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戦いの夜

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SIDE1 田中



夜の学校というのは、とかく恐怖の的である。
宵の刻。
そこにいるべき人間達の姿は消え去り、
明かりの絶えた建物ばかりがそびえ立つ内部では漆黒が澱のように蟠り、
人の消えた空白には静寂が浸透して寒々しく広がる。
無数に立ち並ぶ教室の扉や階段、廊下の曲り角は視覚を切り取って死角を作り出し、
不幸な事情からそこを訪れた人間に対して見えない場所にいる何かを想像させる。
恐怖とは即ち未知。
そこに何かがいる、いるかもしれない、だがそれが何なのかは分からない。
例えば、扉一枚隔てた先で他人が動いているだけでも十分に人間の恐怖は喚起される。
或いは、真夜中にふと目が覚めた時、
家の中のどこかで軋むような音が響いたりするのが続けば不安になるだろう。
ましてや昼夜で最も落差の激しい学び舎、
何十mもある廊下の先まで続く闇の中で、見えない向こう側、
しかも教室の扉や窓というその気になれば簡単に開けられる壁を隔てて想像する恐怖は、
果たしていかばかりか。
夜の校舎という独特の空間で微塵の恐怖も感じない人間は、
おそらく肝が据わっているか想像力の欠如した間抜けのどちらかだろう。
夜の校舎を一人で訪れ、
しかも長時間そこにいなければならない事情を持つ人がいるなら、僕は同情を禁じ得ない。



何て、少なくとも今の僕には関係のないことなのだけれど。



『田中、そっちはまだ何もないモナ?』

急に。
頭の中で、不思議に反響するような声が響いた。
先日、そして今日もついさっきまで聞いていた女性の声である。
生徒会外部協力員の御前 萌奈(おまえ もな)先輩、彼女の能力による通信だった。

「ええ、こちらはまだ何ともありません。先輩達の方はどうですか?」

“魂合一体(ソウルリンク)”。
詳細までは知らないが、
そう呼ばれる彼女の邪気眼は他人と精神を繋げる効果があるらしい。
だから思考だけで意思の疎通は出来るのだけれど、つい声に出して返事をしてしまう。

『ドクオ達の方も動きはないモナよ。
 時間にはまだ早いけど、ドクオはもう待つのを面倒臭がってるくらいだモナ』
「あはは・・・そうですか。
 まあ、異変があったらちゃんと知らせますから、こちらはご心配なく。
 万が一ってこともないと思いますけど、一応はそっちも気をつけてくださいね?」
『了解。お前モナー』

そう、短く遣り取りをして通信は終わった。
潮が引くように萌奈先輩の声が遠ざかり、知覚する空間に静寂が戻る。
何となく視線を落とすと、視界には色濃く照らし出された影が映った。
体を反転させるみると、眩しいほどの光に迎えられる。

「っつ・・・」

近づけた目蓋を戻すのに何秒か。
開いた目に映る校舎は溢れんばかりの光に満たされていた。
学園のためとはいえよくここまでやるものだと感心させられる。

チーム【百鬼夜行(ナイト・ナイツ)】襲撃の可能性が伝えられてから三日、
VIP学園生徒会メンバーは総出で迎撃のため夜の学園に残っていた。
外部協力員も交じってはいるが、
可能な限り生徒会の力のみでことに当たらないと生徒会の力不足と相手にナメられ、
反って今後の襲撃を招くとのことでいるのは萌奈先輩一人。
ギコ先輩とやらに頼むほどの事態ではなく、
萌奈先輩は協力するように頼んでくれたそうだが断られたらしい。
曰く、『お前らだけで十分だろ。だがモナーに傷一つでもついたら殺す』とのことだ。
そんなこんなで今、VIP学園にいるのは僕を含めて八人。
トバゴ先生はまたどこかでさ迷っているのか姿を見せていない。
少数での学園防衛のために全校舎の全照明は全開にされ、見た目はさながら警戒中の要塞。
そこらの泥棒や変質者なら近付いたところで逃げ帰るだろう。
僕としては、これで相手もやる気を無くしてくれれば言うことはないのだが。

「とは言ったものの、不安ではある、か・・・」

会長が可能と判断したことに新入り未満の見習いが口を挟もうとは思わないが、
正直に言うと今回の保守任務には一抹の不安を覚える。
勝算云々と言うよりは個人的な問題なのだが、
先ず、僕自身がチームを組んで複数と戦うことに慣れていない。
一対一や一対複数の戦闘経験はそれなりにあるが、
複数対複数という集団戦の経験がないのだ。
次に、陣営同士の戦力比。
数で見れば七人の生徒会とおよそ百人以上の【百鬼夜行】だが、
実質的な戦力でもそうかと言えばそれは違う。
こちら側で攻撃力を持つメンバーは、実は七人中で四人。
クーとツン先輩、ブーン先輩は相手を傷付ける力は持たないし、
萌奈先輩も同様なので数には入らない。
聞くところによると、
かつては生徒会が見習いだけでなく会計補佐や書記長も含めて十を越える人間で構成されていた時期もあったらしく、
それと比べるとパワーダウンしている感は否めないだろう。
もっとも、
それに関しては少ない人員でも正面戦力以外に人を割けるほどオフェンスの能力が高い、
とも取れるし、会長の判断がそこに基づいている可能性も十分にある。

「らしくもないね」

結局のところ、僕は緊張しているのだろう。
不安、なのかもしれない。
今回、会長は戦力を四つに分散させた。この数はVIP学園の校門の数に対応している。
そのうち戦力が配置されたのが正門こと南門、東門、西門。
北門に戦力を配置しないのは、
そこがVIP学園で最も危険な地帯、D棟の邪気眼使いにさえ禁域と呼ばれる場所、
高等部E棟に最も近いからである。
学園内で唯一教師の存在しない地域であるE棟には生徒会でさえ迂闊に近寄れず、
【百鬼夜行】が幾ら突っ込んでいったところで餌食になって終わりだ。
最悪、敵の数が多少でも減ればそれでいい。
E棟の連中に手を出すなら僕でも命がけ、と言われている。
何せ総数たった数十名でありながら、
生徒会を除いた学内の邪気眼使い九百余りを相手にして勝てると言われる化物揃いだ。
ある意味で到達した邪気眼使いである彼らには昼も夜もなく、おそらく心配は要らない。
担当位置は会長が正門、長岡先輩が西門、やる夫先輩が東門、
そして僕が学園中央に位置するA棟、別名中央校舎。
いざとなれば萌奈先輩の力で全員を呼び戻せるし、
僕としても実質的な戦闘は一人で行うから助かるとは言え、
戦力分散の愚という言葉が頭をよぎらないでもない。
それに────。

「守りながらの戦い、か」

輝くような校舎全体を、端から端まで見てみる。
人工の光に闇の払われた高等部A棟、その中には戦う力を持たない四人の人間がいた。
言うまでもなく萌奈先輩、ツン先輩、ブーン先輩、そしてクーだ。
会長達が討ち漏らした敵を迎撃する最終防衛ライン。
それが、今回僕に任された役割である。
厄介と言えばこれが厄介だった。
集団戦もそうには違いないが、
生徒を守るための保守任務ならともかく、他人を守りながらの戦いというのは初になる。
まあ、実際の防衛自体には、実はほとんど不安はない。
A棟内の皆が何も力を持たないという訳ではなく、
単に戦闘に不向きな力を持っているだけだからだ。
流石に負傷者の出る可能性は高いので回復役のツン先輩を戦場から外す訳にはいかず、
そしてそのためにはどうしても護衛用の人員がいる。
それも、僕のようなそれではなく、純粋に防御に特化した能力の持ち主が、だ。
VIP学園に存在する邪気眼使い曰く、
生徒会後方の双璧としてツン先輩の対を成す、内藤 ブーン先輩。
彼の保有する邪気眼“悠久境界(ホライゾン)”は『法則型(ルール)』に分類され、
『一定範囲内における自身以外の出入りを禁止する』という能力を持つ。
一度展開されれば範囲内に侵入出来る者は存在せず、
それこそ守りながらの戦い、拠点防衛には最適の邪気眼だ。
今、眼前の建物はそれによって守護されている。

「分かっていたけど、やっぱり慣れないことは緊張するね」

だから多分、これは気負いなのだろう。
闇の中にありもしないモノを想像するように、自分で勝手に重圧を感じているのだ。
失った者が重過ぎて、
失うモノがない戦いに慣れ過ぎて、
クーや、生徒会の皆や、何かを失ってしまうのが怖い。
だとすれば尚更、全力を振るえるコンディションでなければいけないのに。
これでは以前、
蛭沼を前にあえて負けるなと言わないことで信頼を示してくれたクーに申し訳がない。

「やれやれ・・・」

思わず溜息が出てしまう。





闇の向こう、獣の群が鳴いたのはその時だった。





闇夜の中にあって人造の光が照らし出す大気を渡って行く排気音。
萌奈先輩の能力のように脳裏に響く声ではない。
遠く、夜気を震わせながら迫り来る統率された集団の音、
高速で駆けるバイクの咆哮が耳朶に入り込んで来る。
方向は三つ。
西、東、南、戦力の置かれた位置だ。
まだ到達には遠い。
だが、遥か宵闇を経て届く足音は冷えた空気を打ち震わせ、
殺意を撒き散らしながら獰猛に近付いてくる。
短い間隔で二輪の機械に呼気を吐き出させながら、荒々しく、
だが群の掟に従った猛獣共が闇を駆け抜けてここに迫っている。
十や二十程度では到底足りない。
群、と言うにしても余りにも巨大だろう。
三箇所から鳴り響く排気音は近付くに連れて重なり、混じり合い、
やがて一つの馬鹿でかい咆哮になっていく。

「萌奈先パ────」
『聞こえたモナ、田中!?』

こちらが言い終える前に繋がった。

『ドクオ達から連絡が入ったモナよ!
 集団が三つ、それぞれ皆のいる門を目指して近付いてくるモナっ、
 まだ時間はあるけど気を引き締めて迎撃体勢!』
「っ・・・了解!」

興奮のせいか脳味噌を揺らすような大音声に、くらくらしつつも返事を返す。
理由はともかく相手も戦力を分散させてくれたのは有難い。
気を引き締めてその有利を生かさなくては。

『じゃあ頑張るモナよ!』

駆け足で声が遠ざかり、僕の周囲に凝固したような静寂が戻った。
しばしの沈黙。
一度、深く呼吸してから強く、右手を握る。

「来い────────“愚数配列(インフィニティ)”」

右手の甲が開眼、
僕の邪気から生まれた銀剣が創造され、校舎の照明に輝きながら手に収まる。
いつもより重い刃に、つい睨みそうな目を向けた。
刀身に返された視線には、思ったほど動揺はなかったと思う。

「・・・よし」

一閃。
感覚する重量の増した剣は、それでも鋭く夜気を断ち切った。
軽く高い、澄んだ音。
地響きの如く迫り来る咆哮の中でも、それは確かに耳に届く。

「よし」

これも経験か、戦闘を前にして意識より先に心が臨む。
指先に震えや違和感はなかった。
ならば、結局はいつも通りに戦えるだろう。望むべくもなく、それが最良だ。
高く、夜空へ向けて剣を掲げる。

「来るなら来い」

守るための戦いにも、
守りながらの戦いにもまだ慣れない。
だが、初めは皆そうだろう。なら慣れればいい。
繰り返し繰り返し、守り抜いて慣れていけばいい。
そうやって、いつか守りたいものを誰からも守れるようになればいい。

「生徒のために、保守を。
 学園のために、保守を。
 守りたいもののために、保守を」

それが約束なのだから。


『VIP学園生徒会の教え その4
 見敵必滅(サーチ・アンド・デストロイ)! 見敵必滅!』


「【百鬼夜行】────────ぼっこぼこにしてやるよ」


SIDE2 長岡 ジョルジュ


不躾にも全身に浴びせかけられる無数のライト。
その光源に乗っている者達を前にしても、彼はいつも通りの雰囲気を崩さなかった。
日暮れ久しく、宵の帳が下りたVIP学園の西門。
訪れた招かれざる客を迎えたのは、長岡 ジョルジュ。
日本では珍しいハーフにして学園高等部二年生であり、
VIP学園の治安の担い手たる生徒会の一人、役職は書記。

「やあ、【百鬼夜行(ナイト・ナイツ)】の皆さん。
 今晩は。それから、どうも初めまして」

騎士の名を名乗りつつも、眼前の集団の姿に慎みや淑やかさは感じられない。
にも拘らず、ジョルジュは紳士然と頭を下げた。
明らかに迎撃の任に就く者の態度ではなく、反って敵の方が面食らってしまう。

「お、おう・・・テメーが長岡か」
「そうだよ」

校門前に乗り付けたバイクの数はおおよそ二十。
規定オーバーで乗っていた者も含めて人数はプラス十ほど。
立ち並ぶ影から一人、男が前に出てジョルジュと相対した。

「ここにいるのはテメーだけか?」
「うん。その通りだけど」

男の背後から不満げな声が上がる。

「ンだよ、ドクオはこっちじゃねーのかよ」
「外したわね」
「なあに、本命は最後までとっておくもの。
 コイツを秒殺して他の者より早くドクオまで辿り着けばよいだけのことよ。
 ほっほっほ」

軽く振り返った男も、嘲笑めいた顔でジョルジュに向き直る。

「そうかよ。まあいないもんは仕方がねえ。
 で、だ。ここに一人で突っ立ってるってことは、状況はわかってんだろ?
 なに、悪いようにはしねえ。
 ドクオの居場所を教えて、土下座して命乞いすりゃあそれで勘弁してやるからよ。
 何なら、オレたちのチームに入れてやってもいい」

自分達の有利を信じて疑わない。
だから相手を蔑んで反省しない。
そんな人間を前にして、しかし、それでもジョルジュは表情を崩さない。



「ねえ、君達。
 そんなことよりおっぱいについて語り合う気はないだろうか?」



表情は崩さないままで、そう言い放った。発言から四、五秒ほど時は止まる。

「・・・・・・は?」

おそらく、その場にいた三十人余り、第一声と心境は共鳴しただろう。

「テ、テメー、今なんつった・・・?」

動揺は最初より大きい。

「ああ、すまないね。聞こえにくかったかな?
 そんなことよりもおっぱいについて語り合おうと言ったのだけど」

男の背後が盛大にざわつく。

「イカレてるのか・・・・・・この状況で?」
「おっぱいうめぇw」
「みんな落ち着いて、これは長岡の罠よ!」

様々な反応に対して、ジョルジュはさも予想外、と言いたげに首を傾げた。

「うーん。皆どうしたんだろうね?」
「テメエのせいだろうがっ!」

思わず男が突っ込みを入れる。

「こ、このヤロウ・・・! 人が下手に出ていれば付け上がりやがって!」

君は一度でも下手の意味を辞書で調べたことがあるのかい?
と言うこともなく、ジョルジュは至って真面目に口を開く。

「勿論だとも。いいかい? 君達。
 おっぱいの中にはね、小宇宙(コスモ)が詰まっているんだ」

真面目に口を開いて、そう言った。
開いた口が塞がらない敵を前に、一人だけ口を開閉して話を続けるジョルジュ。

「先ずはおっぱいの弾力性と吸着性について考えて見るといい。
 理想的なおっぱいが持つしっとりと手につくような肌触りと、
 それでいてほんの少しでも余計な力を込めた時の弾かれる感触。
 まるで抱擁と拒絶、
 さながら女心そのもののようなギリギリの境界線で行われる駆け引きには、
 それだけで無限の可能性があるとは思わないかい?」
「・・・はっ。テ、テメー何言ってやがる!」

氷結解除された男が言うも、
ジョルジュは話しながら頬を熱くさせていて気が付かない。

「そうさ、おっぱいには無限の可能性が詰まっているんだよ!
 夢、希望、ロマン・・・・・・あの谷間には男が求める全てがある!
 だから話し合おう。
 おっぱいの持つ無限の広がりの前には、
 戦いや敵意なんてどうでもよくなってしまうからね。
 チームになんか入らなくても、
 おっぱいについて深く語り合えばそれでボクらは友達さっ!」
「なっ・・・」

豹変、と言っていいものか。
テンションを急上昇させたジョルジュに絶句する男。
その時、小気味良く手を打ち合わせる音が鳴り響いた。

「おや?」

ジョルジュが目を向けると、
男の背後に立ち並ぶ影から一人、別の男が出てくる。
粗野、または華美な出で立ちの者が多い【百鬼夜行】の中にあって、
一般人と比べても落ち着いた、まるでジョルジュのような雰囲気の人物だった。
まだ青年の域にある、鋭角なレンズの眼鏡をかけた男である。

「なるほど、なるほど。貴方はどうやら、なかなか話の分かる人物のようだ」

先にいた男を開きかけの扉のように押しのけてジョルジュと相対する彼。
興味深げに、
だが失礼にならない程度にさっとジョルジュの全身を見回すと、手を差し出す。

「VIP学園の長岡 ジョルジュ。
 噂には聞いていたが、
 かなりのおっぱい紳士────否、格の高い『神士』とお見受けする」

ジョルジュの発言はともかく、現時点で敵同士であるのは間違いない。
しかし、ジョルジュは笑って手を差し出した。

「そちらこそ。名前を聞いてもいいかな?」
「高田 スミス」

彼は誇らしげに名乗った。

「なるほど、君が・・・・・・それとなく話は聞いているよ。
 詳しくは知らないけど、ある分野の乳談義では他の追随を許さない、と」
「それほどでも」

親しげに交わされる会話に、周囲の人間はまたしても固まっていた。
これはこれで異界とも言える。
邪気にさえ迫る濃密な何かが、二人の間で空間を形成していた。

「オ、オイ高田! テメエ、いきなり敵と何してやがるっ!」

先程の男が慌てて怒鳴るも、
握手をしたままの二人は離れない。

「何だお前は。
 歓談する紳士の間を邪魔するなど、恥を知れ」
「まあそう言わずに。彼も話に加わればいいだけのことじゃないか」

ジョルジュの言葉に、
むしろ味方のはずの高田の方が男に侮蔑するような視線を向けた。

「いや、こいつらは駄目だ。まるで駄目だ。
 そう長い付き合いではないが、
 必死の啓蒙にも関わらず誰一人として乳の深遠に臨もうとしなかった。
 口から出るのは普通の性交や女の股ぐらにアレを突っ込むことばかりで話にならない。
 味方ながら嘆かわしい限りだ。こいつらときたら、まるでそびえ立つ男根のようだよ」

やれやれ、と高田は首を振る。

「そうか。それは残念だったね。
 だけど、こう言っては何だけど別にいいじゃないか。
 こうして偶然にも二人のおっぱい紳士が出会ったのだから、
 孤独を嘆くよりもその終わりを喜ぶべきだとボクは思うよ」
「おお・・・流石は紳士だ、言うことが違う」

眼鏡の奥を潤ませる高田と、優しく見詰めるジョルジュ。
高田は一度眼鏡を外して顔を拭うとすっきりした、
だが確かな意思の強さを宿す瞳でジョルジュに向き直った。

「ありがとう、長岡 ジョルジュ。そうだな。貴方の言うとおりだ。
 おっぱい紳士とは理想を求めて止まない者、
 今見た乳から次の乳へと終わらない探求の道を前へ進む者のことだった。
 孤独とはこうも心を荒ませるものなのだな。
 そんな簡単なことさえ、久しく忘れていたよ」
「理想とは常に原点に立ち返ってこそ見えるものさ。
 気にすることはないよ、高田君」

強く手を握り合う二人。
高田は大きく頷き、数秒、背後を振り返った。

「ああ。何と言うべきか、実に救われた気分だ。
 今日は乳について語り明かそう。貴方とは有益な一時が過ごせそうだ。
 何、心配は要らない。後ろの連中は、私が紳士の名にかけて説き伏せよう。
 『紳士争わず』、VIPの安全は保障する」
「ああ。それは助かるなあ。ありがとう、高田君」
「何、このくらい軽いものだ」

ようやく、二人は握手を解く。両者笑顔。
高田はただただ呆然としている背後の者達へ向けて歩き出した。
高田が横を通り過ぎた男は声もない。
自分で酷評した仲間の横を通り過ぎた高田は一瞥もせず、
まだバイクの横で立ち尽くしている者達の所へ歩もうとして、ふと立ち止まった。
悩むように顎に手を当てたあと、ジョルジュへ向けて振り返る。

「ああ・・・ところでだ、長岡 ジョルジュ。
 この後の乳談義での最初の議題だが、
 『乳は何歳のものから乳か?』というのはどうだろうか?
 中々線引きの難しい内容、是非とも貴方の意見を聞いてみたい。
 ちなみに、最近は日本子女の発育も良く、
 私としては最小で8歳からなら────────」



最後まで言い切ることなく、高田の体が夜空に舞った。



男性としては平均以上の身長が斜めに吹き飛び、
星の照る夜空に漆黒の軌跡を描いた後、長く弧を引いて落下する。

「あべし!?」

VIP学園の敷地外、硬い路上に顔面から激突して初めて発せられた声が遠く聞こえる。
そのまま更に二回ほどバウンドして高田は沈黙した。
遅れてアスファルトの上に眼鏡が落ちる。
その軽い音で、場が動き出した。

「な、な、な・・・」

最初に相対した男がジョルジュを震える指で差し、
声に出そうとして驚愕に邪魔される言葉を言おうとする。

「貴様もか、ブルータス」

静かに、それでも深く場に響く声。
高田を殴り飛ばしたジョルジュの肉体は、大きく変化していた。

「カップでもハリでもツヤでもなく、年齢でおっぱいを語るなど・・・・・・しかも八歳だと?」

変化それ自体は部分的だ。
ジョルジュの左腕────肘と手首の間に赤く光る眼を開いた腕────の肥大化。
たが、その肥大化の度合いが異常。
通常、人間の片腕が体積に占める割合はどう大きくなったところで数分の一以下。
人体の構造上、それを越えれば支障をきたすから当然と言える。
しかし今、
『寄生型(パラサイト)』の位置に邪気眼を宿すジョルジュの左腕は、
足よりも長く太さは数倍、皮膚の上に小さな蛇のような血管が無数に走り、
半身を隠しかねないサイズにまで膨れ上がっていた。

「“豪腕咆哮(ソウルシャウト)”」

ぽつりとジョルジュが呟き、
殴り飛ばされた先でぴくりとも動かない高田を見やる。
一転、芯から冷えるような視線だった。

「この敗北主義者(ペタ好き)の敗残兵(ロリコン)め。
 おっぱいとは見守り、育て、その結果で初めて評価するもの。
 貴様は紳士失格だ・・・・・・貧乳死すべし」

言いながら、頭蓋でも砕きそうな強さで手を握る。
頭ほどもある拳に血流が集まり、ジョルジュの怒りを示すかのように赤くなった。
握り締めた拳を軽く地面に置き、【百鬼夜行】へと向き直る。

「な、あ、ああ、や、やめ、やめ・・・」

始めの男が、驚愕から、引きつった顔で何かを言おうとした。
小刻みに体を震わせながら、一歩ジョルジュから遠ざかる。
ジョルジュは無造作に、その分だけ間合いを詰めた。

「や、や、ややや、や────────やっちまえっ!」

繰り返した思考停止にいい加減慣れたのか、
それとも働かない頭が生存本能に突き動かされたのか。
兎に角、男はどうにか声を絞り出すことに成功し、
それによって弾かれたように他の者も動き出した。

「こ、このっ、このおっ!」

男の手に鞘のない長刀が出現する。
刀身に波紋はなく、照明がなければ暗闇に溶け消えそうなほど黒い。
男は震えを押さえ込むように刀を腹の位置に構えると、渾身の力で突き出した。

「“如意刀(モノホシザオ)”ォオッ!」

絶叫と同時に、ジョルジュに向けられた切っ先が伸びた。
いや、刀身全体の体積が増えるかのように鍔の辺りから伸びて行き、
光沢のように微かに照明を反射させながら突き進む。
二人の間はもともとそう離れていない。
到達までに半秒もあったかどうか。

「おっぱい!」

その、己を貫かんと高速で迫る刀身を、
ジョルジュは咆哮と共に豪腕で横殴りに折った。

「なっ!?」

一瞬で攻撃を破られた男の背後から、影が二つ飛び出す。
ニット帽を被った少年と、VIP学園とは違う学ランを着た男子。
少年は手にナイフを握り、学ランの男は鈍く輝く拳を掲げている。
男の左右から抜けた二人は終点で交錯するように弧を描いてジョルジュへと走り、
一つ息をついたばかりの彼へと腕を突き出した。
避ける間もなく、
また高速の移動には絶望的に向かない体形となったジョルジュに回避できるはずもなく、
咄嗟に肥大した腕を盾とする。

「“殺刃蜂(キラービー)”ッ!」
「“鋼我拳(アイアン・ナックル)”!」

敵二人の邪気眼がジョルジュへと突き立てられ、
見守るようにほんの僅か、場が静止した。
だが。

「おっぱい! おっぱい!」
「「ば、馬鹿なぐぁぁあああ!?」」

突き立てた攻撃が弾かれ、
ジョルジュの掛け声と共に傷一つついていない豪腕に腹を打ち抜かれて吹き飛ぶ。
高田のように弧は描かず、直線で味方とバイクの列へ突っ込んだ。

「・・・む」

その光景を視界に納めながらも更に攻撃が続くかとジョルジュが視線を巡らせた先、
バイクが薙ぎ倒されたせいで光源が減り、暗さを増した中空に二つの輝きが浮かぶ。
まるで対をなすかの如き赤と青の球体。
直下には制服で身を飾った女生徒が二人、
頭上へと手を掲げ、ジョルジュに敵意を燃やしながら邪気を注いでいる。

「“焔花(ファイア・フレア)”」
「“凍気氷結(フロスト・ダスト)”」

見せ付けるように邪気眼の名を唱えると同時、
赤色の花弁を中心へと収束させた花火が轟と唸りを上げ、
内側へ渦を巻いた冷気の鉄槌が完成する。
二対四つのジョルジュを見据える瞳が収縮。
たおやかな腕は同調したように振り下ろされ、
次いで二種のエネルギーを宿した球形が炸裂した。
大気に微量に交じる物質を焼き尽くし、あるいは凍結させ砕きながら並走。
剛弓に引かれた鏃のように迷いなく直進する。

「ふんっ!」

対して、ジョルジュは豪腕を直下へと下げた。
VIP学園の校門前、舗装された地面が貫かれ、コンクリートの塊が抉り出される。
掴みだしたコンクリート塊を気合と共に拳で圧縮、
すり潰したような音と共に塊が二つに割れた。
確認もせずに左腕を後頭部の位置へ置き、足を引く。

「んんぉぉおおおおおっぱいいいいいいっっ!」

豪腕一閃。
一辺数十cmのコンクリート片と化した物体が二つ、
腕をカタパルトに砲弾として打ち出される。
飛来する球体との相対速度は高速道路での事故のそれ。
接触の一瞬後、
炎の花は中心を打ち抜かれて吹き飛び、氷の花は芯から打ち砕かれて四散した。
二色の花がジョルジュと彼らの中間で咲き誇り、黒の虚空へ消えていく。

「「んなっ・・・!?」」

邪気眼VS建築素材。勝者、コンクリ。
現実に否定的な邪気眼使いでも動揺するなと言うのは酷だろう。
能力を打ち破られた二人は肉体的なダメージがない分余計に深く精神に傷を負い、
敵前だというのに膝を屈する。
そこで場の空気が止まった。

「・・・・・・」

両者無言。
だがそうせざるを得ない沈黙と、優位に立つ者の纏う静寂では質が違う。
時間差があったとは言え5対1の条件化で敗北し、
しかも未だ相手には手傷さえ与えていない。
蓋を開けてみれば、
数の有利から命乞いまで要求した相手の実力に呻きそうになるのを堪える彼ら。
必然、無音の空間はジョルジュの方から破られた。

「『乳への夢を同じくするものはこれ父を同じくするが如き同胞なり』。
 残念だよ・・・おっぱいについて語り合えない君達と、理解し合うことは出来ない」

まだその話かと突っ込む気力の持ち主はいない。
余計なことをすればその時点で拳が自分に飛んでくる。
故に無反応なまま、現状を打開すべく放棄したくなる思考を巡らせていた。
そんな彼らの様子に気を配る風でもなく、ジョルジュが続ける。

「だから」

言いながら、豪腕を振るった。
夜気が軋みに似た唸りを上げ、何mも離れた彼らの元へ緩く風が運ばれる。
そうして全員の前髪が撫でられたのを見、
更に顔が引きつるのを確認してから、ジョルジュは爽やかに笑った。

「さあ、君達────────ぼっこぼこにしてあげよう」
7, 6

蟻 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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