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東京スーサイド

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●東京スーサイド
 何故だかそれは酷く僕に似ていた。
 少しでも気を抜けば見失ってしまいそうなそれは、多くの建造物のせいで狭くなった東京の空に、ぽつりと、小さく消えそうに浮かんでいた。

 赤い風船。

 素晴らしい偶然だった。昨晩の雨のせいでできたアスファルトの上の水溜りの中に、小さな赤い点を見つけたのだ。見上げると、それは静かに風にのって上昇していた。きっと小さな子供が持っていたのをうっかり手放してしまったのだろう。そう思うと、悲しくなった。と同時に、僕に似ていると思ったのだ。
 静かに、自ら望むように、上昇していく姿。最後は割れてしまうというのに、ただひたすら音もなく、上昇していくその姿が、何故か自分と重なったのだ。―僕は何処に行くのだろう。これからどうなるのだろう。この先には何があるのだろう。


 東京の空はいつも僕を裏切る。僕の頭の中を支配して温度を下げていく。
●Another 東京スーサイド
 ある日突然、それは僕の世界から消え去ってしまった。
 朝起きてから何気なく自分の左手首を見て、僕は目を丸くした。傷が、僕が自分でつけた幾つもの傷が、なくなっていた。
「嘘だろ……」
 有り得なかった。いつから、何回切りつけたのかもわからないくらいに傷付けたはずなのに。昨晩雨音を聞きながら眠ったときは、確かに傷が手首から肘までを覆うように赤く痛々しく腫れ、傷口は開いたままだったのに。僕は爪を立てて左手首を掻きむしった。ガリッと不快な音を立てて皮膚が裂けた。しかし、そこから僕を縛り付ける液体は一滴も零れなかった。
 どうして。
 僕は奇声を上げながら更に手首を掻きむしった。爪の間に肉が挟まった。それでも、僕が望むそれは一滴も零れない。
 僕を縛り付ける液体が、血液が、無い?
 僕は生きていない?
 僕は―死んだ?
 背筋が寒くなって裸足のまま思わず外に飛び出した。泣き喚きながら東京のせまっくるしい路地裏を、何回も転びそうになりながら走り続けた。昨晩の雨でできた水溜りで跳ね返った泥水が僕をどんどん汚していった。嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。僕はまだ死んでなんかいない!
 ―急に視界が明るくなったかと思うと、路地裏を抜けて商店街の入り口に出ていた。ぶるぶる体を震わせながら人で賑わう商店街を見回すと、異変に気付いた。

 赤がない。

 呼吸が荒くなった。商店街の入り口にある「こより商店街」の真っ赤な看板も、ポストも、商店街の入り口の前にある信号機の赤も、なくなっていた。人々の自分への嫌悪の視線を押しのけて商店街の中を進むと、確信を得た。赤い部分だけ、まるでパズルのピースが足りないみたいに、その部分だけなにもなくなっているのだ。―神様は、僕から赤を奪ったのだ。
 それが分かると、なんだか異様な静けさが急に訪れた。周りの音が何も聞こえなくなった。ふいに足元に視線を落とすと、水溜りに自分の姿が映っていた。隈が紫色に変色して、病的なくらい色白で、汚らしい自分がそこにいた。白いワイシャツは鮮血に染まり、左手はズタズタに引き裂かれ、真っ赤に染まっていた。―真っ赤に染まっていた?
 混乱すると同時に、水溜りの中の僕の頭上に、小さな赤い点を見つけた。少しでも気を抜けば見失ってしまいそうな、小さな赤い点。

赤い風船。

僕はわけがわからなかった。空を見上げると、ただただ虚空が広がっていた。東京の空が僕をみつめていた。もちろん、風船などどこにもないし、左手からは血液の一滴も流れていない。ワイシャツも白いまま。もう一度水溜りを覗き込む。真っ赤な僕の姿。赤い風船。


 東京の空はいつも僕を裏切る。僕の頭の中を支配して温度を下げていく。
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