FT返し→さんじぇるまん先生
驚きという言葉を理解するのに、体感以上のものはないと思います。
このたび、私こと蟻が新都で作品を連載するにあたって、
その契機であり着想の元となった作者様、さんじぇるまん先生からFTを頂きました。
正確にはさんじぇるまん先生の『邪気眼使い集まれw』のページにあるのですが、
皆様には先生の作品を含めて是非とも一読をお願い致したく存じます。
さて。
FA(ファンアート)ならぬFT(ファンテキスト)、
これはある種の激励であり送り先のパロ的な要素を含む文章のようですね。
このような交流は馴れ合いと呼ばれて嫌われることもあるようですが、
故H・P・ラヴクラフト先生とその作家仲間から生まれたクトゥルー神話体系、
その例のように作家同士の交流というのは面白いもので、
それによって生まれたアイディアの登場や共有が時に作品に一味加えることもあります。
当然ながら私自身の力量は先人に遠く及ぶべくもないものですが、
さんじぇるまん先生からのクリスマスプレゼントに感謝を、
また邪気眼~の読者の方々の一興にでもなることを願い、
ここにて蟻なりのFT返しをさせて頂きたく思います。
『偶像道化の、ある終末に』
彼に自由はなかった。
彼に自我はなかった。
彼には自身がなかった。
いや。彼にはそもそも、存在自体がなかった。
始まりは空想の中。
夢を忘れた大人達が、客のために生んだ夢。
いつも笑顔。
お店のハンバーガーを口いっぱいに頬張って、
口の周りを汚して笑う子供達を、満足そうに見守る道化。
急ぐあなたに、いつも素早く美味しい時間。
笑顔の子供に素敵なおもちゃ。
踊りおどけて案内人、Mのお店のマスコット。
ブラウン管で光が踊り、より集まって彼となる。
いつもどこでもメイクの顔で、平らな世界に出演する。
皆を誘う名演技。
偽りはなく、真実もない。
嘘など吐けず、そうあるように作られたから。
改札の先、駅の近く、道路の傍に、時に地下。
彼は色んな場所にいて、しかしそれは飾り物。
紛い物の、彼のコピー。
いやいや。そもそも彼にオリジナルなど存在しない。
だから、本当は『彼』も唯の欠片。
たまたま他とは違う生まれ方をして、
妄想を詰め込んだ肉体で産まれた一ピース。
親が個人というだけで、『彼』もまた、
共有される偶像を描いただけの模写で模造。
だから『彼』には悔いがない。
誕生の以前から自由など許されておらず、
想像の段階から自我など願われておらず、
創造の時点から自身など持たされていないから。
『彼』は彼の形をした、思い通りにされるだけの道具。
おどけることも求められていない、他人の意図で操られる道化。
だからこそ、『彼』は。
「────I・・・lov・・・i・・・」
皮膚を突き破って侵入し、
筋肉を食い千切って侵犯し、
臓物へと這い寄る相手の邪気眼に侵食されながら。
それでもなお、食い破られる顔の筋肉を動かし、
ぶら下がる腕を懸命に上げて拳を開いて、そう言った。
食い潰された喉で、己を貪る相手にさえ届かない声で。
それが今わの際の意志か、それさえも定義された役割なのかも知らぬまま。
そうして、『ドナルド・マクドナルド』の妄想として生を受けた『彼』は、
最後まで微笑を浮かべながら消滅した。
『彼』の役割が大局においてどのように置かれていたのかは、
ある結果が紐解かれない限り誰も知ることはないだろう。
そして彼として生み出された『彼』に明確な意思があったのか、
あったとして何を思いながら消えていったのかは、
おそらく物語の終末を迎えても誰にも分からない。
ただ。
少なくとも彼でない『彼』は模造であると同時に唯一として存在していたし、
他者に認識されていたそれを幻とは言うまい。
だからこそ。
願わくば、その魂には憐れみを。
ドナルド・マクドナルドよ、永遠なれ。
皆ハンバーガー食えよな!