退屈な学校で、ずっと私は一人で窓の外を眺めてる。
外に何があるかなんて、そんなことは問題じゃない。
たとえば今、UFOが目の前のこの狭い窓にひょっこり現れたって、誰か伝える相手がいなければしょうがない。
仮にそんな状況になったとして、横に誰かがいて私だけが気付いても、きっと私は伝えることもない。
なぜなら、同じ学校の制服を着た相手なら、大概反応が予想できてしまうから。
そんな結末のわかりきったことなんて、見飽きた古典ギャグよりもつまらない。
自分の髪を指で弄りながら、どこでもなく視線をさ迷わせる。
どこを見ても、似たり寄ったりの連中ばかりで、自分もそんな中の一人だと思うとイヤになる。
運動場に出て遊んでいる連中が、気楽そうに見えてしょうがない。
教室で毎回の休み時間のたびに群れて、なんでもないことをただダラダラと話し続けてる連中が、私にはバカそうに見えてしょうがない。
そんな連中の一グループ、私の座る席の斜め前に三人で集まっているうちの一人が、こっちに顔を向けて近づいてくる。
気弱そうで、冴えない印象の男の子。
彼の名前は酒井(サカイ)翔平(ショウヘイ)。
数少ない、私と学校の外でも会う相手だ。
おずおずと、外を眺めてる私の顔色を窺いながら緊張した面持ちでやってくる。
私はそのことに気付いているけれど、気付いていないフリをする。
そんなに話かけるのがイヤなら、無理して私に話かけてこなくていいのに。
「ねえ」
ねえってなによ。まだ、私はあんたのほう向いてすらないじゃない。
「ねえってば、彩(アヤ)」
名前を呼ばれて、私は頬杖をついたままで声の主を見た。
まん丸い髪型をした、内向的そうな男子。
その瞳が不安で揺れているのを見て、しかたなく私は返事をする。
「何?」
「ねえ彩、今度の土曜日、デートとか、どうかな」
これでも一応翔平は私の交際相手だ。
別に下の名前で呼ばれても、馴れ馴れしいとは思わない。
むしろこの遠慮がちな彼からは、よそよそしさすら感じて、それがまた私の気に障る。
「やっぱり……ダメ、かな」
気弱でひ弱で、頼りない男子の典型。
そんな男の子とどうして付き合ってるのか、自分でもよくわからない。
からかい甲斐があるからだろうか。
翔平と付き合いだして、今度の日曜日の午後三時四十二分でちょうど半年になる。
相手はそんなこと、まったく考えても憶えてもいないだろうけど。
「土曜日?」
何かあったかな、と考えるフリをする。
何にもないけれどそんなことをするのは、見得を張るためだけじゃなく、その後の相手の言葉を期待しているからだ。
「何か、用事とかあった?」
翔平が消え入りそうな声を出す。用事がないと思って、その日を聞いてきたクセに。
「別に……何もないけど」
「じゃあ」
「だけどそんな気分じゃないわ」
そんな誘われ方じゃ、行く気になれって言うほうが無理難題。
それにどうせ、あの山根(ヤマネ)や深西(フカニシ)とかに言われてやってるんでしょ?
あいつらは翔平と私の関係を面白がって、相談に乗るフリをしてどうせ裏でニヤニヤしてるんだから。
そんなことにも気付けない彼氏を持つ私の気持ちは、当然この彼氏本人にはわからない。
「そこをなんとか、頼むよ……もう、チケット予約しちゃったんだ」
そう言って、二枚のチケットをポケットから取り出す。
私は瞳だけを動かしてそれを見て、冷たいため息を吐く。
そういうところだけは、早いのね。
普通は、私にまず聞いてからだと思うんだけど。
「……どこ?」
「え?」
「どこに私を連れていくつもり?」
「え、それじゃ……」
「勘違いしないで。とりあえず、場所だけ聞いてみるだけよ」
チケットを見ればわかることだけど、それじゃまるで、私の方に行く気があるみたいじゃない。私はエスコートされたいの。
気弱なあんたに言っても無駄だから、わざわざこんな回りくどいことをするのよ。
私の苦労もすこしはわかってよね。
「えっと、上森パーク」
「前にそこ、行ったじゃない」
「しょうがないよ……ここらへんで遊園地なんて、あそこしかないんだし」
翔平の言い訳めいた物言いに、私は深く溜息をついた。
私が責めた理由は、別に場所が悪いんじゃない。
この前デートでそこに行ったときは、二人で全然喋らないうちに終わったから。
そんなことも、もう忘れてしまったんだろうか。
「ねえ、ダメかな?」
気弱な声でなおも食い下がる翔平は、よほどの何かを悪友二人に仕込まれたんじゃないかと疑わせる。
他に危惧するところもあったが、何を企んでいるのかにすこし興味が湧いた。
「別に……前は入れなかったアトラクションがあったわね、そういえば」
ジュラシック・ロデオハウスだかなんだかいう、ジェットコースターと映画館を組み合わせたようなやつだ。
一番おもしろくないって噂のアトラクションだから、どうせ行かなかったと思うけど。
「しょうがないわね……いきましょうか」
「やった! よかった、オッケーしてくれて」
心から安心し、胸を撫で下ろす翔平。
私はそれを見て、こんなことで安心するなんて、と心中で呟いた。
「別に……ただ単に、前乗れなかったアトラクションに遊びにいくだけよ」
そう言ったが、すでに翔平は聞いてない風だ。
たったこれだけで幸せになれるんだから、我が彼氏ながら単純なヤツ、と思う。
「それじゃ、土曜日は午前10時に駅集合でいいよね? 最近は買い物とか、ただ歩くだけが多かったから……よかった。ここに行くの、最初のデート以来だっけ?」
「何言ってんの……最初は、ただの散歩だったじゃない」
「え? そうだった?」
そうよ。間違いなく。本当に、記憶力のないヤツ。
私はすこし、カチンときた。
「お昼ご飯は、何が食べたい?」
そんなどうでもいいことに気をつかうぐらいなら、もっと他に何かあるだろうと思うと、私の中で先程の分の怒りと相まって、沸点を越えた。
「そんなの知らないわよ! 勝手に考えてたらいいじゃない!」
どうせ、山根と深西の二人のアドバイス通りにお店を調べるんだろう。
あの男子二人は異性と交際したこともなく、全部妄想だけで語って、結局無難なところに落ち着くんだから。
そんな安っぽい計画なら、ないほうがマシ。
「ご、ごめん」
「私もちょっと言い過ぎたわ……こっちこそ、ごめんね」
気紛れのワガママだと思われただろうか。
怯えた表情を見せる翔平にそっぽを向いて、会話を終わらせた。どうせ山根と深西がまた、私のことを後でツンデレだとか言ってからかうんだろうな。
でも、翔平が違うといつも言ってくれるから、別にいいけど。
デートだって別に散歩でも構わないのよ、本当は。
ただ、一緒にいるだけでもいいの。
でも、それじゃきっと、最後まで普通だから。
だから、私はどこかに連れ出してほしいの。
普通じゃないシチュエーションで、普通じゃない翔平を見てみたいだけなのに。
「彩、本当にごめんね」
「別に。どうでもいいことなの」
本当にもういいのよ、そんなこと。
それよりも、次の土曜日のデートのことでも考えてくれた方がいい。
どんな服を着ていこうか考えてる、今の私みたいに。
「ごめんね……ごめん」
「もういいの」
「彩が機嫌悪くしたんなら、全然いいことなんてないよ。僕、彩のことが本当に好きだから」
私は翔平の言葉を受けて心臓が跳ね上がったが、それはきっと翔平には伝わっていない。
いや、自分の言った言葉にすら、気付いていないんだろう。
今もきっと、内気そうな顔で、私の後頭部に角でも生えてないか探してるんじゃないだろうか。
「いいのよ……ほんとに、もう」
「でも」
「いいの!」
もう満足したから。こんなやりとりで、今の気分を台無しにしたくない。
翔平は私が予想できないそういうことを、たまにサラッと言うから。
翔平なら、もしかしたら私の横でUFOを見ても全然私に予想できない突飛な行動をとるかもしれない。
私はそんなことを思って、「ふっ」と小さく息を吹きだした。
「……楽しませてよ。そうじゃなきゃ、承知しないから」
窓の外にUFOが現れたらいいのに、そんなことを思いながら言った。
きっと私の頭の後ろでは、翔平はぽかんとした顔をしていて、でもすぐに、こう言うんだわ。
「うん! 僕、頑張るよ!」
本当、いつもは予想しやすいヤツ。
また私は小さく息を吹きだした。
「…………バカ」
もう聞こえてませんように、と思いながら言った。
その声が届いたら、どうしたって浮かれているように聴こえたと思うから。
始業を告げるベルが鳴り、学級委員長の生田(ショウダ)さんが出席確認を取る。
その間も私はずっと、土曜日に着ていく服を頭の中で選んでいた。
土曜日は普段学校へ行くよりも早起きして、二人分のお弁当の支度をした。
あの深西と山根の、翔平をモルモットみたいにしてわかったフリをするお遊戯に付き合うつもりなんて毛頭ない。
それなら私は、自分でつくったお弁当を用意して、翔平を驚かせてやるわ。
一体どんな顔をして、どんなことを言うんだろう……そんなことを考えていたら、これぐらいの手間なんて軽いもの。
「あれ……彩お嬢さん。早いですね」
「おはよう、秋乃(アキノ)さん」
わけあって住み込みで家政婦をしている秋乃さんが、キッチンに降りてくる。
彼女とは、もう長い間同じ屋根の下で生活をしているが、化粧や髪の手入れはほとんど自分の部屋で済ます。
私の前では決して迂闊な姿を見せることがなく、とてもよくできた大人の女性だ。
「お弁当作ってるの」
「へぇ、そうなんですか。じゃあ、デートですね」
「……うん。そう」
「晩ご飯はどうします?」
「……わからないから、適当でいい」
「そうですか。じゃあ何か、作り置きができるものにでもします」
二人並んでも十分広いキッチンで、秋乃さんは私の隣に並んで、私より数倍手馴れた手つきで朝ご飯をつくる。
彼女より早くはじめ、もう大分作業も終わっている私も負けじと手を早めた。
「これでよし……と」
翔平が好きな、ふわふわの卵焼きを多目に入れた。
結局完成には三時間もかかったけれど、上手に作れた自信がある。
「翔平、喜んでくれるかな」
お弁当箱に蓋をし、けして外れることがないようによく確かめて袋に入れた。
「きっと大丈夫です。お嬢さんは、料理がお上手ですから」
「秋乃さん、それって皮肉?」
彼女は朝食を既につくり終わり、私の様子を見守っていた。
「いえいえ、本当に。腕を上げましたよ」
私に料理を教えてくれたのも、彼女なのだ。
皮肉じゃなく、棚上げであったかもしれない。どちらにせよ、彼女はそんなことをわざわざ言う性格ではない。
「お嬢さん。軽くお腹の中に入れてから出かけてくださいね」
「わあ、おいしそう」
テーブルには、簡単に造られたサンドイッチが既に並んでいた。
簡単に、とは言うが、それでも瑞々しいレタスやトマトが、とても綺麗に切り分けられてトーストされたパンの間に挟みこまれている。
具のサイズも適切で、出来る限り食べやすく、そしてこぼさないようにと配慮がなされているのだ。
キッチンの側にある無駄に大きいテーブルで、私たちは横に座って食事を取った。
食後にすこしのんびりしていると、食器をシンクで洗う秋乃さんが私に言った。
「彩お嬢さん。帰りが遅くなる時は、連絡をよこしてくださいね」
「え? うん……多分、大丈夫だと思う」
「遅くなると、心配しますから」
話してはいたが、はっきりいって気持ちの半分以上が上の空だった。
これで驚いた翔平が、どんな行動をとるのか――そんなことを考えていた。
「嬉しそうですね」
「え?」
予期せず言われた言葉に、目を丸くした。
「べ、別にそんなんじゃ……! そんなに期待もしてないし」
「そうなんですか?」
そりゃあ……すこしは期待してるけど……。
それをはっきりと口にすると、なぜか外れてしまうような気がして、私は小さく口の中で呟くだけだった。
「大丈夫ですよ。きっといい思い出になります」
秋乃さんが言った言葉に、なぜか私が励まされた気がした。
歯ブラシをすまし、鏡の前でもう一度隅々まで自分を確認してから、私はお弁当をポーチに入れて玄関に向かった。
「彩さん。今日はそれだけじゃ寒いですよ。あの黄色い上着も、一応持っていったほうがいいです」
「そうかな?」
秋乃さんがそう言ったので一度部屋に戻り、ハンガーに掛かった上着を形を崩さないよう腕にかけた。
彼女のことだから、きっと私の今日の服装との兼ね合いも含めてこれを持っていくように言ったのだろう。
もう一度玄関に戻ると秋乃さんが待っていて、私が靴を履くのに邪魔になるポーチと上着を預かってくれた。
「それじゃ、いってきます」
歩きやすいブーツに足を沈め、私は秋乃さんから本日の持ち物を受け取り、まっすぐに彼女の顔を見てそう言った。
秋乃さんは、にっこり笑って私が玄関を出るのを見守っている。
「いってらっしゃい。彩お嬢さま」
すこし、早く来すぎたかな。
待ち合わせの時間より三十分早く来てしまい、私はそう思った。
駅の改札へ向かう吹き抜けのベンチに腰かけ、私は学校とは違う気分で一人でいた。
白色のワンピースに黄色い薄手の上着を羽織り、ポーチの中に二つ積み重なったお弁当箱を確認して、私は待った。
ゆっくりと気持ちに余裕を持って待つことにし、深呼吸した。
学校の制服を着ていないというだけで、私はすごく気分がいい。
とても開放的な気分になる。普段の押し込められているような感情が嘘のようだ。
知ってる顔がやってこないかどうか、人の流れを見ているだけであっという間に時間は過ぎていく。
五分遅刻か……どれだけいぢめてやろうかしら。
約束の時間を五分過ぎても、翔平はまだ来なかった。
私は翔平の慌てふためく姿を想像し、すこし意地悪く笑った。
笑えるのは余裕がある証拠だ。
待たされるのは私だけれど、余裕の色なんてこの世からなくしたようになって私に謝る翔平と比べれば、そこには雲泥どころじゃない差がある。
翔平の困った顔は、気分が明るい時の私にとっては、全然苦じゃないものなのだ。
楽に構えながら、きっと慌てて駆け寄ってくるだろう翔平を待った。
メールが来るかもしれないから、手の中でずっと携帯電話を握っていた。
そこにある、猫が赤備えの兜をかぶった愛嬌あるストラップを指で弄くる。それは、翔平から貰ったものだ。
翔平はこのストラップを、私に最初にあげたプレゼントだと言うだろうか。
やって来たら聞いてみようと思い、私はその、なんだか見ていたら力が抜けるような間抜けな顔を、私を待たせる誰かさんと重ねていた。
けれど十分を過ぎても、十五分を過ぎても翔平は一向に現れる気配がない。
まさか寝ているわけじゃないだろうかと思い、携帯電話で連絡を取ろうとしても繋がらない。
自分から誘っておいて、まさか忘れたのだろうか。
いや、性格的にそれはないだろうが、昨夜眠れずにずっと起きていて、今朝になって睡魔に負けてしまったかもしれない。
あの意志薄弱な男子にはありえない事じゃないと思い、私は人目憚らず怒鳴りつけた。
「どういうつもりなのよ! バカ!」
憤慨した私は、荒々しく翔平のアドレスが映っている携帯電話を折りたたんだ。
それからずっと私は、携帯電話とたまに睨み合いをしながら待ち続けたが、とうとう翔平は私の前に現れなかった。
「どうして来てくんないのよ……翔平のバカ」
古典ギャグよりも寒い一人での待ちぼうけは私を落ちこませ、泣きたくなるほど悲しくさせるのに十分だった。
泣き出しそうなのを我慢しながら、もう夕陽が眩しい中を、とぼとぼと歩いた。
「私を騙したの……?」
そんなことを、あの翔平がするわけがない。
だが、他に何もこの状況を説明するアイデアが浮かび上がらない。
答えの見つからない疑問が渦巻き、涙腺を余計に圧迫する。
そんなに底の厚くないブーツなのに、引きずるように音を立てながら帰り道を歩いた。
信じていた恋人に裏切られたことで、私はこれまで体験したことがないぐらいのショックを受けていた。
でもその時はまだ、この世の中にもっと悲しいことがあるなんて、私は思ってもみなかった。
翔平が死んだことを知ったのは、日が暮れて一人で家に帰ってからだった。