与党編-14【ウェスト・キャバレー・ドライブ】
その日、放課後の視聴覚室は騒がしかった。
授業が終わると同時に、軽音楽部の部員が手分けして一斉にアンプやドラムセット、PA卓を運び込む。
教室のカーテンを目張りし、申し訳程度の防音対策を。
セッティングが終わると、PA組が息を合わせて音響の調整に入る。
「ハー、ハッ、ハー、フー、チェッ。 へー、ハー、ハー、ハー」
マイクに向かって、PAが歯切れ良い発音を繰り返す。
傍から聞いていると意味不明な単音の羅列。
音の調整の間に、出場者達は自分達の演奏曲をもう一度反芻する。
ブッキングは、くじ引きによるアトランダムだ。
いつ自分の出番が来てもおかしくない。
どの順番に来ても、自分の全ての力を発揮できるように集中力を高めておかなくてはならない。
今日は学祭出場バンドを決める選考会の日だった。
エントリーバンド総数、十二バンド。
この内、得られる出場枠は八つ。
必然的に、票を集められなかった四バンドが脱落するという事になる。
PAの調整には一時間ほど掛かる。
その間に、バンドの代表者が集まってくじ引きでブッキングを決定する。
ブッキングは、次のように決まった。
① ファットマン(サンボマスターのコピー)
② ハイジャック(エルレ・ガーデンのコピー)
③ 悪猿(アークティック・モンキーズのコピー)
④ ビスケット・オリバ(アンチェインのコピー)
⑤ ソウルアップ・スタイル(ノートのコピー)
⑥ ディープ・インパクト(ディープ・パープルのコピー)
⑦ なまけタイガー(ハイロウズのコピー)
⑧ 動脈インジェクション(椎名林檎と東京事変のコピー)
⑨ デッドフィッシュ・シンドローム(エヴァネッセンスのコピー)
⑩ ブラッド・サッカー(ラルク・アン・シエルのコピー)
⑪ アナボリック・ステロイド(オリジナル)
⑫ スカトロ(ニルヴァーナのコピー)
首位候補の、ディープ・インパクトとステロイドが上手い具合に散った。
二年三年ともなると慣れたものだが、一年生にとってはこれが初めての選考会である。
皆緊張に包まれて、慌ててiPodを聴き直したりしている。
それは、ツジコも例外ではなかった。
バンドというのがチームである以上、自分のミスは自分一人の責任では済まない。
一年の最大の祭りである学園祭への出場権が懸かっているのだ。
その双肩にかかるプレッシャーは並ではない。
行き場のない焦燥に駆られ、必死にiPodに意識を集中させている。
その時、後ろからぷつっとイヤホンが引っ張られた。
音が途切れる。
振り向くと、そこにアキラがいた。
「ツージコ。 本番当日に課題曲聴きこむと、力が入りすぎてミスるぞ?」
「あ、ちょっと先輩。 返してくださいよー」
奪われたイヤホンを取り返そうとツジコがもがくが、短いツジコの腕ではアキラの手まで届かない。
玩具を取り上げられた子供のように喚くツジコを、周囲はニヤニヤと眺めていた。
「今更ジタバタしたって遅いっ。 ドラムがどっしり構えてなきゃ、他のメンバーが不安になるだろう」
「そ、そんな事言われたってぇ」
「さ、諦めて本番に臨め。 腹をくくらないと安定したリズムが刻めないぞ。 ビートってのは正直なもんだ。 聞いてれば、ドラマーの心の動きまで手に取るように分かる。 ビビって叩いてると、早く終わらせよう早く終わらせようとしてリズムが走る。 それじゃあ周りはついて来れないぜ」
「うう……」
アキラは、うなだれるツジコのその頭に手を添える。
「自信を持てよ。 お前だって、吹奏楽で三年ドラムやってきただろ? 大塚愛でシクってた頃に比べたら、お前は格段に巧くなった。 自信って言葉は、『自分を信じる』って書くんだ。 三年間お前に染みついたドラムの腕を信じろって」
「先輩―――――」
ツジコは、アキラの思いがけない激励に顔を輝かせる。
しかし、すぐにそのアキラの表情が何処かおかしい事に気がついた。
何故、アキラの笑顔が、今日はこんなにもわざとらしいのだろう。
まるで、哀しい事があったのに、無理して作り笑いをしているようだった。
あるいは、何かを諦めてしまったような。
「何か、あったんですか?」
「ん? 何か?」
アキラは笑顔で尋ね返す。
「だって、今日のアキラ先輩、なんだか―――――」
「何でもないよ」
アキラは言った。
「何でもない」
――――――――
何だろう。
ツジコは思った。
そうだ。
この人は。
悲しい時にこそ、笑うのだ。
ギュイイイイイイイイイイインン!!
耳をつんざくような、ギターの音。
ハウリ気味のその音量をPAが調整し、簡単なリハが終わる。
最初の出番は『ファットマン』、サンボマスターのコピーの3Pバンドだ。
ギターの眼鏡デブが、「あーあー」とマイクテストする。
「どーもー、ファットマンでーす。 僕達、サンボマスターのコピーやろうと思い立ったんですけど、よく考えたらメンバーが誰もサンボマスターの音源持ってなかったんでオリジナルやりまーす。 聴いてください。 『へっちゃら』」
言い終わるのと同時に、壮絶なグランジテイストのギターがアンプから流れ出した。
荒々しいドラムにテキトーなベースライン。
絵に描いたようなパンクサウンドだった。
ギターのデブは徐々に自分の世界に入り込み、汗だくになってギターをかき鳴らす。
この辺はさすがにサンボマスター色といった感じだった。
『ファットマン』が終わると、エルレ・ガーデン、アークティック・モンキーズ、アンチェイン、ノートといかにもなエモロックバンドが続いた。
どれも誰もが知っている大御所のコピーであるだけに、高校生らしい粗さが目立つ。
特にアンチェインは、元が技巧派サウンドであるだけにほとんど再現出来ていなかった。
背伸びをしすぎた結果だろう。
それらの演奏が終わると、いよいよ首位候補の一つ、部長・ハルキの『ディープ・インパクト』の出番だった。
メンバーが配置につくと、聴衆は息を呑んで音を待つ。
皆、知っているのだ。
このバンドが、頭一つ図抜けた立ち位置にいる事を。
「おらっ、行くぞお前らー!」
ハルキの音頭と共に、ゆっくりドラムがロールを始めた。
粒の揃ったスネアのロール。
そこにベースラインが乗り、エミリのキーボードが乗り、ハルキのギターが乗る。
津波の去来を予感させる、音の満ち引き。
曲調が徐々に転調してゆき、ボルデージの上がりきった所で爆発的なドラムのフィルインが入った。
曲が始まった。
ディープ・パープルの『ハイウェイ・スター』だ。
圧倒的な存在感を誇るヴォーカルのシャウトとギターサウンド。
八十年代とは思えぬほど疾走感に溢れた重厚なサウンドが、視聴覚室を支配する。
完成度は先の五バンドとは比較にならない。
それは、魅了というよりも制圧に近い吸引力を以て、聴衆を惹きつけた。
サビが終わり、長いギターソロが始まる。
目で追う事さえ困難な運指。
螺旋の渦を描くようなハルキのスイープに、エミリの高速の打鍵が絡まる。
それはもはや阿吽の呼吸という形容さえもが白々しい、高度なユニゾンだった。
速弾きを邪道と謗るギタリストでさえ、この技には括目せざるを得ないだろう。
米国という音楽大国で十年もの間研鑽を積んだこのハルキという少女の技量は、たかだか三年そこら楽器経験を積んだだけの高校生とはそもそも経験値からして容量が違っていた。
それは感性ではない。 才覚ではない。
単純な、技巧の差だ。
圧倒的な練習量と経験値の差。
ハルキという人間の中に詰め込まれたそれらが、『ハイウェイ・スター』のギターソロという形で噴出されたのだ。
選考を待つまでもなく、結果は日を見るより明らかだ。
このバンドが選ばれなくて、他のどのバンドが選ばれるというのか。
それほどまでに雨宮ハルキという少女のギターは、桁外れに、掛け値無しに本物だった。
次点に控えるのは、ハイロウズのコピーバンド『なまけタイガー』だ。
曲目は『俺軍、暁の出撃』。
明らかに勝ちを狙いに来ている選曲だ。
しかし、完成度云々の前に、このバンドはくじ運が悪すぎた。
前座がハルキのディープ・パープルでは、どんな技巧も霞んでしまう。
向けられる厳しい視線に、メンバーも動揺を隠せない。
結果は、おそらく、彼らのとっても散々な出来栄えだったに違いない。
次が、『動脈インジェクション』―――――――ツジコのバンドだ。
椎名林檎の『正しい街』。
ツジコも腹をくくったのか、ドラム席に座った今は落ち着いて見える。
深呼吸を一つ。
スネアとクラッシュ・シンバル、バスドラムを絡めた印象的なドラムソロでイントロが始まる。
一年生比率の多いバンドにしては、この順目にありながらなかなかに健闘していた。
次いで、エヴァネッセンスのコピーバンド『デッドフィッシュ・シンドローム』。
選考会にも関わらず、ヴォーカルはエイミー・リーさながらのメイクで登場して聴衆をざわめかせる。
キーボード不在のため、カヴァーと言っていいような内容になってたが原曲のラウドさは充分に再現されていた。
破壊力抜群の縦ノリのナンバーが視聴覚室を席巻する。
ラルクのコピーバンド『ブラッド・サッカー』が終わると、いよいよ大本命『アナボリック・ステロイド』だ。
ヴォーカルにリュウジ。 ギターにジャガー。
ベースにエノケン。 ドラムにアキラ。
キーボードを除く全てのパートのトップが集った軽音のオールスターバンド。
すでにプロからも息のかかった彼らは、その纏う空気が、存在感が他のバンドとは別物だった。
だがしかし、部員達は妙な違和感を感じ取っていた。
いつもは完璧なまでに噛み合っていたその雰囲気が、今は何処か不整合なようで。
リュウジが。 ジャガーが。 エノケンが。 アキラが。
何故か一様に思い詰めたような表情を浮かべていた。
今更緊張をするような連中でもない。
では何が――――――
違和感を拭い切れぬまま、メンバーが配置につくのを待つ。
特にMCもなく、演奏が始まった。
「え――――――」
始まったギターフレーズを耳にして、部員達はその違和感をさらに確かなものにした。
それは、『ステロイド』のオリジナル曲ではなかった。
リンプ・ビズキットの『テイク・ア・ルック・アラウンド』。
『ステロイド』がまだコピーバンドであった時に演奏していた曲だ。
何故、今更コピーを?
叩きつけるような破壊的なサウンドは、確かに他のバンドには比類がない完成度を誇っている。
リュウジの矢継ぎ早に繰り出されるラップは、いつも以上にキレているぐらいだ。
メンバーのプレイに不調がある訳でもない。
しかし、この名状し難い違和感は何なのだ?
そして。
曲は終わった。
もう時刻は七時を回っていた。
ハケが終わり、部員は全員部室に集められた。
バンド投票の集計が終わったのだ。
泣いても笑っても、4バンドは落とされる。
出場バンドと、そのブッキングがこれで決まる。
雨宮ハルキはバインダーに挟んだ集計結果を手にすると、高らかにそれを読み上げる。
「お待たせしました。 とうとう、今年の学園祭出場できる八バンドが決定しました」
部員達は、息を呑んで次の言葉を待つ。
「それでは発表します。 今年の学園祭出場バンドは―――――――」
結果が、発表された。
テニス部の更衣室の裏に、二人は立っていた。
180を超える大柄な男子と、女子のような華奢な男子。
エノケンと、アキラだった。
どっぷりと日の暮れたグラウンドの片隅に、二人は立っていた。
「すっかり寒くなっちまったな―――――」
エノケンは呟いた。
「聞いたか? 俺ら、二位だってよ。 これからメジャーの舞台で戦ってこうってのに、高校の部活レベルで二位だ。 笑っちまうよな?」
自嘲気味に、エノケンは笑った。
アキラとは、目を合わそうとしなかった。
「ハルキ達も上手かったからな。 仕方ないさ」
「なぁ、アキラ――――――」
「何でなんだ?」
そこで、初めてエノケンはアキラの方を見た。
乾いた、笑顔で。
「何って――――――」
「約束、したじゃねぇかよ。 俺達はメジャーの舞台に行くんだって。 二人でレッチリを超えるんだって」
「――――――――――――」
「なのに、なのによ……」
「どうして、『ステロイド』を辞めるんだ?」
ズクン、とアキラの心臓が波を打った。
言葉が、胸に突き刺さるようだった。
「俺はさ」
エノケンは続ける。
「この四人なら、行けると思ってたんだ。 お前にベースを貰って、ライブを続ける内に自信もついてきて。 高校に入って、ジャガーっていうすげーギタリストに出会って、リュウジみたいなパワーのあるヴォーカルも見つかって」
「―――――――――」
「俺達は、四人とも同じ方向を向いてると思ってたんだ。 確かに、リュウジの奴は自己中なとこもあるし、俺とはよく喧嘩ばっかしてた。 お前にもそれでよく迷惑をかけたよ。 でも、それでも、根っこの深いところじゃ繋がってると思ってた――――――」
「―――――――――」
「お前は、そうじゃなかったのか、アキラ?」
それは、責めるような口調ではなかった。
詰問ではなく、懇願のような。
「なぁ、エノケン」
アキラは言った。
「俺はもう、疲れたんだよ」
「………ッ」
「あのバンドを続けても先は無いと思ったんだ。 だから、俺が『ステロイド』で演るのも、今度の学祭が最後だ。 オリジナルの『ステロイド』じゃあなくて、コピーだった頃の『ステロイド』で」
エノケンは目を瞑る。
彼が、その申し出を聞いたのは、つい先日だった。
アキラが『ステロイド』を辞める。
信じられない申し出だったが、アキラ本人に確認して、それが事実だと知った。
「安心しろよ。 俺の後任には、幾島マネージャーの紹介でスタジオドラマーが入る。 当然、俺よりよっぽど上手い人だろうし、ある程度活動が軌道に乗ってきたらオーディションで探してもいいだろ」
「――――――――――」
その言葉が、エノケンにとっては衝撃的だった。
アキラが、まるで『ステロイド』の事を他の世界の出来事のように語るのが。
「なぁ、エノケン」
「ああ?」
「俺は、お前とは違うんだ」
「何だと……」
「いつも、思ってた。 俺と、お前は違う。 お前は与党で、俺は残党だ。 お前は強くて、運動神経もよくて、後輩の面倒見もいい人気者だ。 俺は違う。 中学の時はいじめられっ子で、吹奏楽部でも干されてた、嫌われ者の『ヨーダ』だ。 いつもお前が羨ましかった。 いつもお前を妬んでた。 お前と一緒にいる時も、俺は孤独感から解放された事は一度もない」
「待てよ……俺は、そんな事……」
「そうだ、お前にそんなつもりはないだろう。 お前は挫折を知らない。 だから、お前に、弱者の気持ちは分からない――――」
突き放すようなその口調に、エノケンは瞬間的に激昂する。
胸倉を掴み、拳を上げるが――――――
アキラの目を見て、エノケンはその振り下ろし先を失う。
どうして、そんな悲しそうな目をしているのか。
どうして、そんな哀しそうな目をしているのか。
エノケンは襟を掴んだ掌を離すと、どんとアキラを突き飛ばす。
「なぁ………俺達、もう、お終いなのか?」
「……かもな」
それで、二人の間は終わりだった。
「話は、それだけか?」
アキラは、言った。
「ああ、そうだな――――――俺達はもう、お終いかも知れない」
アキラは、襟を正すと、エノケンに背中を向けた。
「………帰るよ。 ツジコを待たせてるんでね……」
それきり、言葉を発さず、アキラはグラウンドを去って行った。
エノケンは掛ける言葉が見つからず、ただ歯を噛んで、拳を震わせて、涙を流した。
「…馬鹿野郎……大馬鹿野郎……!」
吹きさらしの秋風が、やけに肌に染みた。
もう夏服で出歩くには、夜の風は寒過ぎた。
アキラが校舎の昇降口に戻ると、ツジコが泣き腫らした顔で立っていた。
『動脈インジェクション』は、辛くも学園祭出場を逃したのだ。
ツジコはアキラの姿を見つけると、駆け足で歩み寄ってきてその胸に飛び込み、人目もはばからずに泣いた。
アキラは、何も言わずにその背中を抱きしめる。
今の自分に、掛ける言葉など一つもない。
ああ――――
どうして世界はこんなにも冷たいのだろうか。
アキラは、腕の中にあるこの温もりだけは手放すまいと言うように、ぎゅっと力を込めた。