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残党編-12【リヴォルバー・ジャンキーズ】

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空気の沸点が高まりつつある。
その熱気は、まるでライブハウス内の酸素を容赦なく燃焼し尽そうとしているかのようだった。
飛び跳ね、身体をぶつけ合い、拳を突き上げる。
駄々っ子のような、理知の欠片もない感情表現。
ああ、そうだ。 この空間に理知など必要ないのだ。
子供に還ればいい。 汚い事など何一つ知らなかった、子供に。
抉るようなギター。 うねるベース。 荒々しいドラミング。
既にメンバーも観客も汗だくになっていた。
暴動のようなモッシュ。
狂ったように人が、人が、人が身体をぶつけ合い、強烈にその存在を確認する。
「ウゥゥ―――――――ッ、リヴォルヴァ・ジャンキィイイイイイズ!!」
チバの煽りに、観客達が声を合わせてサビの大合唱をする。
チバのテンションは、留まる事を知らない。
チバだけじゃない。
ユゲも、トーヤも、そして俺自身さえ、もはや理性という枠組に収まりきらない状態だった。
かつて味わった事のない圧倒的な無敵感。
その甘美な陶酔に、思考回路がショート寸前だったのだ。
既に、頭の中で構成を思い出す理性など消し飛んでいた。
演奏の手綱となっているのはもはや反復練習で身体に染み付いたフレーズのみだ。
しかし、それは本能的であるが故に、俺達の中で確かな絶対性を持っていた。
リハの時のように余計な逡巡など抱かない。 だから迷いも畏れも無い。
まるでそれが持って生まれた形象であるかのように、俺のスティックが無意識に打面を捉える。
学園祭の時は、緊張から、いつも早く出番が終わる事を祈っていた。
だが今は違う。
もっとこの時間を味わっていたかった。 この空間を共有していたかった。
ここには、俺の求めていたものの全てが在る。
ここにいる俺は“その他大勢”では無い。
“何の取り得もない高校生”では無い。
バンド『ZAN党』のドラマー、高梁貴弘だ。
替えの利かない、無二の存在なのだ。
だが、濃密な時間ほど燃焼するのは速い。
俺の人生の中で、最も濃い三十分という時間がもう過ぎてしまおうとしている。
どんなに足掻いた所で、時間は名残を許さず、無慈悲に灰に帰すのだ。
チバの絶叫が、ライブハウスに響き渡る。
魂を燃やす尽くすような、チバの叫びが。
「リヴォルヴァ・ジャンキーズ! リヴォルヴァ・ジャンキーズ! リヴォルヴァ・ジャンキィイイイイイズ!!」




いよいよ、最後の曲だった。
『カタストロフィー』。
俺達の初めてのオリジナル。
三日で作ったオリジナル。
その頃には、俺達全員が肩で息をしていた。
全身が酸素を欲して喘いでいた。
それでも観客の、俺達を求める声は止まない。
総身汗だくになりながら、フロントのチバがマイクを取った。
「ハロー、暇人ども。 こんなクソバンの演奏でモッシュとか、お前らマジでイカれてるぜ、ファーック」
どっと笑いが漏れた。
多分、今の空気だったらチバが何をほざいてもウケるだろう。
わずか三十分だけの、エンペラー・タイムだ。
「次がラストナンバーだ。 俺達初のオリジナル曲。 ピストルズよりもジャンクで、ニルヴァーナよりもネガティブで、ミッシェルよりクレイジーな曲だぜ。 構想三秒・編曲三日の壮大な超大作、『カタストロフィー』!」
チバの叫びと同時に、ユゲのギターが始まった。
その瞬間、俺は背筋が粟立つような感覚を覚えた。
何曲もやってきて、音のチューニングも狂い始めているはずなのに、この迫り来る威圧感は。
凄まじい集中力。 まるでその六本の弦が、ユゲの感情の増幅器であるかのような。
身体でリズムを取りながら、俺とトーヤが同時に曲に入る。
……ッ、ドンッッ!!
この、リズムが他の楽器と噛み合う瞬間には、形容しがたい快感が伴なう。
基本は8ビート。
しかしその8ビートも、音に強弱の波をつける事で、千差万別の変化を遂げる。
俺の8ビートは、爆音に特化した8ビート。
シンバルを可能な限り大きく鳴らし、スネアを抉るように深く叩き、バスドラを踏み潰すようにペダルを漕ぐ。
トーヤのベースが、それに合わせてベースラインを創る。
最初、観客戸惑ったように曲を聴いていた。
オリジナル曲を目の当たりにした時、大抵の客が見せる反応だ。
しかし、チバのヴォーカルが入り始めると、徐々にさっきの熱気が帰ってきて、再び喧騒を取り戻した。
やはり、チバの存在には妙なカリスマ性がある。
こいつがフロントにいるだけで、場の空気は爆発的に盛り上がるのだ。
ウォイ!ウォイ!ウォイ!ウォイ!と観客達が昂揚し出す。
その中には、さっき俺達を祀ろうとしていた与党達の姿もあった。
そいつらまでもが、もはや予定調和の盛り上がりではなく、真にこの熱気に身を委ねているように見えた。
チバは、フロントのモニターの上に飛び乗ると、観客の海へとダイヴしていった。



マジック・マッシュルームが。
アナボリック・ステロイドが。
女郎花が。
自爆マシーンが。
PAスタッフ達が。
あの無様なリハーサルを見ていた面々全てが、この結果に驚愕していた。
演奏に波があるとか、そういうレベルじゃない。
これは、まるで別物のバンドのようだった。

ユウイチは、息を呑んだ。
その、周り全てを巻き込むような、荒々しいパワー。
かつて自分が『ニトロ・グリセリン』で音楽界の頂点を極めようと切磋琢磨していた頃、幾度と無く感じたフィーリング。
その自分の失った全てがそこにあったのだ。
デジャ・ヴュ。
ユウイチの目に映っていたのは、インディーズ時代、無垢に音楽を楽しんでいた頃の、自分達の姿だった。
それはまるで合わせ鏡の中に自分の姿を映し見る様に。
「参ったね、こりゃどうも……。」
ユウイチは、その松田優作を模した頭をぼりぼりと掻いた。
「正直、ちょっと舐めてたわ。 こいつは下手すると喰われかねねーな。」
ユウイチにとってそれは、過去の亡霊だった。
若さという人生の最も輝かしい時期に持ち得るパワー。
しかし、もはやそれは自分に得る事は叶わない。
代わりに、自分が得たのは挫折と、老獪さだ。
挫折は人の心を挫けさせる。
しかし、そこから這いずって這いずって、這いずり上がって来た時に、その意志はより強固なものとなるのだ。
そうだ、これは過去の亡霊だ。 そして、輝かしい力を持つ最強の相手だ。
それに呑まれる様では、自分の過去に打ち克つ事が出来ない。
これを迎え撃つ事で、過去の自分を乗り越える事が出来るのだ。
「よぉーし、おいちゃんも全力で行くぜー。 四捨五入すると三十歳になるオッサンの力、舐めんじゃねーぞ、バーローめ。」
間も無く出番だ。
ユウイチは、準備の為に楽屋へと向かった。




赤井カナメは、身震いのするような感覚でその光景を目にしていた。
マティーニというカクテルがある。
松脂の香りの強いジンという酒と、ベルモットという酒を混ぜて作るカクテルだ。
どちらの酒も癖が強く、好みの別れる酒だが、その二つが出会う事で「カクテルの王様」と呼ばれるカクテルに昇華される。
正に彼らがそのマティーニだ。
単独では我が強く、聴けたものではない。
しかし、その四人が合わさる事で、不協和音ギリギリの危うさを秘めた音楽を作り出している。
ふと、隣に佇んでいたドレッド・ヘアーのベーシスト、ミナコが微笑んだような気がした。
「ははっ、カナメ~、アレがアンタの弟子かい?」
「そう、ルーディメンツ初めて一週間のド素人。」
「ぷはっ、それでよく出る気になったもんだねー。 なるほど、アレが練習初めて一週間ねぇ」
ミナコは、まじまじと彼らの演奏を見つめ始める。
「カナメ、あの子、アンタよりも才能あるんじゃないのぉ?」
「失礼なっ。 先生の教え方がいいからですっ」
と、カナメが人一倍大きな胸を張る。
推定Fカップはあると思われる巨乳が、ぶるんと揺れた。
「でもさ、何か似てると思わない?」
「え?」
「あいつらが、昔のアイカに。 失うモンなんか何も無くて、ただ純粋に音楽やってた頃にさ」
「似てる……かもね」
「あと、無駄に勝気なとことか、リハはクソなのにやたら本番だけに強いとことかね」
「それは、どっちかって言うとミナコの方じゃないのかな……」
「あのまま鍛えりゃ、いーいバンドになるよ。 みっちりしごいてやんな。」
「言われなくても、そのつもりですぅ」







アドレナリンが、エンドルフィンが、俺の脳内を駆け巡る。
感覚が活性化していた。 感覚が鋭敏になっていた。
音のシャワーを浴びる。 歓声のシャワーを浴びる。
そして、凄まじい演算の結果に生まれるような奇跡的なフィーリングが閃き、噛み合う。
そうして『カタストロフィー』は完成する。
これが、『カタストロフィー』の完成形だったのだ。
雛鳥が殻を突き破って、そのまだ脆弱な羽根を拡げる様に。
俺たちの中で、その完成されたフレーズが次々に身体の底から沸きあがってくるのだ。
最早それは練習の時のフレーズでは無い。
フィーリングに身を委ね、あるべき形への身体が導くのに委ねる。
フレーズがいつもと違う事に、ユゲも、トーヤも、チバも驚いた様子は見せなかった。
いや、彼らのフレーズ自身もいつもとまるで違っていた。
演奏の中で、進化を始めている。 進化を遂げている。
あと何十秒か後、俺達は今やったフレーズを覚えているだろうか。
いや、おそらく覚えてはいないだろう。
演奏の終了と同時に、頭の中が真っ白になるのに違いない。
このフレーズが、このアレンジが存在するのは今だけなのだ。
音楽は永遠の存在だと偉人は言う。
だが、ライヴにあるのは今だけだ。 今この瞬間にしかこの音は存在しないのだ。
どんなに高性能の録音機を使っても、今ここにある音楽を捕らえきる事は出来ない。
瞬間の芸術、それがライヴだ。
モッシュの海から帰還したチバが、渾身のシャウトをかました。
場内を震撼させるような極上のハスキー・ヴォイス。
俺達は、それに合わせるようにメロディーを転調させ、締め括りのソロに入る。
赤井のムスメに伝授された、渾身のオカズの嵐を俺は連打した。
全てのシンバル、全てのタイコを使って。
地鳴りのような轟音。
ユゲが、トーヤがそれぞれネックを掴んで楽器を掲げ、無茶苦茶に弦をかき鳴らしている。
チバが、ジャガーのネックを掴んでステージに叩きつけた。
ブチリと切れる弦。
「ィイイイイイイイイィィィィィヤァアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
ケダモノじみた咆哮と同時に、俺が左右のシンバルを叩き、同時にユゲとトーヤが素早く音をミュートした。
静寂。
汗で髪がオールバック状態になったチバは、歪んだマイクを掴むと、締め括るように言った。
「センキュー!!」
どっと歓声が沸く。
惜しむように。 讃える様に。
こうして、俺達のライヴは終わった。
場内には、いつまでも観客の歓声が鳴り止む事はなかった。




楽屋につくと、興奮で麻痺していた疲労がどっと襲ってきた。
毛穴という毛穴から汗が吹き出してくる。
衣服が汗を吸って、鉛のように重くなっていた。
他の三人は、すでに上半身裸になっている。
俺は無我夢中でポカリを喉に流し込んだ。
冷たい清涼飲料が、一気に身体に浸透してゆくようだった。
駄目だ、一本じゃとても足りない。
飲み物を買いに行こうと、楽屋から出て行こうとした俺の前に現れたのはユウイチさんだった。
あの松田優作そっくりの、ふざけた格好の青年が、俺の前に立っていた。
「よぉ」
「あ、お疲れ様です」
「いいライヴだった。 良くも悪くも、パワーに満ち溢れた、勢いがあるバンドだ。 見てて胸が熱くなったぜ」
「あ、ありがとうございます! 俺、もう無我夢中で………」
「だがな、俺も負けちゃいられんぜ。 俺にはもう一度メジャーに登るっていう目標がある。その為には新参バンドだろうがベテランバンドだろうがなぎ倒してくつもりだからな。 覚悟しとけよ?」
そう言って、ユウイチさんはニカッと笑ってステージに向かった。
誉めてもらった……んだよな?

俺はそのまま、ライヴハウスの入り口にある自販機の前に向かった。
そこにいたのはチバだった。
脱ぎ捨てたシャツをタオル代わりにして、肩にかけている。
ライヴ前にあんな事があった為、微妙に気まずかった。
チバはそんな事は歯牙にもかけないように、午後ティーを買っていた。
その時、ふと俺と目が合って、こちらの存在に気づいたようだった。
「よぉ、お疲れーっす」
「お、お疲れ」
「興奮してドラム走り過ぎなんだよ、馬鹿。 俺はヴォーカルだからいいけど、ユゲ達がついてけねーだろうが」
「う………」
「だけど、いい演奏だったぜ。 全員、気が入ってた。 今までのウチのクズいライヴの中じゃ、ベスト・ギグじゃねーのか?」
「――――――――」
涙が、溢れそうになった。
胸の中が熱くなった。
あのチバが、俺の事を認めてくれた。
今まで、誰にも認められた事のない、この俺を。
しかし、こいつの前で泣くのも何か癪だったので、俺はそれを悟られないよう、必死に堪えた。
「さ、行くか。 次の『自爆マシーン』ってバンドがそろそろ始まるだろ?」
そうだ、次はユウイチさんのバンドだ。
あの手のジャンルはあまり聴いた事がないので、興味は大いにあった。
リハの時は余裕がなくてちゃんと聴けなかったので、ちゃんと聴いておきたいと思っていたのだ。
俺達は、ドリンクを一気に飲み干すと、地下のライブハウスに向かった。


もうライヴは始まる直前だった。
後から入ったので、場所は完全に最後尾だ。
松田優作ファッションに、エルヴィスみたいな派手なヒラヒラをつけたユウイチさんが、変な格好で客を煽っていた。
「ヘイ、そこの彼女! 一緒に自爆しないか!?」
「「「「ナマステー!!!!!」」」」
これがこのバンドの掛け声なのだろうか。
とにかく変なテンションで客が応えていた。
「それじゃ行くぜ、ベイビー! オープニングはシングルにも入ってる、『やんちゃ貴族』だぁ!!」
シンバルカウント。
それはタイトルに似つかわしくない、パイプオルガンの音色を使った荘厳な出だしだった。
聴いていて心地いいメロディーライン。
『ZAN党』の音楽とは対極に位置するような、安心感のある音楽。
これが、ユウイチさんがバンド解散という挫折の末に辿り着いた音楽なのだろうか。
ユウイチさんのヴォーカルがそれに加わる。
揺らぎない安定したリズム感と、太い音程、広い音域。
ああ、これがきっと。
ユラが言っていた、「人を幸せにする音楽」なのだろう。
俺達は、いつしか、その音楽に魅入られ、引き込まれていた。



「何だって?」
楽屋で、リュウジは耳を疑うような、エノケンとアキラの台詞を聞いていた。
「一曲目に『モビー・ディック』だって? ふざけてんのか、お前ら?」
リュウジは険のある声でその言葉を吐いた。
一曲目にジャム・セッションなどというリスクを、何故このような舞台で犯さなければならないか。
この舞台を成功させれば、メジャーへの道も開ける。
そしてそれは、リュウジの悲願でもあるのだ。
無用のリスクを犯す必要性など、リュウジには微塵も感じられないように思えた。
「ふざけてなんかいない。 もし、メジャーに出る事を考えてるなら、音楽性の広さをアピールするのも悪くないって話さ」
「客層は十代、二十代が主だ。 ツェッペリンなんか演ってもウケるとは思えないがな」
「ツェッペリンは出だしだけだ。 あとは俺たちがファンクな感じにアレンジをかける」
そこでリュウジは悟った。
これは、アキラとエノケンの遠回しな反逆なのだ。
普段から、あの二人はファンクな音楽を主に聴いている。
おそらく彼らが演奏したいのは、ああいったジャンルなのだろう。
もし、デビューへの道が開けた時、自分達にはファンクというジャンルも出来るという事を知らしめておけば、その後ステロイドの音楽性をそちらの方向に持って行く事もできる。
その為の布石として、二人はここでジャム・セッションを提案しているのだと、リュウジはそう考えたのだった。
回りくどい事を――――――
「駄目だ駄目だ。 もし失敗すれば、デビューへの道自体閉ざされるんだぞ。 お前らだって、そいつは望みじゃねぇだろ?」
「う―――――――」
アキラは、そこで口を噤んだ。
リュウジの言葉は納得できる。
極端に音楽性を変える事は、既存のファンから反感を買うリスクも伴なっている。
アキラがジャム・セッションをやりたい真意は、タカヒロに本当の自分の音楽を知ってもらいたいからだ。
他のメンバーからしたら、独善的な理由でしかない。
リュウジに潰しにかかられたら、、その意見は引っ込めるしかないのだ。
「いいじゃん、面白いと思うよ」
そう、横から助け舟を出したのは、いつも我関せずとばかりにボーッとしているジャガーだった。
「もちろん、ダラダラやるのは本気で意味ねーと思うけど、三分とか時間制限つきでやる分には盛り上がるんじゃね? ジャンヌ・ダルクとかも、MCの合間とかにたまにやってるじゃん」
「馬鹿。 ジャンヌ・ダルクと俺達と、どんだけ技術に差があると思ってんだ」
「いいじゃん。 男は度胸、何でも試してみるのさ」
「ジャガー……」
コレで意見は三対一になった。
ジャガーの真意は掴めないものの、その気紛れがアキラ達の意見の趨勢を変えたのは間違いない。
「よし、じゃあ一曲目は『モビー・ディック』で行こう。 “俺達の”音楽を知らしめる為に」




26

牧根句郎 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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