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第四話『後悔は意味のない螺旋』

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 同窓会の日から二週間後。吉川譲は川口の駅前に立っていた。
 手には、あの日くしゃくしゃに握りつぶした、健から受け取った住所を記したメモ。
(結局来ちゃったし……)
 同窓会の後、大学のある新潟に戻ってからの二週間はほとんど健とのことで頭がいっぱいだった。
 住所を自分に渡した意味、二年経って彼の気持ちはどう変わったのか、そして期待してしまった自分への嫌悪と光一への罪悪感。分からないことと整理のつかないだらけで、悶々とする日々。
 寮へ戻ってからも光一とはぎくしゃくしたままで、春休みになったらバイトも兼ねて東京に戻るつもりだった譲は、光一には何も告げずに逃げ出すように東京へ舞い戻ってきたのだった。
(それで、東京に来たら来たですぐに健の家に来るんだもんな。ホント、どうしようもないよな……俺)
 別に、今すぐに会いに来るつもりなんて無かった。ついでに言えば一人で会いに来るつもりもなかった。
 ちょっと連絡して、予定を聞いて、都合が合えば昔の同級生と集まって酒でも飲む計画を立てたりとか。
 とにかくもう一度健に会うきっかけでもできればいいだけだったのに―――。
 昨日の夜に実家で荷物を片付けた後、緊張でガチガチになりながらかけた電話の向こうで健は気軽にもこう言い放ったのだ。
「え、東京戻ってきたの? 今日から? 凄いタイミングいいな。俺、明日仕事休みなんだよ。良かったらうちで映画でも見ないか? 昼飯ぐらいならご馳走するからさ」
 あまりにも普通に、何も気にしていないように言われた譲は一も二も無く了承してしまった。
 駅前で一人ため息を吐く。ベンチに腰掛けてから、もうどのくらいの時間が経ったろうか。十分、二十分か、それ以上か。
 腕時計に目を落としても、待ち合わせに指定された時間よりもまだ大分早い。
 こうして来てしまったことを後悔をしている訳ではない。元からそのつもりで電話をかけたのだから。
 ただ、こんなにも早く来てしまった自分が、子供みたいにはしゃいでいるようで恥ずかしくて。
 びゅう、と風が吹いた。
 三月になったとはいえ、吹きっさらしの駅前のベンチで受ける午前中の風は未だ十分に冷たい。譲は肩をすくめてコートの中に顎を埋める。
(本当……何やってるんだろ……)
 結局、譲が健の家に着いたのは川口に到着してから優に一時間は経ってのことだった。
 健の家は団地が立ち並ぶ区域を抜けたところにあるアパートで、駅から少し歩く代わりにこの区域にしては綺麗で家賃も安いのだと、約束をした際の電話で聞いていた。
 チャイムを鳴らすと、しばらくして健が顔を出す。
「いらっしゃい、今パスタ茹でてるから勝手に上がっちゃって」
 それだけ言うと、とっとと中へ戻ってしまった。
 二年前まで制服姿ばかりを目にしていたからだろうか。
 本当に久々の見慣れない私服の上にエプロンまで着けた格好は、譲の心を大きく揺らすのには充分すぎる。譲はその場で一度、大きく深呼吸をした。それで心が落ち着くことはなかったが、それでもせずにはいられなかった。
 健の部屋は男の独り暮らしと言うイメージとは程遠く、キッチリと整頓されて片づけられていた。
 思っていたよりも部屋は広く、日当たりもいいのか部屋の中が明るく感じる。
 そういえば健の血液型はA型だったかな、などとぼんやりと思い出しながら譲は座椅子に腰掛けた。すでにテーブルの上にはレタスやトマトなどが盛り付けられたサラダがでんと中央に鎮座しており、基本的な食事の準備は事前にしてくれていたようだ。
「悪い、ちょっとティッシュ貰うな」
 冷たい午前中の空気に長時間浸かっていたせいだろう。暖かい部屋の中に来た温度差で鼻水が出そうになり、あわてて譲は鼻をかむ。
 気がつくと、目の前にはパスタの皿を持った健が立っていて、譲を心配そうに見下ろしていた。
「おいおい、なんだよ。風邪でもひいた?」
「いや、そういうわけじゃないと思うんだけど……」
 まさか駅前で何時間も立ち往生していたとは言えずに譲は口ごもってしまう。
「季節の変わり目なんだし、体大事にしろよ。お前ら来年から研究入って忙しくなるんだし」
 言いながら机の上に並べられるパスタからは、蟹のクリームソースのいい匂いが立ち上っている。
『ぐ~~~~~~』
 朝から何も食べていない譲の腹から情けない音が響き渡った。
 思わず腹を押さえた譲が顔をあげると、健はきょとんとした顔でこちらを振り返り、しばらくすると耐え切れなくなったようにプッと吹き出した。
「クッ……はっははははは! そんだけ食欲があるんなら平気そうだな」
 どうも変なツボに入ったらしく、しばらく笑い続けた後に押し殺すように少し震え、やはり我慢しきれなかったように笑い声をあげる。それを何度も繰り返された。合間に譲の顔と腹を交互に見るのがまた憎たらしい。
 それが悔しくて。また、話題を変えてしまいたいこともあって譲は憎まれ口を叩いてしまう。
「ふんっ。食事ご馳走してくれるって言ってたくせに、レトルトソースのパスタとサラダだけかよ。ずいぶん簡単に済ませてくれるもんだな」
 健はまだ口元の端に微妙に笑いを残しながらも、心外だとばかりに腰に手を当てて言った。
「お前、男の手料理に何求めてんだよ。ただ飯食えるだけでも我慢しろよな」
 そう言って自分も腰を下ろすと、「ほい」と言って譲にフォークとスプーンを手渡す。
 何故か、その時健の指に触れるのが怖くて、譲は先のほうをちょいとつまむようにそれを受け取った。不自然かと思い顔を窺っても、健がそのことに突っ込むことはなかった。
 その後の食事は雑談をしながら和やかに進み、気が付けば譲の緊張も解けていて、学生時代の馬鹿話のようなやり取りがとても心地よくて。
 それは、昔まだ何の軋轢もなく友人をやっていたころの雰囲気のままで。
 ……結論を言えば、健の作ったパスタはとてもうまかった。

「ふー……譲、具合悪そうにしてた割には食ったじゃないか」
「あれは……ちょっと外の温度差で鼻が気になっただけだよ。それに、まぁうまかったしな。飯も」
「ははっ、ありがと」
 一息ついて落ち着くと、この場所がとても居心地よく感じられる。
 最初にあれほど緊張していたのが嘘のようにリラックスしている自分は、現金なものだと譲は失笑を浮かべた。
「どうした?」
 不思議そうに顔を覗き込む健にだって、余裕をもって返答できる。
「いや、なんでもない。こんなにゆっくりするのも久々だなと思って」
「そういや、こっち戻ってきてもそっちはこれからバイト漬けなんだっけか。大変だねー」
「社会人のお前ほどじゃないけどな」
 軽口まで叩いて、安心しきっていた譲は忘れていた。
 自分が、何をしに健の家まで足を運んだかという理由さえ。
 健は雑談のキリのいいところで立ち上がると、部屋の隅にある棚の前で何かを考えながら物色しだした。
「健、何見てるんだ?」
 適当に何気なく尋ねたつもりだったが、健は譲の方を振り向くと「何を言ってるんだこいつは」とでも言いたそうに訝しげな顔をする。
「何って……映画のDVDに決まってるだろ? 電話で言ってたじゃないか。何しに来たんだよ、お前」
 ちらりと手に見えたのは、少し前に劇場で公開されていたDVDになったばかりの話題作だ。
(あ……これは、マズい)
 そう思ったのは、健の手がカーテンにかかった直後だった。
 DVDがデッキにセットされ、部屋の明かりが落とされる。
 ワンルームのアパートにしては広いとはいえ、部屋に不釣り合いなほど大型のテレビから溢れる光だけが正面に座る譲を照らす。
 薄暗い中、隣に座椅子を置いて健が腰を下した。その距離は肩も触れないほど遠く、けれど息遣いさえ聞こえるほど近い。
 そんな状態で、映画など見れるはずもない。
 鼓動が耳鳴りのように脳を揺らして頭がぼーっとする。それが、隣から香る相手の匂いのせいだということに気付いて顔を向けると、健がちょうどリモコンを手に譲を見下ろしたところだった。

「じゃあ……始めるぞ」
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