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与党編-05【ガール・フレンド】

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ドラムの基礎練習方法の一つに、鏡に向き合ってパッドを叩くいうものがある。
ドラムの連打は、左右の振りが対称的でなければ、粒の揃った音が出せない。
しかし、フォームという物は、感覚的に叩いていると、本人は出来ているつもりでも徐々に乱れてゆくものだ。
例えば、ボクシングの選手でも、慣れに任せてパンチを打っていると徐々にフォームが乱れきて、雑なパンチしか打てなってくる。
その為、客観的にフォームを修正する立場として、トレーナーというものが存在するのだ。
鋭い打撃は、正確なフォーム抜きには生まれ得ない。
しかし、ドラマーにはそういった専属トレーナーのような存在はいない。
その為、この練習は自らトレーナーの役も兼ねてフォームをチェックする、セルフ・トレーニングの意味合いがある。
吹奏楽部でドラムの基礎をみっちりと教え込まれたアキラは、このフォーム・チェック練習を毎日の日課としていた。
しかし、陰鬱な気分の時にこの練習をするのは気が滅入る。
鏡を通じて、自分の心の内とも向き合うような気がするからだ。
メトロノームの音にあわせて、基本の四つ打ちから、8ビート、三連符、16ビートへと移行していく。


今のキミの音楽は、醜悪だ―――――――――


まだ、その言葉が耳に残っていた。
それは、いつの間にかアキラの内部へと腐食してゆき、頭の片隅にこびり付いて離れなかった。
16ビートから、アクセント・ストロークへ。
一打目のアクセントから、二打目、三打目と徐々に移行する。


本当のキミは、とても心が醜い。 キミの本質は、何も変わっちゃいない―――――――


あの嘲弄するような笑いが、網膜に焼き付いて離れない。
あの男とも女とも知れない奇妙な奴の一挙手一投足が、アキラの心を蝕む。
何故だ?
何故あいつは、あの事を知っている?
一体、あいつは何者だ?
あいつは俺の何を知っている?
アクセント・ストロークから、今度はアクセントの位置にダブル・ストローク。
ダブル・ストロークは、アキラの感情のままにその数を増やしていき、最終的にロールのような32ビートと化した。


「おっす、ドラム馬鹿ー!」
いきなりかけられた声に、心臓を鷲掴みにされたような感覚を覚えた。
見ると、誰もいなかった早朝の部室に、いつの間にかハルキがストラトを背負って現れていた。
ハルキは小柄なので、対比的にストラトがやけに大きく見える。
考えるに、楽器を置きに部室に寄るついでにギターを弾きたくなって早起きした、というところだろうか。
「運動部でもないのに、朝練とは感心だわねー。 いよいよ本気で大学捨ててプロ目指すってか?」
「お、おどかすなよ。 お前こそ何で、こんな朝っぱらから」
「んー、いやね。 今度、アタシ、ディープ・パープル演るじゃん? 選考会じゃ、『ハイウェイ・スター』を演ろうと思ってるんだけど、こいつがまた弾いてて楽しくて楽しくて。 家のちゃっちいミニアンプじゃ物足りなくなって、学校のでっかいアンプで音出したくなったって訳。 やっぱさー、パープルは爆音じゃないと駄目よねー」
そう言って、ハルキはカラカラと哄笑する。
ソフトケースを開けると、中から真っ赤なストラトキャスターが顔を出した。
「ホント変わってるよな、お前。 俺も音楽暦長いけど、ディープ・パープルが好きなんて女、お前しか知らないぞ。 ちなみにヴァン・ヘイレンとイングヴェイが好きな女も」
「ふふん、まぁねー。 誉め言葉と受け取っておくわ。 ほらさ、アタシ、子供の頃アメリカにいたじゃん? アタシはまだ小学生だったけど、その頃はまだマドンナとかスパイス・ガールズみたいなダンス・ミュージックが好きで、バンドサウンドなんか聴いた事も無かった訳。 その時、パパに始めて連れてってもらったライヴが、ディープ・パープルだったんだ。 初めて『ハイウェイ・スター』を聴いた時の衝撃ったら無かったわよ。 鼓膜が破れるんじゃないかってぐらいの爆音ギター。 メロディーの旋律が作る、心地良い酩酊感。 あの時聴いたのがパープルじゃなかったら、アタシ、きっとギターなんてやってなかっただろうなぁ。 そういう意味で、ディープ・パープルってアタシにとって特別なバンドなんだ」
「――――――――」
それは、アキラやエノケンにとっての『レッド・ホット・チリ・ペッパーズ』のようなものなのだろう。
自らを音楽に引き入れた、原点となるバンド。
そういうバンドは、感情の込め方も自然と他のバンドとは違ってくる。
とりわけ、ハルキ位の実力を持ったプレイヤーが集中力を十二分に発揮した時には、そのクオリティは他の追随を許さないだろう。
それほどまでに、ハルキのギタープレイはこの軽音楽部では群を抜いている。
まともに太刀打ちできるのはジャガーぐらいのものだ。
いや、音楽性の引き出しの広さで言えば、ジャガーでだって拮抗し得るかどうか。
「アキラ、『ハイウェイ・スター』叩ける?」
「あ、ああ。 キメ以外はそんなに難しくないから、大丈夫。 ただ、ギターソロが長いから構成覚えてないかも。 まぁ、その辺は空気読んで合わせるよ」
「おし、じゃあスタジオ入ろっか」
そんな風にして、アキラとハルキはスタジオに入った。


滂沱と、ギターの音が溢れかえった。
強烈な雄々しいリフ。
アンプから吐き出される、膨大な感情の形象。
それは荘厳で、雄大で、深淵で、端整で。
ベースもキーボードもないのに、ハルキの音は圧倒的な存在感で以てスタジオを支配していた。
特筆すべきは、その正確無比なリズム感だ。
複雑なソロを弾きながらも、そのリズムはぴたりぴたりと拍の頭を捉え、ドラムと絶妙なハーモニーを奏でる。
身体の芯まで震えるような、他パートとの完全なユニゾン。
それは、お互いの存在を自らの内に取り込むような、形容しがたい快感を伴なった。
やはり、ハルキのギターは天才的だ。
ハルキはキーボードのソロパートを、アドリブでカバーする。
しかし、それは即興で作ったフレーズとは思えないほど、異様なまでに曲にハマって聴こえた。
アキラは、曲調に緩急をつけて引き立て役に回る。
この曲はギターが主役の曲だ。
なれば、他のパートはこのハルキという非凡な才能を生かす黒子に徹するべきだ。
最後の長いギターソロ。
文字通り、雨宮春輝のオン・ステージ。
アキラは、女子高生の姿を借りたリッチー・ブラックモアがそこに立っているような錯覚を覚えた。
これが本当に女のギターか?
たった六本の金属の弦が、こんな神性すら伴なうような音を紡ぐのか?
リッチー・ブラックモアが稀代の天才である事に疑いの余地は無い。
そして、この曲へのハルキの感情の込め方というのが、また常軌を逸脱しているのだ。
森羅万象に染み入らんばかりの、感情の奔流。
ドラムを叩きながら、アキラはいつしか自分がハルキに見惚れている事に気が付いた。



六分近い曲が終わった。
集中疲れよりも、感動の方が勝っていた。
この夏休みの間に、ハルキはまた飛躍的に成長を遂げていた。
多分、この餓えたハードディスクは、夏休みの間に、また名前も知らないようなマニアックな超絶バンドをコピりまくっていたのだろう。
この天才は、己の上限をいうものを知らないのか。
「ぷはー、気持ちよかったぁ~。 なんかもうセックスしてるみたいだった」
「ぶっ」
唐突な言葉に、思わずアキラは吹き出した。
「な、何言ってんだ、お前……!」
「何赤くなってんのよー。 何、アキラひょっとして童貞?」
ハルキが、ニヤニヤしながら聞いてきた。
アメリカ育ちの為か、このハルキという女は、どこか日本の常識通念に欠けた奔放なところがある。
「そうじゃなくて、何でセックスがどうとかって話に……」
「だってさー、そんな感じじゃん。 相手の音聴いてるとさ、相手が何考えてるかとか、どうして欲しいかが伝わってくるの。 欲しい時に、欲しい音を察して作る感じ。 そんで、そいつがぴったり合うとすっごく気持ちいいの。  セックスみたいじゃん?」
「あーじゃなくて。 いい年した女の子がセックスセックス言うのに、何か抵抗あるんですけど」
「別に気にならないけどなー。 女同士でそういう話よくしてるし。 意識しすぎじゃないの?」
「うう……」
そうケロリと言われたら、気を使っている自分の方が恥ずかしくなってくる。
男の立つ瀬が無い。
どうもこのハルキという女の前では調子が狂う。
「私、アキラのドラムの音好きなんだよね。 なんか、よく周りの音を聴いて、空気察して支えててくれる感じが」
「そりゃどうも…。 吹奏楽は楽器が多かったから、先生にちゃんと周りの音を聴けって言われたせいかな」
「そうそう。 なんか、すごく気を使ってる感じ。 単調な時には音数増やしてくれて、ソロでは音量押さえて周りを引き立ててくれたりとか、個人技じゃなくて、バンド全体の総和を考えてくれてるとこが好き、かな」
そう直球で言われると、背筋がむず痒いものがある。
誉め殺しというのは、リアクションに困るのだ。
「だから、アキラとアタシはセックスの相性いいかもね」
「…………っっ」
どう反応しろというのか。
やっぱり、この女は掴み所が無い。
「………ハルキは、経験あんの? ……その…………セックス?」
最後の方は、あまりの居たたまれなさに聞こえない様な小声になってしまっていた。
「んー、アタシはまだ無いかな。 パパとママがその辺オープンだったから、うっかり見ちゃった事はあるけど」
「……そりゃまた、痛々しいね……」
自分だったら、両親のセックスなんか見たらトラウマになるに違いない。
「何? アキラ、アタシとセックスしたいの?」
「そりゃ……いや、別にそんな事……」
「あはっ、否定しないんだ? アタシもアキラとだったらセックスしてもいいかなー、なんちゃって」
駄目だ、向こうの方が一枚上手だ。
アキラは、妙な雰囲気になる前に適当に話題を変えようとした。
「そ、そーいやこないだ、謝恩会のバンドがどうとかって言ってたよな? あれって結局、何のバンド演る訳?」
我ながら、白々しい話題転換だとは思った。
経験ないのが丸分かりだ。
しかし、ハルキは別段どうといった反応も見せず、にやりと不敵に笑った。
「そうそう、それなんだけど。 みんなに聞いて回って、ようやく理想のメンバーが実現できそうなのよ。 まず、ギターはあたしとジャガー。 ベースがエノケン。 ドラムがアキラ。 キーボードが、エミリ」
エミリというのは軽音楽部の二年生キーボーディストだ。
ハルキとは対称的な深窓の令嬢といったイメージの淑やかな女の子だが、ピアノ暦が長く、キーボーディストとしての腕は二年生にして軽音楽部ナンバー1だ。
もっともそれ故、ハルキに目をつけられ、一年生の頃から無茶なコピーばかりをさせられている。
今年はディープ・パープルを組まされているが、『ハイウェイ・スター』のキーボード・ソロは相当に難しい筈だ。
しかし、エミリならやりかねない。
完成されたハルキとエミリのユニゾンは、さっきの『ハイウェイ・スター』の何倍ものクオリティを得るだろう。
それだけの面子を集めて、ハルキは一体、何のコピーをしようというのか?

「聞いて驚け。 今年の謝恩会はこの面子で、ドリーム・シアターに挑むわよ」

ドリーム・シアター。
それは世界が誇る、プログレッシヴ・メタルバンドの代表格だ。
その音楽は重厚かつ幻想的。
技巧の局地にあるその音楽性は、曲の中に世界観すら構築していると言っても過言ではない。
無論、このバンドのドラマーであるマイク・ポートノイは、世界でも最高峰のドラムの一人だ。
しかし、このバンドのコピーをする上で鬼門となっているのが、その鬼のような変拍子だ。
既存の8ビートや16ビートでは誤魔化しの利かない、不規則なリズム。
その為、ギターやキーボードも、他の曲のようにリズム隊に拠り掛かる事が出来ず、自身もその構成を完璧に把握する事が要求される。
いや、仮に完全に把握したとしても、メンバー全員でそれを完璧に合わせるには度外れた集中力が必要だ。
この難解性ゆえ、かつての軽音楽部の卒業生達は、謝恩会で幾度もこのバンドに挑んだにも関らず、実現する事が出来なかったのだ。
「……本気で言ってるのか?」
「冗談でこんな事言う訳ないでしょ? 現役最後のライヴだっていうのに」
確かに、高校レベルでの完奏は難しいバンドだ。
しかし、この面子ならあるいは、という期待感はあった。
これだけの経験者が一同に集った学年は初めてではないだろうか。
先輩達に黄金世代と呼ばれたのも頷ける、実力派揃いの世代。
仮にそれで実現できなかったら、それまでの事だ。
自分達の実力の上限を確認するという意味で、無為にはならないだろう。
「ヴォーカルはどうするんだ? リュウジの声じゃ、ハスキー過ぎるだろ。 他に、出来そうなヴォーカルも見当たらないし」
「うん。 だから、ヴォーカルは無しの、インストで行こうと思うの。 それでも、充分にドリーム・シアターの世界観は表現出来る。 っていうか、出来れば、の話だけどね」
言って、ハルキは片目を瞑ってウインクして見せた。
不思議だ。
彼女が言うと、その難関な課題さえ、難なく乗り越えられそうな気がしてくる。
自分が彼女に抱くその信頼。
根拠なく彼女が抱かせるその頼もしさこそ、彼女がこの世代のまとめ役として抜擢された所以なのだろう。
「いいよ。 その話、乗った。 ドリーム・シアターが鬼門なら、俺達でその鬼門を破ろう。 そうすれば、軽音の歴史に殿堂入り確定だろ。 軽音を創設して、プロデビューも果たしたアイカ先輩達みたいに」





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