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第二話『恋慕は救いのない罪状』

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「ういーつかれたー!」
 譲が部屋の鍵を閉めている間に、光一はベッドまで真っ直ぐに走るとそのまま倒れこんだ。
 その足取りはどう見ても酔っ払いのそれだ。
「おい、上着ぐらい脱いで寝ろよな」
 声をかけると、光一はうつぶせに寝そべったままもぞもぞと何かをしはじめる。譲が自分の上着を掛けてから再び眼を向けると、無残に床に落とされたジャンパーが自分の番を待っていたとでも言わんばかりに自己主張している。
 当の光一は、靴すら履いたままでベッドに突っ伏していた。
「……はぁ」
 光一の上着も引っ掛け、譲はバスルームへと向かった。
 東京には同窓会のためだけに帰ってきたため、今日泊まるのも実家ではなく東京駅近くのビジネスホテルだ。
 外しながら腕時計を見ると、もう夜中の二時を回ろうとしていた。昼ごろの新幹線のチケットを用意しているため、起きたらすぐに準備しなければ間に合わないだろう。
 その前に、軽くシャワーだけでも浴びておきたかった。
(今日は、俺もかなり飲んだな……)
 足元が微妙にふらつく。
 裸になって頭から冷水を浴びても、火照った体のせいか冷たいとは感じなかった。ゆっくりと頭に残った熱が抜けていく感覚。
 飲みすぎてしまったのは、やはり『彼』――村上健がいたからなのだろうか。
 そこまでたくさん話したわけではない。むしろ、同じテーブルに元担任の先生が付いてしまったせいで、ほとんど話すことが出来なかった。
 それでも、目ではいつも追ってしまっていた。
 健の声を少しでも留めておこうと耳を凝らしていた。
 うなだれるように風呂場の壁に手を付く。頭に叩きつけられる冷水は、いつのまにか冷たくて仕方ない。
「あーくそっ……。しょうもないな、俺」
 タオルをとってざっと身体を拭いて、備え付けのバスローブを羽織った。
 ビジネスホテルなんてものには初めて入ったが、朝食も出るようだし設備も思ったより充実している、何より安い。学生時代には駅の傍に建っているのを見上げるだけで、自分が泊まるなんて事は考えたことも無かったが、便利なものだなと譲は思った。
 バスルームから出ると、そのまま寝たと思っていた光一がベッドの縁に腰掛けてうなだれていた。
「水、いるか?」
「ん? ああ。頼む」
 譲は冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを一つ取り出し、光一に手渡した。
「そのまま寝ちゃった方が良かったんじゃないのか?」
「いや、俺もシャワー浴びとかねーとと思って。このまま倒れたら明日まともに歩けるかどうかも分からん」
「酔い抜きたいんなら、湯船張っとくけど?」
「ああ、じゃあ頼んだ」
 そう言うと、光一は水を一口飲む。すでに半分二日酔いのような状態になってしまっているのかもしれない。
 譲はバスルームに舞い戻ると、蛇口から流れるお湯の温度を調整して湯船に向ける。さすがにビジネスホテルには自動湯沸かし機は付いていない。それなりの量が溜まるにはまだ少しかかるだろう。
「ふぅ―――」
 長いため息を吐く。酔っているとき特有の篭ったような空気が、風呂の換気扇に吸い込まれていくのをぼんやりと見上げた。
 その瞬間、ドンと後ろから衝撃が譲を襲った。
「おーい、風呂沸いたー?」
 光一が寄り掛かるように抱きついてきたのだ。
 足元がおぼつかないせいだろうか、ほとんど譲に体重を預けるように顎を肩に乗せて、腕は腰に回されている。
「まーだーだ。準備ができたら教えるから、真っ直ぐ立てないようなら向こうで休んでてくれ。邪魔だ」
「冷たいなー。一人で待ってたら寝ちまいそうだったから仕方なく来たってのに」
 光一の手がゆっくりと動いた。
 バスローブ一枚を隔てた指が、腰から後ろに回りこんで譲の身体を撫で回す。
 驚いた譲は光一を振り払おうとするが、しっかり巻きつけられたもう片方の腕がそれを許さない。
「寝てても起こすから、とりあえず離れろよ!」
「なんだよ、いいじゃん。風呂に入る前にもう一汗かいたって同じだろ?」
「俺は! 今風呂から上がったばっかりなんだよ!」
 言葉とは裏腹に、酒と風呂で火照った身体はいつもよりも敏感になっているようで、全身に上手く力が入らなくなっていく。
 肩に顎を乗せた光一の吐息が耳をくすぐる刺激すら、体全体で感じている気分だった。
 それでも、譲はもぞもぞと抵抗にもならない抵抗を続ける。
「止めろったら……大体、何かしようにも何も無いだろ?」
「何もっ……て、なんだよ?」
 息を荒くした光一が顔を覗き込んで聞いてくる。首を回して見返すと、驚くほど近くで目が合った。少しでも突き出せば、唇が触れ合ってしまうほどに。
 思わず顔を背けてしまう。
「だから……その、あれだよ。……ローションとか」
「持ってる」即答だった。
「はぁ?」
 戸惑い素っ頓狂な声を上げる譲の隙を付いて、光一の手がするりとバスローブの中に滑り込んできた。
 細身だが筋肉質な譲の胸板を慣れた調子で触る。風呂上りでまだ湿っている肌に、骨ばった指が吸い付くように馴染んだ。
「なんでそんなもん持ってきてるんだよ!」
「だって、お前と泊まるっていう話だったのに持ってこないわけないだろ」
 『何を当たり前のことを聞くんだ』とでも言いたげな顔で、当然のように返される。譲は思わず脱力して、膝からくず折れそうになった。
「同窓会の後なのに? 久しぶりに友達と飲んだ後にこれとか、有り得ないだろ」
「飲みの後に、なんて良くやるじゃん。なんだよ今さら」
(……確かに、そうか)
 その通りだ。実際、アパートの部屋が隣同士な二人は酒を飲もうという誘いを、そのまま泊まる暗黙の合図にすらしていた。
 別に光一が嫌になったわけではないのだ。ただ、気分が乗らないのは疲れだけが原因ではないことも自覚している。そんな自分が、たまらなく嫌になって―――
(ああ、もういいか。なんだって)
 されるがままになっていた身体の力を完全に抜く。逆に光一に寄り掛かるように体重を預けてしまう。
 健のことを気にしている自分を諌めてくれるのなら、今日ぐらい好きにされたって構わない。完全に身を任せてしまおうと思った。
 しかし、唐突に自分の方に倒れこんできた譲を、光一のふらついた足では支えきれない。二人はそのままもつれ合うようにして、バスルームに倒れこんでしまう。
 いつの間にか一杯になっていた風呂桶からバシャバシャと漏れたお湯が二人を濡らす。
 下敷きにされた光一はゆっくりとため息を付くと、自分の上で肘を付いて身体を支えている譲の頬を撫でた。
 その顔は先ほどまでの熱っぽい空気をすっかり潜めて、真剣に心配そうな色が浮かんでいる。
「なんだよ……お前、今日ホントに変だぞ。そんなに嫌だったわけ?」
「んなこと無いけど……今日は気分じゃないんだ。悪いけど」
 譲は立ち上がって、端に置いたままになっていた自分の服を掴むと足早にバスルームから出る。
 ズボンのポケットの中で、何かがカサリと音を立てた。
「おい! 何かあるなら説明しろよ!」
 光一の叫び声と乱暴に扉の閉まる音を背中で聞きながら、今度は譲がベッドに倒れこむ。
 服を乱雑に鞄の上に置くと、ポケットから半分ほどはみ出した紙切れが見えた。
 手に取ると、それは短い文字列の書いてあるメモ用紙。
 同窓会の会場で渡された、健の今の住所と電話番号だ。
「光一……ごめんな」
 口の中だけで呟いて、手の中のメモを握りつぶした。
 捨てる気などこれっぽっちも無い、形だけの懺悔だった。
2

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