呪いの蟹ミソ
それは、一昨日の事。
実家から突然何匹かのカニが送られてきました。
一人ではとても食べきれない量だったんで、友達呼んで消化する事にしました。
やっぱりカニは茹でてそのまま食べるのが美味いので、塩茹でにして供する事にしました。
その夜、友達と蟹スプーンでちびちびと蟹の爪肉をほじくってる時の事。
その友達が妙な事を言い出しました。
「何で蟹は身が少ないか知ってるか?」
「え?」
「実は蟹ミソっていうのは蟹の肝臓じゃなくて、蟹の中に住んでる寄生虫なんだ。成虫すると、そいつが蟹の身を内側から喰い荒らすから、蟹は身が少ないんだ。」
俺はその時はタチの悪い冗談だと思って、そいつの話を聞き流しました。
翌日、蟹にあたったのか、朝からお腹の調子がよくありませんでした。
バイトも無い事だし、前の日の酒も抜けてないので、家でゴロゴロしてる事にしました。
夕方、無性にアボカドのサラダが食べたくなって、何故か冷蔵庫に常備してあるアボガドを切って食べる事にしました。
ちょうど皮の色が真っ黒になって、熟しきってました。
熟したアボガドは実が柔らかいので、力任せに切ろうとすると横に逃げます。
俺もそれで、ずるりと手が滑って、左手の親指を切ってしまいました。
スパッといったらしく、傷口から赤黒い血が滲みました。
傷口を吸うと、鉄臭い血の味がしました。
………ぶちゅっ
「…………?」
ふと、妙な感触がありました。
口の中に、血とは違う妙な粘度を持ったものが感じられました。
ティッシュの中に、ぷっとそれを吹き出してみると、血とは違う、茶褐色のものが混じっていました。
それは、昨夜見たアレに似ていました。
蟹の甲羅の中にあった、蟹ミソに。
最初は、蟹ミソが口の中に残っていたのかもと思いました。
しかし、自分のさっきまで吸っていた指先を見て、違和感を覚えました。
傷口に、蟹ミソが―――――――
親指の腹を、右手の指でぐっと押してみた時、俺の中の時間が、凍りつきました。
ドウシテ、俺ノ指ノ中カラ、蟹ミソガ――――――
まるで、ニキビの中から押し出される膿みのように、指の傷口から茶褐色の粘物が押し出されました。
肌が、ぷつぷつと粟立ちました。
どうして、こんな、あり得ない事が―――――
さらに力を加えると、それはどんどん傷口から溢れてきます。
舐めてみると、まぎれもない蟹ミソの味がしました。
その時でした。
不意に、ケータイの着信音が鳴り出しました。
「もしもし、●●さんのお電話ですか? こちら、長岡市警察署ですが―――――」
警察からでした。
警察からの電話なんて、今まで貰った事がありません。
おそるおそる受け答えをすると、向こうの人は急に真剣な声になって言いました。
「実は、今朝方、××さんがお亡くなりになりまして―――――――――」
「………………………………………………………………え………?」
警察の人が、昨夜一緒に呑んでいた友人の名を口にしました。
目の前の景色が、急に反転したように感じました。
アイツガ、亡クナッタッテ……
何 ヲ 言 ッ テ ル ン ダ 、 コ ノ 人 ハ …………?
にわかには、言っている事が理解できませんでした。
亡くなった?
あいつが?
昨日はあんなに元気だったのに?
現実感の乏しいその事実に戸惑いを覚えながらも、俺は次の言葉を待ちました。
「死因は、どうも内臓からの出血らしいんですがね、その、奇妙な話なんですがね。実は、ホトケの消化器系から―――――――」
膨大ナ量ノ蟹味噌ガ、異常検出サレマシテ――――――
さっと、血の気の引いてゆくのがわかった。
殴られたように、頭が呆然としていた。
「昨夜、●●さんは、××さんと一緒に居たという話を聞きましたもので、何か心当たる事はと――――――――」
電話の向こうからまだ話し声がしていたが、そんなものはもう耳に入ってこなかった。
無性に胃がムカムカして、吐き気が込み上げてきた。
俺は、電話を放り出してトイレに駆け込むと、盛大に嘔吐した。
出てくるのは胃液ばかりだった。
もう一度嘔吐すると、急に薄黄色だった吐瀉物の色が変わり始めた。
真っ赤だった。
真冬に悴んだ唇のような紫がかったドス黒い血痰が、便器の中に吐き出された。
その血液の中に混じった茶褐色のものが何であるか、確認するまでもなかった。
気のせいか、それは血液の汚濁の中で、ぴくぴくと蠢いている様に見えた。
昨夜の友人の言葉が、脳裏の中に蘇ってきた。
実は蟹ミソっていうのは蟹の肝臓じゃなくて、蟹の中に住んでる寄生虫なんだ――――――――――
また、嘔吐感がこみ上げてきた。
気分の悪さに、目尻から涙が溢れてきた。
しかし、その涙さえ、粘度をもって頬を汚した。
視界が、茶褐色に染まりだした。
成虫すると、そいつが蟹の身を内側から喰い荒らすんだよ―――――――――
2度目の嘔吐。
便器が、真っ赤に染まった。
内側から身を喰われる様な激痛に、立つ力さえ失って、俺はその場に崩れ落ちた。
茶褐色の蟹味噌が、俺の頬の上で蠢き続けていた。
体中から、力が抜けていく。
口の中に、苦い味を噛み締めながら、俺の意識は闇の中に堕ちていった――――――――