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鶏と卵と丼と

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 職員室や3年生の教室がある第一棟、1~2年生の教室が集まる第二棟、理科室や音楽室などの特別教室や部室が多く入る第三棟、そして図書室のある第四棟。
 校舎内をいくら歩き回っても、モフモフさんはなかなか姿を現さず、僕は次第に自分が見たものに自信がなくなっていた。松崎は「暇だから行ってやるよ」という理由で一応素直に捜索に付き合ってくれているが「やっぱ猫か何かだったんだろ」と結果については大して気にもしていない。物井さんだけが「わたしだって見たいよ」と熱心に駆け回っていた。
「だってそうでしょ、生みの親のわたしだけが見ていないなんて、なんか悔しい」
 というその気持ちは分からないではないのだが、ただ無闇に歩き回るのもそろそろ疲れた。
 続きは明日にしよう、と僕が提案すると「明日もやるのかよ」と松崎は不服を唱えた。
「このまま正体が分からず、っていうのも気持ち悪いじゃないか」
「だから、猫……かどうかは分からないけど、ただの小動物だとオレは思うぜ。モフモフさん伝説が広まったせいで、思い込みがそう見せたんだろ。見たいものを見たり、見たくないものを見なかったり、人間の脳っていうのはそういう風に出来てんだよ」
「どういうこと?」
「そうだな、たとえば――恋は盲目、なんて言うだろ? 人間関係なんて所詮、自分で作り上げたイメージで相手を見ているだけだからな。それに、記憶なんていうのも、結構当てにならないもんだぜ。自分に都合の悪い思い出とかは忘れていたり、違う解釈に変えられていたりする。自分が人から傷つけられた覚えはあっても、そのときの自分の弱さとか格好悪さとかは都合よく忘れていたりするんだよ。だいたいさあ、物井」
 いきなり話を振られた物井さんが「へ?」と間抜けな声を出す。
「お前が産みの親だっていうモフモフさんだって、昔どこかで見た何かを無意識に憶えていて、それが記憶の底から出てきただけなんじゃないのか?」
「え、えーと、つまり……都市伝説を思いつくより先に、モフモフさんをどこかで見ていたってこと? そんな記憶ないよ、わたし」
「潜在記憶だからな、憶えている必要はないんだ。それこそ見たくないものとして封印されている可能性があるってこと」
「センザイキオク? よく意味わかんないな。それにわたし、モフモフさんすごく見たいんだよ?」
「そうじゃなくて……」
 まるで勉強嫌いの子に教える家庭教師のように、じれったい空気が流れた。
 物井さんの理解力というよりは、難しい概念を持ち出した松崎のせいだろうと僕は思う。そこまでややこしい話にする必要もないだろうに。空気に耐えられず、僕も口を挟んだ。
「ようするに、今、僕達が探してるやつは現実にいる何かの生き物で、『モフモフさん』のモデルもそいつだったって言いたいんだろ。物井さんが忘れているだけで」
 ああ、と松崎は頷く。
「そう考えれば、架空の都市伝説と、この間実際に目撃した奴のイメージがほぼ一致していることにも説明が付く」
 え、ちょっと待って、と物井さんが制止する。
 どうも、思考が追いつかないといった不満げな表情だ。
「じゃあ、わたしが考えたと思っていた『モフモフさん』は、全然、わたしのオリジナルなんかじゃなかったってこと?」
「全然、とは言わないさ。命名したのは物井だろ。それに完全にオリジナルなアイデアなんてどこにも存在しないんだよ。全てはミームの組み合わせでしかない。大雑把に言えば、誰のどんなアイデアも、どこかで見聞きした知識の受け売りなんだよ」
「よくわかんないな」
 何かが引っかかる気がしたが、なんだろう。
 僕はとりあえず思いついた疑問を投げかけてみる。
「それにしても偶然にしちゃ、出来すぎじゃないか? 物井さんが噂自体の震源地なのは確かだろ、その噂が広まったタイミングにモデルとなった生物が学校に現れるなんて」
「以前から普通にいたのかもしれないぜ、オレらが意識していなかっただけで」
 うーん、と首を傾げる物井さんは、まだ何かが納得しかねるようだ。
 けれど深く考えていても仕方ない気がした。モフモフさんが先か、物井さんが先か。まるで鶏と卵のジレンマだ。
 僕達に今できるのは、モフモフさんを探して正体を知ることくらいでしかない。
「松崎、だったら証明しようぜ、捕まえてさ」
「ああ……そうだな。結局そうなるのか」
 やれやれ、と彼は軽く息を吐いた。意外に墓穴を掘るのが得意な性格のようだ。


 松崎と物井さんが帰宅した後で、僕は部室のある第三棟に向かって歩いていた。
 一階の渡り廊下は、廊下というよりも中庭に設けられた石畳の通路だ。日が傾いた時間帯には、芝生や花壇を通り抜けて吹き付ける風が肌寒い。
 2階の渡り廊下を使えばよかったと後悔しつつ、足早に通り過ぎようとしたその時だった。足元の近くの花壇がカサカサ、と揺れた。何かいるのかと訝しんで視線をやったときには、既に逃げ出すところだったが――「モフモフさん?」そこにいたのはモフモフさんに違いなかった。一瞬だが、僕は再びそれを見た。さっきまで、いくら探しても見つからなかったのに、見つかるときはあっけない。
 ふわふわとした毛玉のような姿。すぐに見失ってしまったが……やっぱり猫ではないよな。正体が何であれ、僕の語彙ではそれをモフモフさんとしか表現の仕様がないのは確かだ。これもただの思い込みなんだろうか。
(……ん?)
 さらに何かを感じて中庭に首を向けると、凄い勢いで誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。
 生徒のようだ。
「そっち行ったぞ!」
 突然のことに唖然としていると、「なんとかボム」という叫び声とともに物凄い勢いで何かが飛来し、足元に突き刺さる――って! 危ないな、これモリってやつじゃないのか!? 手作りの粗末なものだが、本来は鯨なんかを刺すのに使うやつだ。おいおいおい。当たったら大怪我じゃ済まないぞ。
「おい、大丈夫か?」
 走ってきた連中のうちのひとりが声を掛ける。大丈夫かじゃないだろ、投げたのお前のくせに。「危ないだろ」と僕は文句を言いかけたが、長髪の顔の怖い生徒だったので喉元まで出掛かった言葉をつい飲み込んでしまった。
「死にたいのは分かるが、人殺しは御免だぜ」
 何言ってんだ、この人。死にたくねえよ。殺すなよ。
 心の中で毒づいていると、
「よせ」
 ともうひとりの男が近づいてきた。ガタイのいい好青年といった感じだ。それを見てすこし安心する。
「悪いな、こいつツンデレだから」
 それ絶対使い方間違ってます。
「あ、君もしかして佐倉和貴君でしょ?」
 流れを無視して横から口を出してきたのは、少し天然っぽい雰囲気の女子生徒だった。ストレートの黒髪が清楚な感じである。
 しかし、なんなんだろう、この3人組は。
「ええ、そうですけど。貴方達は何なんですか」
「俺達、例の都市伝説を追ってて」
「都市伝説? モフモフさんのことですか」
「そうそう。君の描いたポスター見たよ」
 いや、あれは僕が描いた訳じゃ……。しかし、モフモフさんを追っていて、なんでモリを投げる必要がある。まさか採って食う気だろうか。なんとなくこの連中なら、やりそうな気がするから困る。
「それじゃ、俺達は行くから」
「じゃあな」
「絶対、ゲットしてみせる!」
 3人組は、モフモフさんの逃げていった方向に走り去っていった。
 一体なんだったのか。
 とりあえず命の危機が去ったことに気付き、安堵のあまり疲れが来た。
 ただ、僕達以外にもモフモフさんを実際に目撃した生徒がいることが、これではっきりした。しかもそれを捕まえようとしているグループまでいることが。これは急いだほうがいいかもしれないな、と思う。先を越されたら、それこそ正体を調べるどころではなく、大騒ぎになるのではないか。なんとなく嫌な予感がした。
 先に捕まるなよ。
 心でモフモフさんにエールを送った。


「モフモフさんが先か、佐和ちゃんが先か――か、面白いわねそれ」
「面白いですか?」
「うん、松崎君の説が正しいとすると、佐和ちゃんは過去にモフモフさんと出会ってることになるわ」
「うーん、どうだろう。アレを見たのに憶えていないなんて、そうそう無い気がしますけど」
「見たといっても、テレビとか漫画とか――インターネットとかさ。現実に見たとは限らないじゃない?」
「それだと駄目なんですって。モフモフさんのほうは現実に歩き回っているんだから」
「そうよねえ。そこが問題」
「結局のところ、正体は謎のままか……」
「でも猫ではなかったのよね」
「兎でもないですね。むしろタンポポの綿毛にちかいような」
「なんでしょうね」
「さあ」
「それにしても佐和ちゃんも想像力たくましそうね」
「確かに……」
「私も、ときどき現実と空想の区別が曖昧になったりする癖があるのよね」
「現実と空想の区別?」
「そう、子供の頃はよく空想ごっこしたりしたわ。妖精さんとか、UFOとかね。そうしたらそれが目の前に見えたりした。いまだったら中二病とか、邪気眼とか言われるんでしょうけど」
「あー。ありますね、そういうの」
「でしょ?」
「いや、僕はないけど」
「そう……。それで私、文芸部なんてやってるのかな」
「なるほど」
「たまに、分からなくなるのよ。自分って何だろうって」
「自分ですか」
「いろいろな自分がいて、どれが本当の自分なんだろう、とか考えて分からなくなる」
「うーん」
「でも結局、目に見えたり痛みを感じたりする全てが脳の作り出した幻覚かもしれないわけじゃない?」
「現実と幻の区別は難しいかもですね」
「そうすると自分っていうのもただの幻覚かもしれない」
「……」
「本当の自分があるって思って探してたりするけど、それって松崎君が言うように、都合のいい部分だけしか見ようとしていないっていうことなのかもね」
「僕にはよく分からないですけど」
「そうよね、ごめん」
「けど、幻も現実も大して違いが無いのなら、逆に言うと、自分はここにいるって強く信じればそれが自分なんじゃないですか」
「そうかもね――私は、せめて自分はここにいるんだってことを誰かに見て欲しいって思う」
「いますよ、センパイは」
「うん、ありがとう。和貴にはそういってもらえると思ったわ」
 なんだか照れくさくなって黙っていると、
「それじゃ、今日は先に帰るわね。またね」
 とハルカ先輩は部室を出て行った。
 それにしても何故ジャージを着ていたんだろう。体育の授業でもあったんだろうか。
 
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