与党編-15【カーテン】
「おい、聞いてくれみんな!」
ZAN党の練習明けの麻雀の時に、またチバが妙な事を言い出した。
会場はいつものトーヤの家だ。
テーブルの上に牌をばらまいた状態で、チバは熱弁する。
「麻雀といえば、大富豪と並ぶローカルルールの温床だ。 いわば、カスタムの余地が大幅に残されたシステムと言っていい。 既成概念を破壊する事を目的としたパンク精神の徒である俺達『ZAN党』が、既存のルールをそのまま流用する事はなんか間違ってると思うんだ」
何を言ってるんだこのカスは…という目で、ユゲとトーヤとタカヒロはチバを見る。
演説する自分に酔ってるチバは、構わず続けた。
「そこで俺は新たな手役を俺達の公式ルールに採用する事にした! その名も、『男単騎』!」
「『男単騎』……だと……」
名前からして地雷臭のするそのネーミングに、一同は不穏な気配を感じた。
「うむ。 この手役の条件はな、四副露する事だ。 鳴きはチーでもポンでもカンでも構わないが、ただし暗槓は認めない。 四副露すると必然的に単騎待ちになるだろう。 手牌はほぼ全部オープン。 ここで他家にオープンリーチを掛けられたらほぼ回避不能の無防備状態。 自軍はほぼ壊滅、オープンリーチに振れば役満という絶対的危機状況に陥りながらも、裸一貫で敵に立ち向かう男らしい単騎待ち。 言ってみれば、『王の軍勢』を失いながらも唯一人でギルガメッシュに立ち向かったイスカンダル様状態だ。 その男気に免じて、この単騎待ちに二役を与えるものとする!」
「四鳴きする時点で、男気どころかかなりのチンカスだと思うが。 要するに、役なし四鳴きこいた馬鹿の救済措置か」
「そうとも言うが、こいつがなかなか出来ないんだ。 意外に牌ってのは順子か対子になってくるからな」
「わざわざ手崩してまで四鳴きしても二役か。 振り込みのリスクを考えると割に合わねーな」
「トイトイか役牌、もしくはドラが絡めば即満貫だぞ」
「そして、テンパイしたとこ見計らって、オープンリーチで役満振り込みですね、わかります」
いつものクズい面子。
いつものクズい会話。
そうだ、いつもの残党だ。
だが、一つだけ以前と変わった事がある。
それは、タカヒロにサリナという彼女が出来たという事だ。
(こいつらにはサリナの事は言えないな……)
と、タカヒロは思った。
『ZAN党』には結成時に作られたいくつかの不文律が存在する。
そのうちの一つが、『彼女が出来たらクビ』、というものだった。
実にお互いの足を引っ張り合う事を旨とする残党らしいクズルールだ。
数少ない仲間に隠し事をするのは忍びなかったが、それも場合によりけりだ。
あともう半年もしないうちに卒業が待っている。
ならせめて、最後のライヴを終えるまでは隠し通そう。
そういえば、まだサリナとはデートもしていない。
この麻雀が終わったら、また電話でも掛けてみるとしよう。
サイコロを振る。
出目は九。
タカヒロの起家で半荘が始まった。
ビリヤード・カフェ『プール・スクエア』。
ミナコの職場であるそのカフェでは、ビリヤード台で玉撞きをしながらコーヒーを楽しむ事が出来る。
フォーマルな制服に身を包んだミナコは、キューの先にチョークをなすると、おもむろにキューを構えた。
左手の人差し指と中指の間にキューを通し、その先端を手玉に突き付ける。
見開かれた目は、狙撃手の様に的球を見据え、狙いを固定する。
照門と照星が一直線に結ばれ、撃鉄が起きる。
引き金を引くように、ミナコは渾身の力でキューを突いた。
ブレイク・ショット。
尋常ならざる速度で弾かれた手玉の威力に、カラーボールは爆発的に霧散して、ラシャの上を縦横無尽に弾け回る。
その内の一つ、カナリア・イエローの的球が、叩きつけられるようにしてポケットに落ちた。
ブレイク・ショットでいきなりナインボールをポケットさせる大技、『ブレイク・ナイン』だ。
「おーおー、まーさか入っちまうとはね」
ミナコは、突き終わったキューを布で拭いながら感嘆の声をあげる。
エノケンはその力技に声を失っていた。
「勘弁してくださいよ~。 俺に順目回ってきてないじゃないっすかー」
「馬っ鹿、ビリヤードの究極の勝ち方は、相手に一突きもさせずに勝つ事なんだよ! そいつがどんだけ技術がいる事か、アンタわかってんの?」
「いやまぁそうかもしんないッスけど。 ビリヤード屋の店員がそれは大人げないっつーか、美学がないというか」
「獅子はミトコンドリアを討つ時にも全力を尽くすという……」
「どんだけ弱肉強食なんですか!? 鬼畜過ぎじゃないっすか!」
ミナコはエノケンの抗議もどこ吹く風で、砂糖をたっぷり入れたエスプレッソをすする。
マキネッタで淹れた本格的なエスプレッソだ。
そのままでは顔をしかめそうな程苦いエスプレッソが、砂糖と出会う事でその苦味をコクに変える。
「……なんかあったのか?」
ミナコは、呟くように言った。
「アンタが用もないのに一人でアタシんとこ来るとは思えねぇ。 それとも、愛の告白にでも来たのかい?」
「――――――」
見透かされている、とエノケンは思った。
ああ、だがそれも当り前か。
向こうは五年も長くこっちの世界で生きてるのだ。
こっちの悩みなど全てその掌の上の出来事なのかもしれない。
「アキラが―――――『ステロイド』を抜けました」
「…………!?」
ミナコが、キューを吹く手を止める。
「一昨日、俺に相談もなく、辞めたって事だけ告げられました。 俺は止めたけど、聞く耳持たずって感じで」
「――――――――」
「代わりのスタジオドラマーとは、昨日曲を合わせてきました。 確かに技術だけで言ったら、アキラより数段上でしたよ。 でも、なんか違う。 うまく言えないけど、あれはなんか違うんだ」
ミナコは、黙ってエスプレッソをすすり続けた。
やがって、他の客がビリヤードを辞めて会計所に来た為に、ミナコはその接客に回る。
レジを打って客が帰ると、不意に、ミナコはエノケンの方に向き直った。
「そうかい、アキラの坊やは抜けちまったのか…」
ミナコは懐からキャメルのメンソールを取り出すと、口に咥え、火を点ける。
勤務時間中に喫煙とは店員にあるまじき行為だが、幸いこの時間、他の店員はいなかった。
「なぁ、エノケン。 アンタ、童貞かい?」
「な、いきなり何を……!?」
「いいから答えろよ」
「あ、ん………まぁ…そうっス……」
「じゃあ、ソープは行った事あるかい?」
「な、無いッスよ! 言った事ある訳ないじゃないっスか!」
エノケンは顔を紅潮させて叫ぶ。
エノケンの巨躯が、羞恥で赤鬼の様に真っ赤になっていた。
「アンタの感じた違和感は、『そういう事』だよ。」
「え……?」
「スタジオドラマーとのセッションは、風俗嬢とのセックスみたいなもんだって言ってんだよ。 テクニックだきゃあるけど、愛がない。 手前とアキラの仲は一朝一夕じゃないだろう? 微妙なミスの癖とか、曲の走り方も含めてお互いの呼吸が分かってる。 いいかい、バンドの中でもリズム隊の絆ってのは特別なんだ。 ドラムとベースはリズムの起点だ。 その意識の繋がりは、早々に替えがきくようなチャチいもんじゃないんだよ」
「――――――――」
「信じてやんなよ、お前の相方を。 アキラがどうしたいかじゃねぇ、お前がどうしたいかだ。 どんな形にせよ、このまま決着付けずにプロの世界に行ったら死ぬまで後悔すんよ?」
「――――――――」
ふとエノケンは思った。
何故、アキラはあんな短絡的な行動を取ったのだろう。
よくよく考えれば、自分だって気づいた筈なのだ。
アキラがそう簡単に自分の責任を放棄する人間ではない事に。
「そうか……そうですよね」
エノケンは反芻する。
自分は知っていた筈だ。
アキラの強さも。 アキラの弱さも。
清濁含めて、自分はアキラとリズム隊を組んで来た筈だ。
「ミナコ先輩、エイトボールやりませんか? コーヒー賭けて、三回先取マッチで」
「オイオイ、アタシは勤務中だぞ……………まー、いっか。 でも、手加減しないよ?」
エノケンがキューを構える。
ブレイク・ショット。
小気味よい音を立てて、16個の球が弾けた。
伝えなければいけない。
彼らの歌を。 彼らの歌を。
音楽は永遠だ。
だが刹那的だ。
やがてそれは風化し、空っ風と共に空に帰る。
だから伝えなければならない。
誰かに、誰かに伝えなければならない。
それは魂の伝播だ。
たとえ肉体が滅んでも、その音は生き続ける。
ジミヘンが空に還っても、パープル・ヘイズがこの世に在り続けたように。
だから死は怖くない。
最も恐ろしいのは風化する事だ。
存在がこの世に霧散する事だ。
ユラ。
ユラ。
私の名前はユラ。
それが私に与えられた記号だ。
風化する事を恐れ、霧散を拒んだ魂の残滓。
しかし、私は誰だ? 何処から来た?
思い出せない。 思い出せない。
一つだけ覚えている事。
私の名前はユラ。
一つだけやらばければならない事。
それは歌う事。
滅びの歌を。 再生の歌を。
だって、いる筈なんだ。
この世に何処かに、この歌を待っている人が。
伝えなければならない。 伝えなければならない。
風化する前にこの歌を。
ああ、そうだ。
私はこの世に残された、唯一の音源だ。
いつものように、私は歌い続ける。
たとえそれがバベルの頂に届かなくとも。
自我が目覚めつつある。
私の自我が目覚めつつある。
意識の何処かで、それが恐ろしい事である事に気づく。
いけない。
気づいてはいけない。
私が誰なのか。 私が誰なのか。
気づいた時に、全てが終わる―――――――
ユラは、夢から覚めたような思いで街の通りに立っていた。
今日も『妄想ハニー』の活動が待っている。
歌を相方とただ歌うだけ。
理由は分からないが、何故かそれをしなければならないという義務感だけが自分の中にある。
自分の中に歌がある。
自分の中に、歌が詰まっている。
何処で覚えて来たのか。
何処で聞いたのか。
それはまるで思い出せない。
ただ、それだけが自分の存在を証明するアイデンティティだった。
まるで自分は、生きたiPodだ。
音楽を外に出す事でしか、その存在を証明できない。
その方法を知ったのは、会い方に出会ってからだった。
ああ。
もうすぐ時間だ。
相方が、ギターを持ってやってくる時間だ。
時刻は夕刻。
『妄想ハニー』の活動が始まる。
駅の方から、やたら大きなギターケースを抱えた少女が走ってきた。
息を切らして、彼女はやってきた。
「ごめーん、ユラ。 バンドの方の会議が長引いちゃってさー」
「気にする事はないよ。 君は多忙な人なんだろ、雨宮ハルキ」
「それ、皮肉? 仕方ないでしょ、あたし、軽音楽部の部長さんなんだから」
雨宮ハルキと、そして私。
『妄想ハニー』の面子が揃ったところで、活動に映るとしよう。
ユラとハルキは、ギターを取り出した。
腕の中でツジコが寝息を立てていた。
気づいたらもう夜七時だ。
そろそろツジコを帰さないと、両親が心配するだろう。
アキラはシャツを羽織ると、ベッドを下りて充電したままだった携帯を見る。
着信を示す、赤いランプが点灯していた。
ディスプレイを広げてみる。
「不在着信一件」「留守番電話一件」
不在着信の履歴をクリックする。
相手はエノケンだった。
反射的に消そうとするが、ふと思いとどまり、留守番電話をクリックする。
ケータイを耳に当てると、ピーッと電子音が鳴った。
『留守番電話が一件。 保存されたメッセージはありません。 メインメニューです。 メッセージの再生は①を、メッセージを消去する場合は⑦を押して…』
ピッ
ザァァ…と砂嵐のような電子音が鳴る。
『もしもし、アキラ? 俺だ。 ケンタ。 俺達さ、来週の土曜に、「イスカンダル」でライヴやるんだ。 AMCレコード主催のイベントで、俺達がトリ前を務める。 今回のライヴでちゃんとした結果を残せたら、デビューはほぼ本決まりなんだってよ。 なぁアキラ、俺達、ここまで来たんだ。 ここまで来たんだぜ? ホントなら、お前がそのドラムの椅子に座ってるべきなんだ。 覚えてるかよ、俺達が会った日の事? お前があの日、音楽室で一人残ってて、俺が電気を消しに音楽室行った時。 あの時、俺の運命は決まったんだ。 お前の「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を聴いた時に。 お前に誘われなかったら、俺は絶対音楽なんてやってなかった。 今頃、松井や野茂に憧れて、甲子園でブイブイ言わせてただろうさ。 だけど俺は後悔なんてしてない。 野球で得られるのは栄光だけだけど、音楽は人を幸せに出来るって、今でも信じてるからな。 もし。 もし、お前にもう一度俺達とやる気があるんなら、俺に連絡して欲しい。 もし、俺達のやってる事がくだらねぇって思うんなら、唾でも吐き捨てるつもりでライブを見にきてほしい。 後悔だけはしたくねぇんだ。 これが本当に最後だ。 “俺達の”「ステロイド」は、もうこれで最後だ。 どんな形であろうと、最後はお前に見届けてほしいんだ。 それから―――――』
アキラは、耳を傾ける。
『俺は、お前を見下したりした事は一度だってねぇ。 それどころか、尊敬してる。 だって、お前は負けなかった。 「ヨーダ」って言われていじめられた事にも、指の障害にも負けやしなかった。 俺は、お前の事を――――――』
―――――――プツッ
アキラは、⑦のボタンを押した。
『メッセージを消去しました。 保存されたメッセージはゼロ件です』
乾いた掌で、顔を覆う。
ツジコは寝ている筈だが、誰にも、顔を見られたくなかった。
指の隙間から、熱い液体が滴りだす。
我知らず、アキラは嗚咽しだしていた。
「だから……だよ………」
それはもはや止まらなかった。
いつの間にか、顔は涙でくしゃくしゃになっていた。
「ケンタは―――…俺と一緒にいちゃいけないんだ―――――… お前は―――……上に行ける人間なんだから――――…上に行かなきゃいけないんだから―――――…俺なんかに構ってちゃいけないんだ―――――……」
スティックケースから、スティックを取り出す。
手垢のびっしりついた、ヒッコリーのスティック。
腹の部分はささくれて、稲穂の様になっている。
これまで自分の生きてきた証。
だが、そんなものに何の価値もない。
べきり
少し力を込めると、強度の弱っていたヒッコリーのスティックはいとも簡単に腹から折れた。