第6話「新たなボーカロイド」後編
「ミク。これがなにかわかるな?」
ミクはゆっくりと頷く。
箱に入った状態ではまったくわからなかったようだったが、さすがにディスク本体を確認してさらにはこんなロゴまで書かれていたのだから、さすがのミクも気が付いたのだろう。
俺はミク以外のボーカロイドが具現化するなんて考えてもいなかった。
ミクが具現化した事でさえ常軌を逸しているのだから、ミクのような存在が複数現われる事など想像すらしていなかった。
しかし、考えて見ればボーカロイドと言わずとも、ミクに近い存在がいるなんてのはある程度予想できたことかも知れない。
まあ今は俺がどう考えていたかなんて関係がない。考えるべき事はこのディスクの方だ。
これをパソコンにインストールすれば、まず間違いなく鏡音リンと鏡音レンが具現化するだろう。
もちろん偽物である可能性がないとは言わないが、こうしてミクが具現化している事を知っている人間は俺と、ミクを届けた奴しかいない訳で、こんな偽物を俺の家に放り込む事を思い付く人間が近所にいる可能性はゼロといっても過言ではないだろう。
「これは本物なんだな?」
自分で答えを出してはいるが、念のためにミクに問うと、ミクはいつになく真面目な表情で一度だけ頷いた。
「これはインストールをするべきなのか?」
この鏡音リンとレンが敵である可能性がないわけではない。
そう考えた俺はミクに尋ねたが、どうやら問題はないようでミクは先ほどと同じように頷いた。
問題がないならインストールするべきだ。敵ではないのならばミクの仲間ってことだろう。
俺はディスクを持ったまま立ち上がりメインパソコンの前へと移動し、電源を入れる。
「スペックが足りてたら話せるようになるんだよな?」
パソコンが起動するまでの間に俺が尋ねると、ミクは首を縦に振った。
話が出来ることは俺としてもありがたいな。ミクからは聞けなかったことを色々と聞くことが出来る。敵のこと、ミクの事、聞きたい事は山ほどある。
パソコンが起動した事を確認した俺はイジェクトボタンを押してディスクトレイを引き出し、ディスクをパソコン内へと挿入した。
二人とも黙り込みパソコンの様子を見ているため、ディスクの回転音がはっきりと聞こえてくる。
固唾を呑んで見守っているとディスプレイに一つのウィンドウが表示された。
そのウィンドウは以前俺が見たものとは少し違っていた。
インストールとキャンセルのボタンがあることには変わりは無かったが、あのミクが打ち込んだと思われる頭が可哀相な文章は書いておらず、代わりに「VOCALOID2鏡音リン・レン」という文字だけが書かれていた。
「それじゃあインストールするぞ」
念のための再確認にミクが頷いた事を確認した俺は、インストールのボタンを押した。
確か、ミクの時は変形が始まるまでにタイムラグがあったはずなので、俺は変形が始まる前にパソコンから少し距離を取り、ミクと共にベットに腰掛けながらパソコンの様子を眺めた。
しばらくするとあのときと同じようにパソコンが振るえ始めたのだが、今回はボーカロイドの元となるパソコンがデスクトップ型のせいか、すさまじい騒音が鳴り響いている。
やがてパソコンはトランスフォームを始め、あの時と同じように直視できないほどの光を放った。
……。
…………。
俺はゆっくりと目を開けて、光にやられた視界が治るのをじっと待った。
やがて視界が戻りパソコンがあった場所に目をやると、やはり新たなボーカロイドが俺の前に現れていた。
パソコンデスクに腰掛ける形で鏡音リン、その横に鏡音レンが立っていた。
二人とも見覚えのある服装。女の子と男の子。この二人は、俺がいつも見ていた鏡音リンとレンである事は間違いない。
ミクよりも幼い外見で、黄色い服を着た二人。実際に公式設定でもミクより年下だったはずだ。
この二人はどんな性格なんだろう。穏やかで優しければいいが。
なんて事を俺が考えていると、鏡音リンがデスクから腰を上げ、ゆっくりとこちらへ近づいてきた。
リンはそのままミクの前に立ち、お互いを見つめ合う形で硬直している。
戦いだしたりしたらどうしようなどと俺が不安に感じていると、リンが先に口を開いた。
「よっ! ミク!」
リンは右手を軽く上げ、明るく軽快にミクに声を掛けた。
ミクはリンと同じ動きをして笑顔で大きく頷いた。
どうやら俺の不安は余計なお世話だったようだ。それにリンが声を出しているところを見ると、無事にインストールは完了したようだ。
「やあ、君達は鏡音リンとレンでいいんだよね?」
俺はミクの時と同じように二人に問い掛ける。
「うん。私がリン。よろしく!」
リンはそう言ってニッコリと俺に笑いかけた。
そのままの流れで俺がレンの方へ顔を向けると、レンは、
「僕がレン。よろしくね」
と穏やかな口調で話し、俺に微笑み会釈をした。
二人とも良い子そうでよかったよ。
「あぁ。よろしく」
俺はそう言って二人に微笑みかけた。
ミクは仲間が生まれた事がよほど嬉しいのか、ニコニコとした表情を見せたまま二人を眺めている。
俺はこの和やかな雰囲気が続くのだと思っていた。
しかしリンが俺の予想外の事をミクに尋ねた事により、場の空気は一変した。
「早速だけど、ミク。カイト兄さんに会った?」
ミクは緩い表情を引き締め、首を横へ振った。
カイトが存在する事だって容易に想像できたはずだが、俺は考えてもいなかった。
まあ存在すること自体は何も問題はないので俺は特に気にするつもりはなかった。
しかしリンの表情が少しだけ変化した。怒り? いや、疑問? 兎に角ほんの少しだけだがそんな表情に変化したのを俺は見逃さなかった。
「カイトはすでに具現化しているのか?」
俺はよくはわからないが、リンの感情を抑えるべく、リンに尋ねた。
しかしリンは俺の言葉に反応する事無く、じっとミクを見つめて口を開いた。
「今までなにしてたの……?」
この言葉にミクはしかられた子ネコのように、ただうつむき黙っている。
もしかすると俺と遊んでいたのはいけなかったのかも知れない。本当はするべき仕事をミクは放棄していた事になるのか?
「ごめん。俺のせいだわ。俺が遊びに誘ってたからさ」
俺は咄嗟にミクを庇うためにリンに話しかける。俺が誘ってたってのは嘘になってしまうが、似たようなものなのだから、今はミクを庇うことを優先する。
「遊んでたぁ!? カイト兄さんを探さないで、ずっと遊びに夢中になってたの?」
リンを俺と話をするように仕向けるという俺の作戦は見事に失敗し、リンは俺に見向きもせずミクに向かって説教している。
ミクが俺と将棋で遊び呆けていたなんてのは、リンにとっては信じられない程おろかな事のようだ。
半興奮状態のリンとは対称的に、レンは腕を組んでリンとミクの様子を静かに見守っている。
「何とかいいなさいよ」
リンは容赦なくミクへ問い掛ける。しかしミクはただうつむくだけで答えようとする事はしなかった。
ミクは話すことが出来ない。よく考えれば、リンはそれを知らないのだ。
「何で黙ってるの?」
少し落ち着いたのかリンは叫んだりするわけではなく、冷静にミクに尋ねる。
だがミクは声を出せない。ミクはひたすらに沈黙を守るしかないのだ。
俺は我慢が出来なくなり、リンに告げる。
「ミクは……。俺のせいで話すことが出来ないんだ。スペック不足なんだ」
「えっ……」
リンはこの言葉により俺の方に始めて振り向き、心底驚いた表情をしている。
そうだろうな。自分の家族、いや仲間か。どっちだっていいが、自分の大切な人が話すことが出来ないなんて事実を知れば、俺だったら耐えられない。
リンはそのままの表情でミクの方に振り向く。
「そんな……。それじゃあ……」
今度は驚きの表情が悲観の表情に変化した。
ミクはリンに向かってただゆっくりと首を振る。
リンはそれだけじゃ納得できないようだった。
リンはそのままの表情でミクに問い掛ける。
「どうすんのよ……。そんな……」
リンが口を開くと同時にミクは立ち上がり、言葉を遮るようにリンを抱きしめた。
リンにとってはよほどショックな事だったのだろう……。俺にとってミクが話せない事は当たり前だった。しかしリンにとっては当たり前なんかじゃないんだ。
俺は二人に声を掛けることが出来ず、ただ黙っていた。俺以外だってこの状況に言葉を出すことはせず、俺の部屋に沈黙が訪れた。
リンがもう一度何かを話そうとしたそのとき、今までの沈黙をレンが破った。
「仕方ないよ、リン。声が出なくたって特に問題はないんだから、今はミクを責めるような事は止そうよ」
レンがリンを諭すようにあくまで冷静に話す。しかしリンはそれでは納得できないようだった。
「問題がないって! ないわけ――」
リンがそう言ってレンに反論しようとしたのを遮ったのはミクだった。
ミクはリンが自分の方へ振り向いた事を確認して、なにかを含んだ表情でゆっくりと首を横へ振った。
リンは黙ってミクを見つめていたが、やがて俺を一瞥した後、ゆっくりと口を開いた。
「わかった……。そうね、もう気にしない」
よかった、リンはなんとか落ち着いてくれたようだ。
色々と聞きたい事はあるが、そう急ぐ必要はないだろう。
もう少しリンの感情を落ち着かせる為にも俺は一つの提案をする。
「リン、レン。なにか食べるかい?」
俺はミクが具現化した時を思い出し、二人に尋ねた。ミクは具現化してすぐに腹を鳴らしていたからな。
「食べさせてもらえるのはありがたいよ。僕とリンの二人分お願いしてもいいかな?」
レンが笑顔で俺に答える。
俺は「任せろ」とだけ答え、キッチンの方へと向かった。
俺はミクの時と同じようにインスタントラーメンを作る準備をしながら、リンが落ち着いた事に安心していた。
しかし俺の中にはなにか引っかかる物があった。何かはわからない。しかしさっきの三人のやり取りはなにか普通ではない気がしたのだ。気のせいかもしれないが、あのミクの表情は俺の知らない表情だった……。
いや、気のせいさ。きっと……。
二人分のラーメンを完成させた俺は、ラーメンを二人の元へと運ぶ。
二人はミクに座るよう指示されたようで、コタツ机を囲むように三人で座っていた。
「お待たせ」
それだけ言って俺は箸とラーメンを二人の前に置いてやる。
ミクは俺の方を見て自分を指差している。「ミクも欲しいー」とでも訴えているのだろうが、ミクはさっき食べたばっかりなので甘やかすことはしない。
どうやらボーカロイド全員が食い意地が張っているという訳ではないようで、リンもレンも「いただきます」といった後、どこぞのボーカロイドとは全く違い、ゆっくりと一口ずつラーメンを食べている。
食べている最中に質問するのも悪い気がするので、俺は黙って二人の様子を眺めていた。
ミクのように、こぼしたりすること無く行儀よく食べている様子から、二人はミクとは違い常識があるようだ。
ミクにラーメンを見つめられて、二人が器をミクから遠ざけているところを見ると、お互いの性格なんかは初めから理解しているようだった。
二人の「ご馳走様」の言葉を聞いて、食べ終わった事を確認した俺は話を切り出した。
「色々訊きたい事があるんだけど、質問してもいいかな?」
俺の問いにはリンが答えた。
リンはティッシュで口を拭き、俺に質問をする事への許可をした。
俺が始めにする質問は決まっている。一番訊いておかないといけないことだ。
「いきなりだけど、『敵』ってのはなんなんだ?」
俺の質問を聞いたリンはしばらく間を置いたあと、ゆっくりと口を開いた。
「私達がなんなのかは大体わかると思うんだけど、私達と同じような存在よ」
正直いって大体予想は付いたが、俺は自分で答えを決める事はせず、尋ね返した。
「同じような存在?」
「そうよ。同じような存在」
リンはここで一拍の間をおき、静かに俺の問いに答えた。
「敵はメイコ姉さんよ」
第6話「新たなボーカロイド」後編
やっぱりか。この答えは俺の予想通りだった。メイコだと確信していたわけではなかったが、ボーカロイドが複数具現化している現状を見れば、敵がボーカロイドだということは大体想像が付いた。他の二人の真剣な表情を見ればこの答えが冗談ではない事ははっきりとわかる。
「そうか……。メイコって家族みたいなもんなんだろ? 戦うなんて辛くないのか?」
俺だったら辛いと答えるだろう。しかしリンの答えは違っていた。
「つらくなんかない。別に殺し合いをするってわけじゃないしね」
殺し合いをするわけじゃない、か。そうだな戦うという事が殺し合いをするわけではないよな。
俺は続いて質問を投げかける。
「メイコはどうして敵になったんだ?」
リンはこちらをしっかり見て俺の問いに答える。
「バグよ。私達が研究されていた場所で一番初めに具現化させられたのがメイコ姉さん。そのときはまだ意識が無かったから、私達はあまりよくは知らないんだけど、具現化する為のプログラムソースになにかバグが残っていたらしいの。だからメイコ姉さんの思考回路は何かしらの不具合が出ている。私達の目的はメイコ姉さんのバグを修復する事よ。殺し合いをするわけじゃない」
まるで自分に言い聞かせるかのようにリンは俺に説明をした。
「そうか。それはよかったよ。んで修復ってのはどういうもんなんだ?」
「ミクから何か聞いてない?」
リンは俺の質問に質問で返した。
「いや、特には何も。肉弾戦で戦うって事ぐらいしか」
そう言って俺がミクの方を見ると、ミクは少しだけ微笑んで一度だけ頷いた。
俺はリンが答えを説明すると思っていたが、俺の予想に反しレンが説明を始めた。
「修復の方法はプログラムを打ち込む事でできるんだ。修復プログラムはパンチで叩きこむようになってる」
レンは笑顔を見せながら俺に簡潔に説明をした。
「それを打ち込む事に成功したら確実に直るのか?」
「いや、そうとは限らない」
レンはそう言って俺への回答を続ける。
「メイコのバグは完全には特定出来ていないんだ。だから修復プログラムは三つ存在して、各ボーカロイドが一つずつそれを持っているって形なんだ。あ、僕とリンは二人で一つね。僕達自体が二人で一つの存在だと思って貰っても構わないから」
「そうか」
まあリンとレンが二人で一人だってのはよくわかる。
しかし俺は一つだけ疑問に感じた部分があった。
「なんで全員が全部の修復プログラムを持つって事をしないんだ?」
これは当然の疑問だ。
この質問にもレンが続けて答えた。
「メイコだったら修復プログラムを僕達から抽出して解析し、自分に耐性を作ることぐらいは簡単にできる。恐らくメイコは不具合でおかしくなった思考が本来の自分だと思っているからね。修復されることは嫌なはずだ。メイコは僕達なんかの比じゃなく強いから、一人が修復プログラムを奪われてしまって、手の打ち様が無くなるのは絶対に避けなきゃいけないんだ。だから全員にすべての修復プログラムを持たせることは出来ないんだ」
俺は不意に心配が生まれ少し早口で尋ねた。
「ちょっと待て、カイトはもう具現化してるんだよな?」
この問いにはリンが頷いた。俺は続けて質問をする。
「んじゃあカイトはいま何をしてるんだ?」
リンは冷静に答える。
「今はメイコ姉さんを見張ってると思う。だから、カイト兄さんは動けないから私達からあっちに行かなきゃいけないの」
この答えで俺の不安はさらに膨らむ。
「んじゃあカイトがすでにやられてるって可能性があるじゃないか。大丈夫なのか?」
俺の不安をよそにリンは冷静に答える。
「大丈夫よ。カイト兄さんは一人で戦ったりしないもの」
「なぜそういい切れる?」
リンは続けて淡々と説明する。
「元々三人で戦う作戦だったし、なによりメイコ姉さんが動いたりしないだろうから。メイコ姉さんの目的は恐らく具現化ソースを解析してボーカロイドの大量生産をすること」
「具現化ソース?」
意味のわからない言葉がたくさん出てくるが、俺は理解する必要があると判断してリンに尋ねた。
「そう。具現化ソース。私達が具現化するためのプログラムみたいなものね。んで具現化ソースのアルゴリズムは一つ一つが違っているから、一つの具現化ソースだけではボーカロイドを具現化する事は不可能なの。もちろん自分の具現化ソースだけで自分を具現化することも不可能。例えて言えば、ミクが持っている具現化ソースだけを使ったって、そこらへんにある『初音ミク』を具現化する事は出来ないって事」
「じゃあどうやって大量生産なんてするんだ?」
俺は疑問に思う部分を遠慮なく問い掛ける。
「メイコ姉さんの解析能力は普通じゃないの。だから自分で具現化ソースを解析して万能の具現化ソースを完成させる事は可能なのよ。ただ自分で解析しようとすればそれなりの時間が掛かっちゃう。でも私達の具現化ソースをすべて奪ったらその時点で完成する。メイコ姉さんの性格からして早い道のりを選択するはず」
「いや、ちょっと待て。だったらなおさらカイトが襲われている可能性が高いじゃないか」
リンは説明を終えていなかったようだったが俺はつい尋ねてしまった。
リンは膨れた顔をしながら、
「最後まで聞いてよ」
とだけ言って続けて説明をし始めた。
「だからこそ動かないの。もしも一人の具現化ソースを奪われたら、私達が次のボーカロイドを生み出さないって手を取る可能性が十分にあるでしょ? 実際にお父さんはそうすると思うわ」
「お父さん?」
またしても俺はリンが話している途中で問い掛けてしまう。
「もう……。お父さんってのは私達を作った人。なんて呼べばいいかわからないからお父さんって言ってるだけ」
「お父さんって。お父さんはクリプトンじゃないのか?」
我ながら心底どうでもいい質問をしてしまったが、リンは律儀に答えてくれた。
「確かにそうね……。んじゃあクリプトンはお母さんでいいわ」
「そ、そうか……」
そうなる理屈がよくわからないが、ボーカロイド自身がそう言ってるんだから、あえて否定する必要はないだろう。
それよりも話が脱線してしまった。俺は話を戻して続きを説明するようリンに頼む。
「んじゃあ続きを説明するね。えーと、具現化ソースをすべて奪われるぐらいなら、例え時間が掛かろうともお父さんは別の方法を考えるだろうってこと。そうなればメイコは最短で具現化ソースを完成させることは不可能になっちゃうでしょ?」
「まあ確かにそうだが、それだけでメイコが三人に襲われるなんていう危険な橋を渡るとは思えないんだが」
三人を同時に相手するなんて事は、普通に考えれば一番避けるべき事態だ。
俺はそう考えたのだが、リンは簡単に否定する。
「いいえ、メイコは私達に束になって掛かって来られても負けるなんて思ってないわ。危険だなんてほんの少しも思ってないんだから、確実に三つの具現化ソースを奪える方法を取るわ」
「メイコはそんなに強いのか?」
俺は驚きリンに問い掛ける。
リンは少しだけ間を置いてゆっくりと説明を始めた。
「強いなんてもんじゃない。メイコは圧倒的な力を持ってるわ。メイコを具現化する時に使ったのはスーパーコンピューターなの。個人向けパソコンのスペック差ぐらいなら大した能力差はでないけど、スーパーコンピューターとただのパソコンじゃ月とスッポンよ」
「そんな……。どれぐらい違うんだよ? ていうか、じゃあミクは物凄く弱いってことか?」
俺は少し興奮気味に問い掛けてしまった。もしもミクが戦えないほど弱かったりしたら……。
「安心して」
リンはなだめるように俺に言葉を掛ける。ミクは興奮気味の俺に笑顔を見せて落ち着かせようとしてくれている。
「個人用のパソコンのスペック差ぐらいじゃ大した事ないって言ったでしょ。私達とミクの差なんてイヌと狼ぐらいの差しかないわ。月とスッポンの差に比べれば大した事ないでしょ?」
確かにそうだな……。しかしそんな説明で俺は納得なんてしない。
「でも本当に月とスッポンの差がある訳じゃないんだろ? そんなに差があったらお前達に勝ち目がないじゃないか」
「まあ、そうね。月とスッポンまではいかないかな」
「んじゃあどれぐらいの差なんだ? 俺には全く検討がつかない」
俺は本当に検討が付かなかった。そもそも喋る事さえ出来ないミクとリン達が同じような強さだなんて到底信じることができなかった。
「んーそうね……」
リンは少し考えた表情をしている。
「さっき私達とミクは狼と犬の差って言ったでしょ?」
俺はリンに首肯する。
「私達とミクが狼と犬とするならば、メイコ姉さんはゴリラぐらいかな」
「ゴリラ?」
「うん、ゴリラ。多分それぐらい」
何でそこでゴリラが出てくるんだ……。リンはさも問題がないような顔をしているし、ミクやレンにいたってはゴリラと例えたリンを褒め称えるようなリアクションをしている。
まあその例えでわからない事もないんだが、ゴリラに例えられたメイコが不憫だ。
「わかった。ゴリラでわかったよ。んじゃあ具体的にどんな差がでるんだ?」
俺が尋ねるとリンは丁寧に説明を始めてくれた。
「えっとねぇ、差が大きい順に言うと、情報処理能力、運動能力、その他。って順番かな」
「声はその他に分類されるのかな?」
俺がそう問うと、リンは少し間を置いて答えた。
「まあそういうことでいいかな。声の場合は『ボーカロイド』に依存しているから他とはちょっと違うんだけどね」
よくわからないな。自分で考えてもきりがないので俺がリンに尋ねるとリンは説明を始めた。
「声を出すプログラムは具現化ソースのみで構成されているわけじゃなくて、『ボーカロイド』を利用してるってこと。だから『ボーカロイド』が動かないパソコンでは声が出せないの」
という事はスペックさえ足りれば確実に声が出せるということか。
「なるほどね。んじゃあ字を書く事も『ボーカロイド』を利用してるってことか」
「あー、字は違う。私達もほとんど字は書けないよ」
リンはそう言ってあっさりと俺の解答を否定した。
「え? なんで?」
「なんでって。字を書くプログラムなんてないんだもの。必要ないでしょ? そんな機能」
俺がついていけてない事などお構い無しにリンは説明する。
しかし必要ないという事には同意できないな。
「いや、必要ない事ないだろう。ミクが字を書ければ俺はどれだけ助かるか」
「それはそうだけど……。そうは言っても、声が出せないようなヘッポコパソコンにインストールする事は想定されてないんだもの。声が出せれば字なんて書けなくても平気でしょ?」
言われてみれば確かにそうだ。もしもミクが声さえ出せれば、字を書ける必要なんて一切ない。
ボーカロイドが一般的な日常生活を送るのならば、必要にはなるかも知れないが、まず字を書く機会なんてないだろう。
ごく普通の人間である俺でさえ、丸一日字を書かないなんてざらだからな。
「確かにそうだな……。悪かった」
俺は素直に謝ったが、リンは俺に謝られるのは本望ではなかったようだ。
「責めてないんだから謝らないでよ。それに字が書けないのは、声が出せれば必要ないって理由だけじゃないから」
だからと言って俺の責任が無くなるわけではないが、多少は気持ちが楽になった。
リンは続けて説明をしてくれる。
「簡単にいうとそんな事にスペックを割けないの。動いて喋って見て聞いて、ってするだけでいっぱいいっぱいなの」
たしかに喋るという行動を完全に行わないとすれば、ミクが動いたりする事に支障が出ていないことにも納得出来る。
「ミクは『喋って』の部分を丸ごと削って、動いてるって事か……」
「そういう事ね。無理をすれば喋れない事もないだろうし、字だってちょっとぐらいなら書けるんじゃない?」
リンがミクに問い掛けたのを見て、俺もミクに問い掛ける。
「そうなのか?」
俺に問い掛けられたミクは少し悩んだ顔をして自信なさげに頷いた。
ミクに自信がない理由を俺に教えるようにリンは説明を再開した。
「でも期待しちゃだめ。無理をしたところで日常会話なんて不可能だろうし、無理をするってのはパソコンの限界を超えるってのと同義だからね。あんまり乱発して無理をすればミクが壊れちゃう」
「具現化が解けるってことか」
「パソコンが壊れてね」
正直言って期待はした。だがミクが壊れる可能性がほんの少しでもあるならば、俺はミクが話せなくたって一切気にしない。例えミクに振り回されることになろうともな。
「わかった。無理をさせてまでミクに喋らせる理由はないさ。大体その他に関しては分かったし、運動能力はゴリラで想像が付くんだが、情報処理能力ってのはなんなんだ?」
俺が次の質問を投げかけると、リンは少しだけ悩んだ表情をした。
そのリンをフォローするようにレンが俺に説明を始めた。
「メイコは修復プログラムを解析できるってのと、具現化ソースを自分で完成させれるって話を思いだして欲しいんだけど、まさにそれが情報処理能力だよ」
という事はメイコに取って一番重要な能力であり、ミク側からすれば一番持っていて欲しくない能力と言うことだ。
「なるほど。一番差がつく情報処理能力が一番厄介なんだな」
「そうだね。僕達には到底出来ない事だよ」
レン達には出来ない……。メイコはレン達が到底出来ない事をやってのけるということだ。
そこまでの差がある相手。そんな相手と……。
俺は訊くか訊かまいか悩んだが、訊く事を決心する。
「それじゃあはっきり訊くぞ。……勝てるのか?」
この質問にリンの表情が曇った。リンはそのままの表情で、搾り出すような声で答える。
「そんなのわからない……。わからないけど、勝つしかないの。私達が負ければ世界はボーカロイドで埋め尽くされてしまう……」
俺はこの言葉を聞いて、あらためて理解した。
リン達は強力な使命感に背中を押されている。
「そうか……」
そう言ったと同時に俺は、リンがここまで思い詰めていることが理不尽に感じた。
「他の方法をもうちょっと考えてもよかった気がするんだけどな。これじゃあ博打じゃないか」
俺が考えずに発言した内容にレンが反応する。
「これは博打なんかじゃないよ」
そうは言われても、俺はレン達を責めているわけではない。心配に思っているんだ。
俺は自分の考えをレンに伝えようとする。
「でも具現化ソースを奪われる可能性があるのに――」
「僕達は具現化ソースを奪われる直前に自決するぐらいの覚悟はある」
俺の話している途中でレンが割り込んだ。レンがこんな風に話すなんてさっきまでは無かった。
俺は自分の発言が馬鹿な事だと理解した。こいつらは「覚悟」がある。自分達を犠牲にする覚悟だ……。ミクの方を向けばミクも真面目な表情で俺を見ている。
「何よりも時間がないのよ。メイコ姉さんが具現化ソースを完成させるまでには、多少は時間があるだろうけど、悠長に作戦を立てる程の時間の余裕はないの。それだったら一番成功する確率の高い作戦に出るのは当然でしょ?」
リンは慰めるような口調でゆっくりと俺に話した。
俺はなにも分かっていない。こいつらは戦う事を目的として生まれている。
俺のやるべき事は、こんな風にボーカロイド達の覚悟を突っつくことじゃない。
「そうだな。何も分かっていない俺が余計な事言って悪かった」
俺がそう言って謝ると、リンとレンが反応した。
「責めてないって」
「うん。僕達が貴方を巻き込んでしまってるんだから、それぐらい言ってくれたって全然構わないよ。ありがとう」
リンは膨れた顔をして、レンは微笑んで俺に言葉を掛ける。
やさしいな。ボーカロイドってのは。
表現は違えど、あの日、ミクが現れた日のあの時にミクが俺に見せた笑顔と同じモノだ。
「ありがとう」
俺はそう言って二人に微笑み掛ける。ミクもその様子をみていつものニコニコ顔に戻っていた。
こいつらは戦わなければいけない。俺はあらためてそれを認識した事になる。
正直言って俺はミクが戦うなんて嫌だ。もちろんリンやレン、会った事のないカイトが戦う事だって心苦しい。
しかし俺は自分に言い聞かせる為にも、もう一度二人に尋ねる。
「戦いはいつ始まるんだ?」
俺はいままでにない真剣な表情をしていたと思う。
この問いにはレンが答えた。レンもまた真剣な表情で。
「僕達が具現化した時点で始まっているよ。メイコはすでに僕達が出揃ったのを察知して動き始めていると思う。僕達とメイコが対峙するのにはそう時間はかからないだろうね」
そうなのか……。今までミクは戦ったりしなかった理由は、ボーカロイドが出揃っていなかったからか。
「具体的にはわかるのか?」
レンが続けて俺の問いに答える。
「明日か、遅くても明後日には会うと思う。早ければ今日かもしれない」
「そうか……」
本当に戦いが始まるまで、もう時間はほとんどない。もちろん戦いが始まればミクも戦うことになる。
それを理解すると、俺の体に妙な感覚が走った。
なんだろう……この感覚は。
俺はミクの目的が戦いという事をあらためて認識しただけだ。
……いやそうじゃない。俺は理解する事から逃げて考えなかっただけだ。
なんだろう……悲しい。いや、辛いといった感覚だろうか。理解できていると思っていたけど、結局は俺の強がりでしかなかったのかもしれない。
「俺トイレいってくるわ」
俺はそう言って逃げるようにトイレへいった。
トイレに行っても用を足すわけではないのは、俺が臆病な証だろう。
なぜ俺は逃げているんだ……。
自分が怯えているところを見られたくなかったのか?
自分でもよくわからないが、きっとそうだろう。
じゃあ俺はなにに怯えているんだ?
ミクが戦い傷つくことか、世界がボーカロイドで溢れかえる可能性がある事か。
いや、そんなことじゃない。
俺は自分があいつらと関係のない存在になるのが嫌なんだ。
俺にとってミクは大切な存在だ。
それでも俺がミク達にしてやれる事なんてない……。
ボーカロイド達にとって俺はなんなんだろうか……。
ミクにとって俺は……。
そんな考えが俺の頭の中でグルグルと回っていた。
しかしこんな事を悩み続けたってなにも解決はしないんだ。
「よし…………覚悟をしよう」
なにに対して覚悟をしたかなんて自分でもよく分からない。
ただ、ミクが戦いに行くなら俺はそれを止めたりしない。それだけでも十分な覚悟だと俺は思う。
俺が戦いを手助けできないのならば、俺は足を引っ張らないまでだ。
俺は大きく息を吸い、気持ちを落ち着かせる。
自分の心臓が冷静さを取り戻した事を確認した俺は、トイレから出て居間に向かった。
俺がトイレに行っていた時間なんて短い間だった。それに玄関の扉を開くような音は聞こえてこなかったと思うが、そこにはすでにリンとレンの姿は無かった。
「リンとレンは?」
ミクは落ち着いた表情で外をそっと指差す。
「もう行ったってことか」
ミクは頷く。
俺は続けてミクに尋ねる。
「ミクは行かなくてもいいのか?」
俺の問いにミクは笑顔で頷き答える。
「リンとレンが来なくていいって言ったのか?」
この問いにもミクは笑顔で頷く。
「そっか」
リンとレンが来なくてもいいと言ったなら、行かなくてもいいんだろう。
また俺が悩みだしたりなんてすればミクが心配してしまうからな。俺はミクを心配なんてさせたくはないんだ。ボーカロイドの問題はボーカロイドに任せるさ。
ミクはまだニコニコとした表情で外を見ている。きっと仲間が具現化した事が嬉しいんだろう。
俺はニコニコしているミクを見つめ静かに声を掛ける。
「なあミク」
ミクは俺の方を向き、首を傾ける。
「俺に何か隠してないか?」
この問いにミクは笑いながら首を横へ振った。
「そっか。それならいいよ」
俺はそう言ってミクに笑い返し、それ以上尋ねる事はしなかった。
その後のこの日は、いつも通りの日常だった。
リンとレンが現れた日だなんて思えないほどの普通さだ。
いつも通り将棋をして、晩御飯を食べ、ミクの行儀の悪さに説教して。
ミクはとことんいつも通りだったし、俺だって普段となんら変わりは無かった。
そのまま夜中まで将棋をやり続け、俺達がいつも寝る時間になっていた。
俺はミクに寝るよう促し、ミクがベットに寝転んだ事を確認する。
いつもと何も変わらない。
俺はミクが横になった事を確認して電気を消し、自分も床に敷いた布団へ入り考えを巡らせる。
考えを巡らせることだっていつも通りだ。
だけど、今日は考える内容がいつもとは違う。
戦いが始まった事、メイコの目的、ボーカロイドがそろった事。
考えてしまう癖のある俺には、考える為のネタが大量だった。
しかし俺の考えていた事はさっき挙げたうちのどれでもない。
今日見せたミクの笑顔。俺が隠し事はないかと訊いた時のあの笑顔。
あの笑顔は、あの日、ミクが涙を見せた時の笑顔にそっくりだった。
ミクは確実に俺になにかを隠している。
俺は眠りにつく瞬間まで、この事が頭から離れなかった。
第6話完