トップに戻る

<< 前

ロックンロール・ファンタジーⅣ

単ページ   最大化   


凛里と初めて出会ってから8日後の土曜日、時刻は20:40分過ぎ。
難波のライブハウス:コールディーにて、ようやく彼女のバンド『マネー・
フォー・ナッシング』の演奏が始まった。

1曲目。まず凛里が単独で、重々しいギターリフを弾き始める。
続いてドラムがスネアを鳴らし、次いでベースの音が絡まる。
レッド・ツェッペリンの『ハートブレイカー』だ。
僕は凛里のエレキギターの音を初めて聴いたのだけど、
正直想像以上に苛烈だったので圧倒されてしまった。
その必殺のリフが幾度か繰り返されたあと、彼女が唄い出す。

鳥肌。ヘヴィーな音像の中にくっきりと浮かび上がる、
凛里の勇ましくも美しい唯一無二の高音ボーカル。
悪魔と天使が同居しているような、猛々しさと美の絶妙なコントラスト。
僕は一瞬にして彼女に、"マネー・フォー・ナッシング"に魅せられてしまった。
ドラムはジョン・ボーナムと比較しても決して引けをとらないほど
パワフルだったし、うなりを上げるベースの音圧も凄まじかった。
周りにいた人たちもすぐさま彼女らの演奏に反応した。
会場の温度が一気に数度上昇したかのではないかと思わせるほど、
辺りは狂騒的な熱気に包まれる。


「Heartbreaker!」凛里が最後の一音を鳴らし終えるや否や、
すぐさま次の曲になだれ込んだ。
これは…ニルヴァーナの「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」!
曲開始と同時に周りからわっと歓声が上がる。
初めの1曲でマネー・フォー・ナッシングは完全に場の観客を掴んだようだった。

Aメロ・Bメロでは凛里が透き通るような愛らしいウィスパーボイスで、
曲を慈しむようにカートの書いた美しいメロディーを響かせる。
「Hello, hellow, hellow, how low?」彼女がそう甘く囁いたあと、
耳をつんざくような途轍もない轟音が襲いかかってきた。
「With the lights out! It's less dangerous!!」
一瞬何が起こったのか分からなかった。
おびただしいエネルギーを迸らせる歌と演奏。
先程よりも更に破壊力の増したグルーヴが身体をつき抜けていく。

彼女はこんな唄い方もするのか…!
その端整な顔立ちからはとても想像できない、鬼気迫るような迫力。
頭を打ち抜くようなボーカルに僕は心底痺れた。
「ハートブレイカー」ではそれほど動きを見せなかった凛里だが、
この曲で本格的にエンジンがかかってきたのか、鋭いギターリフに合わせて
特徴的な栗色のポニーテールを激しく揺らしていた。
ラストの怒涛の如きサビのリフレインを終え、曲が終了する。
途端に拍手が沸き起こった。僕も思わず手をたたいていた。
初めて彼女と出会った時よりもずっと大きく。

拍手と歓声の中で、曲の余韻に浸るように目を閉じ静かに佇む凛里。
後方に目をやると、身長180センチはあろうかという大柄で
オールバックの伊達男がドラムキットの前に鎮座し、
雄雄しい表情でじっと彼女を見据えていた。
向かって左側にいるベーシストは短髪の似合う爽やかな好青年だった。
年齢はおそらく僕と同じぐらい、20代半ばといったところだろう。
にこにこと感じのいい笑みを浮かべて、やはりドラマーと同じように
凛里を見つめている。いつでも次の曲に入れるようにスタンバっているのだろう。
エキゾチックな顔立ちの華のある凛里に、全身からパワーを漲らせているような
男らしいドラマー、そしてハンサムなベーシスト。
改めてこうして見てみると、とても絵になる3ピースバンドだった。


しばらくして、凛里が目を見開き、マイクに顔を近づける。
「インサイド・ライツ」彼女が言った。
間髪入れずに激しいドラムの音が鳴り響く。
数秒後、ベースと凛里のギターがそのビートに切り込んだ。
タイトルも前奏も聞いたことがないものだったので、
おそらくこれはオリジナル曲だろう。
…にしてもカッコ良い。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの知性と
フガジの強靭な肉体的グルーヴが融合したような演奏、
それに、凛里のビョークにも通じる神々しいボーカルが重なり、
どこか遠くの地へと誘われるような幻想的な音世界が広がっていた。
周りの観客たちもその世界観に惹き込まれているようだった。
凛里が終わり際に見事なフェイクを入れ、曲が終了する。


さて次の曲は何だろう?そう思っていると、凛里が肩にかけたストラップに
手をかけ、その赤いエレキギターを床に置いた。
そしてドラマーの方に駆け寄ったかと思うと、ドラムキットの裏の方に回り、
一脚の椅子を取ってステージの右よりの位置に移動する。
よく見ると、そこにはキーボードがセットされていた。
どうやら次の曲ではこの楽器を使うらしい。
凛里がキーボードの前に椅子をセットし、座る。
気持ちを落ち着かせるように一呼吸置いて、彼女はおもむろに旋律を奏で始めた。

その荘厳な音色に、それまでざわついていた会場が
一瞬にして波を打ったように静まり返った。
僕はすぐにその曲が何であるか判った。鬼束ちひろの『シャイン』だ。
ドラムレスの、ベースと自身のキーボードによる伴奏に合わせて、
彼女が唄い始める。

歌…歌…歌。そう、この歌だ。
どうしようもなく僕を惹きつけてやまない凛里の歌声。
それは何ものにも変えがたい至宝とさえ呼べるもの。
それはあらゆるものを超越し、いともたやすく心を奪う。



It pressed me It pressed me It crushed me again and again
(それは私を抑圧し / ぶちのめしたわ / 何度も何度も)

ボロボロになって

起き上がれる日を 日を 日を 日を 日を



目頭が熱くなった。
僕の隣にいた女の子は口元を手で押さえ、涙を流していた。
凛里、君は知っているか?
君の歌声はこんなにも人を魅了してやまないのだということを。


次の曲はヴェルヴェット・アンダーグラウンドの「サンデー・モーニング」だった。
凛里が心地よいアルペジオをキーボードで奏で、
口元に笑みを浮かべながらとびっきりキュートな声で唄う。
それを優しく包み込むようにベースとドラムの演奏が寄り添い、
心安らぐとても素敵な時間が流れていた。
今の彼女は1、2曲目の時とはまるで別人のようだ。
曲によって彼女は勇敢な戦士のようになり、
光り輝く天使のようになり、愛くるしい子供のようになる。
僕は彼女の歌の豊かな表情に、その表現力の幅に舌を巻いた。

「サンデー・モーニング」が終わると、凛里は床に置いていた
ペットボトルを手に取り、水を飲んだ。
その間に観客側から「凛里ー!」という女性の声が飛んだ。
「何か喋ってーっ!」おそらくバンドのファンだろう。
凛里はその言葉を聞くと、ペットボトルから口を離し、
かーっと頬を赤く染めながら困ったような表情を浮かべた。
どうやらMCというものには馴れていないらしい。
少し俯きがちになり、「ええと…」と何か話すべきなのかどうか
考えあぐねているようだった。
その姿を見て僕は「ああ、17歳の女の子だな」と思った。
可愛らしいところもあるじゃないか。

しばらくして彼女は顔を上げ、静かな口調で「クリスタルという曲をやります。
オリジナルです」と言った。そしてキーボードを弾き始めた。

暗澹たるトーン。それは茫然とした樹海や、尽きることなく連綿と
連なる黒い雲を思わせた。まるで狂気に触れたショパンのような音色だった。
その鋭利な演奏に、会場中が飲み込まれていく。

依然としてドラム、ベースは演奏に加わらず、凛里がソロを弾きつづけていた。
もう2分近くは経っただろうか。この曲はインスト?
そう思った刹那、変化の時が訪れる。

光が射したようだった。 
それまでとは一転して天国へと続く階段を上っていくような高揚感。
ここにきて、ドラムとベースも凛里のキーボードと共に
何かを祝福するようにその音を鳴らす。
そしてこの眩い光景の中、凛里が歌を唄いはじめた。
一音一音を愛でるように。空に羽ばたく鳥のように。
自由への飛翔、僕の脳裏をそんな言葉がよぎった。
目を閉じて麗らかに歌を紡ぐ彼女はまるで女神のようだった。
演奏が佳境に達したところで、凛里がふいに立ち上がり、ステージの中央へと駆け寄った。
素早く赤いエレキギターのストラップを首にかけ、次なる音を鳴らしはじめる。

それは、爆発するような歓喜だった。
凛里のギターが七色の光を放ち、会場中を照らし出す。
ドラムとベースもそれに呼応してよりいっそうダイナミックな演奏へとシフトしていった。
―何て素晴らしいのだろう。
凛里の歌が聴こえる。
ジョン・レノン、ルー・リード、カート・コバーン、ボノ…といった、
偉大なるロックンロール・ヒーローの名を、彼女は溢れんばかりの愛で
唄い上げていた。
彼女にとってロックンロールとは、これほどまでに美しく崇高なものなのだ。
僕は、凛里の音楽に出遭えて本当に幸せだ。

何度も何度も、彼女はギターをかき鳴らした。
この瞬間に想いをすべて刻みつけようとするかのように。
その姿を見れば、きっと世界中の誰もが彼女を好きになるだろう。

曲がフィナーレを迎える。
観客側からこれまでで最高の歓声が上がり、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
もちろん僕も腫れ上がるぐらい手をたたいていた。
本当に最高だったよ、凛里。

「ありがとうございます。次が最後の曲です。チボ・マットで『ブルートレイン』」
感動覚めやらぬ中、彼女たちは最後の曲に突入する。
怒号の如き重低音が鳴り響いた。
それはまるで地獄の奥底から沸きあがってくる業火のような演奏だった。
ずっしりとしたビートとリフ…あまりのカッコ良さに、
僕は射精時と比較しても決して引けをとらないほどの興奮を覚えた。

「Don’t leave on me, stay on your side…」
凛里が出だしの一節を唄いはじめると、会場中から一斉にわーっ!という歓声が上がった。
もはやこの中で彼女に魅せられていない人などいなかった。
ゾクゾクするようなその歌声に僕は心酔した。
多分これから先も、何度だってこんな風に彼女の声に聴き惚れることだろう。

じわじわとこちらに迫ってくるような張り詰めた演奏は、サビで一気に爆発した。
音、音、音。凄まじい音の奔流がすべてをかっさらっていく。
その激しい演奏にいてもたってもいられなくなったのか、ダイブする人まで現れ、
僕は(というか周りの人全員だけど)もみくちゃにされ、息が切れ切れになってしまった。
並のグランジ、エモ系バンドなど足元にも及ばない圧巻の演奏だ。
本物のヘヴィーさとは何かということを彼女たちは教えてくれる。

「Brue train, brue train, blue train, blue train…!」
けたたましい轟音ノイズを撒き散らしながら曲が収束していく。
凛里のギターがキイイイインと最後の音を奏で、やがて鳴り止んだ。

「どうもありがとうございました」凛里が恭しく頭を下げ、
残り二人のメンバーも彼女に続いて礼をした。
わああああ、と観客たちが熱狂的な声でそれに応える。
みんな汗ぐっしょりになりながら腕を振り上げ、
今目の前で素晴らしい演奏を聴かせてくれた三人を賞賛した。

その大きな拍手と歓声は一向に収まる気配をみせず、もう一分半近くは続いていた。
最後の演奏を終えた凛里たちは機材の片付けに入ろうとしたのだけど、
それを阻むかのような熱烈な観客の声に、手を止めてしばしその場に立ち尽くしていた。
「アンコール!」誰かがそう叫んだ。
「そうだ、アンコール!」続いて別の場所からも声が聞こえた。
すると、直ぐにあちらこちらから同様に声が上がり、
あっという間に会場中が凛里たちを求めるアンコールで埋め尽くされた。
これにはスタッフも驚きの表情を浮かべていた。
それはそうだろう。僕は今までこのくらいの規模の対バンイベントで
こんな風にアンコールが起こっているのを見たことがなかった。
まさに異例中の異例の出来事だといえるだろう。
時間の都合もあるのでスタッフは止めに入ろうとしたのだけど、
みんなのあまりもの熱気に気圧され、仕方なくアンコールを認めることにしたようだった。

凛里たちははじめ呆然としていたが、やがて自分たちが置かれている状況を把握すると、
笑顔を見せ、三人でステージの中央に集まった。
しばらくの間何の曲をやろうかという相談をしていたようだったが、
ふと凛里が、二人に向かって何かを訴えかけはじめた。
ベーシストとドラマーは彼女の言葉を聞くと、互いに顔を見合わせ、頷いた。
そして、元いた位置へと戻っていった。

鳴り止まぬアンコールの中、ステージの中央に据えられたスタンドマイクに向かって、
凛里がゆっくりと歩を進める。その表情は気品に満ちていた。
吸い込まれそうになるようなまっすぐな瞳、その眼差しは、
僕の心の奥底に眠る、何かかけがえのないものをそっと優しく揺り動かした。

彼女はスタンドマイクの前に立つと、エレキギターを床に下ろし、
まるで何かの音に耳を澄ますかのように目を閉じた。
静謐な時が流れる。観客たちは声援を送るのを止め、
凛里がステージの中央でじっと佇むその姿を、固唾を飲んで見守っていた。

やがて、その瞬間はやってきた。



いつも いつも 思ってた

サルビアの花を あなたの 部屋の 中に

投げ入れたくて



早川義夫の『サルビアの花』を、凛里はアカペラで唄っていた。
それはこの世のものとは思えないくらい美しく、僕の魂を震わせた。
本当に、一体どうしてこんな風に唄えるのだろう?
僕は体中の力を抜いて、その場に倒れこんでしまいたくなった。
いつまでもいつまでも、彼女の歌を聴いていたいと思った。





泣きながら 君のあとを 追いかけて

花ふぶき 舞う道を

ころげながら ころげながら

走りつづけたのさ



あまりにも甘美な余韻を残し、凛里が歌を唄い終えた。
僕は拍手と歓声の中、ぼんやりと彼女を見つめていた。
弱冠17歳の少女の音楽に、僕は完全に魅せられたのだった。

7, 6

Pパタ 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前

トップに戻る