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2004年7月 亜季

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3、2004年7月、亜季

 さんさんと陽が照りつける放課後のグラウンドは、運動部に所属するジャージ姿の中学生で溢れかえっていた。部活の数に比べてグラウンドが狭すぎるために、野球部のノックがテニスコートへ飛び込むようなことがよく起こっていた。6月に3年生が引退して、多少の余裕はできたものの、殆どの部が充分とは言えない広さで練習をしていた。
 そんな状況の中、女子陸上部はトラック周りに比較的広いスペースを与えられていた。そこではジョグを終えた30人ほどの女子部員が、部長である宮原亜季を中心として円陣を組み、準備運動を始めていた。

 いち、にい、さん、し、ごー、ろく、しち、はち。
 にー、にっ、さん、し、ごー、ろく、しち、はち。

 号令がひと区切りつくたびに、亜季のスラリと伸びた長い手足が様々な形に組み直された。その動作はひとつひとつがしなやかで、つい目がいってしまうのか、亜季をちらちらと盗み見ている男子生徒がグラウンドのあちこちに見受けられた。
 準備体操を終えた部員たちは40mダッシュを始める。亜季と、副部長である糸川美由紀が1年生の指導にあたっていた。
 男子部も含めて、亜季の所属する陸上部にはコーチがいない。顧問の教師も名前ばかりで、大会に参加する時の引率でしかなかった。練習メニューは部長の亜季と副部長の美由紀が決め、実際の指導も2人が中心となって行っていた。
 40mダッシュ5本に続いて100m6本に入る。今度は亜季と美由紀も列に並んだ。

「部長、並走してもいいですか?」

 1年の谷中瞳が亜季に話しかけてきた。小学生の頃から陸上をやってきた瞳は2年を含めても上位クラスの存在だった。本人は無意識なのだろうが、亜季を見る目に対抗心が浮かび上がっている。亜季は得意そうな笑顔を浮かべて、いいよ、と言った。
 スタート位置についた亜季と瞳は、パン、と手を叩く音とともに走り出した。瞳は最高のスタートを切ったつもりだったが、この時点で亜季は瞳の一歩前を走っていた。当然、フライングなどではない。2人の差はみるみるうちに広がっていき、亜季は瞳に10m以上の差をつけて100mを走り終えた。
 亜季は先月行われた中学総体の地区予選で、100mでの全国出場を決めるという快挙を成し遂げていた。女子陸上部が他の部活よりも広い場所を与えられているのもそのためである。
 部員たちは3分のインターバルを入れつつ、100m6本を走り終えた。亜季と瞳との差は本数を重ねるごとに大きくなっていった。

「もう少しスタミナつけないとね。夏合宿は厳しくいくから覚悟しときなよ」
「はい! ありがとうございました!」

 瞳は息を切らしながらも、力強く亜季に答えた。亜季はそんな瞳を見て人懐こい笑顔を見せた。

「筋トレ始めるよ!全員、集まって!」

 亜季は全員が100mを走り終えたのを確認すると、部員達を集めて今日最後の練習メニューである筋トレとストレッチを始めた。



「ね、美由紀、ちょっと相談があるんだけど」
「なに?」

 部活を終えて制服に着替えた亜季は美由紀に切り出した。

「いまさ、同じ陸上部なのに女子優先とかで男子はロードワークばっかり行ってるじゃない。これってちょっとおかしいと思うんだ」
「あー、たしかにね。これまでだって場所ないから、なんだかんだで一緒にやってたんだし。それをいきなり男子だけグラウンド使うなってのは違うと思う。だいたい、陸上で男女別になってるのって珍しいんじゃない?」
「そうそう、バレーとかバスケなら分かるけど、なんで別なの? って思ってた」
「うちの学校って、そういうとこ何にも考えてなさそうだよね。亜季が全国行くから女子が優先で男子はどっか他のところでやってろ、みたいな」
「そんなふうに言われたら、やる気なくすよね」
「実際、真山は拗ねちゃってるもんね」

 真山、というのは男子陸上部の部長をしている真山満のことだった。男子陸上部のムードメーカーでもある満は部長に選ばれて張り切っていた矢先、殆ど顔を出さない顧問に男子部は女子部に場所を譲れと言われ、激しくやりあったと噂になっていた。

「正直言って、私も頭に来てる。余計なことすんなよ! って感じ」

 亜季にしては珍しく強い口調だった。美由紀は亜季と小学校からの付き合いだったが、亜季が怒るのを見たのは数えるほどしかなかった。そういえば、亜季が怒ったのは、友達が馬鹿にされたり苛められた時だったなと美由紀は思い至った。

「で、どうするの? 鈴木に直談判しに行く?」
「うん、そのつもり。でも、真山に話しといた方がいいのかなって思って」
「そりゃそうだよ。男子部の話なんだから。鈴木と話すのも亜季1人で行くより、真山と一緒に行った方がいいと思う。あたしも行くから、副部長の平野も巻き込んでさ」
「え、美由紀も来てくれるの?」
「頭に来てるのは亜季だけじゃないからね」

 美由紀は亜季に笑いかけた。亜季も美由紀に笑い返す。
 2人は男子部がロードワークから戻ってくるのを、部室で待っていた。



「今さら鈴木と話すことなんてねーよ」

 ロードワークから戻った満に話を持ちかけると、腹立たしい記憶を思い出してか満の表情が一変した。

「あいつ何て言ったと思う?『男子は誰も全国行ってないんだからしょうがないだろ』って言ったんだぜ。そんな奴となに話せって言うんだよ」
「私が迷惑ですって言うよ」

 亜季がきっぱりと満に言った。真っ直ぐに見つめてくる亜季に満は戸惑ったようだった。

「あんたがその気になってくれないと、男子部だけじゃなくてこっちも迷惑するんだよ。男子に『女子部は特別扱いで羨ましいよな』って言われた1年のコもいるみたいだし」

 美由紀が追い討ちをかけるように言った。

「誰がそんなこと言ったんだよ」
「誰だっていいでしょ。真山だって『女子部の邪魔にならないようにロード行くぞ』って言ってたらしいじゃない」
「そんなこと1年の前で言ったの?!」
「いや、それは、つい・・・・・・」
「最低!」

 亜季が本気で怒っているのが伝わり、満は亜季から目を逸らして俯いてしまった。先ほどまでの満の怒りはどこかにいってしまったようだった。

「真山、一緒に行ってくれるよね。こんな状態、私達も嫌なんだよ」

 美由紀の問い掛けに満は小さく、ああ、と言った。男子部の副部長である平野雄太を加えて、亜季たちは4人で職員室へと向かった。



「失礼します」

 亜季を先頭にして4人は職員室へ入っていった。職員室の奥まった席に陸上部の顧問である鈴木は座っていた。鈴木は30代前半の男性教師で、高年齢化が進む教師の中では若手に入る立場だった。鈴木は4人の方を振り返り、その中に満がいるのに気付くと微かに表情を曇らせた。4人は鈴木の前に並んだ。

「どうした?4人揃って」
「先生にお願いがあって来ました」

 口火を切ったのは亜季だった。

「なんだ?」
「男子部と女子部で一緒に練習したいんです」

 鈴木はポカンとした顔で亜季の顔を見た。顎に手を当ててしばらく考えていた鈴木は、満の顔を見て、納得が言ったような表情に変わり亜季に言った。

「ああ、真山に頼まれたのか」
「違います。私達の希望です」
「宮原、お前は学校の代表であると同時にこの地域の代表でもあるんだ。全国までは余計なことを考えずにお前のやるべきことをやっていればいいんだ」
「これが余計なことだとは思いません。とても大事なことだと思います。男子部と女子部の間がギスギスしているのは嫌なんです」
「なんだ、誰か妬んでる奴がいるのか。そういう奴がいたら先生に言え。すぐに注意してやるから」

 見当違いの返答をする鈴木に亜季は何と言えばいいのか、しばし言葉を探した。

「いえ、そういうことではないです。私が全国に行くことと男子部がグラウンドを使えないことは関係がないと思うんです。これまで一緒に練習をしてきて、急に男子だけ追い出されるのは違うと思います」
「人数が少ない方が練習しやすいだろ」
「ですから、私が全国に行くことで男子がグラウンドを使えないのはおかしいと思います。男子部と一緒だと練習ができないということはないですし、むしろ、男子のモチベーションが下がることの方が問題だと思います」
「そういうことは先生が考えることであって、お前の考えることじゃないと言ってるんだ。お前はやるべきことをやっていればいいと、さっきも言ったろう」
「私もこれは大事なことだと思うと、さっき言いました」

 鈴木は大きくため息をついた。亜季たちは話の通じない鈴木に苛々し始めていた。鈴木の方でもそれは同じだったのか、寝癖の残っている頭を腹立たしげにばりばりと掻きむしった。鈴木はもう1度大きなため息をつくと、唐突に真山の方を向いた。

「真山」
「はい?」
「宮原にここまで言わせて、お前は卑怯な奴だよな」

 鈴木の言葉に満はカッとなり声を上げようとした。だが、それよりも早く亜季が怒鳴り声を上げた。

「馬鹿にしないで下さい!!」

 亜季の声の大きさに、職員室に何人か残っていた教師たちが振り返った。美由紀たちも驚いて亜季を見る。当の鈴木も突然のことに言葉を失っていた。

「さっきから言ってるじゃないですか! 男子部と女子部でギスギスするのが嫌なんです! 頼まれたとかそういうのじゃないって何で分からないんですか! 誰だって全国に行けないから場所を譲れなんて言われたらやる気なくします! 普段、みんながどれだけ真面目に練習してるか知りもしないくせに、こんな時だけ出てきて余計なことしないで下さい! 迷惑です!」

 亜季は一気に言い切ると、きゅっと口元を結び、大きな目で鈴木を睨みつけた。興奮のためかフーフーと鼻息が漏れている。鈴木は亜季から目を逸らして腕を組んだ。その表情は困っているようでもあり、ふて腐れたようでもあった。
 気まずい沈黙を破ったのは美由紀だった。

「先生、宮原部長も先生が気を使ってくれているのには感謝しています。ね?」

 美由紀は亜季に言った。亜季は美由紀の勢いに押されて頷いた。鈴木の顔が2人の方を向く。

「ただ、一緒にやってきた男子部がグラウンドを使えなくなるのはやっぱり変だと思うんです。これまで通りに戻してもらえませんか? お願いします!」

 美由紀は深々と頭を下げた。亜季も美由紀に続いて、お願いします!と頭を下げた。

「・・・・・・僕も、グラウンドで練習したいです。お願いします」

 これまで突っ立っていた雄太もそう言って頭を下げた。1人頭を上げていた満も意を決したように、お願いします! と大きな声を出して頭を下げた。
 鈴木は頭を下げる4人を前にして、表情を変えないまま鼻の頭を掻いた。

「・・・・・・わかった」

 鈴木は目を伏せたまま言った。4人が鈴木の様子を窺うようにして顔だけを上げる。

「明日から、男子部もグラウンド使え」

 きゃー!という声と共に亜季と美由紀は手を取り合って喜んだ。声こそ上げなかったものの満と雄太も満面の笑顔を浮かべていた。

「ありがとうございます!」

 4人は思い出したように、鈴木に再び頭を下げた。鈴木はフン、と鼻を鳴らした。

「その代わり、男子部は女子部のサポートしろよ」
「はい!」

 満が大きな声で答えた。

「じゃあ、もう帰れ。あんまり遅くなると家の人心配するぞ」
「はい、失礼します!」

 4人は鈴木に背を向けて歩き出そうとした。

「真山」

 鈴木が低く真山の名前を呼んだ。有頂天になっていた4人はその声に不安を感じながら振り返った。

「さっきはおかしなこと言って悪かった」

 鈴木は机の上のノートに目をやったままそう言った。満は、ああ、はい、いえ、と要領を得ない返事をした。鈴木が顔を上げる気配がないので、4人はそのまま職員室を出た。

「よっしゃあああ!!」

 職員室をだいぶ離れてから4人は盛大に喜びの声を上げた。

「美由紀、ありがとー。もー、ぜんぜん話通じないから泣きそうになっちゃたよ」
「私もあんなバカだと思ってなかったからさー、どうなるかと思っちゃったよ」
「な! ぶち切れんの分かるだろ? あんな調子だったんだぜ」
「うん、最低とか言ってごめんね」
「あ?・・・・・・いや、それはホントわりぃ。部長として言っちゃいけない言葉だったわ。反省してる」

 笑顔の消えかけた満を見ると、亜季と美由紀は目配せして満の背中を2人で思いっきり叩いた。

「いってえ!」
「もういいって! 終わったこと、終わったこと」

 2人は飛び跳ねながら満に笑いかけた。部活の時はまとめている亜季のセミロングの髪がふわりと揺れていた。

「ねえ、何の話?」

 1人、置いてけぼりの雄太が満に尋ねた。

「あー・・・・・・あんまり言いたくないけど、後で話すよ・・・・・・。
 宮原、糸川、ホントありがとうな」
「あたしらの足、引っ張んなよ」
「あったりめーだろ、10月は俺らだって全国行くんだよ。な、雄太」
「いや、それはちょっと厳しいな・・・・・・」
「かー! ノリわりぃ! そこは、おう! とか言っとけよ!」
「おう!」
「おせぇよ!」

 4人は笑いながら、鞄の置いてあるそれぞれの部室へと戻っていった。亜季と美由紀は部室で話しこんでしまい、学校を出たのは午後8時を過ぎてからだった。すっかり暗くなった空には、ぽっかりと満月が浮かんでいた。

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