戦いの夜③
SIDE4 ドクオ
戦いの夜。
VIP学園に対する邪気眼使い集団【百鬼夜行(ナイト・ナイツ)】の襲撃。
西門と東門で戦闘が起こり、中央校舎に一人が待機している中、
正門こと南門でも争いの幕は上がっていた。
増援の望めない状況、撤退の二文字を排した戦線に立つはドクオ。
VIP学園生徒会会長にして、学内最強の一人に挙げられる生徒。
彼は不退転の覚悟を胸に、珍しく熱意を燃やしながら戦火のただ中に身を置いていた。
「“風圧射撃(エアガン)”!」
「“点火爆砕(ボム・ボム)”!」
南門に集まった【百鬼夜行】の数は他の門より多く、五十名強。
彼らはその人数を以て敵を圧殺しようとし、
立ち向かうドクオとの戦いは必然に乱戦に近い様相を呈していた。
あちこちで邪気眼による攻撃の余波が巻き起こり、
噂に名高いVIP学園の生徒会長を仕留めようと味方さえ巻き込みかねない攻撃を続ける。
「っしゃああ!」
気合を夜気へ叩きつけながら加速。
ドクオは左右へぶれながら銃口から放たれる空気の弾丸を避け、
投げつけられた導火線つきの球体を蹴り返した。
「「へ・・・? って、うぎゃああああ!?」」
速度をつけて送り返した『具現型(アームズ)』の邪気眼が炸裂し、
爆圧と火炎を撒き散らす。
巻き上げられた粉塵と熱波が顔を襲うのを腕でやり過ごしながら、
遮られた視界の先で展開する動きを聴覚が捕捉。
相手の味方数名を巻き込んだ爆発から二秒、
間隙を埋めるように邪気の重圧が襲ってくる。
「“闇髑髏(アサシン)”」
「“螺旋階段(スカイウォーカー)”」
漆黒の髑髏(どくろ)仮面を装着した『見えているのに認識出来ない相手』を声と足音、
粉塵を割って姿を現した際に生まれた空白から位置を割り出して蹴撃。
「おらよっ!」
「ば、馬鹿なっ!? 見えていないはずなのにぃぃいい!」
見えないままに上方へと蹴り上げ、
空中を走って頭上から襲い掛かって来た、自分と同じくそれを認識出来ない相手へと叩きつける。
「がはあっ!?」
視線は前を向いたまま。
撃墜した相手には一瞥もくれずに足を戻し、
「“速射砲(クイック・ドロウ)”!」
「っとお!」
咄嗟に首を捻って晴れた粉塵の隙間から放たれた銃弾を掠めさせる。
「この・・・墜ちろ!」
「お断りだ!」
眉間、左肩、心臓、左足。
秒間に四度撃ち込まれる弾丸を、
銃口から弾道を見切って体をずらすことで紙一重で回避。
邪気眼のくせに銃の構造には忠実なのか、
都合三秒で全弾撃ち尽くした相手が補充をするまでに駆け寄って一撃。
「ば、化物・・・」
側頭から衝撃を叩き込んで意識を刈り取る。
崩れ落ちる相手には目もくれずに周囲を見渡すと既に視界は晴れ渡り、
周囲は他の邪気眼使いに囲まれていた。
「なるほど、流石は音に聞こえたVIPの会長。一筋縄ではいかぬようだな」
「なあに、恐れることはない。所詮、今やられた連中はオレ達の中でも雑魚。
あの程度の相手ならオレが真の力を解放すれば一ひねりよ」
「その通りだ。奴らなど所詮は下っ端に過ぎん。どれ、次はこのオレが行こう」
「いやいや。次はオレが」
「いいや、オレだ」
円陣の中心にドクオを据えて好き勝手に騒ぐ彼ら。
面倒臭そうに彼らを見たドクオは、拳を握って息を吐いた。
「どうした、オメーら。早く来いよ。
VIPの会長の首はここだ────────づっ!?」
激痛。
視界に邪気眼使い達を収めながら挑発の文句を口にする途中、
脳裏に氷塊を挿し込まれたような痛みが発生する。
「“架空認識(ファントムペイン)”。捉えたぜ?」
ドクオが突き刺されるような痛みと悪寒に歯を食いしばる中、
円陣の一角をなす男と目が合う。
「よおおしよくやった! 次はオレ様にまかせな。
ぬぅぅうううんっ────────“不定流動(フレキシブル)”ッ!」
薄く笑みを浮かべる男の横、
別の男が高らかに叫び、拳で地を打った。
ぐわん、と音がして大地が揺れる。
「しまっ・・・うお!?」
身を捩りたくなる痛苦に抗ってドクオが飛び退こうとした瞬間、足元の抵抗が激減した。
まるで泥沼か何かのような感触に視線を落とすと、地中に足が沈んでいる。
「なっ、こんクソ・・・!」
固体を踏んでいる感覚がない。
だがドクオの足を捕らえた大地は液体とも言い難く、
急速に沈まない代わりに水をかくようにして動くことも出来なかった。
必死の抵抗で足を動かすも、抜け出そうともがく程に沈みこんで行く。
「“土石竜(アースダイバー)”・・・なんだな」
焦るドクオの背後でくぐもった声がした。
振り返ると、地中から生えた人間の頭部。
防毒マスクのような物を装着しているせいで性別は判別できない。
「ぐふ」
それが彼または彼女の笑い方なのか。
レンズの奥に微かに見える目が三日月に歪んだ。
瞬間、半液体化した地面から腕が生える。
「な・・・うおおお!?」
地中を移動出来る邪気眼の保有者なのか、
二本の腕は魚のような速度でドクオの両足に食らいつき、思い切り下に引っ張った。
自重だけでも沈んでいたところに一気に力が加えられ、腰の辺りまで沈められてしまう。
「ヤロウ!」
せめて拳を叩きつけようと上半身ごと振り返るも、既に地中に消えている。
慌てて顔を正面に戻すも、既に遅い。
「これで止めだ、“真空掌(サイコキネシス)”!」
「眠りなさい・・・“不快音波(ラブコール)”」
「脳漿をぶちまけなァッ! “打ち殺し(バット・エンド)”ゥッ!」
「神の浄化を────────“神聖剣(ディヴァイン・ブレード)”!」
「神雷召喚! “轟天雷(トール・ハンマー)”!」
閃光と轟音。
全方位から必殺を期して放たれた数多の邪気眼が視界を染め上げ、
衝撃に意識が混濁する中でドクオの聴覚を蹂躙した。
「ちっ、ちくしょおおおおおおーーーー!!」
叫びと共に、意識が途絶える。
「・・・・・・やったか?」
過剰殺戮にさえ思える集中砲火。
ちょっとした大穴の出来た円陣の中央を見据えて、
【百鬼夜行(ナイト・ナイツ)】のメンバーの一人が誰にともなく言う。
「いや、流石に死んだんじゃないの、これ?」
「これで生きてたら人間とはいえねーだろ、常考」
「むしろ、ちょっとやり過ぎた感があるな」
「悲しいけど、ここって戦場なのよね」
着弾地点は未だに煙を上げている。
周辺の地面までが焼け焦げ、砕け、抉り取られたようになっていた。
邪気眼使いと言っても通常の肉体は生物の域を超えるものではないから、
それ程の威力が直撃して生きていれば悪夢でしかない。
のだが。
「「なんつってw」」
声は上空から聞こえた。
影。
星空と彼らの間が跳躍した物体に遮られ、
彼らの頭上で宵の帳の一角が切り取られる。
「めごす!?」
「べらむ!?」
悲鳴は二つ。
振り仰ぐと同時に脳天に踵を落とされた二人が昏倒する。
固い地面に向けてどう、と突っ伏した。
「何だと!?」
残りの者達が驚愕に叫ぶ。
同時に傷一つないドクオがしゅたっ、と降り立った。
「貴様、何故生きている!?」
「いや、ちょっと待て、アレは幻覚か・・・?」
無理もない。
自分達の必殺を雨と叩き込んだ相手が無傷で立っているのだ。
直撃は確認しているため、瞬間移動の類という線はない。
驚くなと言う方が無理だろう。
いやそれよりも。
「「ちょw 『何故生きている!?』とか、殺る気マンマンかよww」」
僅かのずれもない音声混合(ハーモニー)。噴き出した顔は左右に一つずつ。
ここがアトラクションの類なら鏡の迷宮でも疑うところだろう。
二重の意味であり得ない事態に固まる彼らの視線の先。
そこには、ドクオが『二人』いた。
「二人いる・・・!」
一人、誰かが呻いた。
その声にドクオ達が顔を向け、どういうつもりかぺこりと頭を下げる。
「どーも、ドクオでーす」
「ドクオ・ツヴァイでーす」
すぱん、と最初に名乗った方のドクオがもう片方をはたいた。
「ってオメー、ツヴァイってなん────」
「“斬切舞(カマイタチ)”」
言い終わる前に圧縮された風の刃が放たれ、ドクオ(Ⅰ)の胴を両断する。
かと思うと、分かれた上下が煙のように消え去った。
「あ、兄者ぁあああ!?」
「“異界入門(ミステリーサークル)”」
残りも、
叫んでいる最中に足元に展開された不可思議な紋様の中に飲み込まれて消え去る。
両方とも痕跡さえ残さずに、かつ彼らの目の前で完全に消滅した。
片方は胴を両断されながら、血も流さずに。
「・・・・・・・・・」
場に沈黙が下りる。
やがて誰からともなく口を開いた。
「やった・・・のか?」
「片方は完全にこの世から消したわよ?」
「こっちは胴体を輪切りだぜ? あれで生きているはずがねえ」
「だが、人間の死に方ではなかった」
「邪気眼・・・か?」
「そうとしか考えられん」
無音が破れるとにわかにざわつき始め、
不安が伝播するかのように広がって行く。
「誰かアイツの邪気眼のこと知ってるヤツはいないのかよ?」
「無茶言うな。
VIPの会長の邪気眼の情報なんて、学園内ならともかく外じゃあ出回らねーよ」
「金払って買うレベルだぜ。
他人の邪気眼をそこまでして調べる物好きはそういねえよ」
邪気眼使いは基本的に己の最強を信じて疑わない。
邪気眼とは現実の否定を経て得られる妄想の実現であり、
故にそこに現実的な分析というものは介在しないのだ。
妄想の中でまで自分がぼこぼこにされる姿を描く人間はそうそういない。
そのため、誰を相手にしようとも『勝てない相手ではない』という思考に辿り着き易く、
少数の例外を除けば、
少なくとも実際に相手と相対する前にわざわざ準備を密にするということはまずない。
余程の経験を積んだか初めからそういう性格でもない限り、この原則は動かない。
だから、あくまでも平均という見地からすれば彼らの反応も当然。
「あーあー、テステス。
レディースアーンドジェントル────────メーン!」
なれば驚愕も必然か。
「っ!? あそこだ!」
聴覚が音源との高低差を聞き取ったため、なおさら反応が早い。
いち早く気付いた者によって示された指の先、
ことさら大きいVIP学園の校門から左右に続く見上げるような高さの塀、
その上に星を背にして立つ影があった。
VIP学園高等部の男子制服に斜線の垂れ目。誰あろう、ドクオである。
更に。
「「「ご、五人いる・・・!?」」」
今度は、五人。
学園の照明を全開にしたことで濃さを減じた暗闇の中、同じ顔が横一直線に並列していた。
右端のドクオが動く。
「ドクオグリーン!」
軽く左右に足を開いて上体を左に寄らせ、
上に向けて肘を曲げた左腕の力瘤に右手をかけたガッツポーズに似た形を作る。
「ドクオイエロー!」
逆サイド。
左端のドクオが呼応するように対称のポーズを取った。
「ドクオブルー!」
右から二番目のドクオが右腕を添える形で五指を伸ばした左腕を斜め上方に鋭く伸ばし、
「ドクオ、ピ・・・ピンクぅっ!」
左から二番目のドクオが無表情なままに恥ずかしげな裏声で反対の動作を決め、
「ドクオレッドォオオウッ!」
中央のドクオがバッ、と腕を広げて顔を上向かせ、やや胸を突き出した姿勢で固まった。
「「「「「五人そろって! VIP編隊、ドクレンジャーッッ!!」」」」」
高らかに名乗りを上げる。
そこで下方から殺気が瞬いた。
「“回転木馬(ロデオドライブ)”」
「ひゃははっ! “銃弾爆撃(ガンパレード)”!」
「吹っ飛べよおお! “台風一過(ストリーム)”ゥッ!」
「弾けなさい。“膨張崩壊(バブルガムクライシス)”」
「出でよゴーレム・・・“土細工(ゴーレム・クラフト)”!」
陶器のような光沢の肌を持つ白馬がいななきと共に夜気を駆け、
通常サイズの銃弾が散弾の数で撃ち出され、
爆風のような気流が襲い掛かり、
不気味に光りながら揺らめく泡が迫り、
舗装された大地から盛り上がったコンクリートの巨人が豪腕を薙ぎ払う。
「「「「「三十六計、戦略的撤退!」」」」」
それを、
ドクオ達はある者は塀から跳び下り、
ある者は左右へと散って逃れ、またある者はぎりぎり塀にぶら下がってやり過ごす。
攻撃が過ぎるとかさかさと元の位置に集結してからレッドが吼えた。
「戦隊モノの決めポーズ中にチャチャ入れんなやゴルアアア!」
「知るかボケが! フザけんのも大概にしねーとマジでぶっ殺すぞ!」
一人の代弁に内心で全員がシンクロした。
ドクオはやれやれ、と首を振る。五人で。
「ちっ。このKYめ」
俯き、聞こえるように呟いてから顔を上げた。
「つってもなぁ。何でオマエら百人ちょいの半分以上がここに来てんだよ。
門は四つあんだから多くてもフツー三十人くらいだろ、常識的に考えて。
はー・・・・・・マンドクセってレベルじゃねーぞ。
遊び心でも取り入れないと最後までテンションもたねーっての」
「くっくっく」
と、集団の中から一人が歩み出てドクオ達を見上げた。
「真打とは遅れて、かつ正面から登場するものよ。
正面以外からの侵入とは臆病者の所業。
我輩の覇道に横道という道はない!」
微妙な決めゼリフに周囲から感嘆のどよめきが漏れる。
「アホスwww」
が、ドクオレッドはそれを一言で片付けると気を取り直すように眼下を見渡した。
「あー、まあ、もうどうでもいいわ。
取りあえず一人でだらだら相手すんのも疲れるし、オマエら一気に潰す事にしたから」
「あ?」
唐突な宣言。
既に三回ほど殺されているせいもあるだろう。
意味の理解に一瞬固まる彼らを下に、レッド以外のドクオが跳躍した。
「「「「とうっ!」」」」
揃えた掛け声で塀から跳び立ち、足場の高さに脚力をプラスして夜空に舞う。
「あの高さから!?」
驚きながらも、多くの者は素早く対応に移った。
既に二人が上空からの奇襲で沈んでいる。
加えて高さを得た相手に対しては地上と違って仲間を射線に入れることがなく、
更には移動の不可と滞空の時間によって攻撃の数と精密さが増す。
「ぐああああああっ!?」
宵の帳の中に無数の火線が引かれると、あるドクオは撃ち抜かれて煙となって流れ、
またあるドクオは切り裂かれて虚空へと溶け去り、
またまたあるドクオは砲火に晒されて空間へ消え、
最後にドクオが四肢を捻じ切られて姿を消して行く。
先に消された二人のドクオと同じ。
ただ、上空には一つだけ攻撃した者の予期しない変化があった。
「な・・・なんだあ?」
間の抜けた声になるのもむべなるかな。
雨のように降り注ぐ黒い小瓶。
先程は何も残すことなく、
まるで『服も自身の一部』であるかのように綺麗に消滅したドクオ達が、
今度は消し去られながらも隠し持っていたらしい何かを地上へぶちまける。
意表を突かれた者達はその落下を望んで身に受けるかのように呆然と見守り、
咄嗟に対応できた者もその数には抗し得ずに討ち漏らす。
黒色の攻撃は地上へ落ちるとばらばらに砕け散り、保護された中身を解き放った。
落下地点を中心に幾つもの白煙が星空へ上がる。
「な、なんだこりゃあ!?」
幸いにして今宵は夜風もなく、
白煙は流されることもなくその場に止まりながら拡散を続け、
やがて乱立する柱の群から一つのドーム状の空間となる。
「め、目が、目がァァアアアーー!!」
「げほっ・・・ごほっ・・・な、何これ、目潰し? げふんげふんっ!
ちょっ、喉も痛い!」
「ちょっと誰か早く助けてよっ!
げふぉっ、げぼっ! たぼっ、ぶぇっふぉぶ! たぼっ、ボスケテ!」
「衛生兵(メディック)! 衛生兵(メディーーック)!」
地上は数と密集が仇となって瞬く間に混乱に陥った。
阿鼻叫喚。
ドクオが青春のリビドーを気持ち数%を注ぎ込んで作った特性の催涙ガスが猛威を振るう。
「げほっ・・・よし、何とか────────ガッ!?」
どうにかガスの蔓延地帯から抜け出した者の所にも塀の上から俯瞰するドクオレッド、
ドクオが手に持った小瓶を投げつけて被害を拡大していく。
中には脱出と同時にドクオを攻撃しようとする者もいるが、
全体を見渡せるドクオと脱出してから位置を探る相手では比較にならず、
白煙の中には運を頼りに能力を乱射する者まで出始めた。
特にゴーレム使いによる被害が大きい。
ちなみにこのドクオ、ちゃっかり防毒マスクを装備していたりする。
「ドック~ドクドク~~ドックドック~~♪ ドックドクにしてやるぜ~♪」
くぐもった歌声という何とも聞き取りにくい声を出しつつ散布に励むこと数分。
懸命な労働の結果、
地上は九割がた無力化された【百鬼夜行】の面々で埋め尽くされていた。
「こ、この野郎・・・っ!」
煙が晴れた後に立つのは一割ほどの生き残り。
最初のドクオを沈めたガスマスクの人物もいたが、
重力に逆らって壁を上るほどの力はないのか能力が地面限定なのか、
攻撃を仕掛けて来ることはなかった。
さて。
戦争では死者数が一割を超えれば大敗と言うが、
果たして今の彼らに継戦能力があるものかどうか。
「コケにしやがって!」
その気概はあるらしいが、叫びには劣勢の感が否めない。
「おいおい。まだやる気なのかよ。マンドクセ」
馬鹿にするように、どころか、
それさえも面倒臭そうにドクオが言った。
それからふと思い出したように夜空を見上げ、
見詰めるような視線を送った後で気怠そうに頬を掻いてから、もう一度口癖を繰り返す。
見下げている者達との間に数秒の沈黙が横たわり、
怪訝そうな顔をする彼らを前にして溜めた吐息が吐かれた。
それを余裕と受け取ったのか、
激昂を声と放とうとした彼らとドクオの視線が交錯する。
「でもま、仕方ねーか。
全員、どのみちタダで返すつもりはねーしな」
不意に。
言い終わった瞬間、
ドクオが両手を広げると同時に夜の濃さが増した。
倒れ伏している者達の荒い呼吸が響くだけの無音に近い静寂の中で、
深淵が這って来るような闇が降りる。
星々の光が、ふっと遠のいた。
迎撃のために全開にした校舎の照明。
点けられたままのバイクのライト。
光が切り払った空間が侵食によって埋められ、宵の帳がより合わされる。
先よりも深く、厚く。
漆黒に押し包んだ箱の中で、
世界が赤黒く染まる黄昏時の不気味ささえも内包しながら何かの底が抜けた。
本来こちらからの入口にしかならないはずの出口に手をかけて、
無理やり押し広げたモノが瘴気の吐息で喘ぐ。
底抜けの異界へと正気が吸い込まれて行き、やがて狂気の化物が世界へと適応。
その場で正常な知覚を残していた者達の認識から音が消える。
端から中心へと急速に侵されて行く視界の中で、
立ち尽くした彼らは何故か死角に存在するはずのそれを見た。
高みから見下ろすドクオの背中に赤い光が生まれるのを。
氷河に身を浸すより冷たいドクオの双眸が彼らを捉え、血を引くように唇が離れる。
余りにも濃密な邪気、箍(たが)を緩めただけで光を侵し尽くすような邪心の片鱗。
ぶ厚く作り直された夜の帳が、今度はそれを成した者の邪気で内から炸裂した。
空間が広がるように光も、闇も、全てが打ち払われる。
そこには、死のような邪気だけがあった。
第三の眼が開かれる。
「“架空編隊(レギオン)”」
その現象を、何と説明するべきだろうか。
ドッペルゲンガー、という言葉がある。
もう一人の自分、
本体からエネルギーを吸い上げながらも分離自立して行動するコピーと言えば大体近い。
本体から何らかの力を吸収するが故に、
それが確認された場合は本体が衰弱して死亡することもあると言う存在。
そのせいで己自身のドッペルゲンガーを見た者はまもなく死亡するという話さえある。
しかし、そのドッペルゲンガーだが、
実は発生の瞬間を目撃したという話は少ない、または存在しない。
だからこそ。
その瞬間の彼らの思考を、
ありのままの感情を、果たして何と言って表現するのが正しいのか。
初めは頭だった。
ドクオの頭部から這うように出たそれが隣の空間へと移動を開始し、
その途中で肩、手、足と次々に体をなす部位がドクオの表面から引きずり出される。
半身を越えた所で少し手間取り、そこを越えるとずろん、と一気に排出された。
何か白い、ひどく粘つくようなエネルギーの塊。
ふるふると揺れながら主の横に生まれたそれは、
産声を上げることもなく瞬きの間に姿を変じた。
「な、あ・・・?」
そこに、もう一人のドクオがいた。
同じ顔、同じ身長、同じ服。
寸分違わず、まるで鏡から抜き出したかのように同一。
複数のドクオの出現から予想はしていただろうが、
それでもなお眼下の者達の目が驚きに開かれる。
「「分身の術」」
声を重ねてそう言うと、増殖したドクオ達はそれぞれ両手を握り合わせ、
立てた拳から人差し指と中指を天へと伸ばす。
その姿が夜気に霞むようにぶれた。
更に倍、二人のドクオの左右に同じ光景が展開される。
「「分身の術」」
両端のドクオが唱え、二人増える。
これで六人。
「「分身の術」」
三度同じことが繰り返され、八人。
それまでの最大数を上回って、しかし止まらない。
直線の端に立つドクオが増殖し、生み出されたドクオがまた別のドクオを生む。
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
繰り返し。繰り返し。繰り返し。
闇夜の空へ高々と唱え続け、遠く輝く星の数に迫る勢いで増えていくドクオ。
無限のように増殖し、夢幻の如く立ち並ぶ。
数えて数十秒、そこには百人のドクオがいた。
「・・・・・・」
そびえ立つ塀を埋め尽くすに飽き足らず、
増殖したドクオは中央から順番に跳び降りて地上まで埋め尽くした。
雲霞のように犇き、遠近を狂わせて並んだ顔がゆらゆらと蠢く。
残った【百鬼夜行】の面々は、吐き気さえ催す光景に口を抑えて蒼白になった。
「「「「「「「「必殺、百一人ドクオ」」」」」」」」
この世のどんな楽団も及ばない調和でドクオが斉唱する。
わん、と宵闇が波の様に揺らされ、気の遠くなる単音が鼓膜を殴りつけた。
声量が大きいわけでもなく、殺気に満ちているわけでもなく、
だと言うのに立つ者の足元が覚束なくなる。
中には、思わず耳を押さえて膝をつく者までいた。
「なんつってな」
一人、ドクオがそう投げかけて集団から歩み出る。
群立する同じ顔の中から一つだけが引き剥がされる動きは、
合わせ鏡の中に連なった物が一つだけ迫ってくるようであり、
空間がぐにゃりと引き伸ばされたようでもあった。
非現実じみた現実に、見る者の視覚が視界を閉ざせと訴える。
「ま、祭りの余興はこんなとこだろ」
通常、幾ら似ている人物と言ってもそこには限界がある。
何故ならばそれは他人であり、
どんなに外見が似通っていたとしてもそれでは全体の半分でしかないからだ。
仮に性格や嗜好までが近似していたところでそれは結果の話、
それまでの人生という過程が別の軌跡を描く限り、そこには『他人』という壁がある。
だが。
例えばドッペルゲンガー。
それが『自分から分裂した自分』だとすれば、どうだろうか。
ドッペルゲンガーにまつわる話の中には、本人が予定していた行動を先取りしたり、
親しい友人知人と違和感なく会話をしていたという記録まである。
自分から生まれた、
と同時に自分という存在の全てをコピーして分離した存在であるならば不可能ではない。
そこがクローンとは決定的に違う点だ。
そして、それだけにもしも、
その存在そのものが完全に同じである複数の者達を、
しかも数人どころか何十人と同じ場所にいる瞬間を目撃したら、
その時に人は一体何を感じるのだろうか。
それは、いまだ言語の及ばない領域にある感覚なのかもしれない。
「さて」
背後に自分と同じ顔を、自分という個体を何十と従えて、ドクオが言う。
示し合わせたように。
むしろ繋がっているかのような一体感で、他のドクオは沈黙していた。
同じ顔が並ぶ不気味。
本来あり得ざる違和感。
そうでありながらも完全に統一されているドクオ達。
その姿は、まるで群体を思わせる。
一にして全。全にして一。
ばらばらの個でありながらも結びつき、唯一の大いなる何かを構成して従う。
意思を放棄するのではなく、同じ意識が無数に呼応する生体組織。
故に一人の意思の下に統一される一人の集合、同一の多数。
一人の意思は皆の意思、一人の望みが全体の望み。
一の願いを全が願い、以て単一として完結する。
レギオン。
それはまさしく『数多きもの』。そして軍勢の呼び名。
「んじゃ、オメーら、覚悟は出来たか?」
ドクオが言う。
それは百の叫びを一人が読む布告。
「オレはな、平和が好きだ」
怒号を集め、束ねて固めた決意の表明。
「毎日毎日、溜息吐きたくなるぐらいの平和が好きだ。
マンドクセって言っても笑ってスルーされるような緊張感のない一日が好きだ」
怒涛が押さえ込んでいる堤防を突き崩し、溢れ出た濁流は全てを屠る。
「けどよ、平和って奴は一人じゃ成り立たねー」
敵を、敵陣を、その背後もろともに。
「世界に自分一人になったらそりゃ平和じゃなくて孤独だからな。
独身男の貴族ライフだって楽しくくっちゃべるダチがいないと始まんねーだろ?」
な? と眼前の一人に笑いかける。
威圧されたわけでもなく相手は後ずさった。
ドクオは続ける。
「だからよ、オレはダチのためにここの生徒会長やってんだ。
普段つるんでる奴と、たまに会って喋ったら楽しい奴と、
将来仲良くなれるかもしれないカワイイ女子。
平和には、そういう風に面白おかしく一緒に過ごせる連中が欠かせねー」
学園に攻め込んできた敵に向けて歩を進めながら。
「そういう連中が、オレと一緒に笑っていられるのが平和だ。
そいつらが傷付けられたり、
何かに脅えながら過ごさなきゃならないのは平和とは言わねえ」
その背後に、続く音があった。
「だから、オマエら邪気眼使いは邪魔なんだよ。
自分は最強だの選ばれた人間だの電波受信して現実を否定して、
挙句引きこもるでもなく暴れやがって。
オレはオマエらみたいな邪気眼使いがいる現実を否定するぜ」
沈黙していたドクオ達が、その後に続いて歩き出す。
「ダチを、ダチのダチのそのまたダチまで含めて守ってこその親友だ。
だからオレは生徒会長なんてマンドクセーことをしてる。
で、だ。
オマエらはオレに、
オレにとって大切な連中のいる生徒会に喧嘩を売った」
空いた場所には塀の上にいたドクオが次々と跳び下り、その隙間を埋めていく。
軍団を形成していく。
「オマエらの敗因はたった一つ。シンプルな答えだぜ」
群体の異様に声を忘れた者達が震える足で後ろへと下がるのを見据えて、
長く長く左右へと戦列を固めたドクオ達が一度、足を止めた。
「オマエらはVIP(ウチ)に手を出した」
中央のドクオが一歩、地へ向けて緩く手を広げながら先頭へ出る。
辛うじて引きつった声を上げた者共が下がろうとして足を縺れさせた。
ドクオが拳を握り、解いてからもう一度、顔の前で指をゴキゴキと鳴らして見せる。
「恋人との一夜は過ごして来たか? 脳内彼女にお別れは?
この後、お家に逃げ帰って部屋の隅で膝抱えながらガクブルして爪を噛む準備はおk?
エロゲーの予約キャンセルは? 無修正エロ動画溜め込んだパソのフォーマットは?
まだか? 正直どっちでもいい。
神様、仏様、閻魔様、アザトース、スプー、何でもいいから取りあえず祈っとけや」
高く高く高く、ドクオが告げる。
最初で最後と、そして以後に出会う他の者達にも伝えておけと言わんばかりに。
声と共に放った息を吸い戻し、
夏に向けて微かに湿り始めた夜気を吐く。
五指を綺麗に伸ばしたドクオの手が、鋭く天へ向けて立てられた。
「それじゃあ────────お前ら全員、フルボッコにしてやんよ」
号令が下る。
生徒会長、総勢百人。
友人を、生徒を、
学園を守るために鏃となった軍勢が、一体となった進軍で敵を駆け潰した。