与党編-08【サタニック・ブンブンヘッド】
AMCレコーズは、音楽業界の中では比較的ストイックなレーベルとして知られている。
現在の音楽シーンでは、バンドブームは以前と比べて鳴りをひそめ、ポップな打ち込みサウンドが主流になりつつある。
そんな中でブームに迎合する事無く、従来のバンドサウンドの発掘に力を注いでいるのがこのAMCレコーズという会社だ。
実質的に、現在のバンド業界の主流を担っていると言ってもいい。
全国に何千何万とバンドの活動している中で、『ステロイド』がその目に留まったのは正に奇跡的だ。
「幾島栄治」という、その渡された名刺を眺めながら、『ステロイド』の面々は夢でも見るかのような心地でサイゼリヤにいた。
喫煙癖のあるジャガーの為に窓際の喫煙席に陣取り、四人はドリンクバーを傾ける。
アキラが、エノケンが、リュウジが、滅多な事では表情を変えないジャガーまでもが、突然目の前に現れた一条の幸運に呆然としていた。
メジャーシーンに立つ事。
自分達の音楽を世に出す事。
それは、あらゆる音楽人にとっての夢であり、目標だ。
それは、演奏力だとか、パフォーマンスだとか、人脈だとか、運だとか、そういったあらゆる物の総算の末に辿り着いた一握りの人間だけに与えられた権利だ。
いや、たとえそれだけ全てが揃ったとしても、その権利を手にする事が出来るとは限らない。
その采配は正に運賦天賦以外に計る事は出来ないだろう。
神様の気紛れに与えられる機会。
その千載一遇の機会に、『ステロイド』は運良く巡り会ったという訳だ。
しかし、それは無条件と言う訳では無かった。
その話に当たって、男、幾島栄治は一つの条件を提示してきたのだった。
それは「新曲を一つ作り上げる事」だ。
無論、ただの新曲では無い。
今の音楽業界のムーヴメントに迎合した、キャッチーなミクスチャーの曲を、だ。
「この間の、『イスカンダル』でのライヴを見させてもらったよ。 いいライヴだった。 正直、キミ達の演奏力や大胆な曲の構成力、舞台でのパフォーマンスは買っている」
幾島栄治は最初そう言った。
「だが、一方でそのこだわりはどちらかと言うと、一般客層よりもバンドマン受けする体質のものだ。 マニアックなファンや同業のバンドマン達は聴いて『おおっ!』と感心するだろうが、キミ達に対して全く興味を抱いていない一般人が今のキミ達の音楽を聴いて惹き付けられるかは正直疑問だ。 有り体に言えば、『今のままのキミ達の音楽ではは売れない』という事だ。 失望しないでくれよ。 キミ達にとってはこの機会は夢の架け橋かもしれないが、私にとっては給与の査定に響く立派なビジネスなんだ。 売れない物を店頭に出す訳には行かないだろう?」
それが、幾島栄治という男の言葉だった。
「『ステロイド』諸君、『売れる曲』を書いてくれ。 いいかい? 『売れる曲』を、だ。 キミ達も自分の音楽に矜持は持っているだろうが、とりあえずまず一曲、知名度を得る曲を書かなければ話にならない。 デビューの話はそれからする事にしよう。 場合によっては、その曲がキミ達のデビューシングルになる事だってあるかもしれないよ?」
ランプ肉のステーキが運ばれてきた。
分厚い肉の塊の上で、レモンバターがじゅうじゅうと音を立てて溶け始めている。
その皿が、リュウジの目の前に置かれた。
リュウジは何も言わずに、フォークをずぶりと肉に突き立てた。
異常に硬い弾力と共に、肉汁が溢れる。
「簡単な話だろうが」
リュウジはその筋だらけの硬い肉に、引き切るようにしてナイフを入れる。
「ミクスチャーなんて俺達の得意ジャンルじゃねぇか。 シャッフル・ビートにジャガーのスクラッチを入れまくって、ちょいと気の利いたラップをやってやれば、ロック・ファンにもB系達にも受けてブレイク間違いナシだ。 そうすりゃ俺達は日本のリンキン・パークだ」
「DJいないからレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの方だろ」
横でコーラを啜っていたジャガーが突っ込んだ。
間違いない、とリュウジが笑う。
一介の高校生に過ぎない彼らにとって、メジャーデビューという話はあまりに現実味が無さ過ぎた。
その不意に湧いた栄光の兆しに、彼らは完全に舞い上がってしまっていた。
その中で、一人だけ浮かない顔の面子がいた。
アキラだった。
「……それは、“俺達の音楽”なのかな……?」
アキラのその言葉に、一同は静まり返る。
その中で、リュウジだけはそれに取り合おうともしなかった。
「馬鹿、デビューしちまえばこっちのもんだろ。 人気が出てくれば、俺達にも発言力は出てくる。 そうすりゃあ、俺達のやりたい音楽だって出来るようになるだろうが」
リュウジはあくまで強気だ。
『ステロイド』の作詞作曲は、実質的にリュウジが手がけている。
コード進行をリュウジが考えてきて、それを元にジャガーが主旋律を作り、四人でジャムって曲を作る。
それが『ステロイド』の曲作りの基本スタイルだ。
故に、このバンドはリュウジのバンドであるとも言える。
自己顕示欲の強いリュウジにとって、この機会は天啓だっただろう。
「そうだぜ、アキラ。 デビューの話自体、そう誰にだって来るもんじゃないんだ。 ここは一つ、割り切って考えねぇか?」
と、エノケンもリュウジに口添えする。
彼もまた、この機会を逃したくないと思っている一人なのだ。
「俺は」
アキラが口を開いた。
「デビューする為に音楽を演ってるんじゃない。 俺の音楽を沢山の人に聴いて欲しいからデビューしたいんだ」
「なぁ、アキラ。 モノには順序って物がある。 俺達はまだ何者でもない。 自分達の我を通すには、それなりの結果ってものが必要になる。 そいつが社会のルールってもんだ。 その結果が出てからでも遅くは無いだろうが」
「その為に、嘘で塗り固めた音楽を作るのか? 就活の面接の時にキャラを作ってくみたいに?」
「――――――――」
エノケンは、アキラの妙な迫力に気圧され、そのまま押し黙った。
「そうまでしてメジャーデビューする事に意味があるのか?」
アキラにとって、それは今まで抱き続けてきたジレンマでもあった。
アキラにとって、元々『ステロイド』の音楽自体が自分の演りたい音楽とは違っていた。
だから、それをユラに否定された時、アキラには返す言葉が無かった。
そして、その音楽が、また自分の意向とは異なる物に変質しようとしている。
それが、アキラには許容出来なかった。
このままでは、自分とは違う別の物が、『自分』として世に出るような、そんな気がしたのだ。
「なんだぁ? アキラちゃんは、芸能界で『きらりん☆レボリューション』になる夢でも見てんのかよ?」
リュウジは揶揄するようにアキラをなじった。
高揚感に水を差されたのが気に喰わないようだった。
「幾島さんも言ってただろうが? プロになるって事はビジネスなんだってな。 “自分の演りたい音楽じゃないから嫌だ”? 子供か、お前は?」
「リュウジ、俺が言ってるのはそういう事じゃ―――――」
言いかけて、アキラはリュウジのその言葉が、紛いも無く正論である事に気づく。
否、むしろ自分の言葉の方があるいは紛いなのだ。
音楽で食べていくという事が生半可な事では無い事は、『マジック・マッシュルーム』や『自爆マシーン』などの姿を見ていれば明らかだ。
少なくとも、音楽で食べていく事を目的としたのならば、リュウジの言う事は非の打ち所もなく正鵠だ。
自分の言う事は、子供じみた我侭に過ぎない。
それ故、リュウジの考えとアキラの考えは相容れぬ物なのだ。
「そうか……そうだな」
アキラは、逡巡の末、納得したように呟いた。
「なんだ? ようやく自分の馬鹿さ加減に気づいたか?」
リュウジが言う。
「ああ、気づいたよ……」
ふと、ジャガーとエノケンは、アキラの雰囲気の妙な違和感に気づいた。
まるで、それは納得と言うよりも、一種の諦観のような―――――そんな悲愴さを感じさせたのだ。
そして、次にアキラの口の発した言葉から、その違和感が錯覚でない事に気づいた。
「『ステロイド』を、解散しよう」
「はぁ?」
リュウジは、一瞬、その言葉の意味が理解出来ないようだった。
それは居合わせたジャガーもエノケンも同じだった。
それ程その言葉は唐突で、突飛だった。
「何ラリってんだ、テメーは。 デビューだぞ? それもメジャーデビューの話が来てんだぞ? 何が悲しくて今このタイミングで解散しなきゃならねーんだ。 役満テンパった時にアガリ放棄するようなもんだろうが」
「……確かに、そうだよな。 このタイミングで解散なんて、正気じゃないよな……」
アキラは、自嘲的な笑いを浮かべた後、リュウジの目を見据えて言った。
「前から考えてたんだ。 このバンドは、俺の演りたい音楽とは違う。 ああ、そうだ。 技術的に、このバンドはおそらく俺が組んできたバンドの中でも最高レベルの物だろう。 でも、これは俺の音楽じゃない。 こんなネガティブな音楽を演りたい訳じゃない。 俺が演りたいのは、もっとファンキーで、人の弱さを肯定するような音楽なんだ」
ああ、そうだ。
たとえば、あの『ZAN党』達が奏でたような。
聴衆の心に届くような、あるいはその心を抉るような。
音楽は技術ではない、感性だ。
流行のテンプレートをなぞる様な音楽は、たとい一時期繁栄したとしても誰の心にも留まらず、泡沫として消えてゆくだろう。
それは、消費される音楽だ。
調理とさえ呼べない生産過程を通じて、『商品』として市場に並べられるジャンクフードと同じだ。
ユラの言う『醜悪な音楽』。
それは“バベルの塔の麓にも届かない”――――――人の心に届く事の無い音楽なのではないのか。
「そいつは、俺の音楽性を否定するって事か、アキラ?」
リュウジの瞳に険が宿る。
アキラの主張は、リュウジの音楽性を全否定すると言うのに等しい宣告だった。
我の強いリュウジにとって、飼い犬だと思っていたアキラに噛みつかれるのは我慢のならない事だった。
語尾が震えを帯び始めている。
“キレる”前兆だ。
「おい、落ち着けよ、リュウジ。 アキラもちょっと頭冷やせ」
横からエノケンが割って入ろうとする。
「まぁ、なんだ。 俺もちょっと、考え直した方が、いいと思う」
と、いつも我関せずとばかりに話に入ってこないジャガーもフォローに入ろうとする。
「言わせてくれ、エノケン。 いつかは衝突しなきゃならない事なんだ」
だが、今回はアキラも退かなかった。
リュウジの恫喝にも怯む事無く、語気を荒げる。
「……イスカンダルでのライヴの時以来、随分反抗的じゃねぇか、アキラちゃんよぉ。 そいつは、アレか? あの『ZAN党』共に触発でもされたのかよ? 反骨精神こそがパンクの精神ってなぁ」
「……そうだな。 音楽を演る人間は、他人に流されずに自分を表現しなきゃならない。 それを教えてくれたのは『ZAN党』だ」
「そいつでまず俺への不満を明らかにしようって訳だ。 くっくっ、舐められたもんだなぁ? 俺の音楽が気に食わねぇってか……」
リュウジは、ナイフを使ってランプ肉を荒々しく千切る。
血の様に肉汁の滴るその肉片を、リュウジは奥歯で獣的に噛み締めた。
「言いたい事言うようになったじゃねぇか。 なぁ、“ヨーダ”?」
―――――――――――
ぞくりと。
呪縛のように、逆鱗のように意識の奥底に潜んでいたその単語に、アキラは全身総毛立つような感覚を覚えた。
瞳孔がきゅっと引き締まり、体温が引いてゆく。
再び耳朶を通して聞く事のないと思ってた、昔年の呪詛。
何故、今。
何故、今その単語を耳にするのか。
遠い昔に決別した筈の、心の腫瘍。
その傷口をリュウジは今押し拡げて、塩を塗り込めようとしている。
「お、お前………」
アキラは、混濁する意識の中で、そう口にするのが精一杯だった。
『過去は変えられない』と、そう嘲弄するように言ったユラの顔が、リュウジにだぶって見えた。
「どうした、“ヨーダ”? 懐かしい呼び名だろうが? 『弱さを肯定する音楽』だぁ? そりゃ、お前自身の事だろう。 知ってんだぜ、アレが元でお前は中学じゃ苛められてたんだろ? そうだよなぁ、なんたって、お前は―――――」
そこまで言い掛けた時、横からリュウジの胸倉を野太い腕が掴んだ。
エノケンだった。
「くだらねぇ事言ってんじゃねぇよ、リュウジ。 今はそんな事関係ねぇだろ?」
「ああ? お前はアキラの保護者かよ? だったら、アキラをちゃんと躾けとけや。 そいつのおかげでメジャーの話が飛ぶかどうかの瀬戸際なんだからよ」
「…………ッッ」
エノケンは何事か言い返そうとしたが、激昂寸前だったのか、ぐっと堪えたように見えた。
エノケンは、アキラの方に振り返ると、その肩を掴んで、諭すように言った。
「アキラ、とりあえず今日は一旦帰って頭を冷やせ。 お前もいきなりデカい話が入ってきて混乱しちまってんだ。 今日ここであった話は忘れろ。 一生に一度あるかないかのビッグ・チャンスなんだ。 お前がやりたい事は何なのか、もう一度考え直してみろ」
「―――――――――」
アキラの事情を知るエノケンは、場を丸く治めるのに懸命だった。
これ以上リュウジとアキラの溝が深くなれば、本当にバンドが決裂し兼ねないと思ったのだろう。
アキラはその胸中を察すると、無言で立ち上がってその場を後にする。
背中に、なじる様なリュウジの視線と、エノケンの不安気な視線を感じた。
ふと、サイゼリヤの窓越しに、外の景観に目をやる。
と、そこに――――――
「ユ………ラ…?」
原色のウィッグやアクセサリーでコーディネートされたけばけばしい風体。
小柄な身体にギターのハードケース。
間違いない、ユラだ。
窓越しにそいつはアキラと目が合うと、ニィと笑ったような気がした。
そいつの、真っ黒なルージュを引いた唇が、何事かを呟いた。
『 だ か ら、 言 っ た の に 』
アキラは慌てて会計口を飛び出すと、店の外に出た。
雑踏を掻き分けて、ユラの姿を探す。
しかし、もうユラの姿は何処にも見えなくなっていた。
「くそっ、何処だ!?」
アキラは周囲を見回す。
通行人達は、血相を変えて駆けずり回るアキラを、何事かとねめ回していた。
「お前は誰だ、ユラ!? 何で俺を惑わす!? お前は一体、俺の何を知ってるんだ!!?」
答える声は無い。
急に人ごみの中で叫び始めたアキラは、周囲の目にどう映っただろうか。
アキラは、やり場の無い怒りに、為す術なく瞠目する。
「答えろ、ユラァアアアアアア!!!!!」
アキラは激昂するが、それさえも暖簾に腕押しだった。
応えるのは、周囲の奇異な視線と喧騒だけだった。
その時だった。
後ろから、ぽんと肩を叩かれる感触があった。
アキラがそちらを振り返ると、唐突に頬を指で突かれた。
肩に添えた掌から人差し指が突き出ていたのだ。
子供じみたイタズラだ。
「なぁ~に、人ごみの中で未成年の主張してんのよ? 思春期特有の情緒不安定?」
雨宮春輝が、そこに立っていた。
アキラは唐突に我に返り、衝動的に取ってしまった行動に赤面する。
よりによって、一番見られたくない相手に。
「んん? で、ユラって誰? アンタの彼女?」
「ちがっ、何でもねーよ」
アキラは、とりあえず話題を変えようと、辺りを見回す。
その時、ふと妙な事に気づいた。
「あれ……、お前のストラトって、ソフトケースに入れてなかったっけ…?」
いつもはソフトケースに入っていた筈のハルキのギターが、何故か今日はハードケースだった。
「ああ、これねー。 いやー、いつもは嵩張るからソフトケースなんだけど、昨日雨降ってたから、念の為ハードケースに入れてきたのよ。 ソフトケースだと、雨に濡れると浸水するからね~」
いや。
それは何という事の無い他愛の無い会話だった筈だ。
普 通 な ら。
それから二、三言葉を交わして、ハルキとは別れた。
しかし、何を話したのか、それすらアキラの頭の中には入ってこなかった。
そんな。 いや。 まさか。
アキラはその胸中に湧いた奇妙な疑念を拭いきれずにいた。