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もう友達だから

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6、もう友達だから

 部活説明会を終えた将範は薄暗くなった帰り道を満と並んで歩いていた。満の押す自転車のチェーンが、チキチキチキチキ……と弱々しい音を立てている。帰る方向の違う亜季たちと校門の前で別れてから二人はずっと無言だった。

「……やっぱさー、宮原ってすげーよな」

 ひとりごとのように満が言う。周りに他の生徒は見当たらない。説明会が終わった後、先輩たちから次々と話しかけられる亜季を待っているうちに遅くなったからだ。

「理科室入った時、中にいた奴ら、いっせいに宮原のこと見たもんなー」
「俺も真山に紹介してもらわなかったら同じ反応してただろうな」
「全国って、やっぱすげーんだなー……」

 満は押していた自転車に覆いかぶさり、顎をハンドルに乗せただらしない格好で歩いていた。知りあったばかりの将範でさえ亜季と自分の違いを否応なく実感した。付き合いの長い満はそれをもっと強く感じているのだろう。

「そういや宮原と話してみてどうだったよ? なーんかすっげぇ嬉しそうだったけどさあ」
「嬉しそうって俺がか?」
「白々しいな、このスケベ野郎。感情が顔に出ないとか言ってたくせに宮原と話してる時はすげぇ笑顔だったぞ。俺と話してる今とは大違いだ。あーやだやだ」

 そう言って満はバランスを崩した体勢のまま将範にぶつかってきた。冗談だとわかっていても咄嗟に笑顔を浮かべることができない。事あるごとに『なにか怒ってるの?』と言われ、人を身構えさせる能面のような表情。思わず将範は満から顔を背けた。

「おい冗談だって。そんな深刻になるなよ」
「わかってる。怒ったわけじゃない」

 思わず強くなった口調は、将範に好意的な満でさえも身構えさせる力を持っていた。二人はまた押し黙ってしまう。何度も経験しているこの空気。小さな気まずさが重なって、いつの間にか何人もの友人が去っていった。
 こうなった時、将範ができることはひとつしかなかった。

「悪い。本当に怒ってないんだ」

 真剣に謝る将範を満が驚いた顔で見る。そこにはやはり表情の変わらない将範の顔があった。しばらくぽかんとしていた満だったが、だんだんその表情は笑みに変わっていった。

「小島、俺はわかったよ」
「なにが?」
「お前の表情は読めないけど声のトーンだったらわかるわ。迷ったらそっちを信じることにする」
「……そうしてくれると助かる」
「お? いまちょっと笑ってる?」
「自分じゃわかんねえよ」

 そう言った将範は、確かに少しだけ笑っていた。

「で、話戻すけどさ、宮原と話してどうだった? あいついい奴だろ?」

 気を取り直し普通に歩きだした満が聞いた。

「ああ。短距離の実力者は気の強いやつが多いけど宮原さんは違ったな」
「だよなー。でもあいつ怒らせるとマジ怖いから気をつけろよ」
「中学の顧問とやりあった話か?」
「それもそうなんだけどさ、そん時俺、嫌な感じに腐ってて『全国行けない俺たちはロード行くぞー』とか『女子の皆様が通られたら道あけろよー』とか、部長のくせにそんなことガンガン言ってたんだよ。それが宮原にバレてすっげぇ怒られた。宮原のあの目は忘れらんないわ」
「想像がつかないな……」
「まあ俺も宮原が怒ったの見たのはその1回だけなんだけどな。だから余計こえぇ」

 将範は亜季と話した時のことを思い返した。初めて向かいあった時の怯えた表情。満が間に入って茶化したあとの人懐こい笑顔。そして――

「……真山」
「お?」
「……俺……宮原さんにすげぇ恥ずかしいこと……言ってなかったか……?」

 将範の表情は相変わらずだったが、頬は真っ赤に染まり額には汗が浮かんでいた。

「あー!! そーそー!! 絶対言おうと思って忘れてたわ!! おまえ、あれなんなんだよ? 『俺たちの代で陸上やってて、宮原さんのこと知らない奴はいないと思うよ(キリッ)』ってさあ?! マジびびったわ!!」
「…………」
「宮原も真っ赤だったよなー! まー初対面であんなこと言われるなんて想像もできないだろうしなー! 『俺たちの代で陸上やってて、宮原さんのこと知らない奴は……」
「やめろ、マジでやめてくれ」
「いやー小島さん、これから師匠って呼んでいいすか?」
「殴るぞ」
「無表情で赤い顔してると酔っ払いみたいだな」

 将範は満の自転車に蹴りを入れた。派手な音を立てて満と自転車が横転した。

「将範、おまえマジで蹴んなよ、アホー」
「黙れ。アホはお前だ」
「だーいじょーぶだって。心の中でキモッとか思ってても、宮原なら表面上うまくやってくれるから。もちろん俺もな!!」

 もう満のことは放っておくことにした。それにしても想像以上に浮かれていたんだなと改めて思い知る。中学時代、短距離にすごい女子がいるという噂を聞いて、県予選でその噂の女子――亜季が走るのを初めて見た。他の選手が力強く地面を蹴っているのに、亜季は流れるようなフォームで後続をみるみる引き離していく。明らかに特別なものを持っている人間を初めて間近に感じた。そして高校に入って思いがけず亜季と話すことができた。それなのに……。

「しょうがねーなー。最後に俺がいいことを教えてやるよ」

 自転車に跨った満は将範から距離を取ると、分かれ道の手前で止まって振り返った。ここから将範と満の帰り道が別々になる。自信ありげな満を将範は藁をも掴む気持ちで見つめた。

「いいか、今日が金曜だから将範の所業がクラスに知れ渡るのは月曜だ。土日はゆっくりできる。よかったな」
「ちょっと待て。なんでクラスに知れ渡ること前提なんだ」
「そりゃ『ここだけの話だけどさ……』って糸川が話すだろうし、5組でだって『ここだけの話だけどね』って宮原が話すに決まってるだろ。もちろん俺もな!!」

 将範が満に向かって猛然と駆け出した。満もそれを見るが早いか、力任せにペダルを漕ぎ出して逃げた。

「『俺たちの代で陸上やっててー!!! 宮原さんのこと知らない奴はー!!!』」
「おい! 満! ふざけんな!!」
「『いないと思うよぉーーーー!!!』 じゃあなぁーーーー!!!」

 走り去る満はみるみるうちに小さくなっていった。追うのを諦めた将範が軽く舌打ちをする。その表情はいつもよりも柔らかくなっていた。

 将範は自分の帰り道に戻った。
 その先には、3年前と同じ古い木造アパートの104号室がある。
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