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残党編-05【ゲット・アップ・ルーシー】

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ヤバい。ヤバい。ヤバい。ヤバいぞ、これは。
俺は今朝から一心不乱に、やる曲の音源を流しながら、ドラム・パッドをパカパカ叩いていた。
練習しなければ、胸中に渦巻く不安が消えない。
ライブまで残り六日。
しかし、バイトも宿題もある為、残り期間ずっと練習するという訳にもいかない。
暇な時間はずっと練習するぐらいの気概でなければ、まともにライブ出来るかも怪しい。
高校の学園祭レベルのイベントだと思っていた。
まさか、インディーズ・レーベルに所属するバンドが出るような本格的なイベントだなどとは思ってもいなかったのだ。
つまり、内輪だけのイベントではなく、一般客も観に来る。
当然、脱いだりそういう方向に逃げる道も塞がれた訳で。
ウチらが干される確率は飛躍的に上がった訳で。
虎子を得ようとして虎穴に入ったら、槍を持った大戦士・カルガラが殺る気満々で襲ってきたような気分だ。
チバはおそらくこの事を知っていた。
こないだサーティーワンでアキラ達と会った日の夜に、ライブの詳細の連絡があったはずなのだ。
その事を問い詰めると、チバは悪びれた様子も無く言った。
「だって、言ったら絶対ビビるだろーが。 お前、チキンだから」
当たり前だ。
ここまで来ると、あいつの危機感の薄さは病的なレベルに達してるような気がしてならない。
アスペルガー症候群とかそういう次元じゃないぞ、もう。
持ち時間は30分。
やる曲数は7曲。
ほとんどが以前にやった曲ばかりなので、覚えるのが間に合わないという事はない。
しかし、大分フレーズを簡単にしている為、原曲よりかなりショボく聴こえるのだ。
クオリティは可能な限り上げるべきだ。
出来る事なら完コピして、さらにアレンジを加える事が理想だ。
9割9分9厘玉砕する事は目に見えているが、何もやらないより遥かにマシだ。
パカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカ。
パカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカ。
パカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカ。
パカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカパカ。
「ちょっと、お兄。 パカパカうるさいんですけど。 近所迷惑なんですけど」
ジャージ姿のマドカが、いかにも寝起きといった格好で部屋に現れた。
ドラムの個人練習というのは、ベースやギターと違ってメロディーがない分、傍から聴いてるとかなりウザいらしい。
確かに、メトロノームもそれだけ聴いてると気が狂ってくるような気がする。
しかし、だからといって練習しない訳にもいかない。
「ドラムがうるさいのはしょうがないだろ。 打楽器なんだから」
「だって、お兄の叩く音、間抜けなピッコロみたいなんだもん。 聞くに耐えないよ」
マドカは、さらっと抉るような台詞を吐いた。
なんか身内にまでそう言われると本気で凹む。
パッドでも違いが分かってしまうぐらい、俺のドラムはショボいのだろうか。
「悪かったな……だから練習してんだろうが」
「え~、でももう一週間ないんでしょ? 今の時期にコレだったら結構無駄な努力な感じじゃない?」
「む、無駄な努力………!」
「あ、でも『マジック・マッシュルーム』主催って事は、当然『マジック・マッシュルーム』も出るんだよね? 『マジック・マッシュルーム』のミニアルバム、こないだタワーレコードで聴いたんだけど、カッコよかったんだぁ。 ハードコア・ファンクって云うか、ガールズ・バンドなのに超テクニカルなの。 これからきっと売れると思うよ。 まぁ、そんなバンドと対バンできるんだから、ある意味、記念になるんじゃない? お兄、チケットちょうだい!」
あ~、そうですね。 僕、全く期待されてないみたいですね。
とりあえず、うるさい妹を黙らせる為に、貰ったチケットを渡して追い払おうと試みる。
「ありがとう、お兄。 絶対観に行くね!」
「『マジック・マッシュルーム』を、だろ」
「お兄達のバンドもついでに観に行くよ」
「いや、全然フォローになってないから」
「じゃフォローしないよ」
「さっさとどっか行け」
「じゃあ居間で『スラムダンク』の再放送でも見てるよ」
そう言って、ようやく気紛れな野良猫がどっかに消えてくれた。
ああ、これで練習に集中できる。
しかし、さっきのマドカの、本気で遠慮も忌憚もない意見に、だんだんこの練習がただの自己満足に過ぎないような気がしてきた。
ドラム・パッドはドラム・パッド。
ドラム・セットはドラム・セット。
全くの別物だ。
とりあえず、普段はどういう練習をしたらいいのか。
アキラに聞いてみようかと思ったが、よく考えたら俺はアキラのケータイの番号を知らない。
番号を交換したのはチバだけだ。
チバにアキラの番号を聞いてもよかったが、そこは何と言うか、与党と接触を持つ事に引け目を感じてしまって、聞く事に躊躇を覚えた。
第一、アキラにドラムの教えを請うのは、何か癪だ。
この辺が、残党特有のプライドの高さと云うか、意固地さと云うか。
とにかく、同じ年の人間に教えを請うのは躊躇いがあるのだ。
そうだ、赤井のムスメに聞きに行こう。
この時間なら、赤井楽器ももう開いてる筈だ。
赤井のムスメなら、まがりなりにもプロだ。
教え方も上手いだろう。






「そりゃドラムセットで練習した方がいいよ」
至極当然の結論を、赤井のムスメは導き出した。
「大体、パッドとスネア・ドラムじゃ、チップの跳ねっ返り方が全然違うからね。 パッドで出来る技も、いざ本物のスネアになったら出来ないって事も多いのよ」
「はぁ」
「あと、シンバル系。 シンバル系は、同じスティック・同じシンバルでも、叩き方とか叩く場所によって本当に千差万別の音が出るから、こればっかは実際に叩いて練習しないと駄目」
「あー、やっぱそうですよね」
俺は、赤井のムスメに出された煮出し麦茶を飲みながら答えた。
なんか、酸味を抜いた紅茶みたいな味だった。
またドリンク・スタンドのバリエーションが増えてる。
その内、このドラム・コーナーはドラム喫茶になるんじゃないかという進化の仕方だ。
「ウチは個人練習だったら、スタジオ割安で貸し出してるからよかったらどうぞ。 土日祝日は割り増しになるけど」
「じゃあ、それ、これからライブまで毎日お願いできますか?」
「バンド練習とは別にって事ね。 まぁ、予約の入ってない時間帯だったらいいわよ」
「あと、もう一つお願いがあるんです」
「うん?」
「俺のドラムを、クリニックして欲しいんです」
「あ~、クリニックね。 ホントはドラム・レッスンっていうのがあって、そういうのはお金取るんだけど、どうせ初回は無料だからいいわ。 タダで見てあげる」
「ホントですか!? お願いします!!」
俺は意気昂揚として言った。
俺は、自分のドラムを客観的に聴いた事がない。
第三者に聞いてもらえば、もっと自分の弱点みたいな部分が見えてくるはずだ。
「ちょうど今スタジオ空いてるから使ってみる?」
今から、か。
どうせバイトまで時間はある。
せっかくここまで足を運んだのだから、ついでにドラムを叩いてゆくのもいいだろう。
プロにクリニックされる事に緊張があるが、それだけのメリットはあるはずだ。
「そうですね。 じゃあ」
俺は鞄からスティック・ケースを取り出すと、スタジオに案内してもらった。






「ふむ。 ふむむむむむ……」
俺の一番得意な、一年の学祭からやり込んでる曲目のドラムを披露したわけだが。
披露された俺のドラムを聴いた、赤井のムスメの第一の反応がまずそれだった。
一番得意な云々の前に、俺のドラムに根本的な問題があるのかもしれない。
「あ~……どうですか、俺のドラム……?」
「ふむ、タカタカくん。 一番得意な云々の前に、君のドラムには根本的な問題があるわね」
やっぱりか。
「独学のせいか、フォームが悪いわ。 腕全体で叩いてる。 まぁ、腕で叩くのはプロのドラマーもよくやってる事だから否定はしないけど、音の性質を左右するのはむしろ手首から先の動きよ。 ここがしっかりしてないと、どんなに力を込めても大きな音は出せない。 特に、ロック系の曲だと爆音が欲しい事が多いから、大きい音を叩く為にもフォームの改善を勧めます」
確かに、それはチバにも言われた事だった。
ユゲとチバの爆音コンビがフロントマンを務めるウチのバンドの中で、俺の音は目立って小さい。
奴らの音に対抗するには、俺も爆音が出せるようになる必要があるのだ。
「ちょっと見てて。 ちょっと私が叩いてみるから」
赤井のムスメは、俺からスティックを受け取ると、ドラムの椅子に腰を掛けた。
スティックがリズムを刻み始める。
シンプルで、迷いの無い8ビート。
しかし、そのショットは鋭くスネアを貫き、シンバルは爆発するような衝撃音を発する。
頼りない俺のドラムと違い、そのドラムには音的にもリズム的にも抜群の安定感があった。
聴いている内に気づく。
細部は若干違うものの、これは俺が今やった曲だ。
見よう見まねで、赤井のムスメが今やった曲を再現して見せたのだ。
同じプレイでも、やる人によってここまで差が出るものだろうか。
「『ハート・ビート』って言葉があってね」
赤井のムスメは言った。
「ドラムで大切なのは、フラムだのゴーストだのっていう細かな装飾音じゃない。 一発のバスドラ、一発のスネアを大切にする事。 テクニックに走りだすと、ついその事を忘れがちになるけど――――」
言いながら、ムスメはスネア・ドラムに一発、リム・ショットを打った。
射抜くような、突き抜ける音だった。
「一番難しいのは、ファンクな16ビートでも、メロコアな4ビートでもない。 シンプルで誤魔化しの利かない8ビート。人間が誰しも持ってる、心臓のリズムよ」
「――――――――」
「何故ってそれは、飾らないありのままのビートだから。 例えば、人間だって服を着なければ、ただの毛の無い猿。 服を着たり、化粧をしたりして着飾らなきゃ、個性を出す事が出来ない。 だからみんなテクニックに走るの。 裸一貫でいるのが怖いから、誰も愚直な8ビートだけで勝負しようなんて思わない」
「――――――――」
「タカヒロくん。 正直、一週間で出来る事には限界がある。 ドラムは反復練習が基本。 多分、一週間じゃ小技の一つもまともに出来るようになるのは無理。 まして、アキラ君に追いつこうなんてのは不可能中の不可能よ」
「――――――――」
「でも、8ビートだけなら。 爆音の8ビートをマスターするだけなら、不可能じゃない。 そしてそれは、潔さが信条のロックン・ロールにおける最終形よ」
『チャチなオカズとかいらねーから、もっと潔くてデカイ音を出せるようにしてこいよ。』
チバの言葉が脳裏に蘇った。
まさか、同じ言葉をプロのドラマーの口から聞く事になろうとは。
あの男は、頭がイッているように見えて、物事の要諦を掴む才能を持っているのかもしれない。
「赤井の……じゃなくて、赤井さん。 今日から一週間、毎日俺にレッスンしてもらえませんか? ライブまでに、爆音のを8ビートを出せる様にしたいんです」
「ドラムのレッスンは、月に3回で7000円よ」
「あう」
「それに、言ったようにドラムは反復練習が基本。 毎日レッスンしてもあんまり意味ないの。 教わる事よりそっからの復習が大事だから」
「そうですか……」
それは確かにそうだ。
教わってすぐに身につけれるような器用さがあれば、俺は今頃残党には(以下略)
「それでも、毎日それをやる覚悟があるなら、特別に短期プランを組んであげるけど」
「赤井さん」
「あれ、名前まだ言ってなかったけ? カナメよ。 赤井カナメ」
「あ……。 よろしくお願いします、カナメ先生」
「いいって事よ。 アタシも、自分達のライブのオープニング・アクトには頑張って欲しいしねぃ」
赤井カナメが親指を突き出す。
ウンチクばかりでウザいと思ってた赤井のムスメが、今はやけに頼もしく見えた。





夕方からはバイトが入っていたが、ドラムの練習で集中力を使い果たしてしまった為、全く以て仕事に身が入らなかった。
昼間は5時間近くの間ずっとドラムを叩き続け、徹底的にフォームの矯正をされた。
この2年間で身体に染み付いた悪い癖を抜くのは尋常な事ではない。
『やっぱり赤井のムスメはウザかった』と思わせるほどの苛烈な修正劇により、爆音とはいかないまでも、何とか並のドラマーの音を出せるようになったのだった。
「ドラマーに必要なのはね、何よりも自信よ」
カナメさんは言った。
「自分がバンドを支えるんだっていう自信。 バンドのリズムを支配する自信。 俺がお前らのリズムに合わせるんじゃねぇ、お前らが俺のリズムに合わせろっていう、傲慢なエゴイズム。 その自信を培うのは、あくなき練習量。 もちろんドラムにも才能だの感性だのってものはある。 でも、ドラムの腕を最終的に決定付けるのはどれだけ長い間、ドラムを叩いてきたか。 ギターとかベースに比べて、ドラマーは感性に左右されるファクターが少ない分、努力の差が如実に出る」
「――――――――」
「逆に言えば、それだけメンバーからの風当たりの強いシビアなパートよ。 ドラムは自分のリズムを他の楽器に押し付けるパート。 自分がいなければ練習さえ出来ない、責任感の伴なうパート。 それを裏打ちするだけの練習量が見えなければ、他のパートはついてこない。 初心者の内はその風当たりは特に強い」
「――――――――」
「タカヒロくん、上手くなりたかったら、死ぬほど練習する事。 何より、一日10分でもいいからスティックを振る事ね。 一日怠れば、覚えた事がどんどん身体から抜け落ちていってしまう。 本来、ドラムとしての自信を身に付けるのに、一週間は短すぎる。 どこまで出来るかわからないけど、私も出来る限り協力するから」
そして今僕はここでバイトしています。
シフトは急には変わらない。
しかし、とりあえず残り一週間は『宿題のため』と適当な事を言って休みを取った。
実際、宿題も窮地には違いない。
昼間にはドラムの練習、夜にはその復習。
宿題をやるには寝る時間を削ってやるしかない。
今週一週間は、最高にハードなスケジュールになりそうだった。
「夏ももう終わりだってんのに、カポー共が溢れててムカつくなー。 カポー共はイチャつくなら人様の目に入らないようにラブホ行け、ラブホ。 入ったまま出てくんな。 死ね」
と、呪詛の言葉を吐いたのは俺ではない。
シフトが同じだったサリナだ。
ウチの店は、性質上、ファーストフード兼喫茶店なので、客層はいわゆるカップルが多い。
まぁ俺のその手の寂しい身なので、そういった人種に対する嫉妬感と言うかジェラシーというものはある。 死ね。
「あー、夏休みもあと一週間かー。 タカヒロは宿題終わった? あ、その前に例のライブか」
「そうなんだよ……。 今日から毎日、スタジオ借りて練習」
「大変だよな~。 『ステロイド』はともかく、『マジック・マッシュルーム』の前座ってのが。 向こう一応プロだしね」
「なんで学園祭バンドがプロの前座なんかになったんだよ…」
「『ステロイド』は、外のライブハウスでも演ってる外バンだよ。 この辺りじゃ結構知名度もあるみたいだよ? 『マッシュルーム』のギターボーカルが軽音のOBでさ。 そのコネでエノケン達にも声がかかったって訳。 『マッシュルーム』の事務所関係の人も覗きに来るみたいだから、『ステロイド』は自分達を売り込む為に必死な感じだって」
「マジで? あいつら、プロ目指してんのか。 道理で上手い訳だよな」
音楽業界のプロも覗きに来るのか。
確かに、アキラのドラムは学園祭の有志演奏のレベルじゃなかった。
アレは、日頃のライブ活動で培われたもんだったのか。
俺達はなんつーイベントに参加しちまったんだ。
学園祭レベルでも底辺に位置するランクだというのに。
「ヴァーカルのリュウジは結構この機会に賭けてるみたい。 でも、正直、エノケンとアキラは微妙なんじゃないかな。 あいつらは別にミクスチャーが好きな訳じゃないし、もっとファンクな音楽がやりたいって言ってたよ」
リュウジ。
その名前で思い当たる奴は一人しかいない。
同じクラスの佐伯龍二だ。
右耳に七連ピアスを開けて髪もツイスト・パーマかけてる、どっからどう見ても立派なヤンキーだ。
俺の記憶によると、チバ以上のダミ声だったような気がするが。
あいつが『ステロイド』のヴォーカルだったのか。
いや、そんな事より。
「そう云えば、こないだもエノケンとアキラと一緒だったよな。 どっちかと付き合ってんの?」
ぶっちゃけ、サリナがどっちかと付き合ってるか否かはどうでもいい。
この質問の結果として、『アイツはナオコちゃんと付き合ってる』という答えが返ってこないか否かが問題なのだ。
「はぁ? アタシがあいつらと付き合ってる訳ないじゃん。 エノケンと私は、幼稚園の頃からの幼馴染って、それだけ。 あんな筋肉馬鹿と付き合う訳ないし」
「は、幼馴染? 幼馴染って、“はじめちゃん”とか“浩之ちゃん”とかいう、アレか?」
そんな人、今までの人生で初めて見た。
「そんな訳ねーだろ! 大体、あん中で付き合ってる奴なんて一人もいないよ。 アキラはエノケンのダチで、ナオコはアタシの連れだから仲良くなっただけ」
そ れ が 聞 き た か っ た ん だ よ!
ふむふむ、それなら問題ない。
エノケンとサリナは放って置けばいずれくっつく。
『幼馴染』はヒロインの最強属性だからな。
問題はアキラとナオコちゃんだ。
4人グループで一組カポーが出来ると、つまはじきにされた残り二人は次第に意識し始める。
そしたらアキラとナオコちゃんがくっついてしまう。
それはよろしくない。
攻勢に出るなら、それより前に出なければならない。
俺の中で、ナオコ攻略ルートが着実に構想され始めた。
その時だった。
のそりとした、色黒の小太りが、トレイを持ってレジに並んだ。
「あ、いらっしゃいま――――」
俺が接客トークと同時にレジにつこうとした瞬間に、その小太りは、無言でトレイをレジから退いた。
「…………?」
俺は変に思ったが、まぁ会計でないのならと自分もレジから離れた。
そうしたら、また小太りがレジに並んだ。
「いらっしゃいま―――――」
また退く小太り。
「…………」
何がしたいんだ、あのデブ。
と、口に出す訳にはいかないので心の中で毒づく。
妙に色落ちしたネルシャツに、ケミカルウォッシュのジーンズとサスペンダー。
魚みたいに感情の無い目と、のそりとした動きは、どことなく深海魚を彷彿させる。
色黒の肌はかさついており、すえた様な異臭を放っていた。
そうだ、どことなく『北斗の拳』のハート様に似ている。
その後も、ハート様がレジに入っては、俺がレジに行き、ハート様が退き、を何回か繰り返した。
(うざっ! 何だこいつ!?)
と、内心キレかけていたが、客相手にキレる事が出来ないのが接客業の辛いところだ。
とりあえず、会計しないのは向こうの勝手なので、俺は相手にしない事にした。
その時、またあのハート様がレジに入り、こっちをじっと見ている。
いや、よくよく注意してみると、微妙に視線の位置が俺からは逸れていた。
その視線の先にいたのは―――――――サリナ。
ああ……なんとなく事情が飲み込めてきた。
「………知り合い?」
「いや。 全ッッ然ッッ、これぽっちも」
予想通り、サリナは全力で否定してくれた。
「こないだから、一日に何回も来るのよあいつ。 アタシがレジ入るまで絶対レジ来ないの。 ホント気味悪いんだけど」
「あ~、そういう病気の人ですか……」
どうやら、サリナにも妙なファンがついたようだ。
ハート様はいまだ持って、射抜くような視線を送り続けている。
多分、これだと他の店員やパートさんが行ったところで同じ事だろう。
「………レジ打ってきたら? 別に取って食われたりする訳じゃなし」
「取って食われてからじゃ遅いでしょうが」
そんな事を言いながらも、ハート様の後ろに行列が出来かけていたので、サリナは仕方なしにレジを打った。
接客中に、ハート様は舐めるようにサリナの全身を見ていた。
俗に言う視姦というやつだ。
今、ヤツの脳内では従順なメイドと化したサリナが、口奉仕を強要されている事だろう。
まぁ、それは後でも本人には言わないでおくか。
俺はとりあえずハート様の事は頭から締め出して、出来かけた行列を消化する為にもう一つのレジに入った。







「あ~、気持ち悪かった。 何アレ? マジ営業妨害なんだけど」
バイトが終わった後、サリナはコーラを飲みながら言った。
上はブレザーで、下はスカートにジャージという何とも色気に欠ける格好だ。
サリナは女子テニス部なので、いつも大抵学校で部活をした後でバイトに来ている。
種目はたしかダブルスだった気がする。
もう引退の時期だろうに、毎日部には顔を出しているようだ。
そういう意味では、バイト漬けの俺なんかよりずっと有意義な夏休みを過ごしているだろう。
「はぁ~、インターハイも終わって、もう夏も終了か~。 長いようで短い夏休みだったなー」
「インターハイ行ったのか!? ウチの高校、そんなテニス部強かったんだ」
「県内ではね。 全国ではぺーぺーな方だよ。 あ、でも今年は一人だけシングルスでベスト8行ったコがいたんだよ! 凄くない?」
「全国ベスト8は凄いな」
「でしょ! まぁ、あたしのダブルスはベスト32……っていうか、二回戦負けだったんだけど。あはは」
「全国ベスト32でも大した成績だと思うけどな」
「トーナメント戦だからね、組み合わせもあるよ。 これでもかなり組み合わせがよかった方。 まともに行ったら、初戦突破も危うかったよ」
言って、サリナは自嘲的な笑みを浮かべた。
伸びをして、夜空を仰ぎ見る。
「あーあ、こんなんだったら、中学の頃からちゃんとテニスやっとくんだったなぁ。 そしたら、もうちょっと上の方目指せたかもしれないのに」
「高校から始めて全国行っただけでも充分じゃんか。 そこまでも辿り着けない奴の方がずっと多いんだろ。」
「私だけ、だったらそうかもしれない。 でも、アタシのダブルスの相方はそうじゃなかった。」
「――――――」
「その子ね、すごい子なんだよ。 小学校の時、ジュニア・テニスで全国ベスト4まで行った事があるの。 県内じゃなくて、全国だよ?」
「――――――」
「でも、中学の時に事故に遭って、足に爆弾抱えちゃったの。 長期療養が必要で、三年間、公式戦に出れなかった。 高校で長期療養の喪が明けても、足への負担が大きいシングルスには出させてもらえなかった。 条件付って言う名目で、ようやくダブルスだけ許可が下りたの」 
「――――――」
「その子さ、すごい練習してたんだよ。 向こうは子供の頃からずっとやってるし、アタシよりずっとセンスもテクニックもあって、多分シングルスだったら、足の爆弾なんて関係無しにもっと上の方行けてた。 アタシは、人よりちょっと背が高くて、人よりちょっと運動神経があったっていうだけ。 でも、部内だったらそれでも通用してたから、きっとアタシ、のぼせ上がっちゃってたんだ」
―――――あれ。
「インターハイで、あの子と一緒にプレイしてみて分かった。 あの子、本気で勝ちたがってた。 影で必死で練習したっていうのがひしひし伝わってくるぐらい、もの凄く上達してた。 きっと、足に爆弾を抱えてるのがコンプレックスだったんだと思う。 それを言い訳にしない為に、きっと死に物狂いで練習したんだと思う。 ……でも、アタシはそれに応えられなかった。 あの子は、アタシと一緒にダブルスやりたいって言ってくれたのに、アタシはその期待に応えられなかった」
既視感を感じた。
俺は何か、大切な事を見逃しているような気がした。
サリナは、微妙に鼻声になってきていた。
きっと、負けた時の無念さが蘇って、感極まってきたのだろう。
「コートで泣き崩れたあの子に、アタシは声をかけられなかったよ……」
彼女は真上を向いて、顔が見えないようにした。
「ほんっっっっと馬鹿だ、アタシ。 終わってから気づいたって、遅いって言うのにね」
ドクン、と心臓が跳ね上がった音が聞こえた。
――――――馬鹿だ、俺は。
「あ~、暗い話になっちゃったね。 もうライブの日までシフト入ってないんでしょ? 次会う時はライブだね」
サリナは、目尻に浮かんだ涙を拭いながら、俺に笑いかけた。
「おぅ」
俺は、確認するように同じ返事を繰り返した。
「おぅ、『ステロイド』喰うぐらいの、クレイジーなライブやるから楽しみにしてろよ」



そう言って、俺はサリナと別れた。
サリナの姿が見えなくなると、俺は猛烈に下唇を噛んだ。
馬鹿か、俺は?
何で気づかなかった?
トーヤのベースのグルーヴ感、チバの声量、ユゲの音作り。
それは、何もしていなくても成長するもんなのか?
何もしなくても維持できるものなのか?
違う。
そんなはずがある訳なかったのだ。
何もしていなかったのは、俺だけだ。
あいつらは、自分なりに腕を磨き続けていた。
それはきっと、この夏休みに入るずっと前から。
道化じみた真似をしたり、自虐的な言動を取ったりしながらも、既存勢力を吹き飛ばす爆弾を人知れず組み上げるレジスタンスのように、ずっと息を潜めて牙を研ぎ澄ませていたのだ。
俺はどうなんだ?
俺は自分の事しか見えていなかった。
自分のちっぽけなプライドの為に、自分が足を引っ張っている事実から目を背けていたのだ。
―――――――
ようやく気づいた。
今、しなければならない事に。
俺は、あいつらの努力に応えなえればならない。
一週間で、俺はあいつらに追いついて見せなければ。



19

牧根句郎 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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