part1 『ログ・1』
一 『ログ・1』
後見 京東都 M.N(23) 女
岡静県 I.H(52) 男
「これに署名とハンコを。ハンコが無ければ指でいいです」
右手にハンディカメラを持った私は、感情を込めずに言う。
感情を込めてしまうと、その人が自殺を諦めてしまう引き金になるからだ。
それは、その人の人生で最大の決心を踏みにじることになる。
京東都某所の森林地帯。
ワゴン車に乗った私の横で、Mさんは受け取った書類を一枚一枚丁寧に通読し、全てを読み終えてから名前を書き始めた。
車内にはペンが下敷きに当たる音だけがひびく。
ハンディカメラはその様子を鮮明に写している。
カメラは最後まで回しつづける。途中で撮りなおしてしまうと、提出するときに編集したと思われてしまうからだ。
そうなると、私は殺人幇助罪の疑いをかけられ、捕まってしまう。
それを防ぐために、ノーカットで撮るのだ。
時代はモノを便利にしていく。SDカムだからSDの容量を越えない限りは長く撮れるし、カメラ本体のHDDにも撮れる。バッテリーも切れることは無い。
時折、かかり落ちる髪の毛を優しくかき上げる。クセの無いセミロングの黒髪は耳にかかりながらも、はらはらと滑ってまたかかる。
「・・・・・・・・・・・・ハンコ、忘れてしまったんですけど…」
私は彼女の言葉が終る前にポケットからスタンプマットを出した。
「拇印を」
私は努めて無感動で言った。
Mさんはゆっくりと右手の人差し指をマットにつけ、書類にぐりっと力を入れた。
「・・・あ、親指の方が良かったですか?」
指を離すと、はっとした表情をして私に聞いてきたので、わたしは大丈夫ですと返した。
彼女は首だけを縦に動かし、ため息のような小さい声ではいと返事をして、今度は親指で判をついた。
書類は8枚。
政府、警察、所在する都道府県、市区町村宛てに義務的に書いてもらうものが4枚、残りは任意で個人や団体宛てに書く。
彼女の場合は両親、仕事場の上司、社長、友人の4通だった。
「はい。書き終わりました」
Mさんは小さい声でそう言うと、私のほうに視線をよこした。
「そこに書類を並べてください」
座席の空いた部分に書類を並べさせてから、私はカメラで一枚ずつ記録する。
「・・・・・・では、」
そう言って私は空いている左手でドアを開き、彼女を先導した。
その間も彼女を撮影しつづけている。
そして其処に到着した。
後見 京東都 M.N(23) 女
岡静県 I.H(52) 男
「これに署名とハンコを。ハンコが無ければ指でいいです」
右手にハンディカメラを持った私は、感情を込めずに言う。
感情を込めてしまうと、その人が自殺を諦めてしまう引き金になるからだ。
それは、その人の人生で最大の決心を踏みにじることになる。
京東都某所の森林地帯。
ワゴン車に乗った私の横で、Mさんは受け取った書類を一枚一枚丁寧に通読し、全てを読み終えてから名前を書き始めた。
車内にはペンが下敷きに当たる音だけがひびく。
ハンディカメラはその様子を鮮明に写している。
カメラは最後まで回しつづける。途中で撮りなおしてしまうと、提出するときに編集したと思われてしまうからだ。
そうなると、私は殺人幇助罪の疑いをかけられ、捕まってしまう。
それを防ぐために、ノーカットで撮るのだ。
時代はモノを便利にしていく。SDカムだからSDの容量を越えない限りは長く撮れるし、カメラ本体のHDDにも撮れる。バッテリーも切れることは無い。
時折、かかり落ちる髪の毛を優しくかき上げる。クセの無いセミロングの黒髪は耳にかかりながらも、はらはらと滑ってまたかかる。
「・・・・・・・・・・・・ハンコ、忘れてしまったんですけど…」
私は彼女の言葉が終る前にポケットからスタンプマットを出した。
「拇印を」
私は努めて無感動で言った。
Mさんはゆっくりと右手の人差し指をマットにつけ、書類にぐりっと力を入れた。
「・・・あ、親指の方が良かったですか?」
指を離すと、はっとした表情をして私に聞いてきたので、わたしは大丈夫ですと返した。
彼女は首だけを縦に動かし、ため息のような小さい声ではいと返事をして、今度は親指で判をついた。
書類は8枚。
政府、警察、所在する都道府県、市区町村宛てに義務的に書いてもらうものが4枚、残りは任意で個人や団体宛てに書く。
彼女の場合は両親、仕事場の上司、社長、友人の4通だった。
「はい。書き終わりました」
Mさんは小さい声でそう言うと、私のほうに視線をよこした。
「そこに書類を並べてください」
座席の空いた部分に書類を並べさせてから、私はカメラで一枚ずつ記録する。
「・・・・・・では、」
そう言って私は空いている左手でドアを開き、彼女を先導した。
その間も彼女を撮影しつづけている。
そして其処に到着した。
車からは5メートル程しか離れていない。
硬いしっかりした松の樹の太い枝に、油を染み込ませたロープが一本ぶら下がっている。先端は握りこぶしの大きさの円形。下には脚立。
「・・・ひっ」
それを見た彼女は、息とも声ともわからない音をだして空気を吸い込み、大きく吐き出した。吐息はふるえていた。
私は無言、無感情でカメラを回しつづける。
あとは、彼女次第。
私はただ撮影するのみ。
「・・・ひくっ・・・・・・はぁぁぁぁっっ・・・・・・・・・」
彼女は泣き始めた。
死の恐れなのか、誰かを想っているからなのか、本当のことはわからない。
その涙は、誰のために・・・・・・・・・?
――――――理由は十人十色だ。
・・・別段、知りたくも無い。 それは、カタチとして誰かに語りかけるから。
十分後、彼女は一際大きなため息をつくと、ゆっくりと脚立に向かい上り始めた。
その間もしゃくり上げている。頬がてらてらと光っていた。
しなやかな指がロープを掴み、先端の円にロープを通して輪を大きくする。
「ふぅぅっ・・・・・・・・・・・・ぁぁあああっ!」
ロープを掴んだまま、彼女は大声で泣き叫ぶ。だが近くに住居は無く、人もいない。
ただ泣き声が響くのみだ。
「ぅぅううああぁあぁぁああああっ!」
泣きじゃくる声が、私に強くひびく。だが、私はただ無感動に撮影をすすめる。
そして十三時二十三分十八秒。
「あぁぁあああっ…・・・・・・・・・おかぁあさあぁぁあん!!」
一層大きくそう叫ぶと、彼女は素早く首にロープをかけ、脚立をがしんと蹴った。
がしゃんと音をたてて脚立が倒れる。
重力の法則に従い、彼女は落下。だがロープによって空中で留まる。
ロープを掴んだまま落ちたので、彼女の指は首とロープの間に挟まった。その何本かはおかしく曲がっている。
苦しみから逃れる本能のままロープを掴んではいたが、ロープから染み出る油によって指は滑り、はがれた。
がくんっ、と。
そんな擬音が残りそうに、彼女は終った。
顔の表情ははじめこそ苦痛に歪んでいたものの、次第に筋肉は緩み、無になった。
数分後、全身の筋肉が弛緩した彼女の体からは、糞尿が流れ出した。
ポタリ、ポタリ、ぽたり。
それは生命活動が完全に停止した合図。
私はバックパックから三脚を取り出し、カメラを固定した。そしてカメラからやや離れて、携帯電話を取り出して『業者』と『政府』に通達した。
硬いしっかりした松の樹の太い枝に、油を染み込ませたロープが一本ぶら下がっている。先端は握りこぶしの大きさの円形。下には脚立。
「・・・ひっ」
それを見た彼女は、息とも声ともわからない音をだして空気を吸い込み、大きく吐き出した。吐息はふるえていた。
私は無言、無感情でカメラを回しつづける。
あとは、彼女次第。
私はただ撮影するのみ。
「・・・ひくっ・・・・・・はぁぁぁぁっっ・・・・・・・・・」
彼女は泣き始めた。
死の恐れなのか、誰かを想っているからなのか、本当のことはわからない。
その涙は、誰のために・・・・・・・・・?
――――――理由は十人十色だ。
・・・別段、知りたくも無い。 それは、カタチとして誰かに語りかけるから。
十分後、彼女は一際大きなため息をつくと、ゆっくりと脚立に向かい上り始めた。
その間もしゃくり上げている。頬がてらてらと光っていた。
しなやかな指がロープを掴み、先端の円にロープを通して輪を大きくする。
「ふぅぅっ・・・・・・・・・・・・ぁぁあああっ!」
ロープを掴んだまま、彼女は大声で泣き叫ぶ。だが近くに住居は無く、人もいない。
ただ泣き声が響くのみだ。
「ぅぅううああぁあぁぁああああっ!」
泣きじゃくる声が、私に強くひびく。だが、私はただ無感動に撮影をすすめる。
そして十三時二十三分十八秒。
「あぁぁあああっ…・・・・・・・・・おかぁあさあぁぁあん!!」
一層大きくそう叫ぶと、彼女は素早く首にロープをかけ、脚立をがしんと蹴った。
がしゃんと音をたてて脚立が倒れる。
重力の法則に従い、彼女は落下。だがロープによって空中で留まる。
ロープを掴んだまま落ちたので、彼女の指は首とロープの間に挟まった。その何本かはおかしく曲がっている。
苦しみから逃れる本能のままロープを掴んではいたが、ロープから染み出る油によって指は滑り、はがれた。
がくんっ、と。
そんな擬音が残りそうに、彼女は終った。
顔の表情ははじめこそ苦痛に歪んでいたものの、次第に筋肉は緩み、無になった。
数分後、全身の筋肉が弛緩した彼女の体からは、糞尿が流れ出した。
ポタリ、ポタリ、ぽたり。
それは生命活動が完全に停止した合図。
私はバックパックから三脚を取り出し、カメラを固定した。そしてカメラからやや離れて、携帯電話を取り出して『業者』と『政府』に通達した。
それから三十余分。『政府』から派遣された『業者』によって彼女は処理された。現場は何も無かったかのように、綺麗になった。
ただ、枝に染み込んだ油だけは綺麗に落ちずに残り、ここで起こった事実を物語っている。
当然、私は業者が来るまでの間も撮影を続け、処理の様子も記録した。
――――――ただ、無感情に
それは、無感動に――――――?
『業者』が到着したとき、彼女はただぶら下がるだけの生人形(いきにんぎょう)となっていた。
右目は抜けて、神経の束によってふらふらと振り子のよう。
鼻と口からは溶け出した脳漿(のうしょう)が、真っ黒な血となって流れ出る。
極めて粘り気の強いソレは、長く長く伸びて彼女から離れようとしない。
肌の色はどす黒くなり、もはやロウ人形のようだ。
脚立の傍には茶色のローファー。
彼女の下には、悪臭を放つ汚物。
常人が決して見ることの出来ない、最悪の情景が広がっていた。
『業者』は処理を終えて帰った。彼女は彼女のためだけに作られたハコに入って、帰っていった。
私はワゴンの運転席に座り、書類の束とカメラから取り出したSDを茶封筒に入れた。
ハンドルを握って、エンジンをかける。
・・・その時、Mさんの最後の情景が、頭の中で広がった。
私はそれを確かめて、
その羨ましさについ、
くすっと笑みがこぼれた。
ただ、枝に染み込んだ油だけは綺麗に落ちずに残り、ここで起こった事実を物語っている。
当然、私は業者が来るまでの間も撮影を続け、処理の様子も記録した。
――――――ただ、無感情に
それは、無感動に――――――?
『業者』が到着したとき、彼女はただぶら下がるだけの生人形(いきにんぎょう)となっていた。
右目は抜けて、神経の束によってふらふらと振り子のよう。
鼻と口からは溶け出した脳漿(のうしょう)が、真っ黒な血となって流れ出る。
極めて粘り気の強いソレは、長く長く伸びて彼女から離れようとしない。
肌の色はどす黒くなり、もはやロウ人形のようだ。
脚立の傍には茶色のローファー。
彼女の下には、悪臭を放つ汚物。
常人が決して見ることの出来ない、最悪の情景が広がっていた。
『業者』は処理を終えて帰った。彼女は彼女のためだけに作られたハコに入って、帰っていった。
私はワゴンの運転席に座り、書類の束とカメラから取り出したSDを茶封筒に入れた。
ハンドルを握って、エンジンをかける。
・・・その時、Mさんの最後の情景が、頭の中で広がった。
私はそれを確かめて、
その羨ましさについ、
くすっと笑みがこぼれた。