第二話『俺と本堂、そして佐藤』
現実は小説より奇なりとはよく言ったもの。普段と変わらない徒然とした日々を送っていた俺は、いつの間にか異様なことになっていたらしい。
目の前の男然り、今朝の話も然り。どうにもこうにも、欲して止まなかった非現実的な展開は想像していたものと違い、俺を今まで以上に悩ませる種となっていた。
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「――佐藤に決まっているだろう!!」
殴られる俺。
理不尽すぎる。何故だかすごく泣きたくなってくる。いや、殴られたせいで少し涙が出てしまいました。
「い、痛いから、落ち着けよ。なんで俺が殴られなきゃいけないんだよう。というか、お前、ホモ――」
「ホモセクシュアルを否定するのか? したら最後、俺はお前を全力を以って攻撃する」
手に負えねえ。まっこと手に負えない。恋する乙女は無敵とはよく言うけど、なに、恋する男はもっと性質が悪いのだと、現在進行形で身を以って知る。
「待て、待てよ。別に俺は否定する気もないし、今朝のことだってそんな色めいた話じゃないっつーの」
「……信じられんな。それをどう証明する」
粘着うぜえ。なんか腹が立ってきたぞ。昼飯を買いに行こうとしたところそれを妨害されて、呼び出されたかと思えば殴られて、殴られたかと思えば泣かれて、また殴られて。
俺、怒ってもいいよな。
「ぐえっ!?」
本堂が黙っている俺に腹を据えたのか、俺に飛び乗りマウントポジション、いわゆる馬乗り状態で拳を振り上げる。洒落にならん! と本気で頭に来た俺は。
……と、今まさに俺の口から耳を塞ぎたくなるような暴言が飛び出そうとした時、ギィーッという金属製の音。屋上の扉だと思われるそれに俺と本堂が二人して視線を向けると、そこには一人の女子が立っていた。
「あ、そのう……お邪魔、でした?」
「「…………」」
俺と本堂は二人して見詰め合う。気付けば二人は、その、なんというか……本堂が俺に覆いかぶさるような格好になっていて、あれだ、まるで本堂が俺を押し倒したような場面に見えるわけだ。
確かに説明としては間違っていない。現に俺はマウントポジションで殴らるところだったからだ。間違ってはいない。
ただ、女子の顔を見る限りではそうも言ってられない。俺はあの顔をよく知っている。クラスが一緒なのは確かだが、そういう知っている、じゃない。……あの表情は自分の世界に浸っている顔だ。めくるめく妄想の世界にダイブしている顔だ。
「本堂、色々と言いたいことはあるが、とりあえず離れろ。お前の性癖が露見したくなければな」
「くっ!」
俺の言葉が何を意味するのか悟ったのだろう、本堂は慌てて俺の上から離れる。
俺は至極冷静を装いながら、出来る限りのスマイルを顔に浮かべて、今も何かを妄想している女子に近付く。
「あー……そう、三島早紀さん、だっけ。出来ればその誤解に満ちた妄想から帰ってきて欲しい」
「はっ、何故わかったんですか! というか、二人はやっぱり……」
「ちがっ」
違う、そう言おうとした時に、本堂が空気を読まずに屋上から立ち去ろうとしていた。
「武田、この続きはまた今度だ!」
がちゃん。屋上の扉が閉まる。
見れば青い空は澄み切っており、暑い日差しも涼しい風がその場を心地よい空気にしていた。遥か遠くに見える入道雲はどこまでも大きく、一筋の飛行機雲は青すぎるこの空によく映えていた。
「……誤解、しないでね」
女子は既に目の前から姿を消していた。
『俺と本堂、そして佐藤』
ホームルームが終わり、学校は放課後へと移り変わろうとしていた。夏だからだろう、太陽はまだ赤らむことを知らないかのように強い日差しをアスファルトに叩き付けている。
グラウンドでは運動部が活動し始め、掛け声が聞こえてくる。校内ではどこからか聞こえてくる――音楽部のそれだろう――、様々な楽器の音が溢れ始めていた。
二年B組。このクラスもまたホームルームを終え、一瞬の騒がしさが過ぎ去れば、そこには人影が三つ。
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「またなんか用かよ」
「用がある! 遊ぼうぜ!」
「……」
佐藤が嫌になるほど陽気な態度で、話しかけてくる。しかも遊ぼうなどと、今朝の一件を忘れたかのようにおかしな提案をしてきている。
俺は困惑していた。佐藤のこの変わりようはなんなんだ? 俺を馬鹿にしてるのか? いや、今朝の話を信じるならば、こいつは俺に罪の意識を感じているらしい。なら、罪滅ぼし?
「バカじゃねえの」
そう言うと、俺は早々に帰り支度をする。机に詰め込まれた教科書を鞄に入れ、席を立つ。
そもそも、俺は同情されるのが大嫌いだ。だから他人にも同情しない。佐藤が余命云々言っていたとしても、俺には関係が無い。親友――一時はそうだったこともあった――というわけでもないし、どう考えても俺に付き合う理由は無いはずだ。
そそくさと佐藤を置いて教室を出ようとすると、佐藤がこちらを含みのある目で見つめてきている。まさかこいつまで、その、ホモセクシュアル?
昼の事もあり、嫌な寒気を感じた俺は、足早に教室を出ようとして。
「うわっ」
「ぬ」
ドスン、と。人にぶつかってしまった。
あぁ、嫌になるったらありゃしない。よくよく見ればぶつかった相手は本堂だ。メガネだ。なんだってこう、今日はこうも立て続けにイベントが起こるのか。
「どいてくれよ。俺ぁ帰るんだ」
「そうはいかんな。言っただろう、昼休み。この続きはまた今度、と」
「今度なら今度にしてくれよ頼むから。まだ四時間しか経ってねえ」
本堂はメガネをくいっと直す仕草を見せると、そのレンズの向こうには怒りに満ちた目が見えた。
途轍もなくピンチ。前門の狼、後門の虎とはよく言ったものだ。くそ。
「ん? メガネじゃん。どうしたー、忘れ物か?」
「な、佐藤!」
どうやら本堂は佐藤に気付いていなかったらしい。その狼藉ぶりは半端ない。見れば顔を赤らめたり無意味に時計を見たり佐藤の方を見なかったり。……乙女の、反応。
気持ち悪いそんな仕草を見ながら、俺は不意に仕返しの方法を思いついた。これは好機と見たり。
「やぁ本堂君。俺も忘れてないよ、昼休みのことは。というわけで、続きを話せばいいじゃない」
「武田ぁ……!」
ニヤニヤと本堂を見る。なるほど、惚れた相手の手前、さすがに昼休みの時の勢いというわけにはいかないらしい。
イニシアチブはこちらが奪った、後は相手の隙を見れば無事家路に付くことが出来る。
「お、もしかして武田と本堂、面識あったりする? あ、だよな! 同じクラスだし、当たり前だよな! わっはっは、よかったよかった!」
何がよかったのか、佐藤は一人自己完結している。
俺と本堂はというと、まるで牽制し合うマングースとコブラが如く、睨み合ったまま動けない。流れからして、俺が真実を言えば本堂の負けが決定する。なのに、本堂は俺の前からどこうとしない。
……三人が三人、異なる葛藤を抱いているだろう沈黙する中、佐藤がその沈黙を破った。
「おし。そんじゃま、三人で遊びに行くとするか」
「「え?」」。
奇しくも、いがみ合う俺と本堂は同じ反応をしてしまった。
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「何故俺が武田なんぞと……」
「なんで俺がホモ野朗なんかと……ひっ、ごめんなさい!」
キッと物凄い形相で睨みつけてくる本堂。反射的に謝ってしまう俺。
失敗した。本堂にかまけている所為で、佐藤から逃げるという目的をすっかり忘れていた。……なんでこんなことになっているか、それは俺が一番聞きたい。
本堂と佐藤だけならわかるが、なんで俺がこの場にいるのか。今日までろくに話すことさえしなかったというのに、何故、三人仲良くといった具合にゲームセンターなんて場所にいるのか。
見れば俺と本堂は、二人仲良くスリルドライブをやっている。佐藤はトイレに行くと言って、まだ戻ってこないようだ。
「ほう、本堂君は普通車ですか。ま、妥当っすね」
「ふん、そういう貴様は大型車か。まぁ、お似合いなんじゃないのか」
二人して睨み合う。この状況に疑問を抱く気持ちを抑えて、今はゲームに集中する。負けられない、こいつにだけはなんであっても負けたくない。たとえそれがゲームであっても……!
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「はぁ」
「興醒めだな」
結果、ゴール目前で俺と本堂がぶつかり、多くの車を巻き込んだ大事故に。その間にタイムアップ、ゲーム終了。
「これも貴様がトラックなんぞ使うからだ。公道をトラックが爆走するとは、非常識極まりないと思わないのか」
「そりゃトラックに限ったことじゃないだろがよ。お前のセダンもあからさまにおかしいドリフトかましやがって」
勝負が決さないというのは、こうまで歯痒しいのか。いらいらと募る気持ちを抑え、深呼吸。よし、少し落ち着いた。
「トイレ。ついてくんなよホモ野朗」
「……ッ!」
凄まじい歯軋りの音が聞こえたが、既に背を向けていた俺には関係のないこと。顔さえ見なけりゃ恐くはないのだ。……多少の優越感を感じながら、人ごみを避けてトイレへ向かう。
ゲームセンターにしては小綺麗に掃除してあるそこは、パチンコ屋がゲームセンターに鞍替えしたと聞けば確かに納得。無駄に高そうな照明なんかは、その名残らしい。
「――げほっ、が」
用を済まし手を洗っていると、不意に咳が聞こえた。普段は気にも留めないだろうそれは、確かに、俺の予感を現実のものにするだろうと思った。
「けほっ、くっ…………た、武田」
「佐藤、お前」
水が流れる音が聞こえないことからして、こいつはずっと個室にいたんだろう。見ると、佐藤の手には血が付いている。その瞬間、今朝屋上でされた話を思い出す。なんたらXだとか、肺がどうたらとかの話だ。
「本堂には内緒にしててくれな。あいつ、俺に過保護なとこがあるんだ」
普段とは比べ物にならない弱々しい笑顔を俺に向けると、何も言わずに手を洗い始める。
「その、あれだ。病気そんなに悪いのか?」
ぶしつけな質問だとは思う。でも、聞かずにはいられない。俺の質問を無視しているのか、答えかねているのか、佐藤は中々口を開かない。
自分でも短気だと思うけど、いらいらしてきた。と、そんな俺を察したのか佐藤が答え始めた。
「悪いさ。余命は持って一ヶ月、これは今朝言ったとおり。肺に肉芽腫がでる、これだけなら命に危険はなかったらしいんだけど、ちょうど悪性腫瘍も出来てたらしくてね」
「悪性腫瘍ってーと」
「ガンだよ。知ってるだろ、発見が遅れれば完全に治すことは出来ないっていうあれ」
ガン。俺の拙い知識だけで言うなら、それは立派な不治の病だ。薬で進行を抑えるくらいしか出来ないという。
「でもさ、肺だろ? お前がタバコを吸ったりしてんのならわかるけどさ」
「や、まさしく理由はそれさ。俺の家って副流煙が何処に居ても吸えるような環境でね」
ブォーっと空気乾燥機の音が鳴る。
その話を聞いて、今度は俺が答えかねていた。努力したわけでもないのに人望が厚い佐藤。勉強も俺よりは出来、運動は言わずとも。そんなコイツが、自分の所為じゃないのに不治の病にかかってる。
どうしようもなくいらいらした。佐藤の日常にもそうだけど、理不尽な病気というのがひどく頭にきた。
認めたくないけど、佐藤は実に物語の主人公らしい奴だ。ルックスもよく、人望も厚く、女の子にキャーキャー言われるほどの運動神経を持っており。そんな奴がなんで死ななきゃならないんだ。
「同情を誘うために言ったたんじゃない、と言えば嘘になる。俺は極力、いつも通りの生活を続けたい。でも、このことも誰かに打ち明けたい。そう思って言える相手を探したら、武田、お前しかいなかった」
「んなこと、言われたって」
「頼む! あと一ヶ月、いや、それよりも短くていい! 俺と一緒に過ごしてくれ! 確かに俺はいつも馬鹿やってきた。でもな、そんな俺でも心残りってやつはある。それがお前なんだよ!」
「……」
佐藤が話せば話すほど、イライラが募ってゆく。認めよう、確かに俺はこいつに憧れていた。遠くから見るこいつの生活が、どれほど羨ましかったことか。
でも、その佐藤が俺に頭を下げている。認めたくないんだよ、俺なんかにお前は頭を下げちゃいけない。もっと毎日を輝かせて、俺が羨ましいと思えるようなお前になってくれよ。
「わかった、わかったから頭を上げろよ。過ごすつったって何するかわからんけど、とりあえずわかった、わかったから泣き止めって!」
「くっ、武田ぁ……サンキュー、な……うぅ」
同意したのはいいものの、一日に男二人に泣かれたとあってはさすがに俺も困る。なんで女じゃないんだよ。なんで男なんだよ。一人はホモだし。一人は不治の病だし。
……もうどうにでもなれ。
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