番外編-【ステイ・ゴールド】
プシュ、と夜空の下で缶ビールのプルトップを開ける。
蒸し暑い夏の夜だった。
今日も一日、辛い営業を終えて、カッターシャツの第一ボタンを外し、ネクタイを緩める。
しゅわっと炭酸ガスの匂いが漂うのもつかの間、俺は一気にビールを喉の奥に流し込んだ。
ゴッ、ゴッ、と喉が脈を打つ。
――――――旨い。
叩きつけるような喉越しと爽快感が俺の身体を突きぬけていく。
火照った身体にビールの冷たさが心地いい。
仕事が終わってから帰路につく途中で飲むビールが一日の最高の楽しみだ。
朝は日が昇る前に起きだして仕事の準備をし、夜は日がすっかり暮れてからの帰宅。
帰宅後は、明日の分の書類整理に家事炊事。
自分の時間など持てよう筈もなく、平日の行動と言えば家と職場の往復。
典型的なワーカホリックだ。
だが、就職難の中ようやく手に入れた仕事、容易に手放す勇気が持てるでもなく、ズルズルとこれまで続けてきてしまった。
転職の機会を待とうにも、世の情勢は悪くなる一方だ。
辞めたところで次の仕事が見つかる保証は何処にもない。
ふと夜空を見上げれば、無数に輝く星々。
このまま、好きでも無い仕事を続けて、老いさらばえ、この広い宇宙の片隅で独り朽ちてゆくのだろうか。
ビールの缶が空く頃、住宅街を抜けて、閑静な郊外に出る。
街灯もまばらな自然公園を抜けて、家路に。
夏だけに灯に群れるは虫達がひどく煩わしい。
ジャングルジム。 シーソー。 ブランコ。
ひどく懐かしく、だがしかし今の自分には感慨さえ遠過ぎる遊具の数々を余所に見る。
その中に、ひときわ目を引く人影が一つ。
ワインレッドのド派手なドレスに、盛りに盛った派手な金髪。
年の頃は二十代も後半か、あるいは三十路に片足を突っ込んでるぐらいだろうか。
背中からヒップにかけてのラインが妙に艶めかしい。
一目でキャバ嬢かその類の職業と分かる女性が、水飲み場で吐瀉していた。
控えめな言葉で言うと、ゲロを吐いていた。
酔いも一瞬で覚める、生々しい濁流音。
これは関わりたくない。リアルに関わり合いになりたくない。
闇と一体化してそそくさとその場を通り過ぎようとした時、不意に背中から、酒焼けした声がかけられた。
「あれ……もしかして、シュンスケ?」
既視感。
耳朶に染みついた、覚えのある声。
俺の名を口にしたキャバ嬢は、蛇口の水で口をゆすぐと虚ろな目をこちらに向けた。
「……!? サヤカ………か?」
俺は意外な人物との再会に声が裏返った。
濃い化粧と衣装、髪の色も俺が知るものとはかけ離れているが、間違いなくそれは高校の同級生だったサヤカだった。
もっとも、様変わりしたというのなら俺も人の事は言えやしない。
当時、茶髪にツーブロックにしていた頭は、今では見事にスポーツ刈りに変貌し、目元には黒縁メガネ。
PIZZA OF DEATHのバンドTシャツのへヴィーローテーションは、カッターシャツと背広に取って代わられた。
大人になるというのはまぁそんなもんだ。
第一、最後に会ってから十年以上が過ぎている。
変わっていない方がどうかしてるというものだ。
すっかり別人のようになったサヤカは、右手の親指を二本突きだすと、煙草を吸うジェスチャーをして見せる。
「ヤニ、持って無い?」
「ああ、セッタで良けりゃー」
俺は、懐から、口開きのセブンスターを取り出すとサヤカに差し出した。
「サンキュー」
サヤカは煙草を咥えると、ライターで火を点け、美味そうに吸いだす。
「ヴィヴィアンのジッポはもう止めたのか?」
「……いつの話してんの? ジッポで客の煙草に火ぃ点けるキャバ嬢が何処に居ると思う?」
――――というか、やっぱキャバ嬢だったのか。
紫煙を肺に吸い込み、酩酊した頭で会話の糸口を探す。
営業職ではあるものの、元々俺は会話の得意な方ではないのだ。
「……今は何やってんの?」
先に口を開いたのはサヤカの方だった。
「ああ、仕事? 営業職だよ。 車の部品とか、そういうやつ」
「そっか……アンタ文系だったもんね」
「これでも就職浪人したんだぜ。 運が悪りーよ、ちょうど俺が就活始める年から氷河期入っちまったからな。 それまで売り手市場だったのに」
と、そこまで言ってから失言に気付く。
サヤカも、俺と同い年でキャバ嬢やってるという事は、仕事にありつけなかったのに違いない。
客観的に聞いてみれば、上から目線もいいとこだ。
こういう気遣いの出来無さが、俺の営業に向いてないファクターなのだ。
「へー、苦労してんだエーギョーマン。 そういや、アンタ、ベースはまだやってんの?」
サヤカの言葉に、不意に懐かしさがこみあげてくる。
ベース、か。
俺とサヤカを繋げた、バンドという絆。
高校生の頃、俺達は一緒にバンドを組んでいた。
俺がベース・ヴォーカルで、サヤカがギター。
髪を真っ赤に染めて、ESPのナヴィゲーターを狂ったようにかき鳴らしてモッシュピットで暴れ転げていた彼女の、今の姿を誰が想像したろうか。
学園祭で、ライブハウスで、ロック・フェスで、俺達は同じ時間を共有していた。
俺とサヤカは、付き合っていた訳ではない。
ただ、バンドメンバーとして四六時中、音楽にまみれて馬鹿やっていたというそれだけの、しかし他に掛け替えのない関係だった。
ベースを弾いて歌っている時、俺は無敵だった。
ライブの時の俺は、スターを手にしたマリオだったのだ。
何にブチ当たるのも怖くなかった。
それは、十代の黄金の時間だ。
もはや帰ってくる事の無い時間。
俺達は気づけば三十も間近になってしまっていた。
ベースももう長い事触っていない。
ピックの握り方も、運指のやり方ももはや身体は覚えていないだろう。
「いや、もう触ってもいない。 高校卒業してから、ずっと押し入れに入ってるから、もう弦もボロボロになってるだろうな」
「もったいないなー。 あんだけ馬鹿みたいに弾いてたのに」
「お前だってギター弾いてないだろ。 その伸びまくった爪見れば分かるよ」
「いつまでもギター・キッズじゃいられないしね。 そーいや、知ってる? 今度、ハイスタ復活するらしいよ」
「マジで? ハイスタが!?」
つい子供のような声が俺の口をついて出る。
ハイ・スタンダード。
十代の、パンク・バンドのカリスマ。
俺達が学生時代にコピーしていた、神のようなバンドだ。
英語でありながらストレートに響く歌詞、圧倒的な疾走感とパワー。
あの頃は誰もがハイスタに熱狂していた。 誰もがハイスタに人生を懸けていた。
俺達も、間違いなくその内の一人だった。
『ステイ・ゴールド』も『マイ・ファーストキス』も『ディア・マイフレンド』も何度歌ったかわからない。
だが、ハイスタは伝説だけを残して、二十一世紀最初の年に活動を休止してしまった。
それが復活するとあっては只事ではない。
「マジらしいよ。 『AIR JAM』も復活するんだって。 まぁ信者多いから倍率がとんでもない事になりそうだけど」
「そりゃなるだろ。 だってハイスタだぜ? ぜってーチケ代ハネるだろ。 ぜってーだって!」
「今でも信者なんだねー。 アンタのハイスタ・キチっぷりは昔から変わってないわ」
「まーな。 ハイスタ聴いてると、今でも十代に戻ったような気分になんだよ。 『ステイ・ゴールド』の歌詞の邦訳聴いてみ? アレってガキの頃に聴くより、大人になってからの方が…」
と、言いかけて、ふと何故か目の奥が熱くなった。
何故かよく分からないが、瞬間的に涙腺が緩んで、涙が頬を伝って落ちて行く。
「――――――あれ……?」
「どした? 目にゴミでも入った?」
「いや……よくわかんね。 あれ……?」
訳の分からぬまま、俺は涙を拭った。
「変な奴」……と、ようやっとサヤカは昔のような笑顔を見せた。
「お前も行くだろ、『AIR JAM』?」
「まぁ、チケットが取れればね」
「いいよ、ぜってー取るって。 取るから一緒に行こうぜ。 もう二度と観れないと思ってたハイスタがもう一度観れるんだ。 取れなきゃダフ屋でも行くさ」
「ボラれるよ? そういう奴がいるからダフ屋がなくなんないんだよ」
「金より価値のあるものがあんだろ。 そうだ、連絡先教えろよ。 チケット手に入れたら連絡するから」
「あ、そうか。 ケータイ何年も前に変えたんだっけ。 いい? 090の―――――」
いつの間にか、俺は学生時代に戻っていた。
それはきっと束の間の既視感だ。
帰って、寝て、明日の朝、目が覚めればいつもの糞みたいな現実が待ってる。
だが、それでいい。
人は夢だけでは生きていけない。
人は現実だけでは生きていけない。
「ねぇ、これからもう帰る? どっか飲みに行かない?」
「大丈夫か? さっき吐いてたんじゃねーか」
「吐いてスッキリしたから呑み直すんでしょ。 近くに遅くまでやってるいいバーがあるけど、どうする?」
当然、断るつもりはなかった。
陰鬱な気分は消し飛び、すっかりいい上機嫌になった俺は、サヤカと肩を組んで歩きだした。
人気の少ない郊外に、俺とサヤカの二人の合唱が響き渡る。
「I won't forget When you said me "STAY GOLD"! I won't forget Always in my heart "STAY GOLD"!」
それにしても色気もへったくれもないヤンキー女子だったサヤカも女らしくなった。
酔った勢いで一発やらせてくれないかお願いしてみるのもいいかもしれない。
そんな事を考えながら、俺は二軒目を目指す事にした。
"STAY GOLD"
My life is a nomal life
Working day to day
No one knows my broken dream
I forgot it long ago
I tried to live a fantasy
I was just too young
In those days you were with me
The memory makes me smile
I won't forget
When you said me "STAY GOLD"
I won't forget
Always in my heart "STAY GOLD"
It was such a lonely time
After you were gone
You left me so suddenly
That was how you showed your love
Now I see the raal meaning of your words
They showed me the way to laugh
Though your way was awkward
I won't forget
When you said me "STAY GOLD"
I won't forget
Always in my heart "STAY GOLD"
オレの暮らしは何の変哲もなくて
毎日働きづくめで余裕なんてない
オレにも叶わぬ夢があったなんて誰も知らない
もうずっと昔に置きわすれて来たけど
オレは幻想の中を生きようとしていた
若すぎたんだ
その頃オレ達はいつでも一緒だった
オレを微笑ませる数々の思い出
オレは忘れない
お前が「いつまでも金ぴかのままで」って言ったこと
忘れないよ
いつも心の中に
お前がいなくなってからの時間は
ひどく寂しいものだった
突然オレの前からいなくなったけど
あれはお前なりの愛情表現だったんだね
今やっとあの言葉の意味が分かるんだ
だから今笑えるんだよ
お前の不器用なやり方
オレは忘れない
お前が「いつまでも金ぴかのままで」って言ったこと
忘れないよ
いつも心の中に「ステイゴールド」