太陽の光がジリジリとコンクリートを焼き、その熱気で街はゆらゆらと揺れている。半開きにした口からまるで魂が少しずつもれ出ているかのように、歩いている人々は往々に生気の抜けた顔に汗を滴らせている。そんな中、長袖のジャージを着て、耳にヘッドホンをあてた男の子は、汗1つかかず、涼しげな表情で酒場を目指して歩いていた。ポケットに入れた小銭を指先でいじりながら、男の子は考えている。先ほどの女の理不尽な物言い、いつものことながら頭にきていた。しかし男の子は女に逆らえない。それは絶対的で覆せない。今だって、女にお使いに出されている。大通りから、細いわき道に入る。両側にそびえ立つコンクリートの壁によって太陽は遮られ、ひんやりと乾燥した空気が頬に触れる。コンクリートの壁からはパラパラと店の看板が突き出し、足元には所狭しと空き缶や、食べ物のカスが散らばっている。通りすがる人々が皆何かしら踏みつけて歩いているのに対し、男の子は器用に足場を選んですいすいと歩いていく。しばらくして、男の子はVipperと描かれた看板の前で足を止めた。そこには地下に続く階段がある。男の子は薄暗く窮屈な階段をゆっくりと降りていく。そして、その先の扉を両手でグイと押し開けた。
「おう、久しぶりじゃねーか」
しわがれた大声の主は、男の子のいる入り口の正面、丁寧に磨かれたバーカウンターにいた。ずんぐりとゴツゴツした毛むくじゃらの手に持った酒瓶を磨きながら男の子を見ている。50代半場の中年の男で、背はそれほど高くはないが、太い骨に筋肉がしっかりとついているのが見受けられる。白のタンクトップからは二本の太い腕が伸び、いかにも硬そうで濃い毛がその表面を覆っている。それに対し頭は禿げ上がっているが、わずかに白髪が生き残り、店内の明かりを反射してキラキラと輝いている。男の子はカウンターに座るとこれ見よがしにため息をついて見せた。
「兼八、ありますよね?」
気だるそうに聞きながら、男の子はポケットからジャラジャラと小銭を出した。この小銭、日本の硬貨ではない。そもそもその金属は地球の物ではないとしか思えない玉虫色の光沢を放っている。
「もうなくなったのか?道子は限度ってもんを本当分かっちゃいねえ」
男は豪快に笑いながら磨いていた酒瓶をカウンターに下ろした。この男、いかつい外見としわがれた大声に対して威圧感がまったく無く、その表情からは人の良さがにじみ出ている。しかしこの男の顔自体を見ると、少々違和感を感じずにはいられない。まず鼻が妙に尖っているし、耳の形もなんだかおかしい。例えるなら、ピーターパンのような顔をしているのだ。男の子は酒を探す男を背にして店内を見回した。店内にはカウンターの他に四人が座れる机が二つ置いてある。基本的に、この店に人がいないところを男の子は見たことがなかった。今日もいつものように、パラパラと人の姿を確認することができる。手前の机に男が二人、奥に女が一人座っている。手前の男二人はどちらもヒョロヒョロと背が高く、猫背というよりかは骨格がどうにもおかしいようで、細い体が左右にくねくねと曲がっている。毛が薄く、顔も薄い。奥の女は綺麗な黒髪をかなり短く刈り込んでいる。端整な顔立ちはテレビで笑顔を振りまくどの女性よりも美しいと言えるだろう。つまり、その美しさは浮世離れしている。
ドン。背後で響いた音にビクリとして男の子は振り返った。
「たまたま一週間前に手に入れたんだ。もう少し味わって飲めって言っておけ」
カウンターに酒瓶を置いてハキハキと男が言った。男の子は置かれた酒瓶に目を移した。中には当然液体が入っている。それを目を細めて、辟易と見つめていると、男がニヤリと笑って言った。
「今日はもう飲んだのか?」
男の子はその言葉に首をふりながら答える。
「どうにも、体は求めるんですけどね」
間髪入れず男が応える、当然しわがれた 大声 でだ。
「当たり前だ。お前さん、体は地球人なんだから」
その言葉に店内が凍りついた。ヒョロヒョロの男組み二人も、奥の絶世の美女も、息を殺し、目を見開いて、男の子を凝視している。体が地球人であるということは、つまりは他人の体を乗っ取っているということを意味している。これは宇宙人権宣言の第一条、第三条、第五条に違反している。惑星間の交友が盛んになってきている今、宇宙人権は最も尊重されるべきものであり、厳しくかつ厳粛に取り締まられている。もし違反したとしたなら、一生牢屋の中で生き地獄を味わうことになる。男の子の背中にヒヤリと汗がつたった。
「じん太さん」
男の子は小さく低い声でいさめるように男の名を呼んだ。男はハッと悟ったように、あわあわと可笑しな動きをしながら、
「いや、あれだ心が地球人?地球人は雨を嫌うからな。作物や飲む為っていうメリットでしか水を捕らえていない節がある。あれだって立派な生命体だってことに気が付いていないんだな――」
などと、必死にさっきの言葉を無かったことにしようと訳の分からないことを喋りだした。男の子はそんな男を見つめながら、良い人ってのは往々にして思慮が足りない所があるな、と思った。おそるおそる男の子は背後を窺った。どちらも、もうこちらには興味を無くしてしまっているようだ。まあこんなものか、と男の子は胸を撫で下ろしながら考えた。この酒場に行き着いたということは、長期滞在者だということだろう。地球に滞在すればするほど、自分以外のことに対して興味が薄れていく傾向があるということを、男の子は聞いたことがあった。とは言っても長居は無用だ。男の子は、軽く息をついて喋り続ける男に声をかけた。
「じゃあ、僕はもう行きますね。釣りは取っておいて、あの人お金だけは持っているから」
酒瓶を手に立ち上がろうとすると、男が申し訳なさそうに、
「一杯飲んでいくか?」
と聞いた。男の子は、まったくこの人は、と唖然としながらも、ニコりと笑顔で、
「じん太さん、また来るね」
と店を後にした。男の子は水が嫌いだ。水がというよりかは、自分の本来の姿を想起させる液体が嫌いなのだ。それに対して、地球人である体は水分を求めるので、男の子は毎日儀式でも行うかのように、必死の思いで水分を摂っている。広い宇宙で、水分を摂らないと死ぬのは地球人くらいのものだ。それは至極当然で、他の星には水がほとんど、むしろほぼ全く存在していないからだ。地球は恵まれている。恵まれすぎているこの星の住人は、危機感がなく、発展がとても遅い。地球人は自分たちの人口の3割以上が異星人によって占められていることにすら、気が付いてはいないのだ。