと笑い出す未玖を信二は気だるげに見る。
確かに謎は解けた。しかし根本的な部分で解けない部分がある。
「何で俺なんだ」
「ツッキーが君に助けを求めた理由かいっ?」
「ああ」
腕を組み、未玖は暫しの間黙考した。
一つ一つのアクションが幼いな、と思ったのは口に出さない。
箸が転んでも可笑しいお年頃とは、何歳位の事を指すのだった?
「君が君だから、じゃないかなぁ」
「……聞いたことのあるような台詞だ」
つい30分前ほどに。
当然の疑問をねじ伏せる超理論に説明をつけろと言うのが無理な話か。
いつのまにか勢力を増しつつある胃痛にため息さえ持っていかれたらしい。
「どっちにしろ、俺には実害がないんだろ?」
誰かの一精神が死んで、葬式を上げる訳じゃない。
事実彼女の精神は一度死に、けれども自分の生活はいつも通りだったのだ。
「そーれーはぁ、あんまりにも白状すぎないっ?」
「どうとでも言え」
くるりと返した踵。
「ぐぇっ」
そしてリアルに引かれた後ろ髪。
「君には月見里綾を助けなきゃいけない理由がある」
「それは何だよ……って離せ。痛てぇ!」
仏の顔も三度だけだよ、と未玖が言う。
きっと、今後ろにいる鳥居坂未玖は真顔なのだろう。根拠のない憶測。
「だって君、××××じゃないか」
――ずっと信二には一つの予想があった。
もしもその通りなのであれば、全ての事象に説明はつく。
しかしその通りなのであれば、全ての事象に意味がなくなるなんて言う
恐ろしいパラドックスを含んだ予想が。
「…………いま、なんて、言った」
また返した踵。
360度一周した結果、視界に飛び込んで来たのは
「ね? これで君はツッキーに協力しなくちゃいけないねー?」
鳥居坂未玖の満面の笑み。窮鼠がライオンを噛む事はあっても、
それで食物連鎖がひっくり返るなんてのはありえない。
とどの詰まり、自分はどこまでいっても自分であると言う事だ。
夕日の放送室、両手を広げ鳥居坂未玖は高らかに力言する。
「じゃーまー、話そうか。
犯人の要求と、君のやるべき事についてねっ!」
自分の持つ選択肢はあまり多くないような気がしていた。
そしてそれは、ありとあらゆる意味で事実だったのだ。
『3年の鳥居坂にあってくれ。
事情を聞いてからでも結論を出すのは遅くないだろう?』
そう言って綾は保健室を後にしたのだが、
相変わらずの胃痛に悩まされる信二にとってはただの戯言程度でしかなかった。
『3年の鳥居坂』とやらを探す気力もない。
終礼が終わり、皆が帰り支度をしているのをぼんやりと見つめながら
全部すっぽかして帰ってやろうかなんて鬼畜な考えも巡ってはいたが、
どうもツキが愛想をつかしてしまっていたらしい。
三年の鳥居坂が直ぐに見つかったのである。
『 ピンポンパンポーン 』
いや、見つかったというよりは、
『あー、もしもし? 信二くんですかーっ?
ゐヤッホー、鳥居坂未玖様でーぃす! 早速だけどお前放送室にちょい来いや』
見つけられたと言う方が正しいのかも知れない。
全校放送で呼び出しとはどう言うことだろう。
これには流石に信二も固まった。机を下げながら人知れず嘆く。
(……確実に、これは)
あいつがもたらした不幸だ、と。
チャオ! なんて一言を持ってブッツリと切られた放送。固まる教室の空気。
「まぁた…………」
教室のスピーカーを見上げながら、誰かが嘆息を漏らした。
…………鳥居坂未玖。
言われてみれば名前くらいは聞いたことがあるような気がする。
良く言えば天真爛漫、悪く言えば唯我独尊。
しかしてその実態は、
「あの会長か」
委員会を束ねる生徒会の会長だったはずだ。
再度漏らした嘆息を絡めとるのは、いつもの事だと解凍され始めた教室内の空気。
(仕方がない、か)
自分の持つ選択肢はあまり多くないような気がしていた。
そしてそれは、ありとあらゆる意味で事実だったのだ。
【 ――県立VIP高校 放送室 】
「7分27秒26」
放送室に入ってから真っ先に告げられた言葉がこれだった。
コイツもめんどくさい部類の人間だ、とかぎ分けたのは
どうでもいい所だけ冴え渡る直感。
「いいかい、いいかいっ、人生の時間ってのは戻らないんだよー、
くそぅどうしてくれるよ私が君を待ってたこの時間をさっ!」
これ見よがしに目の前でピッピピッピ押されるストップウォッチ。
6畳一間に押し込められた放送機材、そしてネズミとライオン。逃げ場なし。
「アンタが遭いにくればいいだけの話じゃないか……」
「めんどくさい」
窮鼠にはライオンを噛む力などなかった。
目の前には望んだ展開に嬉々とするライオン、もとい3年の鳥居坂。
一刀両断された正論が床に転がり、信二は前髪を掻きあげる。
類は友を呼ぶと言う。捕食者と群れるのは捕食者だけという話だった。
「……どんなご用件なんですか?」
演出しえる限りのぶっきらぼうな声で言ったものの、
そのリアクションさえ相手が欲していたものらしかった。
わざとらしく細められた目元に、信二は明確な力関係を見る。逃げてぇ。
「んんー? ツキミサトから聞いてないかい?」
「ツキミサト、って誰ですか」
「揚げ足を捕らないで欲しいなぁ」
放送室の隅っこにうず高く積み上げられた古い放送機材を物色しながら、
鳥居坂未玖はやはり楽しそうな声色で言う。
「聞いてませんよ。月見里からは何も」
「うっそーん。って、まっ予想はしてたけどねっ」
「どっちなんですか……」
放送室の中央に鎮座する学習机を指でなぞりながら、
信二はやはりうんざりとした声色で言う。
「でぇーもね、ツッキーの現状くらいは聞いてるっしょ?」
「一週間後に殺される、って奴ですか?」
「半信半疑?」
「むしろ全否定」
間髪入れずに返した言葉に返されるのは、いっそ愉快な馬鹿笑い。
そりゃそうだ、とヒーヒー言いながら抱腹絶倒中の未玖を尻目に、
信二は思い出していた。
それはあの、悪夢のような保健室での出来事。
『どうやらこの予告状によると、私は一週間後殺されてしまうらしいんだ』
それはあの、綾の奇怪な言動。
『実例がある』
そして一番難解な、あの言葉。
『私が殺された』
「…………」
「彼女の言葉をどこまで信じるかは、君の自由だ」
前触れもなく真顔を作った未玖が言う。
どこまでも愚直な視線。肩口で切り揃えられた透き通るような鳶色の髪。
おあつらえ向きに西向きの窓からは夕日が差し込んでいた。
「彼女の言葉はどこまでも真実で虚偽である、ってね」
「……月見里綾は確かに殺された、しかし、殺されていない」
「そーゆーことさね」
未玖は朗々と笑う。
信二の直感は実感に変わる。
(コイツも面倒くさい部類の人間だ)、と
少年のような仕草で信二は鼻っ面を掻いた。
中央の机に腰を据えた未玖はそれを見て笑い、こう付言する。
「解かんないかなぁ、解かって欲しいんだけどなぁ」
この時点で信二には一つの予想があった。
綾の言動の理由についての予想だ。
もしもその通りなのであれば、全ての事象に説明はつく。
しかしその通りなのであれば、全ての事象に意味がなくなるなんて言う
恐ろしいパラドックス含んだ予想。
「これを認めてしまえば全てが倒錯しかねないんだぞ……?」
「半信半疑?」
「むしろ全否定したいな」
そりゃそうだ、とまた抱腹絶倒する未玖。
ああ、実に面倒くさい事に絡まれた、と信二。
「にしし、まあまあまあ、その『全否定したい事』言ってみれば?」
全てを知り、自分は正解の場所に立ちながらヒントを寄越さないで
人が解答に苦悩する様を見て喜ぶ人間が信二の目の前にいる。
生粋の支配者階級が。
「こんなモンが存在し得るこの世の中はクソだな」
なぞる彼女の言動。
なるほど、こんな状態に陥ったなら誰だって言いたくもなるって話だ。
正解の場所に立ち、やっと納得した。
西日で満たされた放送室内、信二は言う。
「 月見里綾は、多重人格障害者だな? 」
瞬間、返される未玖の笑い声は肯定の証だったのだろう。
・多重人格障害
旧称、多重人格障害。現在名称は解離性同一性障害と言う。
明確に独立した性格、記憶、属性を持つ複数の人格が1人の人間に現れるという症状を持つ。
ほとんどが人格の移り変わりによって高度の記憶喪失を伴い、
そのために診断が遅れたり、誤診されることが非常に多い疾患である。
自然に漏れたため息を聴き、満足げに頷く鳥居坂未玖は、
信二の眉間に寄って来たシワを見、さらに満足げに頷いてみせた。
「……むかつくなぁ」
「渡されたパズルのピースで、謎はちゃぁんと解けたみたいだねっ」
「無視かよ。……全部知ってたんですか?」
「そんなこともあるよーなないよーな的な?」
「どっちだ」
ケタケタと笑い出す未玖を信二は気だるげに見る。
確かに謎は解けた。しかし根本的な部分で解けない部分がある。
「何で俺なんだ」
「ツッキーが君に助けを求めた理由かいっ?」
「ああ」
腕を組み、未玖は暫しの間黙考した。
一つ一つのアクションが幼いな、と思ったのは口に出さない。
箸が転んでも可笑しいお年頃とは、何歳位の事を指すのだった?
「君が君だから、じゃないかなぁ」
「……聞いたことのあるような台詞だ」
つい30分前ほどに。
当然の疑問をねじ伏せる超理論に説明をつけろと言うのが無理な話か。
いつのまにか勢力を増しつつある胃痛にため息さえ持っていかれたらしい。
「どっちにしろ、俺には実害がないんだろ?」
誰かの一精神が死んで、葬式を上げる訳じゃない。
事実彼女の精神は一度死に、けれども自分の生活はいつも通りだったのだ。
「そーれーはぁ、あんまりにも白状すぎないっ?」
「どうとでも言え」
くるりと返した踵。
「ぐぇっ」
そしてリアルに引かれた後ろ髪。
「君には月見里綾を助けなきゃいけない理由がある」
「それは何だよ……って離せ。痛てぇ!」
仏の顔も三度だけだよ、と未玖が言う。
きっと、今後ろにいる鳥居坂未玖は真顔なのだろう。根拠のない憶測。
「だって君、××××じゃないか」
――ずっと信二には一つの予想があった。
もしもその通りなのであれば、全ての事象に説明はつく。
しかしその通りなのであれば、全ての事象に意味がなくなるなんて言う
恐ろしいパラドックスを含んだ予想が。
「…………いま、なんて、言った」
また返した踵。
360度一周した結果、視界に飛び込んで来たのは
「ね? これで君はツッキーに協力しなくちゃいけないねー?」
鳥居坂未玖の満面の笑み。窮鼠がライオンを噛む事はあっても、
それで食物連鎖がひっくり返るなんてのはありえない。
とどの詰まり、自分はどこまでいっても自分であると言う事だ。
夕日の放送室、両手を広げ鳥居坂未玖は高らかに力言する。
「じゃーまー、話そうか。
犯人の要求と、君のやるべき事についてねっ!」
自分の持つ選択肢はあまり多くないような気がしていた。
そしてそれは、ありとあらゆる意味で事実だったのだ。